自己紹介 大輝 長崎県長崎市 平成4年4月生まれ 満17歳 人なつっこい性格 そのおかげでぼくの周りにはいつもお友達がいます。 だから、自分でできないことがあっても大丈夫です。 言葉はなくても心が通じ合うから。 ぼくはあまりしゃべることができません ぼくの病気はてんかんの中の乳児重症ミオクロニンといいます。 生後8ヶ月でつかまり立ち、9ヶ月で伝い歩き、1歳4ヶ月で歩行。 一般的には普通の発達ぶりでした。 気になるといえば、言葉が遅くて歩き方がぎこちないということかなあ? 人見知りも激しくお母さんはすごく困っていたみたい。 こんなことがあったよ。 お父さんでもだめであまりに泣くぼくをどうしようもなくて 美容院までつれてきたこともあるんだって。 お母さんのひざの上で、そのままぼくは眠ってしまった。 1歳6ヶ月ごろのある日、ぼくは、お母さんとお昼寝していたんだ。 しばらくすると、突然分けわかんない感じでぼくは痙攣を起こしてしまった。 いわゆる「ひきつけ」っていうやつらしい。 はじめのうちはお母さんも 何ふざけてるのこの子 と、思ったけど 様子がおかしいのですぐにひきつけだとわかった。 とても苦しかったよ。 お母さんもお父さんもすごいショックだったんだ。 それがぼくの病気の始まり。 その時から、この病気と付き合っていくことになったんだけど、 それに加えて言語障害、精神発達遅滞というやっかいなものまでついて来ちゃった。 でもぼくは思うんだ。 言葉がなくても心があれば生きていけるって。 頭で考えることは苦手だけれど、心で感じることはぼくの得意技だよ。 ぼくは、いわゆる知的には遅れているけど、それって、 体育の苦手な人、音楽の苦手な人、図工の苦手な人と たいした変わりはないような気がする。・・・・・・ だってそれが個性だから。 |
入院 医療法人赤十字会 長崎原爆病院 平成6年4月11日〜7月26日 てんかんの発作頻発 治療のため 平成7年1月19日〜1月29日 インフルエンザによる肺炎のため 平成16年6月の1週間 肺炎の治療とてんかんの薬の調節のため ハートセンター(第2さくらんぼ園) 3歳半から就学前まで 言語療法と運動療法の訓練に通った場所 グループ訓練のお友達や プールに一緒に入ったお友達・・・ たくさんのお友達ができました 聖母の騎士東長崎幼稚園 年少さんから年長さんまで ぼくが通った幼稚園(訓練と平行して) 親離れの機会を与えてくれた ここでも数え切れないほどのお友達ができました 長崎市立日見小学校 平成11年4月1年1組入学 たくさんの友だちと先生に支えられ楽しくすごしています 4月から6年2組になりました 学校は楽しいです その中でも給食がNO.1です 平成16年3月17日(木)卒業式 6年間の思い出がよみがえってきました。 6年間は長かったけどたくさんの経験と成長を 与えてくれました。 先生、友だち、クラスのお母さんお父さん方、 そして大好きなみーちゃん、かずくん いつも守ってくれたお父さん、お母さん、 おじいちゃん、おばあちゃん ありがとう。 長崎市立日見中学校 平成17年4月1年4組入学 特殊学級が出来ました。 3組が僕の親学級です。 小学校でみんなといっしょにいたので、 なるべくその時間(交流の時間)を持てるように 時間割を組んでくれました。 同級生以外にも 上級生のお姉さんたちが4組に遊びに来てくれたり、 4組の前を通ると「おーい大ちゃーん」と 手を振ってくれます。 教室は明るくて人通りの多い場所です。 みんな遊びに来てね。 (交流学級だったクラス) 1年3組 2年2組 3年1組 平成20年3月18日 日見中学校卒業 病気との戦いだった3年間でした。 特に3年生になっての1年間は6月 8月 10月 1月 3月と 5回も大学病院に入院してしまいました。 長崎県立諫早養護学校 高等部 平成20年4月8日1年1組入学 毎登下校車で送迎です。 お母さんがんばれ! |
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