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    2003年1月31日(金)

     尚くんと順ち


 妹の恵風子と一緒に来襲して、長崎県下を震撼させた

姪の順チ(順子)と尚くん(尚昭)から沢山のプレゼントと

嬉しい便りが届いた。

     ・・・         ・・・

 八幡町の皆様お元気でしょうか。

突然、話題の中心的人物であった僕が去り、小田家の会

話にポッカリ穴が開いてしまったのではないかと、少し心配

しております。

 それにしても釣りから始まり、@手巻き寿司、Aスナック

「かのこ」、B焼き牡蠣、C高級ぬるぬる温泉、D中華料

理E思案橋メ〜メン(店バ〜ジョン)F野母の大うなぎG野

母んアジ(まだ届かず)H思案橋ラ〜メン(買い占めバ〜

ジョン)I安くてヨカ温泉。

 Jハ〜モニカと歌も、歌えなくてもとてもよかったです。と

ても鮮明な思い出ばかりです。Kおじいちゃん、換金した

かな〜?Lおばあちゃん、小さな声で悪口を言ってるか

な〜?M優希ちゃんの彼氏はよさそうな人だったなあ…。

N太希ちゃんは順子の2倍だったなあ…。O美希ちゃんは

天然なんだろうなあ…。Pおばちゃん、あなたは僕の理想

の奥さんです…!

 等など、楽しくいい思い出な反面、また暫くは接すること

ができないと思うと、ちょっと悲しいです。

   Q ( 小田家の家具の如く、ただひたすらテ〜ブ

     ルの片すみにたたずんで座っていた者より) 

      ・・・           ・・・

 先日はお世話になりました。とっても長い時間でした。

沢山パワ〜をもらい、今年はとても良い年になりそうな気が

します。

 おじいちゃんおばあちゃんは相変わらず元気だし、おじ

ちゃんおばちゃんはRいつもラブラブだし、優希ちゃんは

Sクボマ〜リンとラブラブだし、太希ちゃんもだんだん母親

の顔になってきているように感じるし……、そんな小田家の

皆様にまた会いたいなあ……!

 同封したもの


21 写真 (カメラを持って帰ってきてしまったので、欲しい

      写真は勝手に焼き増しさせてもらいました)

22 日めくりカレンダ〜 (おばあちゃんへ、”みのもんた”し

      かなかったの)

23 パイプの葉 (おじちゃんへ)

24 メロンパン (美希ちゃん、作ってみてね。時間はかか

      るけど簡単だよ)

25 大雪だそうですが、大丈夫でしょうか?

  では、 また …… 

                 順子

                 2003`1/29
  
       ・・・          ・・・
 いま思い出しても、めくるめく嬉しく楽しい思い出をいっぱ

いいっぱい残していってくれた可愛い甥と姪っ子。こんなに

喜んでくれるのなら今度来たときには、あそこにもここにも

連れていってやリたい、と思うのです。

 わりと無口で、ビ〜ルなど勧められたら 「チラッ」 と順チ

のほうを窺って遠慮がちの尚くんが、あんなにいっぱいの

思い出を感謝の心に仕舞っていてくれた……嬉しい驚きで

した。これからも思い出創りに励みましようね。ちなみに、今

日の文章の内容を後々の為に記しておきます。

 
(釣り) 三弟の権兵衛が釣れていったが、尚くんは結構腕

がよいらしく、体長30センチ近く自分の顔にそっくりの馬面

(わっはっは〜)という魚を釣ってきた。
 
@ ご先祖さんと愛妻の新鮮な魚と材料の心づくしスシ。

A 小生の大好きな面倒見のよいマダムがいる。30年ほど

  前はじめての時に酔っ払っってたので、歌は何が好き

  か、ビ〜ルはアサヒとキリンとサッポロのどれが好きか?

  と聞かれたので、歌は 「白い花の咲く頃」 で、ビ〜ル

  は小生公平な人間なので、3本のカクテルと言ったとこ

  ろ、その後何十年経っても小生が行くとバックグラウンド

  ミュ〜ジックとビ〜ルが3本、デンと出てくるのではじめて

  の人はビックリする。

B 北高の小長井周辺には生牡蠣を薪で焼いて食わせる 

  店が多数ある。

C 太っ腹の恵風子ご招待。時間がなかったので正味15

  分間入って入浴料は一人1800円。

D ご先祖さんの米寿祝をした中華料理屋。

E 夜12時過ぎに、まだ長崎ラ〜メンを食べてなかった、

   と尚くんが突然言い出して思案橋まで出掛けた。

F 長さ1メ〜タ〜大きさ80センチあまりの大うなぎで、恵

  風子ツア〜必見の名物。今回は賑やかな鳴り物はなか

  った。

G 野母漁協では旨くて太っかいイカ、海老、アジなどを分

  けてくれる。

H 前夜のラ〜メンがよほど旨かったのか、地域限定と書

  いてあったのをコンビニ2店で買い占める。

I 太っ腹の小生大豪遊、サウナも入って4人で入浴料

  1600円。

J 尚くんが運転中ず〜と、小生の歌とハ〜モニカと口笛

  で大熱演のおもてなし。

K パチンコから凱旋帰宅の頑固さん、景品のボ〜ルペン

  を沢山持ってご機嫌、順チにお小遣いを1000円やる

  が翌日スッカラカン。

L 食卓で頑固さんが我が侭を言うのであるが、ご先祖さ

  んは連れ合いが耳の遠いのをいいことに、素知らぬ風

  で 「ブツブツぼそぼそ……」。

M 優希のボ〜イフレンドの久保君も一緒に、みんなでセ

  ブンブリッジをした。

N 天然ボケか、天真爛漫か?

O 小生の愛妻の良妻賢母、偉大さが分かるとは……!

 ……というのが尚くんの手紙の内容であったが、最後の

日の昼食に小生が郡来軒に連れていって、美味しいフカ

ヒレやトンポ〜ロを食べたことを忘れているぞっ、けしから

ん! 支払いは恵風子がしたけど。うんうん!

   次は順チの手紙である。

 料理上手な順チは、美味しいメロンパンを7個も作って

送ってくれた。みんな美味い美味いと食べた。ご先祖さん

は2個も食べたのである。レシピも分かり易く書いてあった

ので早速美希子が一生懸命に作ってくれた。

 間違って砂糖を2回入れて慌ててすくっていたが、

「美味い美味い!」 おそらくこの味は2度と出せないこと

であろう! わっはっはっは〜

Q 新婚31年目に突入した。

R 優希と久保君が ”デレ〜” としている様。

S 美希子の情報が何か入ったらしい。うんうん!

(21) ……!? うんうん!

(22) みんながわっはっは〜と笑っている写真を、いっぱ

    いいっぱい送ってくれた。みんな幸せそうである。

(23) ご先祖さんがスケジュ〜ルを書き込むのに、日めく

    りが欲しいと言ったので、長崎中の本屋さんと文房

    具やさんを見付け回ってくれたが無かった。おそらく

    横浜にも品の良いみのもんたのしか無かったのであ

    ろう。

(24) 小生の好きなパイプの葉、「ブルカムリ〜フの赤」。

(25) メロンパンはメロンパンのことなり。

(26) 早速、天然美希子が制作中である。

(27) 多分、大雪がこの日降ったのであろう。小生只今、

     1週間遅れの日記を取り戻すのに悪戦苦闘中なの

     である。

 わっはっはっは〜 ありがとう、尚くんと順チ。好きだよ! 



    2003年1月30日(木)

      縫製年月日



 「北九州の三浦ですが」 と言う電話を愛妻が頂戴した。

引っ越していって20年になるが、当店の仕立てが良かっ

たので久し振りに誂えて貰いたい!という電話なのである。

 「わ〜、嬉しいな〜!」 と言いながら一生懸命考えるが

思い出せない。どうして20年の歳月であるから、いかに人

間辞書と呼ばれる小生も適わない。

 「いや〜、寄る歳波には敵わないね〜」 などと最近言

い出した悪友が多いが、彼等は単なるボケの始まりであ

るが、小生の場合は、昔から 「記憶の回転力が優秀」

と、そんな風に表現すべきであろう。

 遺伝か学校教育のどちらかが原因で、頭の回転が早い

というのかどうか、脳細胞の活性化と精神衛生浄化の為に、

ドンドン記憶してドンドン消化するのである(忘れるとも言

うが)。……とは言っても、クダらんことはよく覚えている。

困ったものだ。

 例えば小学校5年生の時に、宿題を忘れて叱られたこ

とがあったが、あの時だけは本当に 「学校に持ってくる

のを忘れた」 のであって、先生やバカ友達が言うように

「また、始まった!」 とは絶対に違ったんだぞ。小生が常日

頃いくら狼少年的言動をしていたからと言ってもひどいぞ!

あの時から純真な楽天少年は懐疑的になったのである。

 しかし、肝心なことも覚えてることがある。例えば、好き

な人に好きな生地で作って貰った時など、何年か経って

お客さんの顔や名前は忘れていても(これは確実に頑

固さんの遺伝である)、何処のメ〜カ〜のどんな色柄だっ

たか覚えているのである。小生の数少ない特技であるぞ。

 「三浦様とは、はてさてどんなお客様だったかな〜?」

お名前に記憶はあるのだが、電話を受けたのが小生で

ないので肝心のことが分からない。 「ウ〜ン、ウ〜ン」 

1晩考えて、昼過ぎお見えになる直前にハッとお顔が目

に浮かんだ。

 「そうだっ、武者人形のような元気印さんと可愛い奥様だ」

そうです。やっぱり、当たっていたのです。20年振りにお

会いするご主人は風格が増して若武者が旗本になったよ

うですし、結婚したてで初々しかった奥様はしっとりと落

ち着いた笑顔なのです。

 そして小刻後、洋服生地と釦裏地をお見立て頂いてから

の四方山話である。「これですよ、しっかりして何処も型崩

れしていないでしょ〜!?」 と、当店製の洋服を自分で

作ったように自慢してくださるのである。

 「嬉しいですね、大切にお手入れして頂いて!」 
 
と言いながら、服の内ポケットを調べると 「昭和55年10

月4日縫製」と記してある。ウワ〜、もうそろそろ23年目に

なるのですね〜。と言ったところ、どうして分かったのか?

 と聞かれるままに、実は今までお客様には申し上げなか

ったが、納品後のお客様の着用時の癖を調べたり、職人

の勉強の為に、縫製年月日と職人名を記して納品させて

頂き、当店のモット〜である永久無料保証サ〜ビスの参考

にしていることをご説明したのです。

 縫製年月日と職人名をキチンと記しておけば、何年か後

にお客様が体型変化の補正やプレスサ〜ビスでお見えに

なった時にも、生地メ〜カ〜も含めて明確な責任所在をチ

ェック出来ることを……。

 「そうですか、だから職人さんも自分の名前に恥じないよ

うに縫うのですね〜!」 と褒めて頂いたのです。三浦様

も、ご自分もモノ作りの仕事をなさっていらっしゃるので職

人気質というものがお分かりになられるのです。

 当店では3着作って頂いてたそうですが、帰ったら早速

調べて見ようと仰ったのですが、「どうして、今まで言わん

やったと? ヨカ宣伝になるとに〜!」 なのです。

 小生も、まさかお客様に言おうと始めたことではなかった

ので、”ナ〜ルホド” の思いだったのですが、これも30年

前にフト思いついて勉強の為に実行したことが、いつかは

お客様に喜んで頂くことに繋がるのをあらためて認識した

のです。

何事も「継続は力なり!」ふむふむ、頑張らなくっちゃ〜!

 日記も頑張らなくっちゃ〜! と、決意新たなる

 ぴ〜ひょろろでございました。

 



    2003年1月29日(水)

     自分史 (11歳)


 ♪ 春は名のみの〜 風の寒さや〜 ♪

小学校5年生の時に、あの古田孝子先生に出会って、美し

い旋律と詩の 「早春賦」 を教えてもらって涙ぐんだ。いま

思えば遥かに遠く懐かしい昔。ほんのチョッピリの……昔。

 ♪ わっはっは〜 ♪ 笑い声のテ〜マソングでお馴染

みのラジオドラマ、古川ロッパの 「サクランボ大将」 を毎

日楽しみに聞いていたことです。

 そういえば、やはり菊田一夫原作の ”キンコンカンコン

 キンコンカンコン” の清らかな鐘の音で始まるドラマ

「鐘の鳴る丘」 は面白かったなあ! 

 ♪ 緑の丘の赤い屋根〜 トンガリ帽子の時計台

   鐘が鳴ります キンコンカン 鳴る鳴る鐘は父母の〜

   元気で〜 いろよ〜と いう便り〜

   口〜笛 吹〜いて  おいらは 元気〜 ♪

 子供たちみ〜んな、口を大きく開けて一生懸命に歌った

ったっけ……! 目で見ることが出来ないから、それぞれ

が自分たちの空想の中で色んな情景を膨らましていって、

小生にとってはそれが良かったのだろう。今でもしっかりと

自分なりのイメ〜ジで覚えているのです。

 小生勉強は出来なかったが、どうでもいいことは不思議

に覚えているのです。ドラマの粗筋や主題歌は半世紀た

った現在もしっかりと諳んじているのです。学校でそんなの

の試験があったらよかったのに……。あっはっはっは〜

 ジロリンタン物語、徳川夢声の鞍馬天狗、♪ひゃら〜り

ひゃらりこ〜♪の笛吹き童子、紅孔雀、24の扉、話の泉、

日曜娯楽版、三木鷄朗さんの冗談音楽の数々の名局(森

の水車、特急の機関士、富山の薬売り、ヤットン節) 考え

てみると、一昔前の音楽は明るくて楽しいのが多いなあ。

手拍子で一緒に歌って 「楽しいねっ、嬉しいね〜」 とい

う気持ちが伝わってくるのがいいなあ!

 戦後日本と日本人の「元気復活!」に大きく貢献した

「リンゴの歌」 のように、あの当時のような威勢のよい歌は 

デキンのかい!作曲家や作詞家の先生方よ、頼んます

ぜっ!

 意味不明、調子っぱずれで若い者に媚びるような歌ば

かりでなく、もうちょっと自分が日本人に元気を取り戻させ

てやるっ!位の心意気で、明るく朗らかでみんなで楽しめ

るような歌を作って欲しいのであ〜〜る。

 そして、もっと我々の美しい日本語を大切にした歌をで

あ〜る。久し振りに子供の頃の美しく楽しい歌を思い出して

興奮気味のぴ〜ひょろろでしたぞ。

 それからご先祖さんに連れられて、三益愛子と白鳥みず

ゑの 「母娘草」 などの映画を観に行ってシクシク泣いて

いたが、あの頃から怒りん坊で泣き虫であったわい。

 そうだっ、ハワ〜ド・ホ〜クス監督の西部劇 「赤い河」で

はじめてジョン・ウエンとモンゴメリ〜・クリフトを観て、映画

館から颯爽とガニ股で出てきたのはこの頃であった。 





    2003年1月28日(火)

        激励


 台風一過というが、恵風子台風が帰ったかと思う間もなく

のらくろハリケ〜ンの襲来で気息奄奄。お陰で日記も大幅

に遅れてしまって、50年一日、相変わらず冬休みの宿題に

追われているカツオ君のような心境である。

 しかし持つべきものは 「まさかの友」。日記の中断を心

配(?)していろんな人からお電話やお便りを頂戴したがあ

りがたいことだ。

 @ どうした?石の上にも3年というが、お前はこれまでに

一つことを成し遂げたことがなかった。ところが60歳になっ

て、この日記をやっとこどっこい続けているので陰ながら応

援していたのであるが、またビ〜ルばっかい呑ん……!?

 A 楽天さん、頑張ってください!あなたのあまりにもバ

カバカしい言行は私に生きる勇気を与えてくださいました。

子供たちにも教材として見せております。下には下がいる

ものだと、しみじみと感じ入る昨今です。

 B 私は保育園の保母をしておりますが、サクランボ大

将の歌詞を教えてください。最近は子供達が元気に声を

合わせて笑うような楽しい歌がないので、教えてやって後

世に残したいと思っております。(本当に掛かってきた)

 C 折角ここまで続けたのだからもうちょっと頑張って続

けて欲しいのだが。            冬幻社

 D 変換ミスと気品に留意して継続されたし期待中

               ノ〜ベル運学賞選考委員会    

 この他、芥川賞をはじめ童話、詩歌、法螺吹き愛好会等

のいろんな団体からの激励電報や、自費出版をお手伝い

しますのメ〜ルや、チャンポンが遅いとかの間違い電話や

誇大妄想協会からの問い合せ等などいっぱいあったので

すが、カツオ君ではないがあと1週間分あるので大変だ〜。




    2003年1月27日(月)

     失礼な奴っちゃ 


 我等がのらくろ君の口癖に 「失礼な奴っちゃ〜」 という

のがある。我が侭な自分の意に添わない人やモノや状況

など全てに連発するのである。「自分のことは棚に上げて」

が彼の人生哲学であるから、何らかのトラブルがあった時

にはみんな相手が悪いのである。

 途中で雨が降って来たり、犬に吠えられたり、隣りの焼き

鳥が大きく見えたり、カラオケが煩かったり(自分は別)、

好きな作家のシリ〜ズが終わったり、嫁さんが寝言で知ら

ん男の名前を言ったり、とに角森羅万象全てが彼の怒りの

対象になるので、その内に天罰でも下るのではないかと彼

の衷心の友として心配するのである。

 ところが、小生にも最近そんなことがあった。

@ ふと思い出したが、去年のパソコンスク〜ル第1回目

が終わった翌月に電話があって、2回目を企画しています

が、ところで楽天さんは 「エクセルはご存知でしょうか?」

と聞くので 「さあ、アクセルなら知っておりますが……」

と返事したのであったが、あれ以来何の連絡もないぞ全く

失礼な奴っちゃ!

A 先日手が放せなかったので、い合わせた友人に書類

の書き込みを頼んだのであったが 「職業の欄には何とす

るか?お前は趣味が多いから、遊び人とでも記しとくか?」

と言うので、 「著述業とでも書いとってくれ!」 と頼んで

いたが、後で聞いたところ”供述業”と書いて出したらしい。

 まったく失礼な奴っちゃ! 耳が悪いのか頭が悪いのか、

ボキャブラリ〜が貧困なのか豊富なのか知らんが、小生は

被告を生業としとるのか!?

 B 先日、恵風子と娘の順子と夫の尚君と4人でフランス

料理を食べていた時のことであるが、尚君にこれで何回

目の質問になるか忘れたが、ビ〜ルを呑んだ翌日はオジ

ちゃんは忘れるもんのけん、ご免ねと謝ったあとで 「とこ

ろで、あなたの仕事は何やったかね?」 と聞いたところ

「プラントの設計です」 と答えてくれたのだが、ご機嫌の

小生がうっかり、 「何?プランクトンの設計?」 と言った

ら、隣りのテ〜ブルの上品なご婦人が 「ブッ〜〜」 と食

べているモノを吹き出したが、 あれは、まったく失礼なマ

ダムだぜ〜!

C 先日、ギャング映画をテレビで観たのだが、ピストルや

ら機関銃でドンパチやってる悪漢たちが、忙しい最中に車

に乗る前にキチンとシ〜トベルトをしたのにはビックリした。

 往年のギャング映画のジョ〜ジ・ラフト、ジェ〜ムス・ギャ

グニ〜、ジャン・ギャバン、ハンフリ〜・ボガ〜ドなどの名優

たちが天国(?)で泣いてるぞっ、ったく失礼な奴っちゃ!

 何処の誰が失礼なのかは知らんが、そのうち映画でも制

限速度を守ろう!くわえタバコ(葉巻・パイプ)や強く殴りす

ぎたり、バカなどの悪い言葉は止めよう!などというバカが

出るのではないか。

 そもそも、芸術性や個性や遊びやイメ〜ジを持たん奴に

かぎって本当の仲間がいないもんだから、どうでもいいコト

を掲げつらって正義面する傾向があるようだ。失礼な奴

っちゃ。ビ〜トルズがタバコを持っているシ〜ンや服装だ

って、あれが 「あの時代の文化」 と、時代考証にもなる

ではないかっ!

 D ……と、だんだん又いつものように支離滅裂になって

いるところに悪友が入ってきて 「ホ〜、ここの時計の珍しく

合ってるぞ!」 とたった今抜かしやがった。

 失礼な奴っちゃ〜、当店の時計はここ何年か遅れる傾

向にあったので、だれか気付いた人が其々早め早めに進

めるように心掛けているから、いつも先進的な時間を指し

ているのであるぞ。失礼な奴っちゃ!




    2003年1月26日(日)

   ご先祖さんの米寿祝い     


 大正3年12月18日生まれのご先祖さんは米寿を迎えた。

ご先祖さんも運の良い人間で、去年は福岡に洋服のご注

文にお伺いした時について来て、お客様の下田様ご夫妻

からのらくろ君、存在感の熊さん、愛妻と一緒にご馳走して

頂いたのである。

 2回目は、夢豊会の古切手フェステイバルの後の忘年会


席上で、仲間の家族達全員から祝福されてとても嬉しそう

にお礼の挨拶をしていた。

 その折、ガマちゃんから金一封を頂戴したのであったが、

2,3日後、心優しいガマちゃんは美貌の賢妻ミヤちゃんと

一緒に訪ねてきてくれて、あらためて諫早平野産の新米な

どをお祝いにと贈ってくれた。今思えば、その時は分からな

かったのであるが、ジョ〜クが上手なガマちゃんのことだか

ら、米で米寿を祝ってくれたのかもしれない。いつもながら、

彼の優しい心配りには頭が下がるのである。

 さて今回は、横浜の恵風子が去年から計画してくれて、

姪の順子や婿の尚君を始め楽天家ファミリ〜総勢16名参

加の豪華版である。

 みんなの笑顔と山海のご馳走に囲まれてご先祖さんはこ

の上もなく幸せそうであったが、食事に入る前の本人の挨

拶と、最後の頑固さんのお礼の言葉は以下の如くである。

    『 ご先祖さん 』

 今日は、みなさん本当にありがとうございます。いつもみ

なさんが親切にしてくれるので、本当に私は幸せものだと

心から感謝しております。みんながにこにこ笑顔で大切に

してくれるので、長生きしとってよかったな〜と思います。

 これからも炊事洗濯など自分が出来ることは頑張って、

少しでもみなさんのお役に立てるように、喜んで貰えるよう

に努めますのでよろしくお願いします。

    『 頑固さん 』

 本日は、私の愛妻の為にこんなに沢山集まってもらって

有り難う!ばあちゃんも、この頃は腰の痛かと言うこともな

く、自分から積極的に散歩したりしているので非常に良か

て思うとります。

 ばあちゃんは88歳で、私は92歳でもうすぐ93歳になる

から、え〜と8年たったら、99歳が百寿と言うから〜、え〜

と面倒くさかっ、もうとに角私はこの通り元気に百歳ば迎ゆ

るとやっけん、みんなも健康に気をつけて長生きするように

注意してください! では、これでオシマイッ! ハハハ…




     2003年1月25日(土)

      夢は面白い


 頑固さんはテレビのスポ〜ツ、ご先祖さんは風邪気味だ

から早寝、優希は久保君と食事に出掛けたので、愛妻と

太希子と美希子の4人でテレビ映画 「千と千尋」 を観た。

 なかなかファンタスッテイックな動画で、外国でも評判だ

との噂だが宜なるかな、である。ただ、オドロオドロシイ妖

怪の印象が強かったのか、変な夢を見た。

 小生だけかと思っていたら、やはり映画を見たみんなも

インパクトが強烈だったらしく、朝の食卓の話題となった。

一人が話したところ、我も我もと自分の見た夢を話し始

めたのである。結局、映画を観た全員が変な夢を見てい

たのには笑ってしまった。朝の食卓で大笑いは健康によろ

しい。フロイドさんもビックリであろう。

    『 小生 』 

 海岸通りを運転していたら、いきなり警官が30人程もパ

ラパラッと出て来て、シ〜トベルトをしてないからと違反切

符を切られた。見ると、11、000円とあるので 「高過ぎ

るっ!」 と抗議したら、3000円に負けてくれた。

 その後、 「ったく、も〜!」 と愚痴りながら運転し始

めた途端に、10メ〜トルも行かないのに、またまたパラ

パラッと登場して、よく見れば先ほどの警官である。

 「まったく、モ〜、しょうがないな〜!」 とは思ったが、

シ〜トベルトをしてないのは事実である。それにしても、

ほんのちょっと前はあそこにいたのに、この警官もよく頑

張るわいと思わず 「ニヤ 〜」 と笑ったら、相手も気付

いて「ニヤ〜」 と笑ったので、思わず抱き合って

「お互い、やりますな〜」 と健闘を称え合っているとこ

ろを愛妻に起こされた。

     『 愛妻 』

 何処か旅行先で、テラスに座っていたらいきなり仮装行

列が近づいてきた。みんなが 「キャ〜キャ〜」 悲鳴をあ

げるので見てみると、長い髪を垂らして顔が見えない不

気味なモノがやって来る。 

 ビックリして 「怖い怖い」 と手で顔を被って俯いていた

ら、「どうして、そんなにボクを怖がるの〜〜〜?」 と言い

ながら、顔を覗き込もうとしてどんどん近付いて来るので、

ビックリしたところで目が覚めた。

    『 太希子 』

 バレ〜ボ〜ルの試合があるので、日大付属高校行きの

スク〜ルバスに乗ったら、どういう訳か友愛社会館の子供

達が大勢乗っている。(太希子は結婚前、同保育園の先

生をしていた)

 いよいよ試合になったので頑張っていたが、ふと気付い

たら体育館の端の方で子供達がウンコやオシッコをしてい

る。 慌てて飛んで行って、オシメを取り替えてやって、濡

れたところをモップでゴシゴシ拭いてから、急いでコ〜トに

戻ってまたモップを使っていたらあまり忙しいのでキツクテ

目が覚めた。

    『 美希子 』

 優希姉ちゃんの結婚式で、ご存知さんをはじめ親戚一

同が揃って準備をしていた。それなのに優希姉ちゃんは、

どういう訳か花嫁さんの着付けのお手伝いをしていた。

 ……と、そのとき突然優希姉ちゃんが、

「パンテイストキングば忘れたとばってん、パンテイストキ

ングのことば英語で何て言うと?」 と聞いたので、

「パンテイホ〜ズ、やろ〜?」 と教えてやったら、誰かが

「パンテイホ〜ズ」 と言い始めて、そしたらまた一人が

真似し始めて、だんだんその言葉がみんなに広がって

いって、その内にい合わせた全員が、

「パンテイホ〜ズ、パンテイホ〜ズ!」 の、大合唱にな

ってしまって、そのコダマが煩いのとあんまりビックリした

のが重なって目が覚めた。 



    2003年1月24日(金)

      まさかの男


 パソコン様のご機嫌を損ねたのかどうか、突然日記の下

書きが消え

てしまった。オランウ〜タンなみの脳細胞を駆

使してあっちこっち触ってみるが分からない。美希子も頑張

ってくれたが分からないと言う。だんだん腹が立ってきて

「女と器械はぶん殴るに限る」 と言った福岡ののらくろ君

を思い出して電話した。

 奴さんの助言のままに、パソコン様を閉じたり開いたりあ

っち押したりこっち引っ張ったりして1時間、汗ビッショリに

なって奮闘したがやっぱり駄目である。その内に自分の指

導能力の限界に業を煮やしてきたらしく、癇癪混じりに

「型が古いから、新しいのを買え!」 と抜かす。 

「貴君の奥方も大分型が崩れてきてるようだが?」と小生が

穏やかに窘めてやると 「うちのはおいにゾッコン惚れてる

からボランテイだ。バ〜カ」 とホザク。

 いかに温厚な小生でも、これ以上愚か者を相手していて

は時間の無駄だと気付いたので 「お前のカアチャンで〜

べ〜そ!」 と素早く電話を切ろうとしたら、敵も然る者

「クダラン日記をグダグダ書かんで、クソして寝ろっ!」 と

喚くやいなや 「ガチャン!」 と受話器を置いてしまった。

 あ〜あ〜、これだから短慮人間は困る。のらくろ君や、貴

君とはもう絶交だ。新年になって間もないというのに、もう3

回目の絶交であるぞ、ちょっとは反省したまえ! あ〜、そ

れから、クリスマスプレゼントの名簿からも貴君の名は消滅

するであろうことも併せて宣言するものである。エヘン!

 ところで、 「困ったな〜」 と小生半時間程腕を拱いてい

たのだが、ふと閃いたのである。そうだ、亀っち先生だ〜!

 みなさんご存知のように、小生の愉快な友人亀谷氏のご

子息の一郎君は長崎大学院の工学科を卒業後、鹿児島で

勤務しているのであるが、彼こそ小生のこの楽天夢日記の

ホ〜ムペ〜ジを開いてくれた恩人の 「亀っち先生」なの

である。

 「善は急げ、悪はもっと急ぐから」 という格言に従って直

ぐに電話したところ、彼は熊本出張でその時丁度会議の休

み時間だったのです。

「どんな状態ですか?」

「とにかく、今言ったように何も出てこんもんのけんっ」

「それは困ったですね〜。僕も明後日は帰りますので、それ

からパソコンを開いてから電話しましょうか?」

「そうしてくださいっ、お願いします。でも、困ったな〜」

「 ……、……… 」

「困ったな〜」

「 …… 」

「 …… …… …… 」

「ジャ〜ですね〜、ちょっと待ってください。あと10分程時

間がありますので話せるところに場所を変えますから、取り

あえず先ずパソコンを閉じていてください」

 というような会話がございまして、小生のシッコイ無言のお

願いに心優しい亀っち先生は根負けしてくれたのです。そ

れから一つ一つ彼の言う通りに操作したのですが、なんと・

ナント・なんとっ、 「ヒョイ〜ッ」 と、かの懐かしい(2

日振り)日記の絵表紙が現れたのです。

 この嬉しさったらナカッタですね〜!本当に有り難く嬉し

い驚きでした。感謝、感謝、感謝なのです。一体、どこの世

界にわざわざ他県迄出張しているというのに、しかも会議

途中だというのに、いかに休み時間であるとはいえ、疲れ

ている中でパソコンの手伝いなどをしてくれる人がおりまし

ょうか。果たして自分だったらどうであろうか?と小生は考え

たのです。

 在学中から趣味の楽器演奏などを通して多くの友人を持

っていた亀っち先生は、今も仕事や各地の演奏活動でど

んどん友人が増えているそうです。お父さん譲りの明るさと

お母さん譲りの優しさを併せ持った亀っち先生には、今後

も真の友達とともに心豊かな人生を創造することでしょう。

 彼を行動を見ていると、 「勉学の何たるか?」 が理解

出来るような気がするのです。自分の私利私欲の為にのみ

知識を詰め込み立身出世して、そしていつか死ぬ。という

ような寂しい生き方ではなく、自分が知り得た学問を生かし

自らを活かして 「世のお役に立つ」 ということが大切であ

る。そんな素晴らしいコトを教えてもらっているような気がす

るのです。

 「いざ」という時に、友の為に馳せ参じることが出来るか?

「まさかの男」 と申しますが、あなたは正しく 「まさかの

ときの男」 の言葉通り、信頼を受けるに相応しい人格者

だと小生は思います。尊敬に価する29歳の日本人の

若者だと思います。

 「ありがとう、本当にありがとうございました!」

小生も、今日あなたに教えて貰ったことを、明日どなたかに

親切をして喜んで貰おうと思っています。あなたに頂いた

感動をどなたかにお伝えできればと考えております。

ありがとうございました。

明日もいい日でありますように!

         62歳の感謝の楽天爺です。



    2003年1月23日(木)

      ガマちゃん


 桜の花びらがハラハラと舞い踊る景勝の地、ここ油木町

の名門長崎商業高等学校では、いましも入学式が執り行

なわれようとしているのである。

 ピンと張り詰めた空気ではあるが、新入生の中には

「ここが勝負どころっ!」 とばかりに、肩肱を突っ張らせて

目の玉をギロギロさせている奴もおるが、なんといってもま

だ中学校を卒業したばかりの子供たちであるから,入学式の

行われている講堂の中は緊張し切った固い顔でいっぱい。

みんな、不安げな様子で周りを窺っているのである。

 さて暫く経って初めての教室に入ってからのことである。担

任から名前を呼ばれた順番に席を指示されたので、窓際の

椅子に座っていたところ、小生の前の席にはヒョロ〜と骨ばっ

た、まるで哲学者みたいな風貌の少年がキチンと背筋を伸

ばして座っていた。

 これが大串勝好、通称ガマちゃんとの邂逅である。まさか

我が人生において最高の良友になってくれるとは夢にも思

わず、お互い(?)に値踏みし合ったのである。

 オオグシ・オダであるから、「フンッ!名前順だけは負けた

わい。まあ、勉強で…」 と思った次の瞬間、彼は担任から

呼ばれてみんなの前で級長の指名を受けた。

 「フンッ!今回は譲ってやるわい」 しかしこの後、ガマち

ゃんは卒業する迄級長の座を譲らず、小生はのらくろ君と

ブ〜ビ〜賞を目指して悪戦苦闘する運命にあるのでござい

ました。

 まあ、名前順が続いていたのがご縁か、前世の約束事の

もとにあったのかは知る由もないが、この後卒業するまでの

3年間ず〜と小生の勉強と宿題を手伝ってくれ (そういえば、

カンニングも1回手伝ってくれたが、あの時は真面目なガマ

ちゃんは緊張のあまり下を向いたまま、答案用紙を肩の上

から渡そうとするので、先生は口をアングリ開けて、呆気に

とられて見ていたのであるぞ。しかし何を思ったか、いきなり

窓の外の景色を眺めて知らぬ顔の半兵衛を装ってくれたし、

脂汗タラタラの小生も何事もなく済んだ。いや〜、何かしで

かして叱られんかったのは初めてであった。今、思えば良い

先生であったが、これもガマちゃん級長の人徳であろう。うん

うん)、卒業してからは数字に弱い小生を助けて現在も当店

の帳面を見てくれているのです。

 とにかく幼稚と言えば良いのか、少々常識の欠ける嫌いが

ある小生の為に、ガマちゃんは彼の全生涯日夜を擲って面

倒を見続けてくれているのです。なんと有り難いことでしょう

か、偉大なるボランテイア精神!小生の永遠の後援会長な

のです。

 でも考えてみると、本当にたった1回の人生で彼と会えてよ

かった。彼なくして小生の人生は有り得ないのです。勿論、

夢豊会を結成する時も一緒でしたし、小生のあらゆる思い出

の中には常に彼の重要な存在があるのです。

 ところで我等が夢豊会はのらくろ君が編集者で、毎月夢

豊会ニュ〜スという小冊子を発行しているのですが、今月

号にガマちゃんが彼のお母さんの思い出について書いて

おりますので、みなさんにご紹介させていただきます。

 いま、彼の文章を読み返しながら、人と人との出会いは

不思議だな〜と思うのです。もし、彼が裕福な家庭に生

まれていたら、頭脳明晰で努力家の彼のことですから、世

の為人の為、自分を生かすべく何らかの志を抱いて勉学に

勤しむ為に、おそらくは他の進学校に行ってたことでしょう。

 もしももし、もしも、もしもがあったなら、こころやさしく

誠実な彼を知ること無く人生を終えていたのでしょうか!?

ひょっとしたら小生の人生も変わっていたに違いない……。

 ありがとう、ガマちゃん。がんばりやでやさしかった貴兄の

お父さんとお母さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。

        ・・・           ・・・

       
     『 母を偲ぶ 』

                        大串勝好

 「かつよし! かつよし! 時間ばよっ!」

 あたりを気遣った呼び声がする。一緒に寝ている家族が

目覚めないように、それはそれは小さな声である。夢心地

の中で、自分を呼ぶ声に 「あっ」 とその声の方に静かに

身をよじった。

 じっと目を凝らして見つめる彼方には何も見えない。目が

しだいに暗闇に慣れても、声がした方には何の動きもな

い。もともと目が悪い私には、すべてのものがぼんやりとし

か見えない。眠い目を何度もこすり大きく見開いても何も見

えない。静寂だけが続く。

 「ああ、夢か。今のは確かお袋の声だった……」

 寝つかれないままに天井の桝目を数える。狭い6帖の寝

室、天井の桝目などたかが知れている。すぐに数え終わ

る。枕元の目覚し時計だけがカチカチとせわしなく時を刻

む。その音がいっそう神経を逆撫でする。針は午前2時を

指していた。

 父と母とは従妹同士であった。確か結婚したのは母が17

、8と聞いている。19歳で長男を生み、次男は幼くして他

界、私が3男である。その後、弟や妹が生まれて全部で7

人の子供を授かっている。長男と末の妹の間には20歳の

開きがある。

 小柄な母はとても芯が強かったが、口数の少ないおとなし

い性格の人であった。父が出征したときも、しっかりと家を守

った。化粧一つせず、いつもカサカサと油っ気のない荒れ

たアカギレのした母の手は、苦労の結晶そのものであった。

魚の臭いのしみ付いた薄汚れたエプロンを身につけ、モン

ペ姿であたふた走り回る様子を、子供心にも忙しい人だと

思っていた。

 休漁期には、近くの農家が有する対岸の枇杷畑やみか

ん畑の下草取りに小船で海をわたった。いわゆる日雇い取

りである。父は海が時化た時に母の帰りが遅いと、

「あいは、泳げんとに」 と母のことを気遣い、心配そうに天

を仰ぐ不安げな様子が、母への愛情の証しであるとしみじ

み感じられ、とても嬉しかった。大きくなったら必ず親孝行し

なければと、そのときは思った。

 小船での漁師の稼ぎなどたかが知れている。底引き網が

だめなら一本釣り、ビヤ貝採り、夏場には遊漁船と、その時

期時期に漁法を変えた。

 でも、一向に暮らし向きは好転しない。板子一枚地獄の

底という命懸けの漁であっても、それに対する報酬は少なく

一家の会計は文字通り火の車であった。

 そんなある日のことである。

「こんな飯が食えるか!しゃあもなか」 と、私は母に食って


かり、箸を放り投げたことがあった。

「しゃあもなか」 とは、おかずのことである。土間に放り出

された箸を無言のまま拾い上げながら、母はじっと耐えて

いた。

 子供のなかでもいたって気持ちの優しい親思いの息子で

通っている我が子から、こんな刺々しい仕打ちを受けたこと

に目を疑い、一言もいわずに、ただただ申し訳なさそうにろ

たえている後姿が、とても悲しそうに見えた。肩の辺りが小

 
刻みに震えているのがわかった。きっと腹いっぱい食べさ

せてやりたかったであろう母の気持ち、今の生活ではこれ

が精一杯だと言いたそうであった。そんなことは十分に承


知している自分が、どうしてこんなに卑しい言葉を吐いてし

まったのかとても信じられなかった。情けなかった。
 
 すぐにでも母のもとに走り寄り 「ごめん、母ちゃん」 と

詫びるべきなのに、追い討ちをかけるように荒荒しく戸を開

けると家の外へ飛び出した。

 中学2年の時であった。感情の起伏が激しい思春期の真

っ只中にあり、進学のことや学費のことなどでずっと悩んで

いて、自分の感情を抑制するだけの余裕すらなかったので

ある。激情に駆られて母にその憤りを打ちつけた。それで

気が晴れたかといえばそうではない。逆に虚しさが募るば

かりであった。懸命にやりくりしている母の気苦労がわかる

だけに、してはならない親不幸であった。自分を責めた。

 時は移ろい、気丈な母が病に倒れて入院を余儀なくさ

れ、余命幾許もないという先刻を受けた。私が42歳の厄年

であった。母69歳、食道癌である。

 日増しに食事が喉を通らなくなり、点滴だけでは栄養の

補給もままならずやせ細るばかりである。連日連夜、母のそ

ばに寝泊まりして、自分の出来る限りの看病をした。病院か

ら出勤の毎日であった。自分の命を縮めてでもと母の延命

を神に祈った。
 
 骨に皮がついているだけの体になった母が、最後の力を

振り絞るように、 

 「か・つ・よ・し・お・お・き・に・お・せ・わ・に・なっ・た・の

・う」 と、消え入るような声で言った。目頭が熱くなり、

涙がとどめもなく頬を流れ落ちた。

 「母ちゃん、あんときはごめんね」

と、言おうとするが声にならない。号泣だけが響いた。母と

の別れの寂しさに胸がとても苦しかった。

 昭和57年3月3日、大雪の日であった。静かに旅立った

母の顔は柔和で優しく、苦しさから解き放たれた安らかなも

のであった。最後の死に水をとったことが、私の母へのお詫

びであった。

 今日、子供たちにも恵まれ、友達にも恵まれ、何不自由な

く生活出来るのもこの母の苦労があッたればこそである。母

への感謝の気持ちは生涯消えるものではない。

再来年、母の23回忌を迎える。



    2003年1月22日(水)

   父ちゃん、パンツば貸して


 風呂上がりの火照ったお腹をさすりながら太希子が言う

のですよ。 「父ちゃん、パンツば貸して!」 と……。

 わっはっはっは〜 一体、この子はいつになったら大人に

なるのでしょうか?本当に邪気の無い娘なのです。

 身体が大きくなりだした中学生頃から、風呂上がりにはい

つも小生のデカパンをはいて台所周辺を探索して回ってい

たものだが、可愛い赤ちゃんがお腹に出来たいまでも所望

するのです。

 わっはっはっは〜 可笑しいけど嬉しい。太希子が小学

生の頃にご先祖さんがよく言ってた 「この子は本当によ〜

まあ、父親によく似たもんばい。楽天ば、2回育てよっごたっ

ばい!」 の言葉を……。

 そうです。太希子や、本当にあなたは父ちゃんに似て、

朝寝坊で勉強嫌いで……〜〜〜……と悪いところもあり

ましたが、良いところもいっぱいいっぱい、800倍もある

のですよね。

 よく寝よく食べ、童話や漫画本が好きで、歌うことや遊

ぶことや笑うことや人に親切にすることが好きなので、

心のやさしいお友達がいっぱいできました。父ちゃんは

そんなあなたが大好きです。

 いま、父ちゃんのデカパンをはいてるあなたは妊娠5ヶ

月、今年の6月にはお母さんになるのですね。一体どん

な赤ちゃんが生まれるのかな?男の子かな〜、女の子

かな〜?

 ひょっとしたら、太希子母さんに似ていたりして……。

ひょっとしたら、楽天爺ちゃんに似ていたりして…。

そしてまたひょっとしたら、ご先祖おばあちゃんに

 「本当にもう〇ちゃんは、〇ちゃんのお母さんやおじい

ちゃんにそっくり、本当に困ったものですね〜!」 なん

て叱られたりして、わっはっはっは〜考えたら面白いね。

 太希子や、どうか元気な赤ちゃんを生んでください!

赤ちゃん、暢爺のパンツと暢爺の縫った腹帯にくるまっ

て、お母さんのお腹は温かいですか?

  まだ会ってないけど大好きな赤ちゃん。

  おじいちゃんは待っているよ!

  暢気ものの のん爺ですよ!




    2003年1月21日(火)

        箸袋


 去年の忘年会の2次会で、愉快な紳士と出会って意気投

合、飲んだり歌ったり踊ったり笑ったりしたのであるが、その

紳士から手紙が届いた。(本当にフレンチカンカンを踊った

のであるぞ)

 実はその翌日、二日酔いでクシャクシャのワイシャツのポ

ケットを検査したところ、なにやらメモが書かれた箸袋が入

っている。かなり難解な書体でヘブライ語のようである。

 「うんうん、なかなかにインテリらしき紳士であったわい」

と、感じ入りながらよくよく読んでみると 「有馬邦昭は、貴

店で洋服をつくります」 と書いてあるではないか!

 ぬぬぬぬっ、小生は前後不覚で酔っ払っていたのに、営

業をやっていたのか〜!? と、自らの”ウチテシヤマン”

敢闘精神に敬意を表しながらも、果たしてこの文書が法律

的に認められるかどうか、土曜日昼のNHK、生活笑百科

の笑福亭仁鶴さんに問い合わせてみようかと思ったが、とり

あえず本人にお礼状を書いていたところ、この返事が到着

したのである。

 しかも、正月の1日に年賀状と一緒にである。なんとも縁

起良く嬉しいことであろうか!

      ・・・          ・・・   

             平成14年12月28日(土)

小田楽天様

                       有馬邦昭

前略、 「心地よいお便り」 を頂戴し楽しい気分にさせて

頂きました。 「何度読み返しても飽きのこない味のある文

章だな〜」 と感心いたしておるところでございます。

写真もお互いなかなかのいい顔をしてるじゃありませんか、

楽天殿のおひげが私の顔にちくちくと心地よかったのを思

い出した次第です。
            
かなり酔っていたとは言いながら 「さながら古代も字のよう

な」 書いた本人が判読に苦しむ程の達筆?ぶりに改めて

自分が好きになりました。

まさしく 「有馬邦昭は、貴男の店で服をつくります」 と書

いてございます。あと2〜3年で現職を終え自由時間の一

部を国内外の旅行にあてたいと思っております。旅行時に

着用する 「洒落た旅行着」 をその時を迎えたあかつきに

は是非貴兄にお願いいたし度何卒よろしくお願い致しま

す。

「素敵なパイプと甘い香りのきざみタバコ」 をお送り頂き大

変嬉しく思います。ずっと大事に可愛がることをお約束致し

ます。 「夢豊会ニュ〜ス」 楽しく拝見致しました。貴兄の

「この度は…」 をはじめお仲間の皆様も 「只者でない!」

の感を強くした次第です。

先ずは、取り急ぎ御礼方々ご報告まで。 

                              早々

追伸、パイプのお返しに3点ばかり同封させて頂きました。

ご笑納くださいませ。

「又会う日まで・・お元気で・・よいお年を!」

再通信、今年孫が誕生致しました。毎週遊んでもらっており

ます。 

  そこで 「初孫や ああ初孫や 初孫や」 馬笑

再々通信、文才がなくあらためて一筆など出来かねます

が、もしよろしければこのお手紙に何かコメントして頂いて、

このまま載せて頂いてもそれなりの格好がつくかな?等と

ふとどきな事を考えております。

      ・・・           ・・・

 ね〜、みなさん。面白い人でしょう!この世の中には面白

い人がいっぱいいらっしゃるのですね〜。出会いというの

は面白いですね〜、いや有馬さんが面白いのでしょうね〜

 わっはっはっはっは〜

 ちなみに有馬邦昭氏は、昭和14年12月12日生まれの

仙台出身でアサヒビ〜ルコミニケイションズに勤務しておら

れ、青葉城恋歌が得意な愉快なゼントルマンで初恋(嘘で

す)が……などともう一枚の箸袋にもいっぱい記してあるの

です。わっはっはっは〜酔っ払った小生って、結構ハシに

もおけない律儀なメモ魔なんですね。わっはっはっは〜

 そして、送って頂いた3点のプレゼントとは800万円は入

ろうかという旅行用のベルト財布と、シックなキ〜ホルダ〜と

ケ〜タイに貼る鏡でした。

 ところで、今度長崎に来られたら1杯呑りましょう、と書い

ておいたがいつお見えになられるかな?うんうん、楽しみ

である。

では最後に、明日の出会いにアサヒで「乾杯!」なのです。



    2003年1月20日(月)

        腹帯

 夕食後店で仕事をしていたところ、3階の仕事場に行っ

て何やらゴソゴソしていた愛妻と太希子からの室内電話で

ある。

 「とうちゃ〜ん。ミシンのどげんしたっちゃ動かんとさ、ちょ

っと調べて〜」 と言う。何事ならんと上がっていってみる

と、2人でミシンを囲んでヤッサモッサやっている。

 「どうしたと?」

 「う〜ん、あのさ〜、今度の日曜日は戌の日た〜い。そん

のけん、安産祈願に行くけん腹帯ば縫いよっとばってん、ミ

シンの調子の悪いもんのけん、どげんしたっちゃ縫いえん

とさ」 と言う。

 ふ〜ん、どうしてかな〜?と調べてみると、何のことはな

い。下糸のケ〜スに、愛妻が他のミシンのを嵌めているか

ら動かない筈である。

 わっはっはっは〜 どれ、貸してごらん、父ちゃんが縫っ

てやるけん!とバトンタッチして 「ガチャガチャガチャ」

と小生が縫い始めると二人は大喜びである。

 「わあ〜、流石は父ちゃんばい。上手かね〜」

「良かったね〜太希ちゃん。こんなに綺麗な腹帯ば持って

る人はいませんよ」

 「本当ばい!流石はプロばい。嬉しかね〜、こんげん上

等の、しかも自分のおじいちゃんに縫うてもろうた赤ちゃん

はおらんばいっ!世界一ばい!」 

 2人の嬉しそうな会話を聞きながら小生は幸せいっぱい

である。小生こそ嬉しいのである。よ〜こそ、ミシンの調子

が悪くって、小生にお呼びが掛かってきたものだ、と嬉しさ

いっぱいなのである。

 2枚を縫い終わって、「ハイッ!」 と手渡したら、太希子は

こう申しましたぞ。

 「ありがとう父ちゃん。今日は上手にミシン縫いの出来た

けん、今度お産に帰ってきた時には、手縫いの腕も見せて

もらうごと、オシメば縫うて貰うけんね!はっはっはっは〜」

 小生に似て、体格も性格もそっくりの太希子は豪傑笑いを

するのですぞ。 「良かったですね〜!」 と愛妻も言うので

すぞ。

わっはっはっは〜「元気な赤ちゃんが生まれてこいよ〜!」

幸せな暢爺でございました。 わっはっはっはっは〜




    2003年1月19日(日)

     NHKのど自慢

 ご先祖さんと愛妻の三人で、NHKのど自慢公開録画を

見にでかけた。会場に着いたら広いブリックホ〜ルが超満

員である。

 話しによると出場者は、何千人の希望者の中から抽選で

選ばれた250人が、前日(土曜日)の夜7時までかかって

予選会でのどを競って、上位20人が選ばれたそうな。

 そしてまた、選ばれた人たちはその後2時間の打ち合わ

せをした後、翌朝は7時50分に集合して午前中はリハ〜

サルに励んだというから大変だ。

 そういうことであるから、選ばれた20人の親戚友人等の

私設応援団も熱が入ろうというものである。彼等もまた、前

もって入場希望の抽選で当選したハガキを手に、午前11

時開場となっているのに、8時頃には並んでいたというから

立派なもんだ。

 そしてまた、1月19日の今日という日は、奇しくも昭和2

1年……終戦の翌年……に「のど自慢」が始まって、丁度

57歳の誕生日だそうである。

 その上に今年は、NHK長崎放送局開局70周年の節目

に当たっているそうだが、更に司会の宮川泰夫さんは35

年前にこの長崎でデビュ〜したので、若い頃にかえって頑

張りますと言ってるのが面白い。

 内輪話を面白おかしく紹介した後で、みなさんご存知あの

軽快なのど自慢の音楽にのって登場したのは本日の出場

者の面々である。

 20組、全部で30人ほどの出場者がいかにも緊張した様

子で手を振って出てくるのを見ていると、なんだか 「みん

な歌もリハ〜サルもガンバッタんだね。うんうんっ!」 と

思ったら、なんだか 「ジ〜ン」 としてしまった。歳のせ

いか最近涙もろくなったようだ。

 出場者が盛大な拍手に迎えられて (我々観客も拍手

とか、手拍子のリハ〜サルで大変であったぞ) 席に着い

たところで、司会者の宮川さんに紹介されて、ゲストの島

津亜矢と前川清が出てきた。

 ご存知かもしれないが、前川清は長崎出身である。小生

はまだ飲んだことはないが、いつかご縁があったらご馳走

になっても結構であると思っている。

 前川清には、いまだかって小生は会ったことはなかったの

であるが、出場者の中にはむかし彼が飲みに来る店でアル

バイトをしていた、などと言う人がいて、前川が 「ボク、借

金はなかった?女性にも迷惑掛けなかった?」 などと、恍

けた味が面白かった。なかなかなのボ〜ドビリアンである。

 はじめて見たのであるが、ナカナカ愉快な人物で気に入

った。誘われたらハシゴにも付き合って ”イイヨッ!” と

思った。小生の歌を聞かせてやっても ”イイヨッ!” 

なのである。

 もう一人、小学校の先生というヒドカ(ひどい)のぼせも

ん(巫山戯や)がいて、彼のおばあちゃんが前川のお母

さんと懇意だったそうな……。小生、滅多にテレビを見な

いので前川清を近くに見るのは初めてであるが、こんな

友人がいたら愉快だろうな〜、と思った。うどん屋に付き

合っても ”イイヨッ!” ……。

 さて、肝心の「のど自慢」であるが、正直なところ審査員は

大変だな〜と思った。というのは、トップバッタ〜に上手な

選手が出たのだが、鐘2つで終わったのである。

 「こりゃ〜、大変だろう!」 と思っていたら、やっぱり大変

であった。なんといっても (どんな競技でも) 最初の人が

ベ〜スとなるので、後から出てくる人が少々上手くっても前

の人と比較するので鐘は鳴らせない。とうとう、鐘3つ鳴らし

たのは4人であった。

 今日と反対に、トップバッタ〜が鐘3つの場合も難しいだ

ろう。だって、次に出てくる人達が前の鐘3つの人より上手

かったら、合格者はドンドン増えて8人位になるかもしれな

い。

 万が一、小生の審査に疑いをお持ちの方がいらっしゃっ

たら、みなさんもご高覧賜わるべし、なのだ。3月16日放映

だそうですから、みなさん見てくださいね。

 あっ、そうだ!ひょっとしたら、我等が楽天一家の代表選

手3名が、2階席の後の方で映ってるかもしれない。

(うん、うん。ひょっとしたら、小生の潜在意識は先刻からこ

の一言を言いたかったのかもしれない……!?)

 3人並んだ真ん中の席で、小豆色のカ〜デイガンを着た

白髪の上品な88歳がご先祖さん

 その右側に、白のタ〜トルネックにグレイのテ〜ラ〜ド

ス〜ツという装いで、微笑んでいるのが我が愛妻の万里ち

ゃん。

 ご先祖さんの左に位置して、50年後のタマちゃんという

風貌の品の悪いオジさんが、黒のトックリセ〜タ〜を着込

んでいるのが小生である。

 わっはっはっは〜 では、3月16日のお昼にお会いしま

しょう! 「モノは投げないでくださいねっ、テレビが壊れる

だけですからねっ!」 わっはっはっはっは〜




     2003年1月18日(土)

      カクレンボ


   タキコキタ ハッハッハッハッハッハ タキコキタ

いや〜 わっはっはっは〜 みなさんご存知の 回文であり

ます。 いや〜 そのことではなかったのであります。 小生

が言いたいのは 太希子が帰ってきた ということなのであ

ります。今年初めての帰郷なのです。

 優しい夫の米ちゃんが、妊娠5ヶ月の太希子を里で「安ん

でおいで!」 と言って帰してくれるのです。良い婿さんな

のです。

 ♪ランランラ〜ン♪ と空港に着いたら、例によって我が

家恒例のカクレンボなのです。ゲ〜トから出て来た時に、

出迎えの小生を見つけることができるか? という楽しいゲ

〜ムなのです。

 上手に隠れ続けることができたら小生の勝ち、柱や壁や

人ごみの中に隠れている小生を早く見つけることができた

ら太希子の勝ちなのです。去年は、迎えに早く行き過ぎて

待ちくたびれて眠っているところを太希子に 「ワッ!」 と

驚かされて負けでした。

 来るかな〜来るかな〜? 来た、来たぞ〜っ!

太希子の姿を見て小生は上手に柱の後に回り込みます。

太希子は真っ直ぐに歩いているふりをしながら、目だけは

油断なくキョロキョロ小生を探しております。正面出口に出

る振りをしてパッと振り返っているのですが、その手は桑名

の焼き蛤なのです。

 売店の陰や椅子の後や出迎えの人ごみの中に、ドタドタ

と隠れ回っているです。空港の関係者や出迎えの人々が

 「何事ならん?!」 と興味津々で見ておりますが、太希

ちゃんと父ちゃんは必死なのです。だって、子供の時から

つずいたカクレンボゴッコなのです。

 さて30分経過しました。いや〜、わっはっはっは〜颯爽と

姿を現した小生を見て太希子も思わず笑い出すのです。

 「太希ちゃん、負けたっ!」 と言って、小生に抱きつい

てくれるのです。こどもの頃の太希子のまんまで……。

 父ちゃんは嬉しいのです。今日から10日間、いっしょに

遊べるのですね、新しい思い出が創れるのですね。さあ、

おじいちゃんやおばあちゃんが待っているから帰ろうか!

 そういえば、おばあちゃんの米寿のお祝いの為に、25日

朝の10時には恵風子が、10時15分には姪の順子が最愛

のハズバンドと一緒にこの空港に到着するので、また一緒

にカクレンボしに来ようか!

 あなたがたがみ〜んな子供だったときのまんま……

少年少女のまんまで、仲良くできる娘や妹や姪やご主人

たちを持ってる父ちゃんは幸せものですね。

 ありがとう みなさん!




    2003年1月17日(金)

       年賀状

 明けましてお目出度うございます

 昨年中はお世話になりましたが

 本年もよろしくお願いします

              トホホ…


 大好きなみなさん。みなさんはいま何をなさっていらっし

ゃいますか?好きなことをなさっていらっしゃいますか?有

意義なことをなさってあらっしゃいますか?まさか、ビ〜ルを

飲んだりなさっていらっしゃいませんでしょうね。トホホ…!

 なにっ、小生?小生はただ今情けなくも恥ずかしいことに

上記のような文面の年賀状を書いているところなのです。

 「ハイッ、本当に本当なのです」 みなさんと同じように、

小生もうとうに7日正月も済みましたし正月気分もきえてい

たのです。

 ところがですね〜、先程ひょっこり整理棚の中から年賀

状がどっさり出てきたのです。もう小生も愛妻も吃驚した

の何のって!?

 「去年の暮れにキチンと出してなかったのか?」ですっ

て、いえいえ、年末にキチンと800枚ほどビ〜ルも我慢して

好きな方々のお顔を思い浮かべながら年賀状を書いたの

です。否、書いて出したつもりだったのです。まさか、いま

目の前にある218枚も出してなかったなんて……!

 とこうして書きながら、いつか何処かでなんとなく同じよ

うな科白を言ったような気がして前の頁を繰ってみると、

「オ〜、マイガッド!」 正月の7日にも同じ出来事があっ

てるではないか〜〜〜〜〜〜〜っ!

 ”オ〜 何てこった〜い” 掻き毟りたいほどに髪はないの

がこれまた癪の種、思わず切歯扼腕しながら地団太踏んで

泣き崩れる大騒ぎのぴ〜ひょろでございましたぞ。一時は

どうなることかと隣りの猫もビックリするほどの驚きようでした

が、そこはそれ伊達に楽天名を乱用している訳ではござい

ませんで、日本褒め合い運動会の鉄則を思い出したので

ございます。

 「マントヒヒの道徳心をお手本に3秒経ったら忘れる。

ニワトリの脳細胞を見習って3歩歩いたら忘れる」

わっはっはっは〜と笑って冷静さを取り戻したぴ〜ひょ

ろろでございました。

  小生思いまするに、ダラシナイ小生が年末の慌ただし

い中で、机の上を片付けないままで出掛けていたのを、多

分几帳面な頑固さんがいつものように整理整頓してくれて

いたのでしょうね。アリガトウゴザイマス……!頑固さんの

親心にハラハラト落涙するのでした。 トホホ…!

 いま考えて見ますと、まさか年賀状の出し忘れがあろうと

は夢にも知らず小生は ♪ぴ〜ひょろろ〜♪ と暢気に正

月を迎えてお屠蘇でも飲んで 「明けましておめでとうござ

いま〜す!」 とハシャイでいたのですね。恐るべき運命、

人生1寸先は闇なのであります。

 というような訳でいま、セッセセッセと書いているのである

が、何気なく葉書きを見ると ”なんとなんとなんと” 抽選

日は1月19日と書いてあるではないか〜〜っ!

 今日は18日の金曜日であるから、順調にいったら明日は

19日の土曜日がやってくるのであるが、果たして土曜日で

も抽選会はあるのか?土曜日は郵便局は休みであるから

月曜日に順延するのか?一体全体小生は218枚ものこの

イマイマシイ(オッと失礼!)のを今日中に書いてしまえる

のであろうか?年賀状は速達に出来ないのであろうか?

抽選日より遅れて届いた年賀状を見て、人は小生が抽選

を調べた挙げ句スカの分だけ送ったと思いはしないか …

 〜小〜心 〜で^ リ 〜チ〜 ギ 〜 〜な〜  ?

 ぴ〜ひょろろの心も筆も千千に乱れるのでございました。




    2003年1月16日(木)

    アベベさんご来店


 わ〜いっ! 今日はワ〜ルドユ〜モアクラブでご高誼を

頂戴している温厚なる紳士のアベベさんにご来店いただき

洋服をお誂えいただいたのです。濃紺に小さい共縞の入

った上品なス〜ツです。初めてご注文いただいたス〜ツで

はあるし心意気を見て頂く為にも、職人たちと力を合わせ

て良い仕事をして喜んでいただこうと思うのです。

 アベベさんは某銀行の重役さんで、その誠実なお人柄ゆ

えにメンバ〜の人望を一身に浴びておられるのです。

 ……と、このように書いたらいかにも年配のでっぷり太っ

たビヤ樽みたいな人物をご想像なさるかもしれませんが、そ

うではないのですよ。

 英国紳士のようにスマ〜トなスタイルで礼儀正しい人格

者で、読書を好みスポ〜ツを愛し畑で汗することを趣味とさ

れる知的行動派なのです。しかし行動派ではあるが、みん

なの前でデシャバルことなく穏やかな微笑みの持ち主なの

です。だから小生は、アベベ氏が一番好きなのは人(ひと)

ではないだろうか、と小生は考えるのです。

 大好きな人とともに語り、飲み且つ歌う、人を愛し人と笑

い、人と泣く、どんなに氏が人を好きでシャイな性格である

かと申しますと……奥さんには内緒ですが……氏は過去

で4回も初恋を失恋なさったのですぞ。

 わっはっはっは〜 実はこの話しはアベベ氏が去年、我

々のクラブで講師をなさったときに仰ったことです。勿論、

本当は真面目な話しだったのですが、例によって小生の頭

の中には面白い部分しか残ってないのです。

 でも、本当にどんなに真面目な方かみなさんにお分かり

頂く為に昨夜開かれたユ〜モアクラブの返信コメントをご紹

介します。

 正月例会なので 「大法螺をお書きください!」と往復葉

書きでお願いしてたのですが、他の会員と比べていただけ

ればお分かりかと存じます。

  「ブリンナ〜さん (お坊さん)」

@ 今年も1才歳をとりました。残りは135年しか残っており

 ません。ア〜ア〜 忙しい、忙しい。200才まで生きるつも

 りなのである。

A いろいろ云わずに私が北朝鮮をまるごと買いとってす

 べて開放します。 

B いま色々な分野で合併の問題がありますが、このままで

 は為にならないので、九州全部特に長崎と福岡を合併し

 たらどうでしょうか?

   「のび太くん (著述業)」

@  芥川賞をとる!

A  直木賞をとる!

B  ノ〜ベル章をとる!

   「喰海さん (大学教授)」

@  清く

A  正しく

B  美しく

   「G・Kitarou さん (病院長)」

 今年のモット〜 「全ての行動は _ _ のために」

@  その日の仕事を精一杯やり、明日について思い煩わ

  ないこと。  

A  力の及ぶ限り 「己の欲するところを人に施せ」 を実

  行すること。

B  謙虚な心を持ち、慢心することなく、平静の心を培う

  ことを理想として今年も頑張りたいと思います。諸先輩

  の皆様よろしくお願いいたします。

   「我等がアベベさん」

  あけましておめでとうございます。

  ワ〜ルドユ〜モアクラブの皆様

  本年もよろしくお願いいたします。

  ことしもたくさん笑い

  楽しい思い出を作っていけたらと

  思っています。


 わっはっはっは〜 面白いでしょう、みなさん。小生が番

号を打っていたので、みなさんそれぞれ@からBまで書い

て下さったのですが、アベベさんはゴ〜イングマイウウェイ、

法螺は吹けないのです。

 でも法螺は吹けないが、デッカく優しい文字で平仮名を

多く使って訥々と書いてあるのです。これがアベベさんの

真骨頂なのです。だから、小生はこんなアベベさんが好き

なのです。

 小生、少々痴がましかったのですが年頭だったので、コメ

ントを下さった方々に面白おかしくリボンに記して表彰させ

て頂いたのですが、役割は以下の通りです。  

(ブリンナ〜さん)   
、、
 ワ〜ルドユ〜モアクラブ百周年記念祝賀会実行委員長  

(のび太くん)

     同上       ノ〜メル賞

(喰海さん)

     同上       掃除委員長

(G・Kitarouさん)      
             

     同上       倫理委員長  

(アベベさん)  

     同上       思い出創り委員長 


 と記させて頂いたのですが……!

わっはっはっは〜 あ〜面白かった、楽しかった。

     相田みつを先生が 

   ひとの世の幸不幸は

   人と人とが逢うことからはじまる

   よき出逢いを 

と教えていらっしゃるように、出逢いというのは素晴らしい

な〜、と思うのです。

 ベンツさんやオ〜ドリ〜さんをはじめ、多くの素晴らしい

人たちとの出逢いのお陰で、今日アベベさんとの出逢いが

あったのですね。心から感謝申しあげます。

 そして心を込めて、喜んで頂けるご洋服をお創りさせて

頂きます。有り難うございました。




    2003年1月15日(水)

      豪華食事

 みなさん、大好きなみなさんはもう昼食はおすみか?

そ〜ですか。もうお済みでござるか。ところで、何を?あ、

いやいや詮索するつもりでは毛頭ござらぬ。小生のこの疎

らなカミに誓って……。わっはっはっは〜

 いや正直なところ、今日の我が家の昼食が余りにも豪華

絢爛だったので、もう嬉しくって誰かに報告したくて堪らな

いのである。というのは、実は小生の日常生活における大

好物はご飯にうどん蕎麦、野菜に豆腐の類いなのである。

 であるから、生ビ〜ルの大ジョッキ〜片手で焼きおにぎり

に齧り付いたり、毎日うどんと豆腐料理が出たら大喜びであ

るし、鍋物で1番好きなのは野菜なのである。わっはっはっ

は〜思い出しても嬉しくなったぞ〜!

 ところで、先刻の料理は本当にウマかったな〜。本当に

ウマみたいに食べてきたのである。1週間くらい前までは正

月のお節料理の後片付けみたいのばかりであったが (ほ

んにまあ、数の子、明太子、イクラ、雲丹、キャビア、カラシ

蓮根、フォアグラにはげっぷが出るわい) 今日は品目自

体はサッパリしておったのじゃが。

 お粥(昨日、ご先祖さんが風邪気味だった残り)にオジヤ

(もう七草粥ではない筈だが)にチャ〜ハン(昨日の昼)に

ハヤシライス(昨夜美希子作)にチャ〜ハン(制作年月日不

明)と、もう見ただけで腹1杯になったが、これらに一応のケ

リをつけとかないとまた明日再登場、ということになるので小

生も必死になって頑張ったのである。ふう〜ゲップが出るわ

い。

 考えてみると子供の頃に遊び惚けて、夕食を抜かれて泣

いた覚えがあるが、長じても 「夕食は要らん」 と、キチン

と前もって報告しとかないと翌日の昼食に出されるのだから

困ったものだ。92歳の頑固さんと88歳のご先祖さんにとっ

てぴ〜ひょろろなんてまだ洟垂れ小僧なのです。

 小生、中学校の頃から朝飯より朝寝を好んで半世紀あま

り経つが、いまだに朝飯は食わないで昼食だけを楽しみに

して棲息いるというのに……!

 嗚呼、それなのにそれなのに、台所に入ってくる小生の

顔を見るなりご先祖さんはまるで手品のように戸棚から丼

や皿の残り物を取り出すし、フライパンや鍋の類いは賑や

かに踊り出すのである。

 というような次第で、今日はやるだけのことをやったので

食事の最後の儀式として、小生が物心ついた頃から唱えさ

せられているところの感謝と反省の弁を述べるのでござい

ました。

 ” 御仏とみなさまのお陰でこのご馳走に恵まれました。

深く感謝し、おご馳走さまでした ”

 そして、そ〜と心の中で反省と用心をするのです。今夜

は何か会合が有ったかな〜?



    2003年1月14日(火)

     そろそろ会?


 「わたしはいつも未来に興味があるんだ。残りの人生は

そこで過ごそうと思っている」 というジョ〜ジ・バ〜ンズの

科白が気に入ったので、2003年を記念して新しい会をつ

くることにした。

 会をつくるのは久し振りであるが、まあこの歳になって趣

味の時間にまで余計な気を使いたくなかったので、人選は

本当に気心の知れた友人諸氏だけに声を掛けて10名で集

まった。

 メンバ〜は、小・中・高校時代の刎頚の友や、社会人とな

ってから知りあった心置けない友人やお客様の中から出鱈

目に愉快な人達ばかりである。みんな電話1本 「新年に

敬意を表して1杯やろうか!」 で快く集まってくれ、取り敢

えずはジョッキ〜で乾杯である。

 面白かったのは、のらくろ君と存在感の熊さんは事情を

知っていたが、我々をのぞいた7人はそれぞれ初対面なの

で、まさかこれが初めての会合だとは知らずに自分だけが

初参加だと思って緊張していたことである。だって考えて

みれば、何人参加するかということも話してなかったのであ

る。

 我ながらいい加減なものであるが、そこはそれ元気で愉

快な奇人善人の集まりであるから、”友達の友達はみんな

友達”で、10分も経たないうちにワイワイガヤガヤ……。

 そしてまた、暫く経つうちに仲良くなる近道を発見したら

しく、テンデに小生の悪口を言い始めたのには驚いた。い

や〜愉快、愉快、愉快であったぞ〜。

 一人が言い出すとあれもこれもと、小生のご幼少の砌の

失敗談などを大袈裟に言いたてるものだから、負けじとば

かり次々に、わっはっはっは〜 いやはや参った、参った。

よくもまあ、あんなに本人を目の前にして言えるもんだわい。

なかには、常日頃腹に溜まっていた鬱憤をぶっつける奴も

いて、いやはや散々であった。

 さて、みんなの提案でお互いにニックネ〜ムで呼び合うこ

ととなった。のらくろ君はダンボ〜ル、熊さんはカマ鼬、小

生は光栄にもタマちゃんなる愛称を頂戴した。

 この他、バロン、そろそろ、学習院、シシャモ、まだまだ、

講釈、イマイチなどを命名された十遊子はご機嫌であった。

こんな時には声の大きい方が勝ちで、ゴッドファザ〜の学

習院(昨日迄は法界坊であった)に嫌なネ〜ムを頂戴して、

かには渋い顔をしていたのもおったが、まあ精進していれ

ば汚名挽回のチャンスもあろうってものである。

 会長は、なんとなく”そろそろ”さんに決まって、次回会合

はエプリ〜ルフ〜ルの4月1日となったのであるが、さて

会の名前を何にしようかというところで喧々囂々となって決

まらなかったのである。

 いや、ひょっとしたら決まったのかもしれないが小生には

聞こえなかったのである。とにかく、春夏秋冬会、そろそろ

会、モ〜イイカイ、1病息災会、出鱈目会、バカタレ会、愚

者会、暢気倶楽部、いい加減会、賢者の集いなど、それ

ぞれが思いつきのネ〜ミングを叫び続けて、聞いている人

は一人もいなかったのである。

 わっはっはっは〜 何たる知性集団であろうか!

愉快、愉快、愉快!とにかく、船は出航したのであるぞ。



    2003年1月13日(月)

     夢豊会と楽天家族


 今日は恒例の夢豊会の新年会である。午後5時集合とい

うので、会員ファミリ〜はにこにこ笑顔でハ〜バ〜インホテ

ルに大集合するのです。

 ところで、どういう風に我々夢豊会が家族ぐるみで仲が良

いかみなさんにご紹介しますと、ワイワイガヤガヤ三々五々

みんなが集まってくるのですが、時間前にほぼ全員が揃っ

た頃いきなり流暢な諫早弁で大串ミヤちゃんがこう言うので

す。

 「新しか踊りば習いよるけん、みんな見てくんしゃい!」

一同、芸達者なミヤちゃんが今度は何を覚えたやらと固唾

をのんで見守るうちに、手早くテ〜プレコ〜ダを出したかと

思うと艶やかな着物姿でにこにこと踊り始めたのです。

 北島三郎のレコ〜ドで本人はとても楽しそうです。

……が、小生がソ〜と横目で流し見たところ旦那さんのガ

マちゃんはチョッピリ恥ずかしそう、マナコ半眼で腕を組ん

でおりましたよ。わっはっはっは〜いや〜 愉快愉快!

 1曲目が終わったところで、みんなの”所望や〜れ〜”

(長崎くんちのとき踊りに対するアンコ〜ルの掛け声)の声

に上機嫌のミヤちゃんは 「じゃ〜、もう1曲ね!」 と、陶

然として♪チャンコチャンンコチャン♪ と踊り狂うのでご

ざいましたぞ。わっはっはっは〜 愉快愉快、今年も夢豊

会はこのようにして愉快に船出したのです。

 さて、時間となりました。まず熊五郎氏の会長挨拶は「明け

ましておめでとうございます。いま、世の中は大変でいろん

なことがありますが、せめて私たち夢豊会会員の家族はみ

んな元気に助け合って、私たちのモット〜である『できると

きに できること』 を実行して、世の為人の為に尽くしたい

ものです」と述べて、ヤンヤヤンヤの喝采を浴びたのです。

 ちなみに熊五郎会長とは、いつもこの日記に登場する存

在感の熊さんで、昨年春発足した長崎県市町村ボランテイ

ア連絡協議会の初代会長なのです。我々の夢豊会も今年

で26年目を迎える訳ですが、長年地道に”できるときにで

きること” を続けてきたお陰で、このように名誉ある役職に

推薦されるようになったことは本当に有り難く嬉しいことで

す。

 さて、次は出席者全員の新年の抱負となり、ご先祖さん

は 「88歳の今年も元気で出席できました。みなさんがこの

ように温かく迎えてくださるのでとても嬉しいです。今年もど

んどん呼んで下さいね」 

 のらくろ君 「酒だ、酒だ、今年も酒だ。1年365日盆と

正月だ〜。ニャッハッハッハ!」

 小生は 「1昨年は早寝早起き、去年は自立と毎年達成

出来なかったが、今年は正直を目標に頑張ります!」

 などと、それぞれがそれぞれの性格そのままに、真摯に

嘘八百にと年頭の辞を述べたのです。

 さ〜て、それからが当会恒例の百人一首の始まりです。

下は、山村勇仁君3歳から上はご先祖さん88歳まで24名参

加の勝ち抜き戦で、全員が3組に分かれて戦ったのです

が、決勝に残ったのはご先祖さん、優希、優希のB・Yの

久保君、美希子、小生と楽天一家が5名を占め、他の家族

を代表して頑張ったのは豪さんの奥さんの啓ちゃんだけだ

ったのです。

 そして栄えある今年の優勝者は、31枚の札をとって前年

度に引き続いて勝ち名乗りをあげたご先祖さんでございま

た。

 ばんざ〜〜〜〜い。ご先祖さん、ばんざ〜い!

と、今年も楽天家の新春の一日は賑々しく疾走するのでご

ざいました。



    2003年1月12日(日)

       本泥棒


 なんとなく胸騒ぎがしたのか,ハッと目が覚めた。時計をみ

ると2時である。 ” ふあ〜〜” と可愛らしい妖精のよう

な伸びをしながら隣りのベッドを見ると,のらくろ君が布団

を蹴飛ばして太っかい口から涎を垂らして寝穢く鼾をかい

ているのである。

 奴さん,布団を何回着せてやっても蹴飛ばすのであるが,

これは精神年齢が低い分だけ赤子と同じで体温が高いの

かもしれない。

 ”やれやれ,情けない面をしやがって!” 友情に篤い小

生は布団を掛けてやろうとして”ハッ”と気付いたのである。

 なんとなんとなんと、奴さんの枕許に小生秘蔵の本が並ん

でいるではないか!それも12冊もである。慌てて本棚を見

ると,HAYAKAWAミステリ〜・マガジン1966年のコ〜ナが

ポッカリと開いている。

 「馬鹿も〜ん!」 のらくろ野郎を叩き起こして問い詰めた

ところ,寝ぼけ眼で ”もごもご” 言うことには,リチャ

〜ド・スタ〜クの悪党パ〜カシリ〜ズの「誘拐」を調べた

いので,60年代資料を探しておったそうな。

 ったく,もう!油断も隙もありゃ〜しない。そ〜いえばここ

数年、小生自慢のガラクタ本秘蔵の大図書館がハモニカの

ようになっているのである。

 ったく、もう!小生ご逝去の際には、ちゃ〜んと貴君に寄

贈すると遺言状に書いてあるというのに、歳をとったら気が

短くなって待てんようになったらしい。やれやれ、である。

 この調子では、毒殺される可能性もあるわい!奴さんが渡

す飲みモノには注意しなっくちゃ!と、自戒するぴ〜ひょろ

ろでございました。

 みなさんも、深夜に枕許で冠を正す友人がいたらご用心

くださいね。

       ・・・           ・・・   

 【のらくろからのお願い】


 吾が輩はのらくろである。名前はまだ、いやもうあるのだ。

別に英語教師の家に飼われているのではないが、楽天家

にはしばしば出没する。専用の箸も茶碗もあり、今年はパジ

ャマも新調してもらった。

 閑話休題。ドナルド・E・ウェストレイクの天才的だが不運な

泥棒、ジョン・ドートマンダー・シリーズの第3作「ジミー・

ザ・キッド」のなかに出てきて、犯行のお手本となるリチャ

ード・スタークの悪党パーカー・シリーズに「誘拐」という

作品は本当に存在するのかどうかご教示を賜わりたい。



  2003年1月11日(土)

   ほんわかさんがやった来た


 ♪春 春 春なのです ほんわかさんの 季節なのです♪

 大好きなみなさ〜ん 春がやって来ましたよ〜 

 そうです 春がやって来たのです

 あっちにも こっちにも そして 

 我が家にも

 いっぱい いっぱい 春がやって来たのです

 
 朝から 今日は ほんわか日和だな〜

 と 思っていたら 

 やっぱり ほんわか日和だったのです

 ほんわかさんが にこにこ笑顔で やって来たのです

 ご主人と いっしょに なので〜す


 ほんわかさんは 春風で

 ご主人は 校長先生なのです

 だから とっても いかめしいのです

 わっはっはっは〜

 ウソです

 ご主人は てふてふ なのです

 世の中は 広いので

 いかめしくなくて えばらない

 校長先生も ときどき いるのです

 そんな校長先生は

 てふてふ っと 

 笑うから すぐ わかるのです

 
 今日 てふてふ と ほんわかさんが 来て

 92歳と8ヶ月の 頑固さんと

 いっぱい いっぱい お話して

 いっぱい いっぱい 笑ったあとで


 洋服を つくろうかな〜

 と いってくださって

 洋服を

 つくってくださったのです

 それも 92歳と8ヶ月の

 頑固さんの

 好きな 生地で 

 なのです

 裏地も 釦も

 頑固さんの 

 好きなので 
   
 なのです

 まるで 頑固さんの

 おまかせコ〜ス なのです


 92歳と8ヶ月の 頑固さんは

 とても うれしそう

 てふてふ も ほのぼのさん も

 みんな うれしそう
 
 頑固さんが いちばん うれしそう

 ありがとう みなさん

 ありがとう はるかぜ

 頑固さんが 

 うれしい のが いちばん うれしい

 楽天ファミリ〜 なのです

 ご先祖さんも にこにこ にこにこ

 にこ にこ にこ なのです

 
 ありがとうございました

 はるかぜさん と 

 てふてふさん と ほのぼのさん

 ありがとうございました



    2003年1月10日(金)

       40肩?(下)


 痛い、痛い!痛い上に腕も上がらぬ状態を元旦から我慢し

ていたのであるが、愛妻に説得されて治療に行くことにし

た。

 実は小心者の小生、怖いのである。30年前に車に撥ねら

れた後遺症が年に1、2回腰に出てくるのであるが、その度

毎に居合わせた人の推薦する針灸さんや整復院や整体院

などに出掛けて、針ねずみやカチカチ山になったり,踏んだ

り蹴られたり羽目板で押し付けられたりして泣きながら治して

貰うのである。

 しかし,1昨年の腰痛の時に紹介された治療院は参った

な〜,あの三好清海入道のような親父の逆海老固めは地

獄の責め苦であった。本当に堪ったものではなかったぞ。

 「ギブアップ,ギブアップ」と畳を叩いて合図するのである

が,顔を真っ赤にして 「ウ〜ンッ」 と踏ん張って許してくれ

ないのには参ったのである。結局,のらくろ君の葬儀の時間

に間に合わん,とかなんとか言い訳して逃げかえったのであ

るが,あれ以来恐怖症になって少々痛くとも我慢する癖がつ

いたのである。

 さて,教えられた場所に着いてみると出来たばかりであろう

か新しい看板が光っている。恐る恐る足を踏み入れると,い

かにも気の良さそうな40前後の人が頭を下げて迎えてくれ

るのである。他に患者は見当たらない。診療室には真新しい

スリッパや器具が光って,こころなしか危惧を覚えるのであ

る。

 さて,ここからが大変であったぞ。いかにも,開院仕立て間

違いなしの心許ない顔付きの先生が,覚束ない手付きでお

そるおそる診察してくださるのであるが,もう小生は左肩を庇

いながら忙しいことであったぞ。独楽ねずみと言うが,まるで

我ながらゴマちゃんネズミの如くに忙しなかったぞ。

 とにかく,言われるがままに診察用の低い丸椅子に座った

途端に,診察台に横たわったかと思うやいなや,宇宙遊泳

用みたいな器械に抱きつかせられた,かと思った瞬間直立

不動の姿勢をとらされたと思う間もなく,あちらこちらと引き回

わされる間中,ありとあらゆる質問を雨霰と降り注ぐのである。

まるで小生の診療ではなくて,新品の椅子や器械の全性能

を試さんかの如くである。

 それも,恐る恐る小生の鮫肌を撫で摩りながらである。

「こっちとこっちはどっちが具合いいですか?」

「さっきとこっちではどっちが痛いですか?」

「この部分とこの部分を撮んだらどっちが痛いですか?」

「どうですか,さっきより楽になりましたか」

「ここはこっちより痛い筈ですが?」

「ここをこうしたら気持ちいいですか?」

 矢継ぎ早の質問に,どのように答えたら良いのか分からず

小生は目を白黒させるばかりであった。その上,件の先生は

人柄も良く至極真面目の一生懸命なので,どのように答えた

ら気に入って貰えるか,傷付けずに済むかと小生の心労は

イカばかりであったかご推察ください。

 なかでも驚いたのは,診察台に仰向けになって寝ている

小生の左足の中指と人差し指を使って,いきなり指遊びを始

めたのである。

 そしてそのヒッパって伸ばした指はその儘に 「どっちの指

が痛いですか?」 と訊くのであるが、小生は意味が理解で

きずに,

「ハッツ?」 と質問したところ,

「中指と人差し指のどちらが痛いですか?」

「どっちも痛いのですが……」

「いや,どちらかが特に痛い筈ですから,痛い方をキチンと

言ってください」

「痛いといえば痛いし……!?」

「どっちかハッキリ言ってください!」

「痛いです」

「いま,私は引っ張っておりません!」

「スミマセン。ショ〜ショ〜通風ノ気ガ〜〜」

 すると,どういう訳かその頃から俄然寡黙になられた先生

は,今度は小生の左手の人差し指を鳩尾に当てた儘、伸ば

した右手の親指と小指で輪を作って 「離さないようにしてく

ださい」 と言った後で,本人は両手で引き離しにかかったの

です。

 小生は離さないように,と言われておりますので力を入れ

て ”グッ” と堪えたのですが……。約30秒位経った頃でし

ょうか,どういう訳か息弾ませ始められた先生は憮然たる声

で,「もう,いいですっ!」 と仰ったのです。

 そして今度は,左手は身体に添って伸ばした儘,右手を垂

直に上げて 「私が,足先の方に引っ張りますので下がらな

いようにしてください!」 と小生に言って,やおら両手で引

っ張ろうとし始めたのです。

 小生は 「下がらないように!」 と言われてたので,これが

治療の一環であろうと一生懸命に努力しておりましたところ,

突然 ”ガクッ” と力を抜いた先生は,憤怒の形相も顕に

(しないで)こう言ったのです。

 「力比べでは,ありませんのでっ!」

一瞬、意味が分からなかったのですが次の瞬間,もう小生

は可笑しくて可笑しくて,といって真面目な先生の手前とあ

っては笑うもままならず……。

 小刻後やっと開放されたのですが,帰り道でふと気付いた

ことには,なんとなんとなんと,力を入れたり緩めたり踏ん張

っている内にいつの間に肩の痛みを忘れてしまっていたの

です。

 わっはっはっはっは〜 先生は名医だったのだ〜〜〜!

「もうちょっと,良いですか?」 と,小生の時間を気にしなが

ら一生懸命頑張ってくれた先生は名医であったのだ。

 くるくるとゴマちゃんネズミのように忙しかったけど

 マンツ〜マンシステムの勝利なのであった〜〜〜!
 



    2003年1月9日(木)

       40肩?(上)


 正月早々から首が回らなくなった。いや、身体の方である。

左肩の付け根が痛くて腕が上がらない。万里ちゃんが40肩

でしょうか、と心配してくれる。持つべきものは愛妻である。

 やって来た悪友が 「どうした?」 と言うので、40肩だと

答えたら 「馬鹿、年を考えろ!貴君、頭脳は幼稚だが、

肉体年齢は80過ぎだ」 と抜かす。

 フン!いらぬお世話だ。いくつになっても40肩は40肩で

ある。その証拠に頑固さんは80歳の時に40肩になって、初

めて人の痛みが分かったではないか!名前は鉄二だが、や

はり生身の人間だったらしい。

 考えてみると、頑固さんは4 (92歳の現在まで、文字通り

《始終》) 8キロの痩身のせいか腰痛の経験は1度もない。

 おまけに精神力が強いので滅多に風邪をひかない。ご先

祖さんと小生は 「お前たちは風邪ばっかりひいて、しょっち

ゅう『頭の痛か、頭の痛か』 て言うばってん、一体どげんす

れば頭の痛うなっとか知りたかもんばい!」 と叱られて益々

頭が痛くなるのである。やっぱり、鉄人かもしれない。

 さてさて、はたして40肩か60肩か?学究の徒である小生

は直ぐに行動に移すのである。パソコン様には 「40過多」 

と出るのでひょっとしたら何かが多過ぎるのかもしれない。何

かは分からないが、とにかくお金ではない。お金で肩が痛く

なるのなら大歓迎である。とにかくお金ではない。

 そこで小生、ある時は知恵袋であり、またある時は知恵

熱を冷ます枕と化す、1968年2月1日第1版第1冊(学研)

の「新世紀大辞典」を繙くこととした。

 先ず、40肩の項である。「40歳前後に起こる肩の痛みと、

それによる運動制限をきたす症状」 とある。ふむふむ、成る

程である。流石にエンサイクロペデイック・レキシンコンと銘

打ってあるだけに重厚な説明文である。

 では、次に50肩の項を引いてみるべし。え〜と、「50歳前

後に起こる肩の痛みと、それによる運動制限をきたす症状」

と説明してあるが、なになにっ!これは前の文章の40と50

の数字を変えただけで同じではないか!ぬぬっ、こ、これは

ひょ、ひょっとしたら学研の手抜きではないかっ!
           
 何と申し上げればよろしいのか、みなさん!この後小生は

60肩、70肩80肩90肩100肩と引いてみたのですが、

ないっ、ないのであります。慎重なる小生は念の為に110肩

120肩まで引いた後で、今度は30,20,10肩と遡ってみ

たのであるが、ないっ、ないのである。……否、ないので

ない。否、ないのだっ!……日本語はヤヤコシイのだっ!

 とにかく、これは何者かの陰謀ではなかろうか、と小生は睨

んだのである。ひょっとしたら日本史編纂の折りのミスか、学

研社の意図的な落丁か、40・50肩連盟への依怙贔屓かは

知る由もないが、小生の灰色の脳細胞は何者かの意図的

な作意を感じるのである。

 そうでなければ、こんなに痛む筈はないのである。何処

の誰が何時何処で肩の痛みは50代迄と決めたのだ?

法律に制定されているのか、それとも医師会か何処かの

関係団体が、弱者の立場にある小生にはに何の断りも

なく「60歳以上の方の肩の撲滅キャンペ〜ン」を密かに

実地したのか?

 とにかく温厚な小生も憤慨に耐えないのである 現に62

歳の柔肩はキリキリとまるで胃酸過多のように痛むのである

ぞ。

 我ながら余りにも馬鹿馬鹿しいので、ここで一先ず筆を置

くことにするが、とにかく40肩同好会か50肩協同組合かは

知らぬが、この陰謀について、然るべき関係所属団体の

責任ある回答を断固として要求するものである。



    2003年1月8日(水)

        ラジオ


 ハ〜〜イ、みなさ〜ん おはようございま〜す !

 と小生元気印である。何と驚くなかれ小生は現在朝の6時

30分というのにラジオを聴いているのである。小生が低血

圧でもないのに朝が弱いのを知ってる悪友どもはビックリす

るであろう。 わっはっはっは〜 楽天先生の意外性を見た

か〜っ! と面目躍如たるものである。わっはっはっは〜

 実は小生、昨夜の溝田先生の話しで今朝のラジオ出演の

ことを知り楽しんでいるところである。

 「は〜い、熊ちゃんのラジオ朝いち!今日も長崎大学の

溝田教授と一緒に 『誰でも元気になれる!』 なので〜す」

 と、いましも弁舌爽やかなアナウンスをしているのは、長崎

放送局の名物男であり、痛快なる辛口批評家で有名な

(あまり正直過ぎるので、メインタイムから干される。とは本

人の弁)熊切秀昭さんなのです。

 頭の悪い小生には情報過多が混乱の元であることを知っ

て以来、積極的にマスメデイアには近付かないようにしてい

るので、2・30年振りくらいに聴いたラジオ放送であったが、

非常に面白い内容放送であった。

 まったく異なったキャラクタ〜の持ち主である二人が、い

ろんな情報を旨く料理して話しているのを、不断テレビ嫌

いである小生は 「ふ〜ん、あっつそうか、そんなことなの

か〜」 と目から鱗が落ちる思いで勉強させてもらったの

である。

 この放送を聞いている間に、チョコチョコっと書き止め

たことだけでも大いに為になったのです。

 例えば……

@  他所の地方のマスコミが情報隠しをしたことについて、

  厳しい批評をした後で 「ですから、私がいま言ったこ

  ともむやみに信用したら駄目だということです。これも

  みなさんが判断することで、ひょっとしたら嘘かもしれま

  せん」

A 夏目漱石の 

  「初夢やクジも当たらず死にもせず」

  「馬鹿は百人寄っても馬鹿なり、下手に……」 馬鹿がツ

  ルムと碌なことにはならない。

B 今年成人式を迎えた若者は120万人で、これは日本の

  総人口の1,1%だから……。

C 塩川爺さんが消費税を上げると言ってる。

D 朝日新聞に載っていた記事で、70数年前に祖父が始

  めた小店を閉じなければならなかった読者が、両親と最

  後の日に写真を撮った。父母の思いは千路に乱れて悲

  しかっただろうと思うので、せめてリフォ〜ムで暮らしやす

  い家にして、お疲れ様とゆっくり暮らせるようにしてあげた

  い。

E 現在は安さと便利さのみ追求していく風潮であるが…?

F 弱い店小さい店は、1軒だけで戦うことは出来ないので

  力を結集することが大切。(♪分かっちゃ〜いるけど♪)

G 去年は戦後最高の倒産件数で上場企業が29社あった。

H 不況になれば参拝する人が増える。

I 合同社出版の「戦争中毒」という本があるが、分かり易く

  マンガチックに書いてあるのでみなさん読むべきである。

J 政治に限らず、何事に対しても 「だからどうした、何

  をどのようにしてくれるのか?」 などという問題提起の
 
  心を常に持っていなくてはならない。

K 金ばかりではなく、我々人間はもっと心を大切にして

  生きるべきである。

 ……などの放送内容は、世の為人の為どころか小学生

よりマナ〜の悪い愚者達の討論会や、自己保身と欲望の

為に汲々としている節操のない卑怯者共を見るのが嫌で、

テレビを見ないようにしている小生にとって良い勉強にな

ったことである。

 そしてまた不断の生活でも、温厚な人柄で人の話しをしっ

かりと聞いて穏やかに話す溝田先生と、研究熱心で一刀両

断にバッサリと世相を斬る熊切氏の対比が本当に興味深い

ことであった。

 昼過ぎ、仕事が落ち着いた頃を見計らって溝田先生に電

話して 「面白かった〜」 旨感想を述べたところ、長年い

ろんな番組に出演している氏は 「あれは熊切さんの熱心

な勉強の賜物で、事前の打ち合わせも一切無しの出演な

んですよ!」 と、熊切さんを褒めておられたのです。

 いや〜嬉しいなあ!ねえみなさん、これだから心の綺麗

な人の話しを聞くのは好きなのです。

 どんな話でも

 心の綺麗な人から聞いたら

 嬉しいな〜

  うんうん と うなずく ぴ〜ひょろろ でございましたぞ    



     2003年1月7日(火)

        年賀状


 みなさん、大好きなみなさんはもう年賀状はお出しでしょう

か。 なに? 「今日は7日正月を迎えたというのに、とっくに

出した!」 ですって?! いやはや、ごもっともごもっとも。

 いや〜、何を隠そう小生ただ今年賀状を書いているところ

なんですよ。 「今頃何をやってるんだ!?」 ですって?

 実は、小生の92歳の頑固さんは人も知る働きもので、今

年の年賀状に 「生涯現役職人」 と堂々と書いたくらいな

んですよね。

 とにかく働き者でグズグズしているのが大嫌いなのです。

ですから、小生が仕事をしている途中で急な用事が出来た

りして外出先から帰ってくると、仕事机の上はもうキチンと片

付けられているのです。

 そんな訳で、”アレ〜”小生は一体何をしていたんだっけ?

のようなことが度々起こるのですよね。補正中の型紙や書き

掛けの手紙や書類が行方不明になって探しまわる訳です。

 小生が愛妻に 「あなたは一日のうち半分の時間は探し物

で無駄をしている」 と褒められるのも、小生の整理整頓が

悪いのは勿論であるが、この頑固さんの几帳面な仕事熱心

も一因なのかもしれない。

 このようなことがチョコチョコ起こるのが我が家の特長であ

るが、いやはや今日は参った参った。昼ご飯を食べた後で大

満足。 ”いや〜旨かったわい、チッチッチ” とにこにこ笑

顔で爪楊枝なんぞを使いながら仕事机を何気なく見たところ

”なんとなんとなんとっ!” 去年出してしまった筈の年賀状

が150枚ほど鎮座ましましているではないか。

 「ヒョエ〜!?」 どらえもんのポケットではあるまいし、一

体何処から現れたのでしょ〜ね〜? と首を傾げながら、

小生はトボトボと年賀状に背を丸めているのです。

 本年も宜しくお願いします トホホ… マサシク ホンネンデアルゾ!

……と、泣いているところに突然電話が掛かってきた。

 「もしもし、ガバチョさんですか、新年のご挨拶をしたいと思

いますがご都合はいかがですか?」 小生の大好きな長崎

大学熱帯医学の溝田教授である。

 ホイホイ ホイのホイッ 小生は、いそいそとかたろう大学院

において、「明日は朝6時30分からラジオ放送がある」 と

いう溝田教授(ニックネ〜ムはベンツ、因みに小生はガバ

チョと呼ばれているのである。エヘン!)と9時30分から

10時30分までキッチリ1時間、オ〜ドリ〜さんと3人で楽

しい一刻を過ごしたのです。

 あ〜、今日も楽しかった! うんうん。



    2003年1月6日(月)

        スタイル


 一昨日の日記にスタイルのことについて少々書いていたと

ころ、今日偶然にも現在読んでいる本にスタイルという活字

が二つも出てきた。

 実は小生は、昔から読書する時には2冊を並行して読むの

が癖なのである。例えば1冊がちょっとぶ厚い本だったら、チ

ェイサ〜代わりに落語全集、小噺集、童話、歌集、詩集、聖

書(嘘)などを気分転換としているのである。まあ、その時々

の気分でどちらが肴になるかは分からないが……。

 【一番目のスタイル】 は、齋藤孝の 「活字にして読みた

い日本語」 の中の萩原朔太郎の詩と解説である。


     『竹』


 光る地面に竹が生え、 

 青竹が生え、

 地下には竹の根が生え、

 根がしだいにほそらみ、

 根の先より繊毛が生え、

 かすかにけぶる繊毛が生え、

 かすかにふるえ。

 
 かたき地面に竹が生え、

 地上にするどく竹が生え、

 まっしぐらに竹が生え、

 凍れる節節りんりんと、

 青空のもとに竹が生え、

 竹、竹、竹が生え。 
 

 萩原朔太郎のスタイルは 「震えるエロテイズム」 だ。りん

りんと垂直に伸びる竹の鋭い強さの根本に、竹の根の繊毛

がふるえている。このイメ〜ジは独自で強烈だ。この竹のイ

メ〜ジは朔太郎そのものである。 『月に吠える』 の序で、

北原白秋は朔太郎をこう評している。

 「君の気稟は又譬へば地面に直角に立つ1本の竹であ

る。その細い幹は鮮やかな青緑で、その葉は華奢でこまか

に動く。たった1本の竹、竹は天を直観する。而も此竹の感情

は凡てその根に沈潜していくのである。

 根の根の細かな繊毛のその岐れの殆ど有るか無きかの毛

尖のイルミネエション、それがセンチメンタリズムの極地とす

れば、その毛の尖端にかじりついて泣く男、それは病気の

萩原朔太郎である。」

 「月に吠える」 には、 「数知れぬ髪の毛がふるへ出し」

や 「ふるへるさびしい草を見つめる」、 「ふるへる、わたし

の孤独のたましひよ」 など、常に 「ふるへる魂」 が根底に

ある。 …… 中略 ……

 言葉にすることは、自分と他者にまっすぐ向き合うことであ

り、すなわち垂直に屹立することである。繊毛のようにふるえ

る魂が屹立するエロテイズム。この稀有な生のスタイルのイ

メ〜ジに私たちは惹かれる。


 そしてまた 【2番目のスタイル】 は、デイビッド・ハンド

ラ〜の 「フイッツジェラルドをめざした男」 なのである。

 バ〜テンは僕の方を向くと、何になさいますか、とたずね

た。それから両目をかすかに光らせた。バ〜の下から、例に

よって、低くかすかなうなり声が立ちのぼってきたからだ。

「ベリ〜ニを」 僕は言った。

 バ〜テンは眉を寄せ、頭を振った。 「知りませんな」

「シャンパンを4分の3に、しぼりたての桃を4分の1。40年

代にヴェニスの 『ハリ〜ス・バ〜』 で生まれたカクテルだ

よ」

 バ〜テンはうなずく。 「なかなかけっこうな飲み物みたい

じゃ〜ありませんか、名人、でも桃なんて一体どこで手に入

れればいいんでしょうねぇ?」

 僕はトレンチコ〜トのポケットをさぐった。 

「そうねえ、どこだろうねえ?」 答えながら、僕はよく熟した

桃を2個カウンタ〜の上に転がした。 「それから、名人なん

て呼ばないでくれよ」

 バ〜テンがカクテルを作りに引っ込むと、キャムが満足そう

な笑顔を見せた。 「あんたのことが好きになってきたな、コ

〜チ。あんたにはスタイルってものがある」


 ……とまあ、このようなスタイルなのであるが、この作者は

この他にも洒脱な文章が面白いのである。2・3覚え書きして

いたのであるが……

@ 奴さんは、学生時代に人生の頂点を終わった男だよ。

A 僕の辞書に後悔はない!

B 美女に涙を拭かせたあとで、「とっておいてくれたまえ、

   紳士はいつもハンカチは2枚持ち歩いているものだ」

C 人形をコレクションしてある部屋に入って 「おいおい、

   この人形のうち一つでも 『ママはどこ?』 と言った

   ら、逃げて帰るからね!」

D  成功した若い画家ののアトリエで、制作中の塗りたくら

   れたキャンパスを見ながら 「これ、あなたが描いた

   の?失望しないで、続けることだね。いつかは花も咲く

   こともあるよ!」

E 席につくと彼は、ライムをひと口かじり、ワン・ショット分

  のテキ〜ラをのどに流しこんだ。そして、グラスを掲げて

   バ〜テンに言った。「お友達を呼んでもらおう!」


 などなどですが、やはりそれぞれの文章にスタイルがあ

るように、人にもその人の生き方考え方というモノが現れ

てくるんだなあと思ったのです。

 小生も62歳にもなって、ひょっとしたら人生の折り返し

点を過ぎたかもしれないのであるから、そろそろ自分独

自のスタイルというか「主体性の確立を目指さなくては!」

 ”キッ” と眦を決するぴ〜ひょろろでございましたぞ。



    2003年1月5日(日)

         雪


 朝7時起床、今日から新春恒例の感謝祭

なのである。店を新装した時から始めた

のであるが、早いな〜もう25年の歳月が

経ったのか〜!

いろんなことがあったな〜〜

 ゆき        きょう

  長 崎 は

  ひさしぶりの ゆき

  です

   ゆき

  はら 

    はら〜 

        と 

   ゆ〜くり

      ゆ〜く

         〜り

   お
       〜
            り

       て

      〜

             く

           ^
              〜   る 

      ゆ          ^ 

        〜 
         き
                  ^
      〜       

              〜


   な 

         ん
                 ^           
   
    だ

       〜
                   か

    う    〜
    

               っ

         

      と     ^    〜

         

             ^  り

    し 
 ^
      て       ^
 

 こ

        こ
                  ^
  ろ
  

             ^     

                    ^

  ^  き  

        ^    れ
                 ^
  

                  い


   に


         な           ^

 ^

      り  


                そ

                               ^

              

    ^ う

                     
                              だ 
                                        
    ^
  
               ^                                    

       

                      な   ^ 

     

                               ^

              雪


   太郎を眠らせ、 太郎の屋根に雪ふりつむ。

   次郎を眠らせ、 次郎の屋根に雪ふりつむ。
                              

                       三好達治



   2003年1月4日(土)

      読書三昧


 あ〜、久し振りに読書三昧の一日であったわい!

昨夜から先刻夕6時まで、部屋から1歩も出ずに本を読み

ふけったのである。勿論トイレには行ったし寝もしたが、

それこそ朝昼の食事時間も惜しんでとらなかったのである。

お陰で夕食が旨かったことだ。

 いまから30年以前の独身時代には、小生の正月は大体

においてこんなものであったが……。

 大晦日の夜、店片付けが済んだ後には、創業92年の歴

史を持つ古書の”大正堂書店”に出掛けて、ダンボ〜ル2・3

箱にあらゆるジャンルの本を手当たり次第積め込んできて、

それらの本を枕元に山積みしてビ〜ル2ケ〜スと一緒に部

屋篭もりするのが、1年1度の小生の贅沢だったのである。 

 いや〜いま思うと非常に豪快だったな〜、髭も剃らなか

ったし面白かった。よくもまあ、出鱈目をやってたのだ。まあ、

いまも治ってはおりませんが……! わっはっはっは〜

いや、懐かしいわい。でも、久し振りに満喫したことであ

る。ところで、本日の小生の糧は以下の通りであった。

      ・・・         ・・・

@ 「マンハッタンを死守せよ上・下」 クライブ・カッスラ〜

   年末のクリスマスにNHKのN局長からプレゼントされる。

A 「神道 見えないものの力」  葉室ョ昭

    再読である。

B 「おやじの背中」  朝日新聞社社会部編

    147名の著名人が語る お・や・じ

C 「最終章」  S・グリンリ〜フ

   「ここにいない友人たちのために、乾杯させてください。

   ハリ〜・スプリング。チャ〜リ〜・スリ〜ト。パ〜ル・ギ

   ブソン。 この3人はわたしの人生をいい方に変えて

   くれました。

   みなさんもそうです。長いお付き合いどうもありがとう。

   おかげで人生最良の時が過ごせました。みなさんが思

   っている以上に、わたしは感謝しています」 

    込みあげるものを抑えるため、グラスを干した。

   「お金はみなさんに誇りに思ってもらえるような使い方を

   するつもりです」 

    みんな拍手をしてくれた。泣きだした人もいた。

   私も後者の一人だったが、すぐに 《ハッピ〜・バ〜ス

   デイ》 の合唱が始まった。




 と、いうサンフランシスコの私立探偵ジョン・マ〜シャル・

タナ〜 (シリ〜ズ第14作) の言葉で、ステイ〜ブン・グリン

リ〜フは60歳の若さで我々愛読者に別れを告げてしまうので

ある。読み終わって知ったのであるが、題名通りの本当の最

終章だったのでビックリした。

 絶対に面白いので、ミステリ〜ファンならずとも本好きな方

には是非一度ご覧頂きたいと思うのである。とにかく文章に

味があるのですぞ!たとえば下のような科白があるのです。

@ 「 《遺憾に思う。》 いいわねそれ。残念がってるようで

   ほんとうはどうでもいいって感じ。」

A 「大したことではない」

  「大したことだわ。ウイリ〜のことを教えたくなかったの

  はわかってるから。 あなたのスタイルじゃないもの」

  「スタイルなんて世間でいうほど値打ちのあるものでは

  ない」      

  「ひょっとしたらすべてはスタイルでしかないのかも」

  「それは勘弁してほしいな」

  「とにかく、あなたはわたしのためにこれをしてくれた。

  でなければ、わたしたちふたりのために。 だから、

  感謝しているって伝えておきたいの」


        ・・・        ・・・

 如何ですか〜 みなさん。本っていいですよね〜!

ところで、大好きなみなさんはスタイルはお持ちですか?

生き方というのか、哲学というのか?人それぞれにスタイル

があるのでしょうね。

 昔は我々の周りにも 「彼はスタイルを持っている!」と

いう人がいましたよね。いい意味悪い意味には関係なく、

強烈なキャラクタ〜で仲間の面倒を見てくれる親分肌。

あるいは爽やかな会話やお洒落な雰囲気でみんなを明

るく楽しくさせてくれる人。なんとなく、あの人に合いたい

っ!と、そんな魅力を持った人。

 ところが最近は没個性というのか、人間の既製品みたい

な人ばかりでなんとなく面白味がないですよね。

 古今東西コトを成した人達にはみんな、それなりの強い

信念と行動力を持っていたのだな〜、と今更ながらに思う

のです。

 貝原益見や吉田松蔭。 「渇しても盗泉の水は飲まず」

戦後の闇米を食べずに、自ら餓死の道を選んで我々庶

民に、法を守ることの大切さを示してくれた崇高な精神力

の判事さん……。

あ、そうだっ。 米百表丸投げの我等が宰相さんにも

「頑張ってほしい!」 と願う昨今ですね。

 と、人には厳しいものの客観的に自分を見て、さ〜て

小生は、はたしてどんなスタイルを持っているのかな〜?

と悩む グウダラスタイルのぴ〜ひょろろでございましたぞ。




    2003年1月3日(金)

       初仕事 


 今年の当店の開店は一応1月5日(日)からとなっている

が、頑固さんの時代から50年近くも仕立て屋稼業をやって

いると、毎年盆正月には県外のお客様がご来店してくださる

のである。

 お客様のスケジュ〜ルに合わせて早朝オ〜プンしたり、深

夜に開けたりするのであるが、遠方からお忙しい中をわざわ

ざご来店頂けるというのは本当に有り難いことで、商売冥利

に尽きるとはこのことであろうか、と感謝するのである。

 今年最初のお客様は、去年暮れの12月31日の午後に

福岡から来崎して採寸を済まし、2日後の今日、仮縫いに

来てくれた濱村剛君であった。

 剛君のお父さんは、18才の時に小生の父である頑固さん

に洋服を注文して以来43年間もの長い間、当店をご贔屓に

してくださるありがたいお客様であるが、今回は長男の剛君

が今春結婚するので記念の洋服を作ってくださるのである。

 愛妻と店を開けて待っていると、なんと嬉しいことに剛君は

フイアンセを連れてきてくれているではないか。

 わ〜嬉しいなあ!剛君は九州大学の工学部卆であるが、

フイアンセは薬学部卒業で「とても可愛いお嫁さんばい!」 

の自慢話はお父さんから聞いていたのであるが、ナ〜ルホド

会ってお話ししてみると本当に明るく聡明なお嬢さんであっ

た。

 ナ〜ルホド、これじゃあ〜 「いかな豪傑親父も鼻の下が

長くなる筈であるわい!」 と、小生は大笑いしたのである。

 実は、剛君のお父さんの濱村氏は、それこそ先日の子供

達の例えで言うならば、人相雰囲気から見ても義理人情を

重んじる文字通りの ”昔の人” であり、小生の献杯の師匠

なのである。 わっはっはっは〜 人のことは可笑しい!

 一方、剛君は西郷隆盛を優しくしたような顔立ちと人柄な

ので結婚して新居を構えるにあたっても、あんな豪傑舅と住

まいが近かったらお嫁さんが大変だろうな〜、と要らぬ心配

をしていたところ、先刻剛君も 「福岡でよかったっ!」 みた

いなことを言ってたので非常に面白かった。

わっはっはっは〜

 仮縫いの済んだ後で若い二人に、小生の心の宝石箱に

一筆書いて呉れないかとお願いしたら次のように書いてくれ

た。

 笑顔の素敵な小田さん。(1)

 お会いできて嬉しいです。

 末永いおつきあいをさせていただけると幸せです。

 どうぞ よろしくお願いします。

             03、01、03 中嶋愛子

 新しい年を迎え、気持ちも新たにがんばります。

 3月21日に福岡で(2)お会いすることを楽しみ

 にしています。

 当日は、昔のコピ〜(3)は要りません。

 今年は僕のコピ〜作り(4)にはげみます。

             03,01,03(5) 濱村剛

 わっはっはっは〜 あ〜 可笑しい!

(1) 小生のバカ笑いをこのように表現してくれる

    のは、心優しく正直な人であろう。

(2) 3月21日は2人の結婚式で、小生もご招待頂いてる。

(3)  何年か前、心の宝石箱に剛君が書いてくれたメッセ

   〜ジのことで、恥ずかしいからそれを結婚式に持って

   きてみんなに披露してくれるな!のけん制球であろう。

     実は1昨年、剛君の弟さんの仁之君が結婚した時

   に本人がむかし書いてくれた偉大なる志である

     「私はケネデイを越えた政治家になります!」

   のメッセ〜ジを、小生が式場に持っていって披露した

   ところ、ご家族や出席者は大喜びだったのであるが

   本人は恥ずかしがっていたので、剛君は同じ思いをし

   たくないのであろう。 わっはっはっは〜

(4) 子ずくりのことであろうか?

(5)  昔はこのような書き方はしなかった筈だが、もう

   婦唱夫随を実行しているのであろうか!?

 というように、今年最初の縁起の良いお客様である濱村フ

ァミリ〜と楽しいひとときを、みんなでわっはっは〜オッホッ

ホ〜と笑いながら過ごさせて頂いたのである。

 小刻後、お帰りの車を見送りながら 「剛君と愛子さんが

力を合わせて楽しいご家庭を築かれますように、素晴らしい

思い出作りの人生でありますように!」 と祈ったのです。

 ありがとうございました、濱村ご家族と中嶋愛子さん。

         お幸せに !  



    2003年1月2日(木)

    正月はいいなあ  


   正月はいいなあ

   みんな

   にこにこしてるよ 


 大好きなみなさん、上記の芸術はお分かりでしょうか?

この作品は、現代の芭蕉と呼ばれるぴ〜ひょろろ先生が、

この新しい2003年に架けるデッカイ夢……世界中の生きと

し生きる、モノ全てが幸せであって欲しい……を願って平穏

な気持ちで詠んだ3行詩なのです。

 本当は、一茶さんの 「よろこびも中くらいなりおらが春」

のように素朴で格調高い俳句を詠みたかったのですが、い

かんせん現在のところはみなさんご存知のような未熟者で

ございますので、足したり引いたりする度に字余りと字足らず

の繰り返しで算盤片手に大変でございましたぞ。

 この三行詩を年賀状に悪筆で出したのですが、みなさん

小生の真摯な思いを分かってくださるかな〜? 分からな

いだろうな〜! と、いうのが正直な気持ちなのです。

 でも、分かる人もいれば分からない人もいる。それが芸術

なのだ! 心技と真偽の審議は800年後の人々にお任せ

しようではないかっ! と、一人気炎を吐くぴ〜ひょろろで

ございました。

 また、小生より老けて見える友人には、

    
    正月はいいなあ

    いくつになっても

    いいなあ


 とカエタのが、小生の木目が細かいところでございます。

    それでは

    今日は

    姫始めでござりますれば

    これにて失礼 !     


 (注) 上のは4行詩ではございませんので……。 為念



    2003年1月1日(水)

       賀春  


 明けましておめでとうございます

今年も、小生の拙い夢日記の世界にお出掛け頂いたことを

心から感謝申し上げます。早いもので、今年でこの日記も3

年目の春を迎えることが出来ました。

 よくもまあ3日坊主の小生が、こんなに続いたものだと自分

でもビックリしているのですが、これも毎日読んでくださるみ

なさまのお陰と深く感謝しております。みなさまに読んで頂

いたのが数字で表れるのが大きな励みになっているのです。

 子供の時にも、このような指針を持たせてくれていたら小

生の学校生活(遅刻・悪戯・通知表その他諸々も含めて)

も小生の人生も変わっていたのではないかと思うのでござ

います。

 わっはっはっは〜 これは勿論冗談なのですが〜〜〜

 かっては教育ママであったご先祖さんや、伊良林小学校

から桜馬場中学校を経て長崎商業までの恩師である中村

キコ先生・古田孝子先生・橋口勝信先生・小國力先生・桑

原正夫先生・デンスケ先生・リキマン先生をはじめ、小生を

陰日向なく (力いっぱいの愛情で?) 叱ってくださった多

くの先生方にお礼とお詫びを申しあげる次第でございます。

 さて、日々新たなり。 「正直に・親切に・愉快に!」 棲息

していれば必ずや良いことがある!の心意気の小生に、天

は正月早々いきなり嬉しいお年玉をくださったのです。

 元旦朝から、新年の挨拶に来ていた優希のボ〜イフレンド

の久保政行君が、当家恒例の百人一首を始めるべく全員が

座った途端に…… 一生懸命にタイミングを見計らっていた

そうですが……いきなり正座したかと思った途端、こう言っ

たのです。

 「今年の秋に結婚したいと思いますので優希さんをお嫁さ

んにくださいっ!」 

 わっはっはっは〜 頑固さんもご先祖さんも愛妻も美希子

もどんなにビックリしたことか嬉しかったことか……!小生も

どんなに嬉しかったか!

 百人1首をした後で、いったん優希を連れて車を自宅に置

いて (彼の両親に報告に行ったらしい) きた政行君とセ

ブンブリッジをしながら祝杯をあげ過ぎた小生は、もう酔っ払

ってこの日記を続けることが出来ないくらい嬉しいのです。

 わっはっはっは〜 そういうことで、大好きなみなさん!

今年も小生は、心美しい人や愉快な人や元気な人やいろん

な人たちに出会っていっぱい勉強させて頂いて、楽しい話

をいっぱい仕入れて参りますのでよろしくお願いします。

  2003年が、みなさまに楽しくありますように!







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