1970年ごろあった長崎少年少女合唱団・長崎児童合唱団

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1971年にできた長崎児童合唱団

これは,私(布袋)が小学校のおわりから中学校のはじめにかけて入っていた合唱団です.いまの長崎児童合唱団ともNHK長崎児童合唱団とも,つながりはありません.

下の写真は1971年に長崎市内の小学校の門前でくばられた “長崎児童合唱団” の団員募集チラシです(ずっとだいじに保存してきました).

右のチラシがくばられたのは9月か10月だったようで,そのとき私は何とも思わず,入ることなど考えもしませんでした.ところが11月もおわりになってテレビの “みんなのうた” で “小さな木の実” がながれているとき,なんの前ぶれもなく,電撃にうたれるように突然 “合唱団に入りたい” という,はげしい衝動にかられました.こうして12月に入団しました(チラシの上下幅がみじかいのは,入団申し込みのときに下3分の1を切りとったあとです.まわりが茶色になっているのは,セロテープでふちどりしていたためです).

左のチラシは入団してから,もう1枚もらったものです.早い時期にくばられたようです.下のほうに “申込月日 昭和46年” と印刷されているので1971年であることはたしかです.

チラシ1 拡大 チラシ2 拡大

練習は,毎週土曜日の午後に市内の片淵町1丁目(いまの片淵1丁目)にある西明寺というお寺の本堂でやっていました.指導者の寺崎良平先生はそのころ長崎で有名で,純心短大教授だったようです.町田 信先生は西明寺の住職さんです.大津寿美子先生は中学校の音楽の教師でした.寺崎先生はたまに見えるぐらいで,ふつうは町田先生が合唱指導をされ,大津先生がピアノ伴奏をされていました.

とくに発表会のようなものはありませんでしたが,楽しかった思い出はいまも忘れることができません.残念なことに半年後,解散してしまいました.もっとつづけたかったという心残りもあります.練習で歌った曲のひとつである “春の日のひるさがり”(同声三部合唱 京嶋 信・作詞作曲)はとくに大好きです.完全にまぼろしの曲となっているので,ボーカロイドで復活させて,YouTubeとニコニコ動画で公開しました.

2019年4月,47年ぶりに町田先生をたずねて,お話をうかがってきました.

町田先生が指導をたのまれたのは長崎児童合唱団たちあげのときで,ちょうど,県外から長崎に帰ってこられたときだったそうです.合唱団をたちあげた,和泉猛夫会長や笹山筆野・和泉久美子副会長はたいへん熱心だったそうですが,教育関係でも音楽関係でもありませんでした.笹山氏は書道の先生でした.そのような人たちがなぜ合唱団に力をそそいだのかは,まったくわかりません.合唱団がなぜ解散したのか町田先生も思いだせないそうです.

2019年4月に笹山氏のご自宅をたずねてみましたが,すでに亡くなっておられました.

前身の長崎少年少女合唱団

この長崎児童合唱団には前身があって,長崎少年少女合唱団という名前でした(団員募集のチラシをみたおぼえがあります).いまの長崎少年少女合唱団はそのころ “長崎県長崎少年合唱団” という名前の大きな合唱団(男女あわせて200人ほど)で,入団試験でえらばれた人しか入れず,当時の私にとっては,何か近寄りにくい雰囲気がありました(それでも自分から望んで定期演奏会を鑑賞しました) .ふたつの “長崎少年少女合唱団” はべつの団体です.

情報をおよせください

当時の長崎少年少女合唱団は1969-1970年ごろにできたようですが,よくわかりません.町田先生もごぞんじないそうです.何かおぼえておられるかたがいらっしゃいましたら,ぜひ情報をおよせください.長崎児童合唱団の11月まで(私が入る前)のこともお知らせください.メールアドレスは

hoteia○fsinet.or.jp

です(○を@におきかえてください).お待ちしております.

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