原始体験


深堀貝塚遺跡資料館
わが家からクルマで15分くらいにところに深堀貝塚遺跡資料館があります。ここでは縄文時代や弥生時代の発掘品が展示されていて,大昔の人々の暮らしを知ることができます。資料館は普通の民家くらいの大きさで展示品の数は多くはありませんが,身近に実物をゆっくりと見ることができるのは素晴らしいです。6年生の社会科では日本の歴史を勉強します。ちょうどいい機会なので,土曜の午後から子供たちは友人と資料館を見学しました。

深堀貝塚遺跡資料館 発掘品の整理と調査

この日は運良く,発掘調査を行っている係りの人に話を聞くことができました。現在も発掘は続いており,整理や分類がまだまだ続いているそうです。この一帯は考古学的にもたいへん有名で,貴重な資料が多いということを教えてもらいました。これまでに何度か調査報告書が出ているそうです。

またここでは,土壌の性質の関係で人骨もきれいに残っていました。人骨の調査では,お父さんに解剖学を教えてくださった松下孝幸先生(現在は山口県の土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアムの館長をされていて,DNA考古学がご専門)も係わっていらっしゃいました。とくに,弥生時代から古墳(大和)時代には中国や朝鮮から多数の人々(渡来人)がやってきて,日本の文化や文明の基礎作りに大きな役割りを果たしました。大昔の人骨に含まれている遺伝子を調べることで,私たちの祖先を知ることもできるそうです。「シャレコウベが語る - 日本人のルーツと未来 - 松下孝幸 著 長崎新聞社新書」

縄文時代の石器 縄文土器の破片 弥生土器


わが家で体験 (その1)
縄文時代に使われた石器はどのようなものか,実際に使ってみることにしました。今回は石器の原料では有名な「黒曜石」を使いました。黒曜石は北海道から九州まで全国でとれますが,どこにでもあるわけではありません。昔は物々交換で使われる貴重品でした。

原石を石でくだく 様々な形の破片 持ちやすいように加工

押圧剥離 石のナイフ 石器で肉を切る

黒曜石のこまかい加工は,本来は鹿の角を使う「押圧剥離」という方法です。鹿の角で押すように黒曜石の薄い層を剥離しながら形を作っていきます。この方法にはコツがあるようで,慣れないとむずかしいみたいです。今回は釘を使ってみましたが,あまりよくできませんでした。大昔の人々はこの方法で自由自在に石を加工していたのですから本当に驚きます。黒曜石はガラス質で,破片はカミソリのように鋭くなっているので肉などは簡単に切ることができます。

注意!
黒曜石の加工は必ず手袋をして,目に破片が入らないように,できればゴーグルもしましょう。原石を割るときは細かい破片も出ますから,きれいにかたづけましょう。

古代の赤米 五穀ご飯

大昔に大陸から伝わった米は赤米だと考えられています。玄米では赤みをおびていますが,精米して表面をとりのぞくと白米になります。お供えに使う赤飯はもともとはこの赤米のご飯です。食べると少しかたいので,今回は白米に赤米・むぎ・きび・あわを混ぜたご飯を作って食べました。これらの穀物は,すでに縄文時代に作られていたことがわかっています。


わが家で体験 (その2)
中学生になった子どもたちと一緒に「火起こし」を体験しました。

きりもみ式発火法 火きり板と火きり棒 焦げた木クズが葉の上にたまる

きりもみ式発火法は一般に難しいと言われていますが,最大のポイントは材料選びだと思います。いずれもよく乾燥したものを使います。大切なのは,火種となる高熱の焦げた木クズをいかに効率よく作るかということです。そのために,材質は丈夫であるとともに適度な柔らかさが必要になります。物理学には実験式や経験値というものがありますが,大昔の人々は試行錯誤の中から物理学に通じる,理にかなった発見をしてきたことが分かります。

(火きり板)
厚さ1cm程度の平らな板で材質はヒノキやスギが最適。板の端からV字の刻みを入れますが,このV字が重要です。深すぎても浅すぎても,広すぎてもせますぎてもいけないようです。さらに,V字の刻みの先に火きり棒が外れないように深さ1ミリほどの丸いくぼみをつけておきます。

(火きり棒)
直径1cm程度で長さ30〜50cmの丸い棒。材質はアジサイやウツギ(空木)やキブシが適しているそうです。わが家で使った火きり棒は,丸材の先端にウツギの茎を差し込んだものです。

(きりもみ動作のポイント)
上半身の体重を火きり棒にかけるように,前かがみになって動作すると疲れず効率的です。火きり棒と火きり板は常に密着させた状態で熱が逃げないようにすること。途中から焦げた匂いがして,煙りが立ってきます。一気に火種となる焦げた木クズを作るのが大切で,1分以上の時間がかかっていては失敗します。一度使った火きり板のくぼみが焦げていて,再度木クズを作るのが困難な場合は新しいくぼみを利用します。

火種を植物繊維で包む 小枝に火を移す

高熱で一部が赤くなった焦げた木クズを,素早く植物繊維(ススキの穂など)で包み込み,息を吹きかけるなどして空気を送ると発火します。写真では植物繊維の中の火種が見えるようにしていますが,この状態ではなく完全に包み込んで空気を送るのがポイントです。

教育用サイトのムーブ イン やまぐちに火起こしや石器作りに関する分かりやすい動画があります。


ながい縄文時代
縄文時代は約1万年も続いていました。石器や土器が生活道具の中心で,狩猟や採取で食生活をささえていました。そのような時代がこんなにもながく続いていたとは驚きです。1994年には,青森県でこの時代の遺跡として有名な三内丸山遺跡が発見されました。この遺跡では,今まで考えられていた縄文時代の常識をくつがえすようなものがいろいろと見つかっています。(かなり長期にわたって定住していた・大型の建物を作っていた・大勢が生活していた・食物を栽培していたらしい)

うちの子供たちは,大昔は退屈しそうだから現代に生まれて良かったと言っています。たしかに現代人の感覚では,大昔は不便で楽しみの少ない時代だと思ってしまうでしょう。でも生まれた時が縄文時代だとしたら,その時の生活がごくあたりまえだと思うのではないでしょうか。その時代の人々の感じ方や考え方を想像してみるといいですね。

縄文時代の人口と平均寿命
縄文時代の日本の人口は10万人から30万人であったと推定されています。現在は1億3000万人ですから,たいへんな増加です。これは,大昔にくらべると現在は衛生面や栄養状態が格段に良くなったことが大きな理由のようです。とくに新生児や乳幼児は体が弱いので,現在でも食料事情の良くない国々では子供の死亡率が高くなっています。

  平均寿命の推移(現代)

今の日本は長寿国で男女の平均寿命は世界一(女性85才,男性78才)です。平均寿命というのは「生まれたばかりの0才の子供の平均余命」のことで,これは「0才の子供がこれから何年生きるか」ということを,統計という方法で計算して予測した数値です。大昔となると,統計に必要な数値が得られないのでこれも推定なのですが,縄文時代では平均寿命が20才以下になるそうです。平均寿命が短い理由は,とくに子供の死亡が多いからです。ただし,15才くらいまで無事に育つと30才くらいまでは生きていただろうと考えられています。

長生きは幸福なことですが,わが国の「急速な少子高齢化現象」はこれからどのような問題をかかえていくのか心配です。また,栄養状態が良くなったことは「食生活が豊かになった」ことではないと思います。日本は食料の多くを外国からの輸入にたよっています。しかも店頭には手軽に調理できるパックにつめられた食料も目立ちます。私たちは気づかないうちに,便利さとひきかえに何か失っているものはないのでしょうか。


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