我を信じて勝つまで鍛える

 

 

 昨年中は、電話やメールを通じてで励ましてくれたり、病気が治る可能性を秘めた情報を提供してくれていただき、心から感謝いたします。おかげ様で、現役のまま年を越すことができました。
本当にありがとうございました。

 僕が今回言いたかったのはこれだけだったが、この気持ちを思い起こしているうちに去年の思い出がいくつか浮かんできた。

 1月、初めて地方機関に勤務し、そして、初めてわかった「本庁と地方機関」との考え方の違い。
 これにはこれまでと違った意味でのストレスを感じた

 6月、政策提案@プロジェクトAの活動を開始。
 最初はばらばらだったメンバーの意見がひとつになりかけてきたところへ僕の症状が一歩後退。
「動けるうちにがんばろう」と思い、現地調査や時間外での企画書作成に早めに取りかかったのだが、「時間外はしない」という職場のルールや「出張をしてはいけない」という僕の“職務上の健康区分”にずいぶん悩まされた。

 11月、何とか迎えることができた3役プレゼンテーションの本番。
 メンバーのみんなに「そんなに緊張することはないよ」と言っている僕が一番緊張していたような気がした。
 企画書の内容説明は他のメンバーに任せ、質疑応答に集中する予定だったのだが、そこには言葉を選んで回答している自分がいた。
 僕らが設定した目標値についても「そんなの“捕らぬ狸の皮算用”ではないか?」と言われ言葉に詰まってしまう。

 僕らのチームは「この地域の観光を促進するに必要な目標を設定し、それを達成するための戦略」を練って作成した企画書だったので、もっと堂々と回答すれば良かったはずだ。
 さらに「その目標は君たちで達成できるのか?」と言われたときも「もしかしたら来年は仕事ができない体になっているかも?」という思いが僕の頭をよぎり「いや、あの、その・・・」と言った回答をしてしまった。
 自分たちがやってみたい企画書を作成したのに、実際「君たちにできるのか?」という質問に自信を持って「できます」と言えなかったことが、プレゼンテーションが終了した後も僕の心に残り続けた。

「僕は、自分ができないことを他人にしてもらおうと思ってこのプロジェクトに参加したのか?自分自身ではもう観光振興はできないと思っているのか?」と、繰り返し自分に問いかけていた。
 当時の僕は、医学的には治る保証が全くない西洋医学と東洋医学の薬の投与。そして、いくつかのサプリメントに加え、無農薬の野菜を元に自宅で作ったジュースを飲み、玄米を発芽させることができる炊飯器を購入して白米の代わりに発芽玄米を食べた。それに20世紀初頭にアメリカで活躍した予言者の治療法も試みた。
 それなのに、症状は悪化していく。
 さらに、この病気の研究をしている東京大学の助教授に電話しても「現状では早くても薬の開発には15年はかかる」と言われ、周りへの態度とは裏腹に「もうダメかもしれない」という気持ちばかりが頭をよぎっていた。

 そんなある日のこと、プロジェクトXというテレビ番組で、26歳の時に“グットパスチャー症候群”と宣告され、腎臓を摘出し、その後、人工透析を行いながらJリーグの立ち上げに大きく貢献していく人が取り上げられた。
 彼は、この告知を受けたとき、医者に「もう殺してくれ」と言い、身重のパートナーのお母さんにも「離婚します」と言ったそうだ。僕には、彼の気持ちがよくわかった。
 また、彼は、会社から「満足に働けない君をこれ以上雇えない」と解雇された。その後、「人気が低迷しているサッカーリーグの再生のために働かないか?」という誘いがあり、彼は「最後のチャンス」と思って死にものぐるいで働き、他のスタッフに対して「プロリーグを創るしかない。俺は何時死ぬかわからない人間。先頭を切る」と言ったそうだ。
 そのやる気と重たい体を引きずりながら現場を歩き回って練った戦略が功を奏し、ついにJリーグが立ち上がった。

 また、イタリアのブラート市では、僕と同じ病気を患い、車いすで、電池が切れたテープレコーダーのようにしか話せない37歳の女性が、会社からの解雇にもめげず、障害者や弱者に「住みやすい街づくり」をと、きめ細かい行政対策の実現に努力していたことが評価され、若干37歳でその市の助役に任命された。
 彼女は言う。「障害も仕事に差し支えなければ治ったことと同じ。そして、必ず結果を出すまで退かない努力をしてきた。私の人生はすぐに勝つことはない。しかし、結果として勝利する」
 僕と同じ病気の方が車いすに乗りながら助役として行政サービスの向上に大きく貢献しているのに、僕は「来年はもうダメかも」と思って、最後のチャンスかもしれなかった3役へのプレゼンで“思っていたこと”もろくに言えず、勝手に自分で“自分の限界”を決めてしまっていたことが恥ずかしくなった。

 12月、「彼らに勝つためにはどうしたらよいのか?」と本気で考え、「まずは、プレゼンで言えなかった“僕たちにやらせてください”という気持ちを3役に伝えることから始めよう」と思った。
 しかし、それだけでは、万が一、希望が叶ったとしても彼らに負けることはなくなっても勝ったわけではない。
 そう、彼らに勝つ方法はただ一つ。
 彼らもなし得なかった「病気を治す」ことだ。
 そして、その方法として“奇跡ではないもの”を見つけ出せば、彼らに勝つだけでなく、世界中で病気に苦しんでいる人に希望を与えることができるに違いない。

 しかし、その方法を見つけ出すためには、これまでのように“何かに頼る”という考えだけではいけないような気がした。
 先日、とある医者が「体の病気を治す薬は本当は全て体の中にある」と言っていた。
 そういえば、人間には“自然治癒力”あり、それによって奇跡的に病気が治った人がいることも事実。
 つまり、この自然治癒力を極限まで高める方法を見つけ出せば、医者に見放された病気でも治るかも知れない。
 そう、受け身ではなく「攻め」の治療法ある。

 僕はいずれ、床に伏し、動けなくなるかも知れない。

 でも、それは今ではない!!

 今年は、彼らに追いつき、そして、追い越すために全力で努力していこう。
 “自分を信じて勝つまで鍛える。”

 そして、その成果を来年の今日、この場所で、ぜひ、みなさまにご報告したい。

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