『研修だより 平成10年12月号』
<同和教育職員研修>
【研修報告】
「平成10年度長崎県高等学校教育研究会 同和教育研究部会研究大会(第1回)」
日時:平成10年11月19日(木)
会場:佐世保市民会館
講演:阿南重幸氏(長崎県部落史研究所)「『時間(とき)を歩く〜長崎の部落史を訪ねて〜』
実践発表:@国見高等学校「進路保障の取組みについて」 A県立盲学校「障害者の視点に立った同和教育」 B北松南高等学校「平成10年度人権同和教育年間計画」
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同和教育は、差別のし方を教えているのか。 |
【資料1】 敵意に満ちた状況の中で、人種や差別の問題について異を唱える人たちに囲まれた時、彼らがどう振る舞うかは、まだ分からないということだ。例えば孤立していたり、少数派だったりする時、彼らは人種差別論者の言動にどう対応するだろうか? <中略> 彼女は言った。/「あの子たちは人種差別的な、そして男性至上主義的な態度をおおむね肯定し強化する傾向のある社会に生きています。私が彼らに望むのは、彼らの前で、人種差別的な、あるいは男性至上主義的な発言がなされた時、ノー』と言えるようになることです。/『それは真実じゃない』と言えること、少なくとも、自分の周りではそんなことを言わないでくれと頼めるようになることです。あの子たちには、身に着けた新しい態度を維持する以上のことをしてほしいのです。人種差別に出くわした時、何らかの方法で、積極的に抵抗してほしいのです。/でも、あの子たちは現実の社会の中で生きていかなければなりません。そして彼らはやはり、その社会で生き残るために必要だと思うことをするでしょう。常に体制に反対していたのでは、友人もできませんし人を動かすこともできません。しかし、あの実験授業は、改革運動の戦士とはいかないまでも、人種差別に直面した時、少なくとも心の痛みを感じ、自分たちの見聞きしていることは絶対に間違っていると思えるような人間を養成しました。/私の考えが正しければ、彼らはその時点で決心をしなければなりません。妥協するか、議論するか?自己を主張するか、放っておくか、それとも仲間になるか?とにかく、少なくとも、彼らは決心する必要に迫られることになります。その時、彼らは考えなくてはなりません。でも、もし実験授業を経験していなかったら、決心をする必要があることさえ気づかなかったでしよう。」(『青い目 茶色い目 〜人種差別と闘った教育の記録〜』ウイリアム・ピータース著 白石文人訳 日本放送出版協会)1985年3月26日、PBSの「フロントライン」の時間に放送され、後にエミー賞ほか数多くの賞を受賞した。
【資料2】 「ガラスのおりの中に入れられているような感じ」がしたという発言は、人種差別の犠牲者は肌の色やその他の身体的な特徴ですぐに人種が分かってしまうという事実を思い起こさせる。彼らは身を隠して生きるわけにはいかないのだ。後の黒人の女性が言ったように、彼らはベッドから抜け出して鏡をのぞき込んだ途端に自分たちは人と違っているから、人と違ったふうに生きなければならないと思い知らされるのだ。だから物事を変えようとしても、ロジャーの言っていたように、無力感と絶望感に襲われてしまうのである。/しかも人との違いというのは、分かるものであろうとなかろうと、重要な要素ではないのである。ジェーン・エリオットはこう指摘する。/「人と違うということが問題なのではありません。問題は違うということへの多数派の反応なのです。多数派の人々が自分と違うということを否定的に受けとめ、自分と違う人々を否定的に扱う限り、人種差別、女性差別、老齢者層差別は存続するでしょう。/あの会議を例にとれば、青い目の人が茶色い目の人のように振る舞ったら受け入れてやると考えるのは間違っています。それと同じように、少数民族が白人のように振る舞うこと、女性が男性まがいのことをすること、あるいは老人が若者の真似をすることを受け入れの条件としてあげることは間違っています。」(『青い目 茶色い目』)
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「差別」があるのではなく、「差別を生み出す社会体制」がある。 |
【資料3】 教育現場においても、当面するいくつかの課題がつきつけられています。「士・農・工・商・えた・ひにん」という江戸時代の身分制度が、そのまま学校生活の人間関係に置き換えられて差別発言を惹起するという問題が起こっています。「身分制度」という序列が、学校生活、もっと言えば社会生活に当てはめられているのです。むしろ「序列」が正当化されるのです。/また、「部落問題を知れば、差別意識が芽生えてくる、知らなければよかった」のいわゆる「寝た子を起こずな」意識が、今日もなお生み出されているという問題があります。この意識の前提にあるものは、現代社会に根付く女性差別や障害者差別、外国人差別等を含めて、それらに対する差別をこれも容認していくことにつながります。/これらは、そのことが「差別」であると考えきれない弱さだと思います。各人がそれぞれの立場を認め合うことによって、よりよい社会を共に生きていこうとする、共生の社会を否定するものです。(『時間を歩く〜長崎の部落史を訪ねて〜』阿南重幸 長崎県同和教育研究協議会)
【資料4】 部落(同和)問題を意識しているのは、紛れもなく現在を生きている私たちです。/しかし、現在の部落問題を解き明かすには、どうしても過去に目を向けざるを得ません。なぜなら、部落問題はこれまで見てきたように歴史的経緯の中で派生した現代の社会問題だからです。<中略>近代社会においては、健康・知識・富裕が奨励されるという価値概念のもとで、それに対極となる人々を差別視する意識が起こってきたことがわかりました。その中で部落問題が、近代以降の問題であることを強く意識することができました。私たちの社会を「世間と社会」というふたつの枠組みで捉えることで、今日の「部落」問題をいかに把握するのかということに示唆が与えられました。/部落問題を認識する上で重要な役割を果たしてきた「近世政治起源説」という考え方が、今大きく揺らいでいます。論点は、「江戸時代に部落が作られたこと」、「分裂支配のために権力が部落を作ったこと」、「起源をどこに求めるか」の三点に凝縮されているようです。さらには「差別と貧困」「士農工商という序列」「人のいやがる仕事」等の捉え方についても様々な問題が指摘されてきています。(『時間を歩く』)
【資料5】 のちに文部官僚となる西(にし)周(あまね)は「人世三宝」説を唱え、近代日本国家の求める価値観を確立しました。健康・知識・富裕です。私たちが一丸となって、今でも追い求めているそれです。本当は、この価値観こそが問題とされているのです。今日ある差別の原因ではないかとも思います。<中略>もう一度、今日申し述べたかったことを、整理してみます。(1)部落=差別と貧困という公式を当てはめなくてよい。(2)「差別される仕事」と前もって、前提してはならない。(3)彼等の役割を、前向きに正当に評価すべきである。(4)「差別と貧困」、「生産と労働」が混在・同居していることを理解する。(『時間を歩く』)
【資料6】 日本人の世間というのは、全部例外なく常に排他的で差別的な構造を持っている。世間というのは顔見知りの人間関係のみの間で機能しているところであって、顔見知り以外、世間に所属していない人に対しては実に排他的であり、差別的である。こういう世間がいくつも折り重なってできている。(阿部謹也『ヨーロッパを読む』石風社1995年)
【資料7】 近代化の中での日常の生活・習慣の同一化ということが、「日本」「日本人」という共通性(=幻想の「共同体」)を創り出していくのであり、それと同時に異なる生活や習慣を持つ人間を排除し、差別していくのである。日本の近代化は、強烈な「同化」の過程として進行するが、それだけにマイノリティにとっては、激しい『異化』と排除の過程ともなった。(今西一著『近代日本の差別と性文化』雄山閣出版)
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高校生に対する進路保障 |
【資料8】 「答えたくなかったら、答えなくて結構」:1995年9月21日諫早市のE会社を受験した際に、上記のような前置きをしながら「保護者の職業」を尋ねられ返答に困った事例がある。不適切な質問だと理解しておきながら、敢えて尋ねなければならない、その真意は何であろうか。求人票の右上に「公正採用選考について説明済」の文字は確認できるが企業の体質は旧態依然である。(国見高校)
【資料9】 1996年12月14日(土)に東京都のF大学看護専門学校を受験した。推薦入試の面接に保護者の職業や3人いる姉の職業を詳しく尋ねられた。<中略>直前の模擬面接の際、何度も「父の仕事や家族のことは聞かれないのですね」と尋ねるので、県教委が印刷している「教職員が適正な選考にあたっての知っておきたいポイント」をコピーして、就職選考と同じように進学においても、この精神は変わらないことを説明しておいた。/当人はその内容についてよく理解していたが、不適切な質問事項にいざ直面した時「学校の指導により、お答えできません」と、言うべきか迷ったが、これまで費やした諸経費(交通費や宿泊費や受験料など)を考えたり、合格したい一心からどうしてもそのように言えず、やむを得ず、不適正な質問事項に悩みながら応じている。(国見高校)
【対処】
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@不審な質問は速やかに情報をキャッチし、合否前に職安へ連絡を。その後、学教へ。 |
[下線は全て田中]