今日は、熊本に来て最初のクリスマス。 ということで、仏様を巡ることにした。 |
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熊本県央の九州自動車道が通る付近は、実は、文化財の宝庫。 大学時代も訪れたが、記憶が不明瞭・・・ 改めて地図を見たら、気になる寺院がたくさん。 クリスマスを機に、まとめて行くことにした。 ここは、宇城市小川町にある長谷寺。 |
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九州自動車道の近くだが、山の中にある。 |
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長谷寺十一面観音像。 快慶の作と伝えられる高さ130cmの仏像だ。 |
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1127年に奈良県の長谷寺から迎えられたとのこと。 |
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近くには、孝子源四郎の墓があるそうだ。 |
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昭和46年7月22日の大雨により地崩れが起きた。 その時に、本堂を避けて落ちてきたという岩。 |
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長谷寺を後にして、次へ向かう。 |
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娑婆神峠の石畳。 暗かったので行かなかった。 僧が発願し、里人と協力して作ったそうだ。 西南戦争の舞台にもなった。 |
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御手洗水源を探したが、よく分からなかった・・・ 県道244号線を進むと、溜池を使った公園があった。 名前は分からないが、綺麗な公園であった。 |
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守山八幡宮。 |
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由来を調べ損ねたが、大きな神社だった。 |
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にかっと笑う神官。 |
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神馬。 青銅製はよく見るが、これは珍しいと思う。 |
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境内は広く、静か。 |
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門前の雰囲気も良い。 |
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三宝寺の山門。 |
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鉄眼禅師が両親の菩提を弔うため、生家を寺として創建した名僧。 |
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鉄眼禅師は、1630年に宇城市小川町に生まれた。 |
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鉄眼禅師は、大蔵経の版木を製作したことで知られている。 |
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版木の多くは、京都宇治の宝蔵院に収められているが、ここ三宝寺にも寺宝として保存されている。 その他、鉄眼禅師の遺品や後水尾天皇の御宸筆などの文化財があるそうだ。 拝観できると書いてあるホームページもあるが、ここは、そんな雰囲気ではなかった。 もし拝観できるのであれば、ぜひ見たかった・・・ |
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うるさく吠える犬。 可愛くない。 |
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場所が変わって、ここは八代市にある明言院。 |
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残念ながら、拝観することが出来なかった。 大学時代は、見せてもらったような記憶があったが・・・ ここには、重要文化財に指定された仏像などが保管されている。 管理面で、常時の公開は厳しいようだ。 残念だが、仕方がない。 |
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周辺は、史跡めぐりコースが設定されている。 少し歩いてみることにした。 |
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道の幅は、昔のまま残っているようだ。 |
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良い感じの町並み。 |
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観音堂。 |
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光厳寺。 |
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浄土真宗のお寺である。 |
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鐘楼。 |
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周遊マップに従い、古墳を探す。 |
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谷川2号古墳? 奥壁がないので、多分そうだろう・・・ |
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門前2号墳石棺。 普通に道脇に置かれているが、貴重なものだ。 |
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光明寺跡を探して歩く。 |
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菅原神社。 この辺りは、古墳がたくさんあるようだ。 ゆっくり散策すると面白いだろう。 |
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妙見水源。 高速道路の高架下にある。 不老長寿の命の水と言われている。 |
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近くの子供に案内してもらい、光明寺を目指す。 |
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妙見第二号古墳。 ホント至る所に古墳がある・・・ |
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高速道路の上に出てきた。 |
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玉泉寺。 |
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真言宗の寺院。 小西行長の焼き討ちに遭ったが、本尊は村人が池に沈めて守ったという。 |
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薩摩街道九里木の跡。 |
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趣のある町並みだ。 結局、光明寺跡は見つからなかった・・・ |
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最後に訪れた寺院は、氷川町の今寺観音。 |
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宮原SAの裏手にある。 今寺観音四面仏。 1697年建立。 |
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地元の人の手により境内は綺麗に掃除されている。 |
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十一面観音菩薩像。 お乳観音とも呼ばれている。 母乳が出ない母親が祈祷に訪れるそうだ。 お乳が出ると、そのお礼として、お乳の形のぬいぐるみを作って奉納する。 この習慣は、今も続いているとのこと。 |
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天井絵が美しかったので、撮影。 |
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大神宮。 お伊勢さんと呼ばれている。 神仏習合の名残である。 |
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帰りに、氷川町竜北歴史資料館へ寄った。 |
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閉館時間を過ぎていたが、特別に見せてもらった。 ここ竜北町は、内田康哉が生誕した地。 明治・大正・昭和期に、3度外務大臣を務めた。 また、原敬暗殺後、加藤友三郎急逝後の2度、総理大臣臨時代理を務めた。 この人物も、もっと熊本で取り上げられて良い人物だと思う。 竜北歴史資料館では、内田康哉の資料が多く展示されている。 今日は、盛りだくさんな一日だった。 よいクリスマスとなった。 |