戦後の住宅建設
 左の表は、『三菱鉱業セメント(株)総務部社史編纂室、三菱鉱業社史、三菱鉱業セメント(株)、昭和51年、788・789頁』に記載の「戦後の住宅建設」の項目にある「表110 アパート建設状況」より、建設場所が高島、端島、大夕張のデータを抜粋して引用しています。また、項目の中には、概ね次のことが書かれています。 ・昭和25年に住宅金融公庫による融資制度が立法化 ・30年には日本住宅公団,36年には年金福祉事業団による融資制度が設置 ・昭和25年の美唄,26年の高島を皮切りとして,毎年継続して建設を進めていたが,その対象場所は筑豊5山と油戸,茶志内を除く全炭砿に及び,表110のとおり全額自己資金のものを含め,総計で303棟,5,036戸を建設
とあります。表を見ますと、端島の特徴としては、自己資金による建設が17棟と建築の大部分を占めていることが挙げられるかと思いますが、高島、大夕張では建設の実績はなく、また、「表110 アパート建設状況」の表全体(高島、端島、崎戸、古賀山、大夕張、美唄、芦別、本店及び大阪支店の記載有)を見ても合計18棟となってますので、自己資金による建設は三菱鉱業の中でも端島に集中しております。端島に自己資金による建物が集中した理由と住宅金融公庫融資により建築された建物名が気になるところです。 |
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 | 左の表は、「表110 アパート建設状況」の表のデータから、一棟当たり戸数及び坪数を算出したものですが、大夕張と比べて、高島や端島の方が高い数字となっているようです。理由については確認できておりませんが、高層建築がその要因になるのではないかと思います。 |
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