Mother's Day


 その日、青年は真白の花束を持って現れた。
 村人たちが不思議そうに遠巻きに見ているのを感じるが、一方でどこか了解しているような雰囲気があり、総じて居心地はよくない。
 おまけに隣にはとびきり可愛い女の子がいるというのに、何故男が花束を持っているのだろうかと、好奇の目で見られている……気がする。
「気のせいだよ」
 そういったことを大雑把に伝えたところ、あっさり切り返された。
「そんなに気になるなら、さっさと済ませちゃおうよ、ほら」
 力いっぱい腕を引かれ軽くバランスを崩す。たたらを踏みながらも体勢を整え、一歩、また一歩と歩みを進める。
「遅いよ」
 軽やかな足取りで先行く少女が、元気いっぱい手をぶんぶん振っている。何がそんなに楽しいのか、大げさに肩を落として嘆息すると、これまた大仰に腰に手を当て胸を張り、
「こらー!  いい年した青年が、溜め息なんかつかない!」
 怒られてしまった。
    青年は覚悟を決めて……半ば自棄になったようにずかずかと歩を進める。ともすればそれは「進軍」のようで、かつて共に戦った仲間が見れば「軍を思い出す」とかなんとか言いそうだ。
「たぶん、言うよ。絶対」
 絶対と言う言葉には、たぶんとは言わない。
 などと言い返そうものなら百倍の反撃を食らう。いつぞや些細な口げんかをした折、「二人のパッションシングルモード」という不思議な技を食らったことがある。さすがは海賊の娘、侮れない。

 そのときの古傷が痛んだような、痛まないような……ただ口の中に思い出してしまったという苦さだけが広がり、軽く顔が歪んでしまう。
「まだ悩んでるの? 言い出したの、自分のクセに」
 照れくささと……認めたくない、哀しさ。
 正直に話してしまうには、さらに照れくさい。

 目の前に広がる、緑一杯の花壇と、主をナくした一軒の家。

 ヒトのいない家は、朽ちてもおかしくない。
 それでもここは、今にも誰かが顔を覗かせてくるのではないのかというほど整っていて、生活感が滲んでいて……心が、一杯になる。
「変わらないね」
 少女の言葉に、はっと引き戻される。
 誰もいない。いるはずがない。
 変わることのない時間と空間の中で、少しだけ変わってしまった「そこ」は、「どちらも」そうなることを望んだ人間が選んだ結末なのだ。
 だからこそ、手にしているのは白い花。

 どこに置けばいいのだろう。

 そこまできて青年は止まってしまった。渡すべき相手もいなければ、置くべき場所もないことに今更気づいたのだ。
 前者は分かっていたこと、後者はここに来て気づいたこと。

 ぐるりと辺りを見渡す。

 信じられないような邂逅と告白。その過程で剣を交わすことになろうとは思いもしなかった。
 女性と、しかも……。

 あの時と同じ場所に立つ。今にも目の前には、その女性が立ちはだかるような気がした。
 凛然とした眼差しは炎を吹き上げるがごとく輝き、決して甘えを赦さない厳しさがあった。
 しかし全てを終え、相好を崩したときの面差しは、初めて見たはずなのに青年の心にある一つの言葉を想起させるのに十分な温かさを持っていた。

「激しいヒトだったよねー、ジェスターのお母さん」
 いつの間にか隣に少女が立っている。
「話すよりも先に拳って感じだったし。ずっと一緒だったらあたしうまくやっていけたかなぁ」
 深い言葉にジェスターと呼ばれた青年は思わず吹き出してしまった。
「あっ、何よそれ。ひょっとして自分も口より先に手が出るくせにとか思ったんでしょ」
 違うと否定しようとした口がにやけてしまっていては説得力がない。
 その表情に少女はぷうっと頬を膨らませると、素早く青年の脛に一発お見舞いする。
「ご期待に添えてみた」
 べーっと舌を出す少女の子供っぽさにジェスターは仕方ないなぁと苦笑する。

 もしも、少女の言うとおり「彼女」がここにいたらなんていうだろう。
「ウチのジェスターに叶う恋人は、私を倒せるようでなくては!」
 なんていうのだろうか?
 だとしたらオメガネに叶うのは間違いない。
 大海賊ドルゲンゴアの愛娘として海賊たちと宇宙を股にかけていた……いわば「荒くれ者」の一人なのだから。短剣とヒールが舞うような軌跡を描いた後にはビーストなど跡形もない。

 きっとそうだろう。

 だが……ここにいない、二度と会えないヒトを思い描いて何になるというのだ?
 空虚な風が、笑おうとした青年の笑顔を強ばったものに変える。

 ふわりとその風が柔らかなものに変わる。
 はっとなって視線を落とすと……少女が赤い花を地面に置いているところだった。
 そういえば身軽なスタイルを好み、荷物となれば全て彼任せにしていた少女は、何故かその日その荷物だけは彼に持たせなかった。
 彼が手にしている白い花と同じ種類。色が違えば意味も違うということを教えてくれたのは当の少女のはずだ。
「誰に聞いたかは忘れたけどね……ヒトの死には2種類あるんだって。一つは本人の死、もう一つは、皆がその人のことを忘れちゃうこと」
 花束を置いて、そっと手を組み祈りを捧げる。
「その人のことを思い出す人が世界からいなくなって、初めてその人は本当に死んだことになるんだって。だから、これでいいの」
 深紅の花は、太陽の光を浴びて眩しいほどに鮮やかに輝いている。それはまるであの時、彼に全てを賭けて戦いを挑んできた時の様な、力強い輝きだ。
「それに……ね? ぴったりでしょ」
 彼の考えを見抜いたかのように悪戯っぽく笑う。
 ああ、と低く微笑み返すと、少女は嬉しそうに腕を取る。
「ジェスターのお母さん、綺麗なひとだったよね。でも、私のママだって負けてないんだから」
 少し寂しそうな声に、青年は再び、はっとなる。

 少女の母は、青年の母と同様に、この世にはいない。死んだといえば、どこか実感のない表現になる。
 とはいえ、遥かな過去に生き、果て無き過去に死んだ人間には違いない。

 もし彼女の言うとおりならば。

 ぎゅっと青年は少女を抱き締める。
 その耳に優しく、彼女の母の《存在》を強く囁く。

「ありがと」

 小さく震える声は、笑顔と共に光となって弾けた。

 用を成さなくなった真白の花束を空高く放り投げると、愛用の銃を構える。寸分違わず閃光は花束を打ち抜き、季節外れの雪のように花びらが舞い散った。

 母は生きている。
 この村があるのがその証。
 そして自分の心、彼女の心にも生きている。ならばここで言うべき言葉は決して別れや弔いの言葉ではない。

「また来るよ、母さん」

 足取り軽く去っていく二人の後姿を、温かな笑顔を浮かべた女性が見送る。
『いつでもいらっしゃい……でも……今度は、三人で来て欲しいわね』
 くすりと、先ほどの少女と同じぐらい悪戯っぽい……もっとも底深さは段違いの笑顔は、やがて現れたときと同様何事もなかったように消えた。




**************




「ね、ところでジェスター」
「なに」
「来月だけど」

 ばきゅーーーーーん。

 天を割るような鋭い閃光がその辺りの木を貫いた。
「なっ……じ、ジェスタぁ?」
「そうだな。来月は結婚に相応しい月とサイモンが言っていた。よし、結婚しよう、キサラ」
「わーい……って、いや、そうじゃなくてっ! ていうかそういうことはもう少し真剣さとシチュエーションとか指輪とか揃えて……」
 もじもじと赤くなりながらも、頭の片隅では冷静な自分が「そうでなくて!」と突っ込みをいれている。
「俺はいつでも真剣だぞ。そう、来月は「結婚に相応しい月」というめでたさ以外は何もない。頭がめでたい男をフルチューンしたゼノンDR−3やアークスコルピオンで貫き倒すという楽しいイベントがあるなら別だっ!」
「分かってるんじゃないの……来月は〜」
「キサラ」
 がしっとキサラの両手を鷲掴みにする。眼差しの鋭さに思わず息を呑む。
「そうだ。来月には父の日がある」
 先ほどジェスターが貫いた木の影で、ごそりと何かが動いて、そこから温かな……生温かな、俗に言う「シヤワセのオーラ」がタレ流れてきたような気がして、キサラはげんなりとしてしまった。
「まず帰ったらドルゲンゴアを「パパ」と呼ぶ練習から始めるか」
 どごん!
 岩を砕いたような……というより多分砕いたのだろう音がした。但し拳で砕いたのか頭で砕いたのか……正体の見当がついているだけにどちらもやりかねないなとキサラは複雑な表情のまま固まってしまう。
「そんなことしたら、ローズ星雲あたりですまきにされて捨てられるよ?」
「宇宙の男に不可能はない。今こそ星王の血を見せるとき」
 ぐっと力強い握りこぶしを固めて、本当に俺様、もとい星王様になりかねない勢いで空を仰ぎ見る。
 見せなくていいから……キサラはとりあえずこの場を離れることを優先した。彼の腕を引っ張り有無を言わさずバトルフィールド(?)の隅に向かう。

 戦闘から離脱しますか?
 →はい
  いいえ

 その日の夜、とある村の隅っこで、いつまでもいつまでも男の泣き声が風に乗って流れていたとさ。



〜あとがき〜
ある方に感化されているのがモロばれのSS。
リンクしてくださった御礼をこめて。
「母の日だなぁ」と思っていたら浮いてきた脳の軽さ。ほとばしりすぎる愛を全方向に乱射です。