この不況の中でみんなが心豊かに過ごすために、

良寛禅師の「愛語」をもう一度反復してみよう。

 

 

良寛謹書  「愛語」

 

愛語というは衆生をみるに、まず慈愛の心をおこし、

顧愛の言語を施すなり   およそ暴悪の言語無きなり

世俗には安否を問う礼儀あり  仏道道には珍重の言葉あり

不審の孝行あり

慈念衆生衆猶如赤子の才も、日をたくわえて、言語するは愛語なり

徳あるは褒むべし、 徳なきは憐れむべし

愛語を好むよりは、ようやく愛語を増長するなり

然あれば日頃知られず、見えざる愛語も現前するなり

現在の身命の存する間、好んで愛語すべし 

世に生ににも不退転ならん

怨敵を降伏し、君子を和睦ならしむこと、愛語を本とするなり

向かいて愛語を聞くは、表を喜ばしめ、心を楽しく

向かわずして愛語を聞くは、肝に銘じ魂に銘ず

知るべし愛語は愛心より起こる  愛心は慈心を種子とせり

愛語より廻天の力あることを学すべきなり

ただ能(ばさー婆裟)を賞するのみにあらず

 

苦しむ人の話を「うん、うん」と聞いてやるだけでも救われるものです。

 

ついでに 良寛禅師の 「ちょうどいい」

お前はお前、ちょうどよい
顔も体も、名前も姓も、お前それちょうどよい
貧も食も、親も子も息子の嫁も、その孫も、それはお前にちょうどよい

幸も不幸も、喜びも・・・悲しみさえも、ちょうど良い。

歩いたお前の人生は、悪くもなければ良くもない。
お前にとってちょうど良い。
地獄へ行こうと極楽へ行こうと、行ったところがちょうどよい。
うぬぼれる要もなく、卑下する要もなく、上もなければ下もない
死ぬ日月さえもちょうどよい。
お前それちょうど良い