少年臀肉切り取り事件    (ホームページ 阿修羅より、抜粋)

 

 1902年3月27日、東京・麹町区下二番町で、同町に住む小学生・河井惣助(11)が圧殺され、

臀部左右の肉を削ぎ取られる事件がおこった。

麹町署では、臀部・踵の肉は興奮剤や薬用として効果があるという迷信から削ぎ取ったのではないかとみて、

直ちに非常線を張って犯人の逮捕にあたったが、捕まえることができなかった。

 

約3年後の1905年5月25日、薬店店主殺し容疑で逮捕された野口男三郎(36)が、臀肉事件の犯人として浮上。

野口男三郎は大阪生まれ、東京外国語学校へ通っているうち、麹町区下六番町に住む漢詩人・野口寧斎の家に出入りするようになり、

寧斎の妹の婿養子となった。寧斎はレプラ(らい病)患者だった。

 

 警察の取り調べに対して男三郎は、レプラには人肉を食べさせるとなおるという迷信を信じて、惣助を殺し、

人肉ス−プにして寧斎と妻に飲ませたと自供した。

ところがその後、その寧斎も不審な死に方をしたので警察は、男三郎が東京外国語学校を落第して

退学させられていたことを知った寧斎が男三郎と妹を離縁させようとしたため、

それを恨んで5月12日、病弱だった寧斎を病気で死亡したように装い毒殺したものとみて厳しく追及、男三郎も犯行を認めた。

 

 1906年3月19日、東京地裁で行われた公判で男三郎は、無実を主張、臀肉事件と寧斎殺しについては犯行を否認。

5月16日、臀肉事件と寧斎殺しは証拠不十分、薬店店主殺しで死刑判決。1908年7月2日、死刑が執行された。

 

 これはかなり有名な猟奇殺人事件である。

らい病の薬には人肉、特に生肝が良い、という迷信が存在していたことを、この事件で筆者は初めて知った。

実にショッキングな事件である。らい病患者に対する偏見を煽りそうな事件だ。

 

 

 翌年の1907年、「癩予防に関する件」が制定され、基本的には患者の隔離政策がとられ、

強制入所や外出制限、断種・中絶手術の強制などにより、らい病患者の人権は全く無視されてきた。

患者、家族、親族などへの結婚や就職の差別、偏見をもたらし自殺や一家心中に至った例もあった。

 

 少年臀肉切り取り事件がらい病患者に対する偏見を煽り、患者の隔離政策を援護する役割を果たしたことは否めない。

らい病患者がらみの事件を後2つ取り上げる。

 

 

 長野県上伊那軍朝日村で1905年7月3日、女性1人と子供2人が絞殺され、生肝を取られるという事件が起こった。

犯人は同村の水車および穀類販売業・馬場勝太郎。

勝太郎は氏名不詳の大阪生まれの男に、らい病の薬にするので女の生肝を手に入れれば150円の報酬を払うともちかけられ、

同日の夜、2人して犯行に及んだ。

 1906年8月20日、勝太郎は再び大阪の男と2人して女性を絞殺、山中に死体を運んで首を切断して生肝を取り出し、死体は埋めた。

同年9月2日には、勝太郎は一人で道で会った女性を絞殺しようとしたが、未遂、逮捕される。1907年6月4日、死刑確定。

 

 

 1938年5月5日午後、愛知県愛知郡天白村の農業・牧近松の次男・延一(9)が、自転車に乗った若い男に誘拐された。

4日目の5月8日早朝、名古屋市昭和区萩山公園の山林内で、遊びにきた2人の小学生が、延一少年の死体を発見して警察へ通報。

ズボン吊りで絞殺された延一少年は、みぞおちの部分にえぐられた傷があり、すでにウジがわいていた。

遺体は名古屋大学医学部で解剖に付され、殺害は誘拐当日と推定された。

またみぞおちの傷は、犯人が生肝(胆嚢)を入手せんとしたため生じたことが判明。

 延一少年と一緒だった少年の証言から、犯人の顔には目立つ腫物があったこと、人間の生肝を秘薬とみなす迷信とによって、

殺害者はハンセン氏病(らい病)患者であることが想定された。

5月24日、犯人は名古屋市東区山田西町の朝鮮出身の木村金太郎こと雀東雲(24)であることが突き止められた。

5月27日、警察が逮捕のため雀の下宿先へ向かうと、雀はすでに逃走していた。

6月1日早朝、岐阜県羽島郡内の東海道線の線路上で、轢死体となった雀が発見された。飛び込み自殺であった。

 

 

 インドあたりを旅行すると、らい病患者が道路で物乞いしている姿によく出くわす。

にゅっと差し出された手を見ると、指が全部抜け落ちていて手の先が丸くなっている。

まるで木の切り株のようである。神経質な人は伝染するのではないか、と恐れおののくかも知れない。

しかしらい病の伝染力は強くはないし、現代では治療薬も開発されている。

らい病はもはや不治の病ではなくなったのである。

 

 日本の街中でらい病患者を見かけないのは、日本ではらい病に限らず病人は病院へ隔離されてしまうからだ。

病人や老人や死人などを人の目に触れない所に押しやるのが、日本人の体質なのだろう。

まるで臭いものに蓋をするかのように。

インドでは全てがあからさまである。死者と生者が路上で共存し、健常者と障害者、病人が渾然一体となって町を行き交う。

だからインドは素晴らしい、とは筆者は言わない。

誰でも死にたくはないし、病気であるよりも健康でいたいからだ。

だがインドの偉大な聖者が洞察したように、病も死も老いも、我々の現実なのである。目をそらすことは許されない。

醜い現実に覆いを被せて、うわべだけ綺麗に塗りたくったのが日本の社会なのだ。

しかし殺菌消毒されたような東京の街も、雨が降れば下水から汚物が溢れだす。

異物や汚物を排除して清潔幻想の上に成り立っている日本社会は、それ自体病的な存在なのである。