奉仕の理想探求語録    第15号

            長崎東ロータリークラブ 雑誌委員会

        

例会で中学生が卓話      (友1999−9号  長井RC 斉藤喜内)

 

この度青少年シリーズの一環として、優良生徒の卓話を、ということで、長井市立南中3年の

鈴木智恵さんを招き、スピーチをお願いしました。演題にある言葉は、タンザニアの人々が遠い

昔から語り継いできた言葉であり、人の生き方とはこういうものであるということを、母親が

娘に伝えたことに価値があります。今回の智恵さんのメッセージは社会のゆがみやひずみに

たいする問いかけであるかも知れません。

 

ビナアダム ― 私の道しるべとして   (長井市立南中3年  鈴木智恵)

モリマ・ド・モリマ・ハワクタニ   ビナアダム・ド・ビナアダム・ワタクタニ

 

15歳になった私がはじめて知った母の祖国の言葉でした。5月を終わろうとしたときです。

学級委員をしている私は担任の先生に残されました。「A君が悩んでいるのを知っているか?」

実は私はたびたび起こる小さないじめを知っていましたが、ささいなことと思い、見逃して

いました。ところが先生は、いまのクラスの状況をまとめ、さらに学級を見つめるアンケートを

書くように言うのです。

「なぜ、いじめている人に言わないで私に言うのだろう。遅くまで残された上に、どうして

ここまで私がしなければならないのだろう」帰り道はもう真っ暗です。部活動で肉体的にも

精神的にもくたくたになっている私は怒りが爆発し、なにもかもがイヤになってしまいました。

帰宅した私は、その怒りを母にぶつけました。

すると母は私を慰めるどころか、強く叱りつけました。「立候補してなった学級委員でしょ。

最後まで責任を持ちなさい」そしてあの言葉を私に言ったのです。

モリマ・ド・モリマ・ハワクタニ   ビナアダム・ド・ビナアダム・ワタクタニ

(山と山は合わない。 人と人は合う)

山はそこから動くことは出来ない。しかし、人は動くことが出来る。そして言葉を持っている。

だから人は自分から行動することをあきらめてはいけない。母が大切にしてきた祖国の

言葉には、そんな意味が込められているのでした。

アフリカのケニアに生まれ、タンザニアで育った母。青年海外協力隊員として赴任してきた父と

19歳で出会い、恋に落ち、家族の猛反対を押し切って、たった一人で日本に嫁いで来た母。

言葉も通じず話相手もない孤独感と闘ってきた母の苦しみは、私の想像を絶するものだった

でしょう。

しかし母はそんな時にこの言葉を思い出し、負けないで生きようと心に誓って来たそうです。

「どんな言葉や生活環境が違っても、人と人とは分かり合える。自分から動けば必ず、

心は通じる」と。

母の言葉は続きます。貴方は自分からやろうとする強い意志がない。何でも人に任せて自分の

力を使おうとしていない。それどころか、自分のことばかり考えて周りの人を大切に考える

ことすら忘れているじゃないか。

母の言葉は私の心に深く刺さりました。

私はビナアダム(人)でなく、モリマ(山)だったのです。

その日から私は少しずつ変わりました。あまり親しくなかった人にも話しかけたり、何か用事が

あるときは一緒に手伝ってくれるように頼んだり、誰かが苦しんでいるときは何か力に

なれないか、と考えられるようになりました。

学級委員としての仕事は充分でないけれど、私は少しずつ「山」から「人」に変わりつつ

あります。私たちは生きています。だからもっしっかり自分の意志を持ちましょう。

自分の意志で自分から動いて見ましょう。

そして心が通じ会えるよう人とかかわって行きましょう。そうすれば「いじめ」などのいろんな

問題が私たち自身の手で解決してゆけるような気がするのです。

モリマ・ド・モリマ・ハワクタニ   ビナアダム・ド・ビナアダム・ワタクタニ

母が支えとしてきた祖国の言葉。

私もその言葉を「生きる道しるべ」としながら、進んで行きたいと思います。