奉仕の理想探求語録    第16号

            長崎東ロータリークラブ 雑誌委員会

        

なぜ今 芝染太郎か      (友1999−6号  神奈川 山室宗作)

このタイトルが目に留まり、淡々と氏の足跡と貢献を語る文章にただならぬ気配と

熱意を感じたのが、3年前「友」1996年−6月号の「地区のたより」欄に掲載された原稿

でした。

「振り返れば未来が見える」をご存知の方も多いと思いますが、この本は「芝染太郎伝」と

して氏の生涯を描きながら、日本ロータリーの存続に全力で立ち向かった

米山梅吉氏と芝氏の気概、RI指導者の友愛と葛藤など、私たちが知っておきたい歴史の

事実を教えてくれました。

米国のへーガーRI会長(1938〜39年)やマルホランドRI会長(1914〜15年)

から米山氏へあてた私信、「日満ロータリー連合会」月報での芝氏論文、

東京RCの解散決議席上における米山氏のスピーチは意義ある貴重な資料です。

日本のロータリー史に欠かせない人物との関わりに着目して調査編集された、茨城のロータリアン

のご努力に壮快なロータリーの心を感じました。

わがクラブで芝氏に深い敬愛の念を抱く高坂知儀氏は「そのときロータリーの原点に立脚した

RI首脳と芝氏の対話があったからこそ、我が国のロータリーが今日の発展を迎えることが

出来た」が持論です。

今年2月15日、プログラム委員長の高坂氏は芝染太郎調査研究委員長の吉田丈夫氏を卓話者に

招きました。卓話で吉田氏は、米山氏と芝氏の縁、横浜と鹿島の縁について語られました。

日本ロータリーの重責を担い国際大会に臨むため横浜を出港したこと、日米開戦とその戦渦に

より疎開、晴耕会と名を変えロータリーの灯を灯し続けた地、鹿島のこと、そして晩年の家族

写真に写るお孫さんにあたる少女が今、横浜ととても縁が深い奥様であることも、明らかに

されました。

1949年3月に日本のロータリーはRIに復帰し,これに安堵しつつ,芝染太郎は7月,

生涯を閉じました。

私は、昨今ロータリーが何となくバランスを崩し、ともすれば安易な方向に質を変え、魅力を

損なうような感のある中、先達が培った歴史と気概に触れ、そしてロータリーのすばらしさを

享受出来たことを幸せに思います。

共有財産である歴史とロータリーの考え方をみんなが知り合うことはとても大切なことで、

必ず将来の魅力増大と活性化につながることを確信しています。