奉仕の理想探求語録     第27号

        長崎東ロータリークラブ 雑誌委員会        

いわゆる「歴史認識」について  (友1998−3号 元駐日大使 中江要介)

 

私は学徒出陣で戦争に行きましたし、青春を戦争によって踏みにじられた世代ですが、

当時の日本人は一部の例外をのぞいて、ほとんど戦争に協力したわけです。

また、させられたわけです。戦争責任について、そのすべてを一握りの軍国主義者の

せいだといって済ませられるかというと、私自身は、済ませられないと思っています。

しかし中国側はそれでは困るので「一握りの軍国主義者にすべての責任を負わせて、

一般国民を解放する」という立場をとることによって、一般の日本人と中国人民とは

友好関係を築くことができるのだ、という考え方に基づいて、人民を説得し、日中共同

声明が出されました。

中国の人々はそのように説得されても、腹の中では「日本にはひどい目にあった。

忘れられない」と思い、いろいろな形でこの思いが受け継がれて行くのです。

ところが、日本の方は「ああ、そうだ、一握りの軍国主義者悪いのであって、我々は

全然悪くないんだ」とのんきに額面通りにそれを受け止めているかのごとく、

過去100年間の歴史についての認識は非常に甘いままでした。(中略)

その中で一番問題の本質を表しているのが、総理大臣の靖国神社公式参拝という行動です。

先ほども申し述べましたように、1985年に、中曽根総理がはじめて靖国神社を

総理大臣として公式参拝をされました。そのときの経緯としては、ご承知のように、

総理や閣僚が靖国神社に参拝する事が憲法違反であるかどうかが、国内で問題になって

おりました。外国のことなど関係なかったのです。最高裁は憲法違反ではない、という

判決を出しました。そこで憲法違反でなければ、戦争で亡くなった方々の霊を弔うので

あるから、堂々とやろうじゃないかということになり、公式参拝をしたところ、

中国や韓国から批判されたのです。

 中曽根総理が靖国神社に参拝された後、私は中国の外交部に呼び出されて非常に強い

抗議を受けました。それに対して私は「その戦争がいい戦争であれ、悪い戦争であれ、

自分の国のために命を捨てた人、残されたものが弔うのは、これは政治の問題ではなくて、

人間の問題だ。

当たり前のことだ。人間として当たり前のことをやっているのに、何で中国は文句を

いうのですか」と反論しました。それに対して中国は「自分たちはそのことをいって

いるのではない。

問題は、靖国神社に日本の国のために血を流した人たちが祭られているとおっしゃる

けれども一握りの軍国主義者も祭られているではないか。彼らは日本の国のために血を

流した一般の兵隊さんとは訳が違う。そんな人たちが合祀されている靖国神社を政府が

公式に参拝することは、一握りの軍国主義者の名誉を挽回する事になるのではないか」

というのです。これが中国側の疑念です。

そこで、A級戦犯の人たちだけを別の場所に移して何か区別をすれば、それでいい、と

中国はいっているのです。             

当時A級戦犯だけを分けて祭るという話も出ましたが、それは出来ないということで、

それだったら誤解を招くようなことはよした方がよいと、中曽根総理は、それ以降、

公式参拝はしない、といって、実行されたわけです。

ところが、10年後の昨年、橋本総理がまた靖国神社の公式参拝をされました。

一度目はともかくとして、2度目はとても許せない。あのときはわかりましたといって

10年間しなかったものを、またやるというのは、やはり日本人はずるいやつだ。

これでは「戦争はしません」といってもまた10年もすれば、戦争をやるかも知れない、

という不信感になってきたのです。(中略)

このいきさつから見て、日本人、我々全体として、一体何が問題なのかということですが、

歴史認識について原点は何か、ということを申し上げたいと思います。

1945年、日本は戦争に負け、無条件降伏しました。そのときに日本人はほとんど

例外なく「これからは平和国家になるんだ」ということを願ったんだろうと思います。

(中略)

サンフランシスコ条約の当事者である日本としては、いかに理不尽であれ、あのA級戦犯が

A級戦犯であるということを認めなければいけないのです。そして、そのA級戦犯が

祭られている靖国神社に首相が公式参拝する事について、中国や韓国が批判することには、

全く理由がないわけではない、ということを知らなければならないと思います。(中略)

冷戦が終わって数年たった今も、冷戦ゆえに受け入れた日米安保体制を堅持しているのみ

ならず、地域を広げているとの非難を、あちらこちらから受けています。

この基本は、われわれ日本人、主催者である国民が、自分の国が一体なんなのか、

敗戦直後にどういう覚悟で新しい日本を築こうとしたのか、その新しい日本はアメリカが

守るのでなく、日本人自身で守るのだ、ということについて、あまりにも怠けていは

しないか、と私は思います。

良識ある日本人が、正しい情勢判断をして、日本のこれから、21世紀に向かって

生きるという道、特にどういう日本を築き、それをどう守るか、ということを真剣に

考えるときが来ているのではないかと思います。