奉仕の理想探求語録     第36号

        長崎東ロータリークラブ 雑誌委員会        

新世代の人作り   (友2001−11、座談会より 第2800地区PG 藤川享胤)

あえて中流家庭と限定しますが、アメリカの家庭のしつけは厳しいものです。

どんな金持ちの家庭でも授業料は出すけれども、3ヶ月の夏休みには、みんな働いています。

それで自分の生活費は自分で稼ぐ、だから勉強しようと言う気持ちが出てくるわけです。

これは家庭における根本的なしつけだと思います。私は地区ガバナー公式訪問の時に地区内

2500人のロータリアンへ「グスタフ・フォスの十ヶ条」を示しました。

これは私の父親がもし生きていたら、間違いなく現在の日本の父親たちに言うであろうと

言うことです。

  1. 遠くても歩かせよ。
  2. 雨が降っても迎えに行くな。
  3. 電車では立たせよ。
  4. 高い山に登らせよ。
  5. 子供の部屋の整理を手伝うな。
  6. 朝、2度以上子供を起してやるな。
  7. 遠慮なく使いに出せ。
  8. 仕事をさせよ。
  9. 仕事がなければ探させよ。
  10. 甘えん坊を作るな。 

以上を子供と孫のしつけの根本に置こうといって回ったわけです。(中略)

昨年春、県内各中学校のリーダーを集めて行ったライラは羽黒山山伏修行体験塾でした。

そのテーマは「夢と希望」副題は「汗と飢え」でした。そのときは私も白装束の山伏の姿に

なって、頭宝冠をかぶり、金剛杖をついて、獣道を通って山に登った訳です。

遅れても一緒に登らねばと必死でした。ところがそんな大変な修行を2回やって下山しても、

ご飯は盛りきり1杯、汁も1杯、タクワン2切れ、それだけなのです。

子供達も私も腹が減ってしようがない。2日目の朝もその食事でした。

昼からはわれわれロータリアンとローターアクターが、彼らと一緒に食事を作って、

やっと満足な?食事をしたのですが、このような2日間のライラでの体験を参加者の一人が

次のように感想文を書いてくれました。

「とってもつらい修行、途中で2度と来ないと思った。来て失敗した、とも思った。

でも修行が終わったらおいしいご飯が食べられる、それが唯一の楽しみだと我慢していたら、

なんとあの粗末な食事、でも人間はこれ以上食べるものがないと覚悟したら、盛り切りの

ご飯でも、お腹が一杯になることがわかりました。そして逆に、いままで自分がいかに

要らないものまで食べ過ぎていたかがわかりました」 ほかにも何人かがこのような内容の

感想文を書いています。

一時的にでも「飢えるということ」がいかに大事な体験であったかを知らされるのです。

(中略)

この中学生の話には続きがあります。彼はブラスバンド部の部長で「藤川ガバナー、

一度聞きに来てください」と言ってきたのです。ライラの会場から100キロほど離れて

いるので、ロータリアンがその子を送り届けた訳ですが、話によると町も学校もPTAも

予算がなくて楽器の修理も出来ない、新しい楽器も買えないので支援してもらえないかとの

相談だったようです。

そのロータリアンは藤川ガバナーなら助けてくれるかも知れないから頼んでみたら、と

答えたというのです。そこで「僕らのクラブは県内のコンクールで3年続けて銀賞を

貰いました。ガバナー、まず僕たちの演奏を聴いてください。そして出きれば応援して

ください」と手紙をよこしてきたのです。

我がクラブの会員に楽器の値段を聞くと、200〜300万位するというのです。

とてもポケットマネーで出せる金額ではありません。何かよいアイディアはないかと

考えたところ、「ロータリーの友」に掲載して、全国から不要になった楽器を寄贈して

もらったら、ということになったのです。

この話をまず校長先生にいたしました。S君の要望に応えて、こんなプランを立てました

が教育上問題があるかどうか、いちど他人が使った楽器でもいいかなど、子供達と相談して、

もしOKならば「友」に載せますから、と話しました。

しばらくして、その子から手紙が届きました。「藤川ガバナー、僕の考えは間違っていました。

あの話はなかったことにしてください。校長先生は僕に“ロータリーの人たちは世界で

ご飯も食べられない人たちのために一生懸命頑張って、いろんな奉仕活動をしている。

世界には君たちと同じ年代で満足に食事も出来ない人たちがどれほど多くいることか。

楽器の音色が悪くても死ぬことはないんだぞ” 僕は校長先生の話を聞いて涙が止まり

ませんでした。僕たちは、これからもできるかぎり、今の楽器を使って頑張ります」と。

この校長先生も素晴らしい先生だと思いますが、今の子供達うんぬんではなく、

ロータリアンとしてはこういうリーダーを育てたいものです。

我々が青少年問題と取り組むには、単にプログラムを提供するだけでなく、どれだけ子供達と

一緒に汗を流すかがポイントだと思います。(中略)

それにつけてもロータリーがIAC、RACなど単に青少年の育成にかかわっているという

だけの形骸化した動き、お金を出しているというだけの考え方は21世紀には通用しないと

思います。またGSEもIT革命などで学べるものがなくなった欧米と交換する事を専一に

しないで、東南アジア、バングラデシュ、インドなど、人間的に学ぶことが出きる交流が

必要だと思います。(中略)

特にIACやRACのメンバーが次代を担うのですし、素晴らしい人との出会いが、その

人の人生を根底から変えることになるならば、その機会をロータリーが与えてやるべきです。

人生経験の豊かな人の話を聞かせることです。ロータリーを通じて素晴らしい人に出会えた、

それがメンバーになった喜びにもなるし、クラブでやるべきことだと思います。(中略)

子供や孫達が、はじめから悪くなるように育って欲しいと思っている親や祖父母は、世の中に

いないはずです。ただ私たちが彼らのためによかれと思ってしている事柄や思いの中に、

実は彼らの健全育成に大きなマイナス作用を及ぼしていることや、彼らの本当の心の叫びや

訴えを受け止められないでいる何かがあるとしたら、しかも、それに気づかずに、

今まで通りの対応をし続けるとしたら、大変な悲劇が待っているという気がしてならないの

です。その何かが、私が冒頭に掲げた「物の与え過ぎ」だと思うのです。

いまこそ、子供の頃、少々の熱や腹痛の時、母から手をかざして貰うことで痛みが和らぎ、

医者がいなくとも我慢が出来た「心の手当て」を子育ての原点に据え直すだと思います。

なぜなら幼児教育の充実なくして、青少年の健全育成などあり得ないと思うからです。

そういう視点からロータリーを見るとき、IAC、RAC、ライラなどに参加者する

新世代に、次々世代の若者の健全育成のための情報の提供、アドバイスなどを、

今からしっかり行うことが、これからのロータリアンが成すべき大事な青少年奉仕、

社会奉仕の一つではなかろうかと思います。