奉仕の理想探求語録     第38号

        長崎東ロータリークラブ 雑誌委員会        

米山奨学生とともに16年 (友2001−11  第2710地区PG 土肥浩右)

 

韓国の留学生、鄭永基氏(現在釜山東儀大学教授)が米山奨学生となり西条RCとの

付き合いが始まったのは、1985年4月のことであった。

精神障害者である娘のヒーチャンを抱え、日本で生活する鄭氏一家の労苦は、想像を

超えたものであったろうが、西条RCでは、カウンセラーはもとより、会員、家族ぐるみで

鄭氏に激励の手を差し伸べたものである。娘の病状改善の方法を求めて市内の施設を訪れる

鄭氏に人々はみなあたたかい声援を送った。

1989年、学業なって帰国する鄭氏が西条RCの例会で行った挨拶、

「私は、日本で学問を学ぶと同時に、ロータリーの奉仕の心も学びました。国に帰ったら、

妻とともに韓国の不幸な障害児のための教育福祉施設を作りたいと考えています。」

彼はその言葉通り、帰国するや、私財をなげうって、施設作りに奔走した。紆余曲折は

あったものの、こうして、小さなハンマウム子供会館は誕生したのである。

それ以来、私たちにとって、韓国は“近くて遠い国”から“近くて近い国”となった。

1989年10月、西条RCではハンマウム子供会館を支援するためのチャリティー

コンサートを東広島市で開催、収益金200万円を寄贈した。

1990年7月には西条RCを中心に、ハンマウム日本後援会が結成され、鄭氏支援の

輪は地域社会にも広がっていったのである。(中略)

そして苦節10年、昨年韓国政府はハンマウム子供会館を社会福祉法人として認可し、

釜山近郊の金海市に校舎が新築され、名称も「ハンマウム学園」となったのである。

第2710地区は、再び同額補助金40,000ドルを持って学園に教育用工作機械を

贈呈した。

日本後援会は、法人認可とともに10年の幕を閉じたが、鄭氏夫妻との交流が途絶えた

訳ではない。夫妻は今年も8月に来日、二人を囲んでの歓迎会が開催され、40余人が

出席した。席上、夫人金淑伊さんは上手な日本語で涙ながらに次のように挨拶した。

「西条の皆様とのお付き合いをいただいて16年が過ぎました。私は西条に来る度に、

本当に故郷に帰ったような気持ちになります。

皆様の援助がなかったら、今のハンマウム学園は決してなかったことを、私たち夫婦は

片時も忘れたことはありません。皆様の温かいお心を忘れず、韓国の恵まれない子供達を

少しでも幸福にするためにこれからも頑張りたいと思っております」