胡弓と唐人屋敷

下に3枚の「唐人屋敷管弦図」がある。

左は唐人屋敷完成直後の絵、渡辺秀石の作である。

渡辺秀石(1639〜1707)は興福寺の3代住職、逸然(1600〜1668)の弟子で
日本人としてはもっとも古い漢画家の部類に入る。
簫や笙、七弦琴、蛇皮線など、明楽の祖・魏之炎が持ち込んだ明楽の楽器の演奏風景が描かれている。

この魏之炎こそが唐人屋敷建造の際の最大寄付者であり、
隠元が崇福寺住職に任命した時に檀越代表として迎えた人物である。
崇福寺の扁額には魏之炎の名が随所に見られる。
魏之炎の4代、民部君山は宮中に招かれ、明楽の指導に担当した。

当時の日本では尺八と琴の合奏はまだない時代、のちに尺八琴古流の祖、
黒澤琴古が長崎を訪れ、玖崎寺(松壽軒の前身)で林翁一計に古伝本曲を伝授され、
江戸に戻ってから琴との合奏を始めたことは日本の三曲界の一大革命であった。

中央は完成から70年くらいあとか、清楽が盛んになってくる。
演奏しているのは清楽の楽器、チャルメラや銅鑼、太鼓、そして胡弓が見られるようになっている。

右は幕末、川原慶賀(1786〜?)の時代、九連環を踊る唐人の絵である。
演奏は胡琴と呼ばれた小振りの胡弓(今の京胡)である。
もう一つは月琴、この組み合わせで日本国中に流行し、江戸では子供たちまで
「九連環・かんかんのう」を歌い踊り、遂には禁止令が発令されるまでにいたったそうな。

この3枚の絵に見られるように「二胡」の原点、胡琴は長崎で大いに演奏され、全国に流行した。
その舞台が唐人屋敷だったのである。

   

渡辺秀石の唐人管弦図、清楽普及の管弦図、幕末の管弦図

修学旅行生に唐人屋敷から胡弓が発信されたことを説明する静風