「城山憲法九条の会」に寄せられた“九条”、“憲法”、「九条の会」などに対する思い、感想、ご意見、提案など、“私からひとこと”のコーナーです。

長崎市青山町 川端京子さん

 広島で被爆した方のお話です。目の前で死んでいった友を見ながら、自分はかすり傷ぐらいで生きながらえた。家に帰ってもその話は誰にも伝えず、何十年も心の中にとじ込めていた。つい最近になってお子さんに知られて、お子さんはびっくりしたそうです。
 「お父さん!今までどうして話さなかったの」と聞くと、「死んでいった人たちに、生きていることが申し訳ない。だから言うこともできなかった」「今まで親や兄さんにも話さなかった」そうです。
 死んでいった人に対する思いやりでしょうが、その方には申し訳ないのですが、これから生きていく人間に対してはそうだとは思いません。
 くさいものにはふた、ながいものにはまかれろ、のたぐいの精神につながっていくのではないでしょうか。(夢路いとし・こいしさんの予科練にいかれた弟さんの経験だそうです)

 戦争体験者の人々に、「戦争はもういらない」と大声を出してほしいですね。戦争は悲しい、苦しいことばかりです。そこのところに目をむけてほしいのです。
 子供たち、孫たち、未来の日本のために「九条」を守っていくことに意志表示をしませんか!
 「今度戦争が起きれば地球は全滅です」とラジオで聞きました。(みなさんどう思いますか)
 苦労は自分たちだけで良いと思っていませんか。次世代の人々に伝えていく気持ちが大切だとは思いませんか!
 戦争のない地球を希望しませんか。「九条」を守ってこそ、社会であり、本当の意味の人間ではないでしょうか!
 未来がない世代はどうかと思います。郵政民営化から、消費税増税と憲法九条改定と、簡単に国会のなかで決まっていくようでは困ります。みなさんいかがでしょうか。
 
 外国人の夫婦から言われたことば―日本人は、なぜ『私はこのように思います』というのか。
 「私はこう考えます」「自分の意見をはっきり話さない」「イエス・ノーを言わない人が多い、特に女性に多い」と不思議がられました。
 本当にそうだと思います。これは日本を不幸にしています。日本の風土の問題が、各々の方言、諸々の風習から「女はえらくならなくていい」から、自分という気持ちを捨て、女は物あつかいされてきたかなしい歴史から抜け出せない気持ちが依然として残り、続いていると思います。
 もうあまり時間がありません。「九条の会」を大きくしましょう。日本を変える、変えたくないの選択がさしせまっています。一人でも多くの方に知っていただく方法を一緒に考えていきましょう。
 一人ひとりがイエス・ノーを言っていきませんか。

 私の父は鉄工所を営み、38歳の若さで命を落としました。当時、上の学校に行くことをすすめられたが、親に負担をかけたくないということで、鉄工所の仕事にたずさわりました。父より若い人は出征していき、父ひとりになり、毎日徹夜を続けて軍需品を戦場に送り出し続けました。無理がたたり、肋膜にかかり、下の妹が生まれたのかと聞いたのと、父の息がとまったのが一緒だったのです。私は小学校二年生でした。その後私たちの生活は苦しさの連続でした。
 私は伯父の家に世話になりましたが、じゃま者あつかいされながらも、祖母が一緒でしたから我慢することもできました。
 このころから自分以外の人に対して、不快な言葉をいったりや態度をとってはいけないと思うようになりました。戦争さえなかったら希望に溢れた私だったかもしれませんが、社会の荒波に負けてばかりです。しかし、「戦争だけはいらない」という気持ちはこの60年間変わりません。ですから「九条」守り通すことをのぞみます。

'05.9.28.

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「どうして話さなかったの」