「城山憲法九条の会」ニュース第2号から

 「城山憲法九条の会」は3月28日城栄会公民館で学習会を開催(18人が参加)しました。2月の「発足のつどい」後はじめての学習会で、お互いに自己紹介もして進行しました。
 講師は井手武雄さん-会の世話人の一人、岩見町在住。井手さんは太平洋戦争に参加し、中国東北部でノモンハンの戦いに参加しました。ノモンハン戦の体験を語りました。たたかいのなかで多くの仲間が次々傷つき、死んでいった悲惨な様子を語りました。同時に、停戦になった途端に、敵も味方も喜びあった様子も語りました。「何のための戦争かわからず戦争に行かされた。戦争をしたかったのは、敵も味方も上の一部の人間だけだ」「戦争はしたらいかん。9条は変えたらいかん」と強調しました。
 つづいて、「憲法前文」と「九条」を学習しました。感想や意見として、「憲法そのものは読んだことがなかった」「九条をどう変えようとしているのか」「『北朝鮮が攻めてきた時に備えるために軍隊が必要だ』にどう答えるか」など次々に出され、大いに盛り上がりました。
 「学習は大事だ。またやりましょう」となり、次回の学習テーマも決まりました。

 長崎新聞への投書―(小江原町在住の女性)

「城山九条の会発足のつどいに参加してうれしかった」「城山は隣町だ。身近で参加すればやがて大きなうねりにつながるだろうと思った」「平和憲和憲法の意味するものを守り、教え、伝え、世界に示さなければならない」と。

3/28戦争体験を聞く学習会

「城山九条の会」のつどいに参加して投書

「平和憲法守り世界に示そう」

 城山小学校の被爆校舎

城山国民学校当時に被爆した校舎の一部。1999年2月に改装され、新しい平和のシンボル「平和祈念館」としてよみがえりました。
原爆投下の日は夏休み中で学内には教職員など158人でいて、生存者は20人のみ。家庭にいた児童約1500人のうち1400人が亡くなったといわれている。

城山小学校にある左腕に鳩をとまらせている少年の等身大の像。1951年8月8日建立。作者は長崎出身の富永直樹氏。像の少年は原爆で父と母を奪われた当時5年生がモデル。住む家もなく着る服もなく、亡き父のズボンを見つけだして裾をまくりあげ、縄をベルトにして素足で立っています。台座の「平和」の文字は、1年生のとき被爆し、家族7人を亡くした少女(建立当時6年生)が書いたものといわれている。


長崎市・城山地域の原爆遺構・モニュメント

城山小学校の被爆校舎、少年の像

少年平和像(城山学校)
「城山憲法九条の会」学習会 
ノモンハン戦に参加した井手さんが語る
「戦争したらいかん。9条は変えたらいかん」