城山憲法9条の会(長崎市)

原爆遺跡巡り
城山地域の

2006年4月23日

          「被爆体験は憲法九条の原点」と
       被爆者の廣瀬さん、下平さんが案内
     
4月23日原爆遺跡めぐり 青年、学生など30人が参加

 城山憲法九条の会は、4月23日城山地域の原爆遺跡めぐりをおこない、30人が参加しました。特に大学生など青年が多数参加しました。
 「城山の会」は「再び戦争しない、被爆者はつくらない」をスローガンに発足し、下平作江さん(原爆遺族会会長)、廣瀬方人さん(長崎証言の会代表委員)など被爆者が中心的役割を果たしています。
 今回は「被爆体験は憲法九条の原点」として、城山地域に残る原爆遺跡・城山小学校の被爆校舎(原爆資料館)、嘉代子桜、からすさんしょうの木、若草町の被爆柿の木、油木町の防空壕跡などを見学しました。
 城山小学校、若草町では廣瀬さんが自らの体験を踏まえて説明役をつとめました。
 城山九条の会の代表でもある下平さんは、8歳のとき油木防空壕跡で被爆し、親や兄弟、親戚などを原爆でなくしています。下平さんが避難した防空壕(油木町)の入口が原爆落下方向と逆向きであったからかろうじて生き残ったことや、死体が累々と続く中を親や兄弟を探し回ったこと、生き残った者の責任として再び戦争をさせてはならない、そのために憲法9条を守らなければならないと語り部の活動をつづけていることなどを話してもらいました。
 「新聞の行事案内を見てきました」という人やマスコミの取材もありました。
 遺跡めぐりの終わりに、もう一人の共同代表の楠田昌子さん(歯科医師)は、「現在の私たちの生活を守っている平和憲法を守るために今後もとりくみを続けていきたい」と参加者に決意を語りました。

 
 

防空壕跡地で説明する下平さん

城山小・資料館で説明する廣瀬さん

親子で参加した杉本さん
「戦争のない生活は努力なくしては、もろく崩れていってしまうだろう」

 被爆都市・長崎市出身とはいえ、20歳代の私にとっては戦争は、遠い遠い過去の出来事です。
 今回の遺構めぐりに参加して、過去に起きた戦争はまだ確実に、現代の世界、人々に影響しているということ、そしてさらに私も含め、若い世代が過ごしてきた、あたり前のようにあった戦争のない生活は、決してあたり前のようにあったわけではないということ、今後努力なくしてはもろく崩れてしまうだろうということを強く考えさせらられました。                   杉本佳苗さん(26歳)

 「百年は草木も生えぬといわれた地に、翌年雑草の若芽を見つけ、何とかしなければ‥‥」という手記の一節をおもいだしながら、めぐらせていただきました。                                                     杉本早苗さん(58歳)

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