ジャン・ギトン講演

1989年6月25日 浦上教会にて

戸口民也 訳


 神父様(*)、皆さん、長崎に来ることができてたいへんうれしく思っています。この世を去る前にぜひ長崎を見てみたい、そう心から願っていたからです。

(*) 山内清海神父(講演に先立ち講師のジャン・ギトンを紹介した)への敬意。

 私の人生は今世紀のはじめの1901年に始まりました。皆さんに打ち明けて申しますが、私の全生涯は聖パウロの次の言葉で要約できると思います。「私は走るべき道のりを走り尽くし、信仰を守りました。」cursum consummavi fidem servavi(*). そして長崎は私にとって信仰を守る助けとなりました。そのことについてこれからお語いたしましょう。

(*) 『新約聖書』「テモテへの手紙 二」第4章第7節。

 80年前、私は初聖体を受けました。そして初聖体の時、神父さまが説教のなかで、長崎で3世紀ものあいだカトリックの信仰がひそかに守られてきたというお話をなさいました。それをきいて私はたいへん感動しました。それで、神父さまにもすすめられたので、私は長崎の日本人のために毎日小さな犠牲を捧げる決心をしました。長崎の信者の助けになればと願いながら、ジャムを少しひかえるとか、デザートを少しひかえるとかしたものです。

 皆さんに人類全体の歴史について考えていただきたいと思います。というのも私は、広島と長崎の悲劇は人間の歴史のなかで最も重大な事件だと考えているからです。ヒロシマ・ナガサキ以後、人間は、人類は、それに先立つ二千万年間以上に変わったと私は思います。なぜなら長崎で、人間は第二の火を発見し、実際に使ったからです。しかもこの火は今後おそらく地上の生命を完全に変えてしまうでしょう。

 人間が何百万年も前に第一の火を発見したとき、人間の生活は変わりました。というのも、人間は暗闇のなかでものを見たり、体を暖めたり、必要な場合には火で焼き払うこともできるようになったからです。つまり第一の火は、先史時代の人間の生活を完全に変えた発見だったわけです。

 けれども、第一の火とヒロシマの火とはどれほど違うことでしょう! これから皆さんに、そのどうしようもないほどの違いの大きさを説明したいと思います。第二の火は第一の火よりももっとずっと途方もない、驚くべきものなのです。

 まず、第一の火は、わたしたちが物質に対して抱いている考え方をすっかり変えてしまいました。

 第二の火、つまりナガサキの火は、物質のかけらのひとつひとつの中にこの地球全体を吹き飛ばすだけの力があるのだということを、わたしたちに教えました。

 かつての物質、つまり受け身的な物質と、第一の火(*)によって明らかにされた爆発性をもった危険な物質、この地球を - 改めて言いますが - 消滅させることも可能な物質とのあいだには、なんと驚くべき違いがあることでしょう!

(*) ギトン氏は「第一の火」と言っているが、ここではむしろ「第二の火」と解すべきだろう。-訳者註。

 そしてヒロシマ・ナガサキの火の発見以後、人類は幾つもの驚くべき発見をし、またそのために、この世界における人類のあり方もすっかり変わってしまいました。

 かつては地球に閉じこめられていた人間が、初めて宇宙に脱出し、月に到達しました。やがては他の星にも行けるようになるでしょう。つまり人間は - なんという驚くべき違いでしょう! - 地球から脱出したのです。

 そして間もなく、人間というこの知恵をもつ存在は、考えることのできる機械を発見しました。それがいわゆるコンピュータの始まりで、コンピュータはものの考え方をすっかり変えてしまうでしょう。

 それから人間は遺伝子を発見しました。遺伝子はおそらく人類を変化させ、現在の人間とは非常に違った人間を創りだすことでしょう。ことによったら超人的な人間が出現するかも知れません。超人的というのも、考える機械を使うことによって、人間は今は手に入れられない結果でもやがては手に入れることができるかもしれないからです。そんなふうに私たちは未来の人間に向かって進んでいるのです。未来の入間がどんな頭脳をもち、何をするのかはわかりませんが、地球を大きく変えるカをもつことは確かでしょう。

 しかしまだ肝心なことはお話しませんでした。というのも、肝心なのは、今から申し上げることですが、ヒロシマ・ナガサキは人類の展望を完全に変えてしまったということです。なぜなら人類は、必然的な進歩、無限の進歩をもはや信じることができなくなったからです。

 ヒロシマ・ナガサキ以前は、人間は、自分が死すべきものであることを知ってはいましたが、自分の子供たちに火を伝えることはできるし、人類は進歩に進歩を重ねてゆくものだと思っていました。しかしヒロシマ以後、人間は人類全体が消滅するかもしれないと知っています。この違いは限りなく大きなものです。

 ですからヒロシマ・ナガサキ以後、人類は、死の問題、死後の問題、運命の問題に絶えず直面させられているのです。私たちは・・・ヒロシマ・ナガサキ以後の人間は、形而上学的人間にならざるを得ません。事の成り行き上、否応なく入生・生命といった切実な問題について考えざるを得ないのです。

 ヒロシマ・ナガサキ以前、人間は死について、死後のことについて、人生・生命の意味について考えなくとも生きていられました。ナガサキ以後、人類全体が、- そしてだからこそ人類はテレビがあろうとこの世では惨めな気持ちでいるのですが - 人類は毎日自分に問いかけざるを得ないのです。生きていて一体何になるのか、私のしていることの意味は何なのか、私がこの世にあることの存在理由は何なのか、と。ナガサキ以後、- 改めて言いますが - 人類は宗教的になるか、さもなくば絶望的になるか、二者択一を余儀なくされているのです。

 だから、ヒロシマ・ナガサキ以後、すべてが変わってしまったのです。というのも科学は、わたしたちがあれほど誇りにしている科学は、宗教なき科学であるとき、人類を自殺にみちびくということに、人々が気づいたからです。

 皆さん、私の言っていることの重大さをどうかわかっていただきたいのです。もしも科学が信仰の光に照らされないならば、科学が科学だけですすんでゆくとすれば、科学は人間を幸福にするのではなく、人間を不幸にみちびくということ、人類を自殺にみちびくということを、私たちはすでに経験しました。そして今もそれを経験し続けています。

 私の身のまわりでフランスの若者たちが、この20年間で一体どれだけ自殺したことでしょう。私の家族のなかでも、友人のなかでも、二十歳の若者が何人も自殺しました。何故でしょう? 今の時代、若者は、科学が人間を自殺にみちびくこと、人生・生命の意味をだれも自分たちに教えてくれないことをまのあたりにして、もはや人生を信じることができず、絶望しているからです。

 つまり私たちは、人類の歴史のなかでも特に重大で深刻な時代にきているのです。今や人類は、この地上での生命の意味は何か、その存在理由はなにかを学ばないかぎり、科学は入間を自殺にみちびくということに気づいたのです。言い換えれば、人類は絶望の危機に瀕しているのです。

 しかもこの絶望の危機は、私の考えでは、原子爆弾よりも危険です。なぜなら原爆は肉体を滅ぼすにとどまりますが、絶望は霊魂を滅ぼすからです。

 さて、皆さん、今から私のお話の後半に移りたいと思います。

 これまで私は皆さんに、ヒロシマ・ナガサキが人類の運命を変えたこと、人類に死の問題、死後の問題、人生・生命の意味といった最も切実な問題を自覚させたことを説明してまいりました。これから第二部で皆さんにお話したいのは、人類の救いはキリスト教徒、カトリック信者の手にかかっているということです。

 フランスの作家にマルロー(*)という人がいます。彼は信仰をもってはいないのですが、次のような意味深長なことを語っています。「20世紀(**)の人類は宗教的になるか、さもなくばもはや存在しないか、どちらかだろう。」

(*) アンドレ・マルロー André Malraux, 1901-1976。
(**) ギトン氏は「20世紀」と言っているが、おそらくこれは「21世紀」と解すべきだろう。-訳者註。

 そしてまた偉大な科学者アインシュタインはこんなことを言っています。「もしも明日核戦争が起こったなら(これは常に起こり得ることですが)、そのあとは戦争があったとしても、戦いはもはや爆弾ではなく、石を使っておこなわれるだろう。」つまり人類は歴史以前の時代、先史時代に逆戻りするということです。人類はいわゆる先史時代に逆戻りです。なぜなら人間は・・・地上をさまよい歩き、戦う道具はもう石ころしかないので、石を使って戦うというわけです。  言い換えれば、21世紀の人類は、紀元2000年も間近ですからこれはすぐ先のことですが、21世紀の人類は歴史上最大の危機を - しかしおそらくは最も豊かな可能性を秘めた危機を - 迎えようとしているのです。なぜなら人類はすべてか無かを選ばなければならないからです。もはやその中間を選ぶことはできないでしょう。人類は無限か有限かを選ばなければなりません。もはやその中間はないのです。人類は神か虚無かを選ばなければなりません。もはやその中間はないのです。だから世界が救われるか否かは、われわれの子供たち、次の世代の手にかかっているのです。

 言い換えれば、道具をつくる人間、技術をつくる人間、科学する人間 - 私はこれを「homo faber(巧みにする・つくる人間)」と呼んでいますが、- こうした人間の努力は結局のところ失敗に終わりました。そのことは、科学が科学だけですすんでゆくとき、どこに行き着くかをみても明らかでしょう。そこで私は思うのですが、人類は滅びるか、さもなければ新しい人間が現われるか、そのどちらかでしょう。そして私は、この新しい人間を「キリスト教的人間」と呼ぶことにします。

 それで私は、長崎に来ることができてこんなに喜び、また感激しているのです。なぜならまさにこの長崎で、あなたたちの共同体のなかで、あなたたちの信仰共同体のなかで、明日の人類を救うことができる新しい人間、homo mysticus(神秘的人間)、homo religiosus(宗教的人間)、homo christianus(キリスト教的人間)、homo catholicus(カトリック的人間)が準備されている、と私は思うからです。だからこそ私は、長崎が殉教者たちを通じ、3世紀ものあいだ秘かに信仰を守ってきたキリスト信者たちを通じて示した模範が、啓示に満ちた驚くべき模範であると思うわけです。また人類のなかから新しい人間 - 知恵をもつだけでなく、宗教的でもある人間、私の考えでは人類を自殺から救い、人類が自らの運命を成就できるようにさせられる唯一の存在であるこの新しい人間 - が現われるだろうと思うのです。

 私は全生涯・・・一生の間カトリック教会について考えてきました。教会の歴史はアブラハムに始まって、イエズス・キリストにおいて頂点に達し、さらに聖ペトロの後継者たちを通じて今日のヨハネ・パウロ2世にいたっています。そしてアブラハムに始まりヨハネ・パウロ2世にいたるこの長い長い歴史のなかに、私は驚くべきもの、予見できるもの、無限なもの、つまり人間の歴史のただ中における神の現存を見るのです。

 それで私は思うのですが、この長崎において、神は恐るべき物質の火を地上で爆発させることをおゆるしになりましたが、それと同時に、21世紀の人類を燃え上がらせるべき霊的な火をも、人間の心と霊魂の奥底に準備されていたのです。つまり、すべてを滅ぼす物質の火に対して、神はこれに比較すべき・・・その・・・神は・・・これに・・・神は、すべてを滅ぼす物質の火の出現をおゆるしにはなりましたが、それと同時に人々の心の中に、すべてを高める霊的な火を燃やされたのです。そしてこれがやがて来る次の世紀の深い意味なのです。人類は宗教的になるか、さもなくば存在しなくなるか、どちらかでしょう。

 私の哲学の師ベルクソン(*)は生涯の終わりにこんなふうに言いました。「世界の意味は、聖人をつくりだす機械であるということだ。」そして私も、この世界は聖人をつくりだすために存在していると思っています。惑星も、地球も、物質も、生命も、この世界に存在するものすべての最終的な意味は、結局のところは聖人を準備すること、完全なカトリック者つまりは聖人を準備することにあると私は思うのです。この世界は聖人をつくりだす機械であり、それがこの世界の最終的な意義であるということ、そしてそれが、この世界は地上においてはじめられた神の王国であるとカトリック信者が言うときに、言わんとしていることなのです。

(*) アンリ・ベルクソン Henri Bergson, 1859-1941。

 手短に話すとお約東しましたが、どうも私にはとても難しいことのようです。何しろフランス人はとてもおしやべりで、話すのが大好きときていますから。

 私はこの長崎で皆さんにお話したいと思っていたことの要点を、いくつかの言葉にまとめてみました。いくつかの言葉にまとめ、それをちょうど、夜、麦の種をまくように、皆さんの心にまきたいと思います。

 そして私が夜にまくこの麦の種は、生涯の終わりに長崎でまくために取っておいたものです。

 それではしめくくりに入りましょう。私の結論を要約すれば、ちょうどこの・・・祭壇にかかれてあるアルファとオメガのようになります。祭壇をご覧ください。アルファとオメガという二つのギリシヤ文字がありますね。アルファは最初の文字、オメガは最後の文字です。そしてこの話し、皆さんに対する私の打ち明け話、告白も最後にきたわけですが、ここで私は話を最初に戻したいと思います。つまり、なぜ長崎は、私の生涯だけでなく人類の歴史にとっても、重要な、驚くべき、比類のない位置を占めているのか、ということです。

 私の考えでは、長崎はこの世に二つとない場所です。なぜならこの長崎で、私がキリスト教の玄義と呼ぶものが実現されているからです。

 それではキリスト教の根本をなす玄義とは何か? 皆さんの先祖のかたがたは、3世紀ものあいだこの地で、司祭なしでキリスト教の本質を守ってこられたわけですが、そのキリスト教の本質は一体どこにあるのでしょう?

 私の考えでは、キリスト教の本質をなす玄義、キリスト教のすべてが集約されうるような玄義は、「受難」と「復活」という二つの言葉の中に含まれていると思います。あるいはまた、「肉身のよみがえり、終わりなき命を信じたてまつる、アーメン」という言葉のなかにあると思います。

 ところで長崎には、1945年の悲劇を通じて、キリストの受難の傷跡が刻み込まれています。そしてまた長崎には、皆さんを見ればわかるのですが、日本と世界における、新しいカトリシズムの原理、キリスト教復活の原理が、はっきりと示されているのです。

 そこで私は考えるのですが、そしてこれで最後にしますが、21世紀とは何か? 21世紀とは何でしょう? 21世紀とはどんな世紀でしょう? 21世紀は、私が願うように、宗教的な世紀でしょうか? カトリシズムが全世界の選ばれた人々を集め、ひとつの普遍的な宗教、カトリックの教えに結びつける世紀となるでしょうか? そうあってほしいと私は願っているのですが。

 これは最善の場合を仮定したものです。

 しかし別の仮定、悪いほうの仮定もたててみましょう。最悪の場合を想定してみます。つまり、世界が神の存在を否定する共産主義者に支配されると想定してみましょう。最悪の事態を想定すれば、神の存在を否定する共産主義者によって明日の世界が統一され、そしてカトリック信者は身を隠さざるをえなくなるかもしれません。

 なぜなら、キリストご自身が「人の子が来る時、地上に信仰を見いたすだろうか」と言われているからです。

 けれどもその時、殉教を経験し、秘かにカトリックの信仰を3世紀にわたって守りぬいたこの長崎という模範が、私に教えてくれるのです。たとえ最悪の事態にいたっても、カトリックの信仰はいつまでも続くだろう、と。そしてこの観点からすれば、皆さんはこの地上においてカトリックの教えが不滅であることの証拠というわけです。なぜなら皆さんは、最悪の時でさえカトリックの信仰はなくならず、いつでも再び現われ、再び世界に広がることを証明してみせたからです。

 私は全生涯をカトリシズムの研究に費やしてきました。そして人生の終わりにきた今、- 私は様々な宗教を絶えず比較してきましたが - カトリックの教えこそ真の教えであると確信するにいたったのです。

 そして私が・・・私は自分の墓石にいくつかの言葉を刻みたいと思っています。それを皆さんにご紹介しましょう。

 まずはこういう言葉です。「人は少しばかり学ぶと宗教から離れてゆくが、多くを学ぶと宗教に帰ってくる。」「人は少し批判できるようになると宗教から離れてゆくが、徹底的に批判するようになると宗教に帰ってくる。」

 思想家として、また教師としての私の経験からみても、人は頭がよくなると、カトリックの信仰から離れてゆきます。けれども並み外れて頭がよくなると、信仰に帰って来て、信仰のうちに死ぬのです。だからつまり、少し学び、少し知ると離れ、多く学び、多く知ると近づく、というわけです。

 つまりこれが私の人生にとっての、私の知的人生なのです。しかし、私の精神的・霊的な人生については、私の考え方を要約しようと思えば・・・私の墓石にまえもって刻ませているこの言葉になるでしょう。Vita mutatur non tollitur(*). ラテン語ではとても簡単です。Vita mutatur - 生命は、死んだあと、変えられる、つまり変化をこうむる、しかし、生命は取り去られはしない、という意味です。Vita mutatur non tollitur.「生命は変わるけれども、取り去られることはない。」

(*) 死者のためのミサの叙唱(ラテン語)からとった文句。

 それからもうひとつ、もっと難しい言葉ですが、それをご紹介して終わることにしましょう。それは聖パウロの書簡にある次のような言葉です。「わたしたちは裸にされることを望まない。そうではなくて、さらに上に着ることを望むのである(*)。」つまり、私たちは死によって - 長崎の死者たちのように - 裸にされたくはない、そうではなくて、さらにその上に着たい・・・つまり・・・素晴らしい衣服をまといたい、私たちのうちにある死すべきものすべてが永遠の命に吸収されるために、ということです。

(*)『新約聖書』「コリントの信徒への手紙 二」第5章第2~4節。「わたしたちは、天から与えられる住みかの上に着たいと切に願って、この地上の幕屋にあって苦しみもだえています。それを脱いでも、わたしたちは裸のままではおりません。この幕屋に住むわたしたちは重荷を負ってうめいておりますが、それは、地上の住みかを脱ぎ捨てたいからではありません。死ぬはずのものが命に飲み込まれてしまうしまうために、天から与えられる住みかを上に着たいからです。」(新共同訳『聖書』による)

 さて、皆さん、これでお分りいただけたと思います。なぜ長崎が私の人生のなかでこれほど大きな位置を占めてきたかということが。なぜ私が死ぬ前にぜひここに来てみたいと思ったのか。なぜ私が、この最後の訪問でいわば遺言のようなことを皆さんに語ったのか。そしてまたなぜ長崎は私にとってキリスト教の本質を なすものの象徴であるのか、ということが。つまり長崎は私にとって、死と - それにしても何というむごい死だったでしょう! - そして復活の象徴なのです。私がお話したかったことは以上です。御清聴ありがとうございました。

ジャン・ギトン Jean Guitton (1901~1999)、フランスの哲学者