12)天使−1

 神が創造されたものの中でもっとも高貴なものが天使です。と言うと、「この科学の世紀天使を信じる人がいるのか」と言う人はいるでしょう。

 最近『天使学序説』(稲垣良典著、講談社学術文庫)という本が出版されました。この本によれば、つい19世紀まで「天使」を学問として扱うことは珍しくなかったそうです。目に見えないものを学問からはずすという考え(これを実証主義といいます)はきわめて最近のことなのです。

 とは言っても、体をもたない純粋な霊が存在するとはどういう理屈で言えるのでしょうか。以前神様の存在については、それは結果からさかのぼって原因に到るという方法で証明できると言いました。これは神様が全存在の第一の原因だからです。他方、天使は他の被造物を創造した原因ではありませんから、このような証明は当てはまりません。つまり、天使の存在は理屈では証明できないのです。ただ、この世界を眺めてみると、無生物、植物、動物、そして物質と霊魂を併せ持つ人間がなにかピラミッドのような仕方で存在している。それならば、その人間と神の間に、物質を持たない純粋な霊が存在するのは、全宇宙の調和を考えれば、きわめて可能性が高いのではないか、という昔からされてきた議論を紹介しておきます。また、キリスト教以外でも純粋な霊を考えた人々(たとえばギリシア人はそのような存在が天球を動かしていると考えていました)も少なくありません。

 ともかく、天使が存在すると信じる根拠は聖書です。聖書には、創世記の最初から黙示録の最後まで天使と悪魔がいたるところで登場します。天使と悪魔を何か善と悪を擬人的に表していると考えるのはカトリックの教えには反します。天使はときどき体をもって現れ、神のメッセージを人間に伝えるという使者として登場します。

 イエス様は小さな子供たちを軽視しないように注意し、「彼らの天使たちは天でいつも私の天の父のみ顔を仰いでいる」(マタイ、18章、10)と言われました。これは人間には守護の天使がついているという信仰で、『使徒言行録』には初代教会の信者が天使について強い信心をもっていたことがわかります。ヘロデ王によって牢獄につながれていたペトロは、天使によって奇跡的に助けられ、信者たちが集まっていた家に帰ってきたときのことです。門をたたくとロデという女中が出てきますが、彼女は喜びのあまり門を開けないで中にいた人々に知らせますが、彼らは彼女を信ぜず、「それはペトロを守る天使だろう」と言ったとあります(12章、15)

 「しかし、聖書にはでてきても、現代社会の我々とは関係がないのでは」と思われる方もあるでしょう。もし、そうならばカトリックの信仰は「絵に描いたもち」ですね。信仰の生き方について参考にすべきは聖人たちや強い信仰を生きた人々です。ちょうどスポーツを志す人は一流のプロの選手を参考にするように。

 彼らの模範を見ると、見えない守護の天使と付き合っています。ある人は時計が壊れて直すお金がなかったので、毎朝天使に決まった時間に起こしてもらっていたそうです。数年前に聞いた話しですが、アメリカでカトリック要理を習っていた若い女性が、守護の天使の話しを聞いて、「私はこれは信じられません」と言って家に帰りました。その途中急いでいたので、普段は通らない人気の少ない公園を通ることにしました。すると向こう側から怪しい男が近づいてきます。思わず「守護の天使、もしいたら助けて下さい」と心のうちに祈念。その男は陰気な目つきでこちらを見ながら、何もせずに去っていった。翌日その公園でその男が殺人を犯し逮捕されたと新聞記事で知ったその女の子は、留置所に行って犯人に尋ねた。「なぜ私を襲わなかったのか」と。すると「あんたの側には大柄な男がいたじゃないか」と答えたそうです。

 本当かうそか、試してみる価値があると思いますが。もちろん、私たちのするべきことをちゃんとした後でのことですが。でないと「神を試みる」という罪を犯します。


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