20)イエス・キリスト−1(ナザレトのイエスは実在の人物である)

 今年の初め頃です。ラジオを聞いていたら、「パレスチナで見つかった石棺に『ヤコブの兄弟、イエス』という銘が刻まれていた。もしこれがイエス・キリストを指すのなら、聖書以外で始めてのイエスについての資料となる」との放送がありました。ヤコブやイエスはユダヤ人によく見られる名前で、また兄弟という言葉は親戚も含むことから、イエス様のことである可能性は少ないらしいですが、それはともかく、イエスについては聖書以外に証拠がないと、全国ネットの放送で平気で言っていることに驚きました。

 イエス・キリストについては聖書以外にも多くの言及が存在します。19世紀、キリスト教が情け容赦なく攻撃されたときはイエスの実在を否定した人も出て、今でもこの化石となったような珍説を振り回す人もいるので、この点を確認することも無駄ではないかと思います。 ナザレトのイエスという人物は、間違いなく世界史の中で最も多くのことを書かれた人物です。もちろん、イエスについての最良の資料は新約聖書ですが、聖書はキリスト信者の手になるものだから信じられん、と言う人もいるでしょうから、非キリスト教徒の手になるものを紹介したいと思います。

 最も有名なものは、紀元100年ごろに書かれたフラビウス・ヨセフスというユダヤ人の『ユダヤ古代誌』という本です。これは70年のユダヤ戦争でローマ軍の捕虜になった著者が後に書いた同胞の歴史です。少し長いですが、引用する価値があるでしょう。「さてこのころイエスという賢人(―実際に彼を人と呼ぶことが許されるならば―)が現れた。(彼は奇跡を行うものであり)、また喜んで真理を受け入れる人たちの教師でもあった。そして、多くのユダヤ人と(少なからざるギリシア人と)を帰依させた。(彼こそはキリストだったのである。)ピラトは彼が我々の指導者たちによって告発されると、十字架刑の判決を下したが、最初に彼を愛するようになった者たちは彼を見捨てようとはしなかった。(すると彼は三日目に復活して、彼らの中にその姿を見せた。すでに上の預言者たちは、これらのことやされに彼に関するその他無数の驚嘆すべき事柄を語っていたが、それが実現したのである。)なお彼の名にちなんでクリスティアノイと呼ばれる族は、その後現在にいたるまで連綿として残っている」と。これはヨセフスの「キリスト証言」と呼ばれるもので、括弧内の言葉は後世の書き入れと考えられていますが、イエスの実在を十分すぎるほど示しています。この他、この本にはイエス様の時代のユダヤ社会を牛耳っていた二大派閥ファリサイ人とサドカイ人の説明だけでなく、ヘロデ王、洗礼者ヨハネ、大司祭カヤファ、総督ピラトなど福音書でおなじみの人物も登場し、福音書が歴史的な書物であることを裏付けてくれます。山本書店から邦訳が出ていますので、参考になさってください。

 この他、ユダヤ人のラビ(教師)の教えを記録した『タルムード』には、「彼の名前はナザレとのヨシュア(注、イエスはヘブライ語でヨシュアだそうです)で、魔術を行い、イスラエルを惑わし、知者たちを愚弄し、ファリサイは人と同じ仕方で律法を解釈し、5人の弟子を持ち、自分は律法の一点一画も変えるために来たのではないと言い、過越祭りの前日に異端者、扇動者として十字架刑に処せられ、彼の弟子たちは彼の名前で病人を治した」とあります。『タルムード』は当然イエスがメシアであったというキリスト教の主張を否定しようとしますが、さすがにその実在までは否定しませんでした。

 また、キリスト教についてもユダヤ教についてもまったく興味を示さなかったローマ人も証言を残しています。最も有名なのは2世紀の初頭にローマの歴史を書いたタキトゥスの『年代記』です。彼はネロ皇帝によるローマの大火の記述に関して、その当時帝都にいたキリスト信者に言及し、「この一派の呼び名の起因となったクリストゥスなる者は、ティベリウスの治世下に元首属吏ポンティウス・ピラトゥスによって処刑されていた」と記しています。

 不正確なところもありますが、イエス様が実在の人物であったことを証明するには十分でしょう。それではそのイエスなる人物はいかなる事績を残した人物かを考えるべきですが、その前にまずイエス様の言行録である福音書について、その歴史性について、つまり福音書は本当にあったことを記録した書物であることを見ていきたいと思います。


19に戻る   21に進む
目次に戻る