25)イエス・キリスト−6、(イエスの外観)

 前回見ましたように、イエス・キリストは約二千年前にこの地上に生きた人物であるということは、今では疑うことのできない事実です。それではこのナザレトのイエスという方は、どのような人だったのでしょうか。聖書で目撃者が語るところから、その肉体的、精神的外観を見てみたいと思います。

 まず、イエスの肉体的外観については、残念ながら聖書には直接の描写が一切ありません。ただ間接的な言及は少しあります。たとえば、顔については、イエスに幼い子供たちが近寄ってきたという場面は手がかりになるかもしれません。つまり、少なくともイエスは幼児に恐れられるような顔、たとえばフランケンシュタインのような顔ではなかったと思えます。

 身長については、聖書には手がかりすらありません。ただ、6世紀にコンスタンチノープルの皇帝が等身大の十字架を作るために、キリストの身長を調べに行くように部下をパレスチナに派遣したが、彼らは帰国してそれは180センチだと報告しているという記録があります。一体その部下たちが何を計ってその答えを得たのか謎なのですが、一つの仮説は現在イタリアのトリノにあるいわゆる聖骸布に写る人物の像が同じ背丈なので、その布が当時パレスチナにあったのではないか、というものです(ガエタノ・コンプリ、『聖骸布』、サンパウロ、31ページ。この聖骸布の人の顔が、6世紀頃からイコンや聖像に描かれるキリストの顔になった可能性についてもこの本に紹介されています)。

 体型については、死刑の前夜ゲッセマニの園で逮捕されるとき、裏切り者のユダが「私が接吻する者がそれだ」と兵士たちに言っておかねばならなかったことが、その場が暗かったということの他に、イエスが体型や服装で回りの弟子と目立った違いがなかったことを表しています。服装は、洗礼者ヨハネが長年荒野でらくだの毛皮を羽織り、一見して預言者だとわかる格好をしていたのに対し、イエスは普通の村人として生活しました。しかも、下着は「縫い目がなく、上から下まで一枚織り」で十字架刑を執行した兵士たちが「裂かないで誰のものになるかくじ引きで決めよう」(ヨハネ、19章、23)と言ったくらいよいものだったようです。これはマリア様が息子のために織られたものではないか思われます。

 健康は優良だったはずです。40日の断食に耐えましたし、3年間パレスチナの各地をしばしば野宿しつつ旅し、またどのくらい頻繁かわかりませんが、夜を徹して祈ることもあったのに、一向に肉体的にも精神的にも衰弱したりした様子が見えない。それだけで死ぬこともあったというローマの鞭打ちと拷問の後で、約3時間も十字架上で苦しみに耐えられたことなど、肉体が強壮であった証拠でしょう。

 また精神的には、完全に自制が利きました。たしかに受難の直前ゲッセマニにおいて血の汗を流すまで「死なんばかりに憂えた」のですが、それ以降の言語を絶する拷問の連続の中で、恐怖を表すことも暴言や愚痴を吐くことも皆無でした。

 だからと言って、無感情無感動な冷たい人間でもありませんでした。友人の死に際して涙を流し、喜びを声に出して父なる神に感謝し、偽善に凝り固まった宗教上の指導者たちを厳しく叱ったこともあります。ただ、イエスが笑ったという記述はありません。しかし、きっと愉快に笑われたことでしょう。イエスの模倣者である聖人たちはみなユーモアある人たちだったのですから。

 高尚な神学的議論をする一方で、庶民には好んで平易なたとえを使って話しました。それらのたとえ話を読むと、イエスが非常に現実的な感覚の持ち主で、生の人々の生活をよく観察していたことがわかります。ひょっとしてこれには、聖ヨセフの影響を見て取ることができるかもしれません。実にイエスのたとえ話には、農夫、畑の主人、漁師、主婦、遊ぶ子供、羊飼い、僕、金持ちの財産管理人、裁判官、王など当時の社会の上から下までのあらゆる身分の人が登場します。

 イエスは公の宣教を始めてからもあらゆる人と交際しました。金持ちも貧しい人も、病人も健康な人も、教養の高い人も低い人も、そして、同時のラビ(教師)たちが相手にしなかった女性や子供も、イエスの友人になったのです。

 この人間的な魅力に溢れた人物は、しかし、単なる人間ではありませんでした。ですから、あるとき弟子たちに「人々は私のことを誰だと言っているのか」(マタイ、16章、13)という不思議な質問を投げかけたのです。次回にはこの質問の意味を考えてみたいと思います。


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