30)イエス・キリスト−11(キリスト論−2)

 前回、イエス・キリストは唯一のお方(ペルソナ)でありながら、神の本性と人間の本性をもっておられるという点を説明しました。しかし、この教えが定式化されるのにはそれなりの時間がかかりました。今回はその経過を見たいと思います。

 325年の二ケア公会議が終わって一世紀が過ぎようとしたころ、コンスタンチノ−プルの総主教ネストリウス(380年ころ〜451年)が、「マリアを神の母と呼ぶのは間違いだ」と言い始め、教会内に動揺を引き起こしました。この主張の裏には、キリストには「神としてのキリスト」と「人間としてのキリスト」の二つがある(言い換えれば、二つのペルソナがある)という誤ったキリスト論がありました。もしそうならば、マリア様は「人間としてのキリスト」を生んだが、「神としてのキリスト」は生んではいない、それゆえ聖母を「神の母」と呼ぶことはできない、と言うのです。

 前回見ましたように、聖書を読めば、キリストには「一つの私」しかなかったようです。またもし「二つの私」があったなら、イエスが人間として経験された苦しみは、有限の価値しかなくなり、全人類を救うだけの十分なお恵みを得ることはできなかった、となります。また、聖書ではエリザベトがマリア様を「私の主のお母様」と呼んでいるのです。

 この異説を議論するため、小アジアのエフェソで公会議が開かれました(431年)。その結果、キリストのペルソナの一性が宣言されます。親子や夫婦といった人間関係とはペルソナとペルソナの関係であるので、神の第二のペルソナがマリア様の胎内で人間性をお取りになった瞬間から、マリアを「神の母」と呼ぶことができると言うわけです。もちろん、マリア様は神性を生んだのではありません。

 しかしその後、今度はイエスの一性を強調するあまり、「イエスの人間性は、神のペルソナに取られたとき、神性の中に吸収されてしまった」といような考えが出てきました。つまり、ペルソナだけでなく本性も一つであるというわけです(キリスト単性論)。そこで再び小アジアのカルケドンで公会議が開かれ(451年)、イエスが二つの本性を持っていたことが公言され、キリスト論は一応終結を見たのです(注)。

 このキリスト論は、神学者が楽しむ「頭の体操」ではありません。神と人間の間には無限の溝が横たわっています。この無限性を強調するイスラム教やユダヤ教は、託身は神にあるまじき行為であるとします。この考えの方がよほど常識的であると思いませんか。託身を認めるキリスト教の教えは、神がどれほど人間を愛しておられるかを、そして人間がそれほど捨てたものではないことを示すのです。「私は地の上で遊び、人の子と交わるのを楽しみとした」(格言、8章、31)という言葉はその神の愛を表わしています。これは熟考に値することではないでしょうか。

 また、イエスがナザレという寒村で、家庭の中で職人としての仕事の生活を30年間も送られたことに、深い意味があることも教えます。なにせ、そのようなことをされたお方が神様だったのならば、神様が平凡な仕事の生活をされたのですから、ほとんどすべての人間が毎日している単調な仕事には大きな意味がある、という結論になります。また、神様が平凡な家庭生活をされたのですから、家族生活は宗教的に見ても大きな意味がある、ということになります。神の母であるマリア様が、妻として母として夫と子供の世話に従事されたのですから、専業主婦という仕事は非常に高貴なものである、ことがわかります。

 イエス様の生涯を黙想するとき、この方が「真の神であり、真の人間である」ことに注目すれば、多くの有用な教訓が引きだされることと思います。

(注)山田晶、『トマス・アクィナスのキリスト論』、創文社 を参照。


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