33)聖霊−2

 前回は、イエス様と聖霊の関係を見ました。つまり、イエス様はご自分が天に上られた後はバトンを聖霊に渡された、と。もしそうなら、イエス様の昇天の後は聖霊が主人公となり、今はいわば「聖霊の時代」ということになります。それなのに、聖霊は私たちキリスト信者の生活の中でどれほどの重みを持っているのでしょうか。残念なことに、聖霊が「知られざる偉大な御方」と呼ばれることは真実に近いと認めざるを得ないでしょう。

 その一つの理由は、聖霊がご自分について語らないことですが、「聖霊」という名前自体が、固有名詞というより普通名詞のような響きがあることも問題かと思います。

 この困難を頭に入れながら、聖霊のことをもう少し思い出したいものです。例えば、信者は一日の中で何度か、十字架の印を切りながら「父と子と聖霊の・・」と言ったり栄唱を唱えたりしますが、その際「聖霊」という言葉に注意することができれば、聖霊を思い出すことになります。(これは簡単そうですが、なかなか難しいですよ)。そしてもう一度、聖霊についての根本的な真理、つまり聖霊が三位一体の第三のペルソナであること、つまり御父、御子と同じく神であることを思い出しましょう。

 ところで、聖霊はイエス様からバトンを受け継いでから、どのような働きをされるのでしょうか。それを少し見ていきたいと思います。

 最大のものは教会の指導です。教会については後でじっくり見ますが、私たちの信仰を指導し世界に信仰を伝えようとする教会は、その目もくらむような大仕事を聖霊の導きの下に行っているのです。

 教会の働きの中でも中心的な部分を占める秘蹟(秘蹟についても後で詳しく説明します)の中で働かれるのは聖霊です。例えば、ごミサの中でどれほど聖霊への言及があるか、一度ミサの祈りの文をゆっくりと検討されるといいと思います。なかでも聖変化の直前に、祭壇の上にあるパンとぶどう酒を「キリストの御体と御血」に変化させてくださいと聖霊に頼む祈り(エピクレシスと言います)にご注目ください。

 次に、聖書があります。聖書は、聖霊がマタイやヨハネなどの聖書記者に働きかけてできた書物です。聖書を読むときに、私たちは聖霊の声を聞いていると考えられます。ただし、主観を排して正しく理解できるように聖霊に頼む必要があります。

 また教会の建設に真実に貢献している聖人たちの行いに聖霊の働きが見られます。よく「尊敬する人は誰ですか」というアンケートがありますが、人間にとって自分の模範となる人物を持つことは役に立つことでしょう。それゆえに昔から青少年に「偉人伝」を読むことが勧められました。キリスト信者にとって模範は聖人です。しっかりした聖人伝を読むことは、信仰生活の進歩のために大きな貢献をしてくれます。聖人たちも私たちと同じ欠点をもつ人間であったが、聖霊の助けによってあのような偉大な人生を送ったことを知ることはよい刺激になるはずです。

 最後に、私たち一人一人の信仰生活自体が聖霊の働きの表れなのです。「誰も霊によらなければ、イエスを神の子と呼ぶことは出来ない」と聖書にあるように、イエスを信じ愛そうとするなら、聖霊に頻繁に助けを求める必要があります。その第一歩が聖霊に対して、「聖霊」という名前で呼びかけることです。有名な祈り、「聖霊、来てください」もそうしています。

 しかし、「なかなか聖霊の火など感じない」と言う人もあるかもしれません。そういう場合、ひょっとして霊魂が罪によって濁っているからかもしれません。私たちの霊魂を冬の日差しを浴びるガラスの大窓を持つ部屋と考えて下さい。外では太陽の光が差しているのですが、ガラスが曇っていたらその光は部屋の中に入らず部屋の温度も上がりません。この場合、まずガラスをきれいに拭くことですよね。それと同様に罪の濁りに曇った霊魂には、せっかく外から聖霊が照らしているのだけど、光も熱も中に入ってこないのです。信仰生活の第一歩はこの曇りを取ること、すなわちよい告解で霊魂の大掃除をすることなのです。そして、その後も定期的に掃除をしてガラスを常にきれいに保つことが必要なのです。教会が頻繁な告白を勧める理由はここにあります。一度試してみてはいかがでしょうか。


32に戻る   34に進む
目次に戻る