34)教会−1(その起源)

 現在は人生80年の時代だそうですが、織田信長の時代は「人間50年」だったそうです。戦国時代の平均寿命に比べても、30才台の前半で天に昇られたイエス様は、駆け足で一生を終えられたという感じがします。その短い一生の最期の3年間だけを公の宣教に当てられました。この3年間にすべきことはたくさんありましたが、その中でも最も大切な仕事はご受難によって罪の赦しを勝ち取ることでした。しかし、それと勝るとも劣らない重要事項が、ご自分の教えと救済の実りを地の果て、世の終わりまで伝えることのできる組織を残すことでした。

 何かの事業を創始し成功した人は、自分の引退後を考えるとき何をするでしょうか。もしその事業がさらに発展することを望むならば、組織を作り、自分の後継者を指名し、指揮を任せ、できれば社訓のような決まりも残すでしょう。イエス様も似たようなことをされました。12使徒を選び、ペトロを自分の後継者にし、愛の掟を与えたことがそれです。福音書を読めば、宣教に忙しい中で、イエス様が12使徒だけ過ごす時間を作っていたことが分かります。それは昇天の後、使徒たちが自分の代わりとなることができるように、彼らに特別の教育を与えるためでした。使徒たちの集団は、未来の教会の卵だったのです。

 プロテスタントの学者には、イエス様は世の終わりが近いと考えていたので、教会を立てる意志はなかったが、後で使徒たちがなかなか世の終わりが来ないのを見て、「こんなことしとったら我々も死んでしまう。そうなってからでは後の祭りだ。今のうちに何らかの組織を作っておかないと」と言って建てたのが教会だ、と言う人もありました。もしそうならば、教会はイエス様によって建てられたのではなく、人間によって作られた組織となります。でも、この説は福音書の言うことと違います。一番問題なのは、「イエス様が世の終わりの時期について間違えた」という前提です。もしそうなら、イエス様は神でなかったことになります。また、すでに言いましたように、福音書にはイエス様が12使徒を選び特別に教えたことがはっきり出てきます。極めつけは、主がペトロに「あなたはペトロ(岩)。私はこの岩の上に私の教会を建てる」(マタイ、16章、18)という有名な文言です。(これがあまりに明白なので、上述の学者たちの中にはこれが後代の書き入れだと言った人もありますが、そのことはまた後で説明します)。

 ともかく、教会とは神であるイエス様によって建てられた組織です。ですから、普通の組織とは異なるところがあります。普通の会社や政治的な団体ならば、時代の推移によって様々なことを修正していかねばなりません。人間はいかに賢い人でも、何百年も先を見通すことはできませんから。しかし、教会の場合、創立者が世の終わりまでのことをご存知のイエス様ですから、イエス様が決められたこと、教えられたことには修正を加える必要はありません。むしろするべきことは、それを忠実に保ち伝えることにあるのです。

 しかし、その恐ろしくなるような重大かつ難しい事業を、イエス様は弱い人間の手にお任せになりました。教会はこの神的な面(見えない面)と人間的な面(見える面)が複雑に絡み合ってできています。教会は深遠な秘儀(神秘)です。それゆえ、色々な角度から理解を深めて行かねばなりません。次回からしばらく教会についてお話ししますが、その際、それらを理解するためには、まず教会が神から作られたものである、という根本的な点をしっかりと念頭に置いておく必要があることを始めに申し上げておきたいと思います。


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