40)教会−7「教皇様」

 ヨハネ・パウロ2世が帰天されました。教皇様の容態が悪いというニュースが流れてからテレビでもしばしば全世界で教皇様のために祈る人々の姿が放映されましたが、あれを見て、カトリック教会は一つの家族で、ローマ教皇は信者の上に君臨する君主ではなく、「お父さん」であるということは本当だと思いました。

 いまから15年くらい前に聞いた話です。夜になって疲れきっている教皇様に、ある人が「教皇様お疲れのようですね」と声をかけると、教皇様は「この時間になってもし私が疲れていなければ、信者のみなさんに申し訳ない」と答えられたそうです。また、別の人が「無理をされずにお休みになったらどうですか」と言うと、「休むのは天国で休みますから」と笑顔で答えられました。多くの人が証言しているのですが、まさに教会と人々のためにだけ考えて精魂尽き果てた姿だと思いました。聖パウロの「私は、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。いまや義の栄冠を受けるばかりです」という言葉がぴったりと当てはまるでしょう。(教皇様のお人柄を知るのには、教皇様に日本語を教えられたフランシスコ会の西山達也神父様の『日本語で話しつづけた教皇ヨハネ・パウロ2世』、カトリック南山教会広報委員会、があります)。

 カトリックの人口が全体のわずか0.4%にも満たない日本でも、マスコミはこのことを大きく取り上げています。私の読んだ新聞には、ヨハネ・パウロ2世が世界の平和と諸宗教間の壁を克服しようとされた努力を「革新的」あるいは「寛容」と褒め上げる一方、「生命の誕生や死を人が操作し決定するのは人類のおごり、と退けた。クローン研究、妊娠中絶、尊厳死(注、教会は尊厳死を認めています。認めないのは安楽死です)、そしてエイズ予防のコンドーム使用にもこの原則を譲ることはなかった。・・・・女性司祭の登用や同姓婚も認めなかった」と言い、「保守的」という否定的な評価を下しています。

 実は日本ではあまり知られていませんが、教皇様は一方でとても人気のある方でしたが、他方で特にマスコミからひどく批判を受けた方でもあります。その理由は、上記の新聞の記事にもはっきりと現れているように、「道徳の面で本当のことを言いつづけたから」です。上のような問題で「ああ、そういうことは時代の流れにそって変えたらいい」と言っていれば、マスコミからは「物分りのいい進歩的な人」と拍手喝采を浴びたかもしれません。しかし、何度も言いますが、保守的か進歩的かという基準は正しいことと誤っていることの基準ではないのです。上のような問題で「進歩的」といわれる意見は、結局「どんなことでも人間の好きなとおりにできる」と主張することで、この人たちは「人間の自由は絶対ではなく、神から定められ、それゆえ人間には勝手に越えることができない一線がある」と言われることが我慢ならないのです。こういう人々は、知識人、オピニオンリーダーと言われる人々、金持ちでマスコミを握っている人々に多く見られます。先進国でカトリック教会(その代表が教皇様)がしばしば手厳しい批判を受ける所以です。

 落ち着いて考えて見てください。あの記事を書いた記者は自分の家族の誰かが上に言ったような「進歩的な」生き方をすることを心から望んでいるのでしょうか。このような進歩的な道徳が善と考えられる社会になったら、人は幸せな人生を送れるのでしょうか。世界中に向かってそうではないと声高に断言した一人がヨハネ・パウロ2世でした。教皇様は若い人々に向かってよく話され、どこに行っても若者に人気を博した方です。これは非常に不思議です。スローモーな動きしかしない、だぶだぶの服を着たおじいさん、話す内容は厳しいこと(教皇様は若者に純潔や夫婦の忠実を守る大切さをよく話されました)なのに。これは、若い人も悪いことは悪いとはっきり言うのを聞くこと(現代の世界でめったに見つけることのできないもの)を期待しているからかと思います。

 教皇様がよく言われたことにひとつに「恐れるな」ということがあります。ヨハネ・パウロ2世が最初に訪問された三つの国はアイルランド、メキシコ、ポーランドでした。この三つの国はみんなカトリック信仰のために非常に苦しんだ国です。教皇様は共産党政権の下で迫害されていたポーランドの民衆に勇気を与え(そのために命を狙われました)、長年の反カトリック政策の下で苦しんでいたメキシコの信者、同じく数世紀に渡って信仰のために差別されていたアイルランドの人々の信仰を守った苦労をねぎらったのです。この励ましの言葉を聞くことは、信者の少ない日本にも有益なことではないでしょうか。

 「恐れるな」は「恥ずかしがるな」とも言い換えることができます。正しい倫理は、現代において人気のないことかも知れません。現代ではなにか悪いことをする人のほうが威張っていて、正しい生活をする人が笑われるような現象があります。が、私たちは、弱さのためにいつも完全にできるわけではないが、良心に従って(神の教えに従って)生きようと努める限り、背筋を伸ばして生きるべきではないでしょうか。このことも教皇様が身をもって教えてくださったことの一つかなと思います。

 信者が10億人を越えるカトリック教会を牧し、この現代社会で福音を述べ伝えることは、考えただけでも気の遠くなる大変な仕事です。ヨハネ・パウロ2世の安らかな安息のために祈るとともに、次の教皇様のためにも祈り始めたらいいのではないでしょうか。


39に戻る   41に進む
目次に戻る