58)天国−1

58)天国−1

 人は意識して何かをするときは、必ず何かの目的のためにする。嘘と思ったらゆっくり考えて下さい。その間に先に話を進めます。目的は何かをするにあたって、一番最初に考えられるものですが、それを達成するのは一番最後になるものです。ところで、目的には二種類あると考えられます。つまり、近い目的と最終目的。目的には連鎖があります。例えば、大学生ならば勉強をするわけですが、その目的は試験に合格して単位を取ることでしょう。でも単位を取ったらそれでおしまいではなく、別の目的が控えている。それはきっと大学を卒業するという目的でしょう。つまり、単位を取るのは大学を卒業するためです。でもまた同じように、大学を卒業すればハッピーエンドではない。その後には就職が控えている。でも、就職ができたとしてもそれでハッピーエンドではなく、また別の目的が出てきます。

 こうして人生には次から次へと目的が出てくる。これらを近い目的と呼ぶのですが、それらはその後に来る次の目的のための「手段」という性格を持ちます。つまり、単位を取るのは大学を卒業するための手段、大学を卒業するのは就職をするための手段、というふうに。それに対して「最終目的」は、その後には別のいかなる目的もないもの、すなわち本当の目的で、手段という性格を持たないものです。それに対して、「近い目的」というのは、本当の意味では「目的」ではなく、手段、あるいは通過点に過ぎないのです。

 では、最終目的とは何でしょうか。というより、それはあるのでしょうか。アリストテレスは、それはあると言います。なぜならば、最終目的がなければ、近い目的は意味を失うからだ、と。言い換えると、最終目的がなければ、あるのは手段だけで、その手段を何のために用いるかの目的がなくなる。ちょうど、もし大学を卒業できないなら、いろんな科目の試験に合格することは意味がなくなると同じです。端的に言えば、もし人生に最終目的がないならば、何をしても意味がない(こういう考えを虚無主義〔ニヒリズム〕と言います)ことになります。

 ただ、人間は最終目的がないと考えても、目の前にある近い目的をあたかも最終目的かのように考えて、それに没頭することで結構充実した時間を過ごすことができるようです。人生を旅にたとえるなら、旅の終着点を考えずに、ただ旅自体を楽しめばいいではないかというわけです。でも、ときどき静かに考えると、むなしさに襲われるのではないでしょうか。

 それでは、もし最終目的があるとするならば、それはいったい何なのでしょうか。アリストテレスは、目的を幸福と置き換えて説明します。人はみな幸福を求めている。ただ、何が幸福かについては十人十色。人々が考える幸せには本当の幸せではないもの(快楽、金、名誉など)があるが、真の幸福はある。それは何か。それは能力の完成だ、と言います。人間には知的能力と欲求能力の二つがあるが、これらを満足させることはその人を幸福にする。ただし、人間の能力の中で、動物ももっているような物質的な能力には限界がある(例えば、いくら美味しい餃子でも50人分を食べたら、吐き気をもよおしお腹を壊す)。それに対して、知性という非物質的な能力はいくら知っても、もう満足ということはなく無限のものに開かれている。その無限のものを知り、楽しむこと(観照)ができれば、それは人にこれ以上ない幸福感を与えるはずだと考えました。

 しかし、それはこの世で不可能なことです。だいたいこの世ではいくら幸福感に浸ったとしても、すぐにお腹が減ってくる、あるいはやらねばならぬ仕事を思い出す、など現実世界に引き戻され、いつまでも幸福感に浸り続けることができない。あの世があるかの問題を棚に上げたアリストテレスは、この世で到達できる最終目的は「人格の完成(徳を磨くこと)」だとしました(『ニコマコス倫理学』)。このことは孔子を始め儒教や仏教の偉い人たちも言っていますよね。

 なるほど自己を鍛錬し磨くことは、意志を強めて、強い人格を得ることになります。そして、それが充実した人生になることも確かです。ただ、本当の幸福感には、自分が他人に頼りにされている、あるいは他人のために役に立っているという実感を伴うと思います。いくら立派な人間になっても、誰の幸福にも寄与しないなら、そのときに満足を感じることはないのではないでしょうか。ただし、本当に他人や社会に役立つ人間になるためには、自分を磨く必要がある。

 さてアリストテレスは考えることを止めましたが、人生の問題を考えたければ、どうしてもこの世を超越するものについて考えなくてはなりません。なぜかと言うと、人間は相対的なもの(いつか終わるもの。欠けたものがあるもの)には満足できないからです。幸せに終わりがあれば、それは本当の幸せとは呼べない。しかし、この世には終わりのないというものは一つもない。(どんな嫌なことも、逆にどんな楽しいこともいつか終わる。)そこで、「あの世があるのかないのか、神が存在するのかしないのか」という問題は、実に人生に意味があるのかないのかを考える上で避けては通れない問題なのです。

 アリストテレスというような何百年に一人出るか出ないかの大天才でもはっきり分からなかったことを、キリスト信者なら子供でも知っています。それは人生の最終目的はある、ということです。だから、生きることは値打ちがある、生まれてきて良かった、ということになるのです。それでは、その最終目的である天国とはどういうところか、次回から見ていきましょう。


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