おかみさんの
ひとりごと

2005.1.2から
2005年5月19日(木)
『銀屋町』
ここ 二、三日新聞で『銀屋町』の文字を目にする。
話題は二つある。

旧磨屋小学校(現諏訪小学校)の所から『ししとき川』と言う川が流れている。
この川を国の文化財に申請しようとしている。
この川は、何十年何百年前に作られたかは知らないが
相当古いものらしく、石で作られている。
風情のある何とも言えない川なのだ。
山葵の裏にもこの川が流れていて、ボラも泳いでいるので
大将が「魚釣りの出来るばい」と言っている。
食べれるかどうかは定かではないが・・・

それと
『銀屋町』と言う町名は昭和41年から消え、現在はない。
長崎くんちの踊り町では旧町名で出るので
名前はご存知の方もいるかと思うが、実際に何処の場所か知らない人が多い。
銀屋町は、吉永小百合さん主演の映画『長崎ぶらぶら節』の中に出てくる渡哲也さんが演じた学者・古賀十二郎が住んで居た町です。

銀屋町の町民はこの素敵な名前をもう一度甦らしたいと願い運動を始めたのです。
長崎から多くの町名が無くなっていきました。
長崎っ子なら誰しも『旧町名が良か、元に戻して欲しか』と願っているが
なかなか行動には起こさない。
そんな中、『銀屋町』の町民が立ち上がったのです。

旧町名復活は、金沢で一件だけ前例がある。
たった一件には驚かされた。
銀屋町が復活したら2番目になる。

金沢に続けと頑張っているのだ。
平成19年の長崎くんちの本番までに是非、銀屋町の名前でと。
2005年5月6日(金)
許せん!
大型連休もそろそろ終わろうとしています。
山葵は、いつもの様に休み無く営業しております。

さすがに連休中は、県外のお客様ばっかりで
遠くは秋田から有難うございました。

東京からのお客様
「タクシーに乗ってね、何処か寿司屋は知りませんか?と聞いたらね」
「長崎は寿司屋は無いですって言うのよ」
そして
「おやじもそう言ってましたって」
そうお客様が言われた。

「ヤッパリ長崎に来たら魚を食べなきゃと思って探して回ったのよ」と言われた。

大将と私は怒った。
別に山葵とい言わなかったから怒っているのではない。
「長崎は、寿司は美味しかですよ〜何処でも美味しかですよ」
とぐらい何故言えない。

それに
そのタクシーには長崎駅から乗ったそうだ。

思わず
「何処のタクシーでした?」と聞いてしまった。
あいにく、覚えていらっしゃらなかったので仕方が無いが
もし、解っていたら私は会社に抗議します。
長崎の寿司屋を代表して。

『観光長崎』を長崎市民は自負している。
一人一人が長崎を代表していると思っている。

『はるばる西の果てまでよう〜来なったですね〜』と長崎人なら誰もが思っている。
そんな中、『寿司屋は無い』だと、とんでもない。

長崎の美味しか魚ば食べて帰って貰わんば

そのタクシーの運転手は
百叩きの刑にせんば!
2005年4月3日(日)
家族
さてこれが何だか解りますか?

カメラ付携帯電話で撮影した為画像はいまいちですが
この写真は4月2日(昨日)11時5分西町の墓の上で撮影。
2日は父の命日の為いつもの様に墓参りの大将と出かけた。
墓参りを済ませ、階段を下りていると「カ〜」と言うか「クァ〜」と言うか
大きな声で一声鳴いた。
大将は空を見上げる前に「鶴じゃなかか?」と言った。
二人が空を見上げると何と大群の鶴ではないですか。

大将は毎年鶴の飛来を撮影に行く。
毎年撮れる訳ではない。
5年位前にカメラを持って山に登っているとヤッパリ「クァ〜」と鳴いて通って行った。
その時の事を大将は感激していつもこの時期になると話してくれる。

私も一度見てみたいと思ったいた。

でも、大将が見た中で今日の鶴は今迄で一番大家族だそうだ。
大将は言う。
「この天気、そしてこの風覚えとかんばぞ」
「先頭に一番元気なのがいて、その周りを救護班が見守る」
「旋回しながら高度ば上げて行くとさ」
「100人に1人もこの鶴の飛来に気付く人はおらんやろうな」

「凄い、凄い」と言いながら私達は鶴に手を振っていた。
「頑張って飛んでよ」と

この鶴達は鹿児島の出水から飛んで来るんだ。
はっきり言って
タンチョウ鶴と違って真っ白でないのであまり綺麗ではない。

5年前のあの時の鶴だったのかな?
2005年4月2日(土)
お知らせ
明日4月3日(日)
JR長崎かもめ広場にて鯱太鼓の演奏があります。

長崎駅が出来て100周年のお祝いだそうです。
もし、お暇でしたらお出かけ下さい。

その他にもいろんな催し物があるそうです。

鯱太鼓は11時からです。

勿論、大将も私も行きます。
2005年3月29日(火)
風邪
何年かぶりに風邪をひいた。

しかし、熱が出ないので寝込む事無く店にも出れた。

もう、2週間位になる。
いまだにエヘン虫が取れない。
特に夜中に咳き込むので眠れない。

以前にも書いた様に私は自問自答する。
『ケーキ食べたい?』
『うん』と答えるとまだまだ元気だ!
『んん、食べてくない』と答えると相当の重症なのだ。
御飯は食べれなくてもケーキは食べれるのだ。

今回は、そのケーキは勿論の事食も食べれ無かった。
お陰様で5Kgも痩せてしまった。
殆ど1週間何も食べれなかった。
お酒も飲みたくなかったし。

私の友人の医者が「ビールでうがいすると良いよ」と言ったので
あんまり呑みたく無かったが『うがい』いや飲む事にした。
すると夜中に咳をする事無く、しっかり寝る事が出来た。

恐るべしビール!
2005年3月16日(水)
お御馳走様でした。
今日は、プリンスホテルで小国雅香さんのコンサートとビュフェスタイルの食事会があった。
娘と二人で行かせて頂く。
小国さんは、長崎出身のピアニストで作曲も手がけている。
長崎の昨年のランタンの曲である『春節祭』で有名な人だ。
初めてあの曲を聴いた時は感激した。

今日、その曲を目の前で聴く事が出来た。
力強さと優しさと

それより、今日発見した事があった。
我が愛すべき母校活水に小国先生と言う音楽の方がいらした。
小国雅香さんはその先生のお嬢さんだったんですね。
ふと気付いて会場に来ていた友人に聞くと「そうよ」と言った。
今までどうしても結びつかないで・・・

昨年、春節祭のCDを買おうとしたが無くて買えなかった。
今日、サイン付で買う事が出来て良かった。

料理はと言うと勿論凄い品数、それに量も豊富にあって
話によると60種類以上の品数だったそうだ。
全制覇出来なかった。
した人はいないと思う。

やっぱり
ピアノが一番のお御馳走でした。
お腹も胸も一杯になりました。

感謝、感謝
2005年3月14日(月)
見事に

1番                2番

3番
私が『黄粉チョコ』を探しているとひとりごとで書いたら
「こんなのもあるよ」とわざわざ持って来て下さった。

1番『ミニプリンちゃん』と『いちごショートチョコ』
2番その中身
3番『ニャンチョコ』

先日
『ミニプリンちゃん』と『いちごショートチョコ』をまず持って来て下さった。
味は本当にプリンといちごショートの味がした。
驚き!

それからまた後日、『ニャンチョコ』を持って来て下さった。
その時、私は留守をしていたので換わりに大将が頂いた。

「はい」と言って渡された猫の小さな箱
大将は「ニャンチョコやろう」ととっさに言ったそうだ。
よ〜く見ると本当に『ニャンチョコ』と書いてあったので大将がびっくりしたそうだ。
そんな名前だとは知らなかったのに当ててしまった。

この事を私と娘の前で大将は言った。
娘「安易な名前ね〜、パパにも解るとやっけん」
ピッタリの名前だ。
猫が好きな人なら当てるだろう。

ところで
『ワンチョコ』はあるのだろうか?

いやいや、本当にわざわざ有難うございました。
この場を借りて御礼申し上げます★あ(^ - ^) り(- ^ ) が(   ) と( ^ -) う\(^ 0 ^)/★
2005年3月13日(日)
なごり雪
大将が歌い出した。
「汽車を待つ君の横で時計を気にしてる〜♪」
「季節外れの雪が降ってる〜・・・・・」
その後を娘が歌い出した。
「知らんと?」
私「何で知っとると?」と聞くと
「当たり前さ、名曲やんもん」と言った。
あ〜今の若い子でも良い曲は解るんだ。

今日も朝からちらちらと白い物が落ちて来た。
初めこれはゴミか?と思ったがそうではなかった。

ヤッパリ雪だ。
冷たいけど寒いけど雪は嫌いではない。
ただ、交通機関が止まったり
あの雪解けの汚い道路はイヤだけど。

『なごり雪』はヤッパリいい〜曲だ!
2005年3月10日(木)
壱岐のウニキティちゃん
これが壱岐のウニキティちゃんです。
娘が壱岐に行ったお土産に買って来てくれました。
勿論娘は自分のも買ってきました。

桃太郎ではなくウニキティです。
ウニの中からキティちゃんが出てきたら驚くだろうな〜

これを見るたびに娘は壱岐は楽しかった〜
美味しかった〜と言っています。

壱岐には大将も私も行った事がありません。
一度行ってみたいものです。
2005年3月8日(火)
履歴書
お客様が
「タバコ吸う人の履歴書はタバコ臭い」と言われた。

その方は人事課の方でいろんな履歴書を見ている。
タバコの臭いが履歴書に染み付いていると言われる。

「タバコを吸いながら履歴書を書くんですか?」と聞くと
「そうやろうね〜」

「で、その人はあがったんですか?」と聞くと
「・・・・」と答えた。
2005年3月7日(月)
偶然?
娘が膝を怪我した。
先週転んだのだ。
病院に行かなくて良いと言うのでほっていた。
今日、膝がしびれると言うので病院に行くと言い出した。

勿論私が付いて行く。
先生が「左の膝ですね、前回も前々回もその前も左の膝を怪我していますね」と言われた。
私達はその事に驚いて
「何で左ばったり?」と顔を見合わせて笑った。

「今度転ぶ時は右に怪我せんばよ」と私は娘に言った。
2005年3月6日(日)
老夫婦
「老夫婦の喧嘩の原因って知ってる?」とお客様から聞かれた。
「何ですか?」と聞くと

「それはね、部屋の温度の暑かの寒かの」
「それとテレビの音の大きか小さかってこれで喧嘩するとよ」と言われた。
「毎日、うちの年寄り達はこれで喧嘩しよる」

歳をとると段々我慢が出来ないらしい。
その人は歳をとったら別々の部屋で寝る方が良いと言われた。

そんな事と言ったら怒られるか知れないが
老夫婦には他に喧嘩する事が無いように思える。
幸せだ。
2005年3月5日(土)
ねんね
          
ランタンの時に帽子と洋服を買ってあげました。
何色にしようと迷っていると娘が携帯電話の
中のkikiを出して色を合わせました。

凄く眠い時の顔です。枕で寝ています。
最近我が家の次女kiki(=^・^=)の話が出て来ないとお客様に言われました。
kikiちゃんの事を書いてと。

kikiは元気です。

寒いので布団の中に入れようとする。
抱っこして「ねんね」と言うと「イヤ〜」と言う
もう一度「ねんね」と言うと「イヤ〜イヤ〜」と可愛い声で言う
「ダメ、一緒にねんね」ともう一度言うと「ん」と言って布団の中に入る。

(=^・^=)は言葉が話せると思う。
(=^・^=)を飼っている人は皆さんそう言われる。

「可愛いね〜可愛いね〜」と言うと「当たり前でしょ」と言わんばかり。
2005年3月4日(金)
キティちゃんお弁当
お弁当箱を買った。
お弁当を作ろうと思った時にお弁当箱は1個買った。
普通1個あれば充分だ。

しかし、我が愛する娘はお弁当箱を会社に忘れてくる。
時々いやたびたび。
1個では足りないのだ。
「大丈夫、綺麗に食べてるから」と娘は言うがそんな問題ではない。

「忘れるな」と言っても無駄な事。
私はお弁当箱を探しに店を回った。
あれも良いなこれも良いなと思っていたら
結局、8個になってしまった。
勿論箸も一緒に忘れてくるので箸も増えてしまった。

このお弁当箱は一番新しく買ったものでとっても娘も私も気に入っている。

久々娘からメールが届いた。
『ごっちゃんちゃん☆キティちゃん弁当美味やった!(≧∀≦)』

袋を開けた時の娘の顔が目に浮かぶ。

このお弁当箱を買う時に周りを見渡すと幼稚園の子供を持つ母親ばっかりだった。

私も幼稚園の子供を持つ母親に見えたかな?
何だかお陰様でウキウキ気分になった。
2005年3月3日(木)
ひな祭り

山葵の3月のトイレです。
『お雛さんは、早く片付けないと娘が嫁に行くのが遅くなる』と言われている。

だから
私は早く片付けない様にしようと思っています。
2005年3月1日(火)
諏訪神社


毎月1日、15日には長崎の氏神様である諏訪神社にお参りに行く。

大将と二人で本殿に二人でお参りをし
大将は上のお稲荷さんにお参りに行き
私はこま犬の井戸でお参りをしてお金が増えるように洗い
災難封じのお参りをする。
つまり、手分けをしてお参りをしている。

私は、いつもの様に500円玉を籠に入れて洗って持って帰る。

その後からおじいさんがやって来て
なんと
柄杓で水を汲み分厚い財布に上からかけた。
まあ〜何と欲張りな

1,000円札を洗っている人は見た事があるが
財布ごと洗う人は初めてだった。

あのおじいさんのお金増えたかな?

私は500円づつだからちっとも増えない。
一度財布ごとやってみようと思っている。
2005年3月1日(火)
特急『さくら』
寝台列車に『さくら』と言うのがある。
正確に言うとあった。

2月いっぱいで廃止になってしまった。
私は、この『さくら』には1年に1度乗っていた。
長崎から名古屋まで名古屋から木曽福島と言う所迄行き
木曽の御嶽山に登る為だった。
小額1年生からから中学生まで続いた。

祖母とその仲間と団体でとっても楽しい、そして辛い山登りだった。
その帰りには、必ず観光をして帰っていた。
仙台の七夕祭りとか、大阪の万博とか・・・

あの頃は多分今と違って4時代ではなく3時何分発だったと思う。
勿論、寝台列車の楽しみは食堂車だ。
よくカレーを食べたと覚えている。
結構揺れる列車で水をこぼしながら食べた覚えがある。

その頃、寝台車は3段になっていて初めは一番下。
されから、中段になり
最後は一番上に寝る事になって
『私もこれで大人になった』と感じた瞬間だったのを昨日の様に覚えている

長崎から東京までは乗った事がなかったが
3年程前に母と東京まで乗った。

その時は既に食堂車は無く、食料を買い込んで乗り込んだ。
多分暇だと思い私は、刺繍をする事にした。
日々の生活に追われ刺繍などする暇も無い。
本も読みたい、あれもしたいと考えたあげく決めた。
おかげで一作品完成した。

今考えると凄く贅沢な時間だった。

列車の中は、30数年前の混雑した列車とは大違いで
1車両に私達を含めても4から6人だった。

今から考えると廃止になるのも無理は無い。

みんなは廃止になって残念とか言うけど
実際にみんな乗らないのだから当たり前の処置なのだ。

『さくら』に乗って万博に行った昔を思い出す。
今、名古屋で大阪以来35年振りの万博が始まろうとしている。

何だか昔が段々遠くなってきた。
私もまだまだ若いと思っていたが
昔を懐かしむ歳になってきてしまった。
2005年2月10日(木)
ランタン
今年もランタン祭りが始まった。

『ランタン』とは『春節祭』の意味で
中国のお正月の事で長崎では華僑の人達がお祝いをする。
長崎市では街を揚げてお祝いをする。
年々ランタンの数が増え、幻想的な街を作り出している。

今年のランタンの山葵のトイレです。
勿論、バージョンアップしています。

『福』が来ます様にと『福』と言うお札を逆さまに貼ります。

チャイナのキティちゃんは
昨年娘がクレーンゲームで取って来てくれました。
2005年2月9日(水)
ついに大人買い!

1個
誰かが・・・
昨日、大人買いの話をしたばっかりなのに
こんなに早く実現するとは思わなかっ。
但し、黄粉餅チロルチョコは随分前から探していた。
娘もお友達や会社で聞いてくれていた。

今朝、娘からメールが届いた。
『黄粉餅チロルチョコを食べたよ』と

私は直ぐにその店に行き、買う事に成功した。
店には1箱(45個入り)が1箱と1個欠けた44個があった。
「黄粉チョコはこれだけですか?」と聞くと
「はい、これだけです。もう入って来ませんよ」と言われた。
そうなると大人買いをしなければならない。
それに
そんなに貴重な物ならば、お客様にも分けてあげないといけない。
と言う事で
45個+44個全部購入。

娘にメールで知らせると『おぉ見事!!!』と帰って来た。
会社の人達に話すと笑っていたそうだ。

今、山葵に来ると黄粉餅チロルチョコが食べれるかも。
2005年2月8日(火)
大人買い
先日、TVでチロルチョコの黄粉餅と言う季節限定のチョコがあると言う。
その事を娘に話すと知ってると言う。
見た事はあるけど、食べた事は無いと言う。
私「今度見つけたら買って来て」
娘「大人買いして来るね」
私「大人買い?」
娘「知らんと?」
私「うん、何?」
娘「大箱で買う事さ」
私「ん、ん〜」

知らなかった。
2005年2月6日(日)
言葉
三度目のデートの時
電車のつり革に二人でつかまっていた時だった。

私「私貴方の事が解らない」と言ったら
大将「良かさ、一生かかって解れば」と言った。

それが私にとってプロポーズの言葉だと思っている。
大将に話すと「そんがん事言ったか?覚えとらん」と言う。
「でも、その時は本当にさんがん思うたとって思うぞ」と付加えてくれた。

その後は何の言葉も無く結婚してしまった。
そして
未だに解らないかも。
2005年2月2日(水)
プロポーズ
今朝のTVでプロポーズの言葉の話をしていた。
ん、ん〜これが大賞なのかと思って見ていた。

今日は、2日なので墓参りの日だ。
大雪なので電車で大将と二人行く事にした。

電車に乗ると大将が「今朝さ、プロポーズの言葉の大賞のありよったとけどさ」
私「うん、見た見た」
大将「あい、おかしかよな」
私「うん、私も思った」
大将も私と同じ様に思っていた。

そのプロポーズと言うのが、メールで
『着てみる?』とだけだった。
それにウエディングドレスの写真が添付してあった。

確かに凄い!
ただ、今時の若者だと思った。

私「貴方だったらあんなには言わんやろう?」
大将「うん」
  「着て下さいと言う」
私も同じでそう言われたい。

最近のドラマでも『結婚する?』とか『結婚しない?』とか言っている。
私だったらそういわれたら『ん〜、そうね〜どうしょうかな?』と言うだろう。

大将が言うには『男と女の立場が同等さ』と言う。

私は結婚を申し込まれた覚えが無い。
大将も言った覚えが無いと言う。

じゃあ何で結婚しているのか?

実は・・・・
また明日。
2005年1月22日(土)
『雪』
『猫』の『雪』と言う歌がある。
『猫』と言うのはグループ名で『雪』と言うのは曲目。
多分知らない人が殆どだろう。
そんなに有名な曲ではなかった。
私が中学生の時に流れていた歌だ。

その懐かしい歌がTVから流れてきた。
何処の局か解らないが長崎の局で天気予報か番宣だった。
誰にでも青春の大切な歌があると思うが、『雪』が私にとっては青春の歌。

何で?
今頃?
誰があの曲を流しているのだろう?
きっとあの曲に私の様に思い出がある人なんでしょうね。

もう一度ちゃんと聞きたい。

歌詞はと言うと
『雪でした。
貴方の後を何となく付いて行きたかった。
あ〜あの人は見知らぬ町の見知らぬん人・・・・・』
こんな歌詞だ。

今聞いてもとっても変だ(失礼)
2005年1月21日(金)
鶴?
右手首が痛い。
なかなか治らない。
重い物が持てない。
これを腱鞘炎と言うのだろうか?良く解らないが。

私「右手首の痛かとけど」
大将「ん〜、どうかしたとやろう」そんな答えしか帰って来ない。
私「解った!料理のしすぎよ。お弁当作り過ぎ。包丁の使い過ぎね」
大将「そうたい、46年間なあ〜んもせんやったもんね」

私「私は鶴よ」
大将「何かそいは?」
私「鶴は自分の身を削って反物を織るたい」
  「そいけん、私も手首削って愛する娘と夫の為にお弁当作りよるたい」
大将「・・・・・・・」
2005年1月11日(火)
まだまだ
お客様に電車の中で化粧する女の人がいた事を話すと
「あら、東京では電車の中で上手に着替えるんだってよ」と言われた。
私「え、え〜」

凄い!ヤッパリ都会は凄い。

今度東京に行ったら見れるかな。
2005年1月7日(金)
もってこい
ある日
娘が「あのね、NBCTVの最後に曲の流れよっとさね」
「ものすごう良かとさ、聞いてみんね。感動すっけん」と言う。
私「何時?」
娘「解らん、夜中2時か3時頃」
私「何で聞いたと?」
娘「夜中にうるさかと思って聞いたら、え!こい何?って思ったとさ」
TVを消すのを忘れて寝た為、その歌で起こされたようだ。

曲名も歌手の名前も解らないので
たまたまラジオの取材でいらした人に尋ねると
「へ〜、そうなんですか。知りません」と言われた。

それから数日後、わざわざ調べて教えて下さった。
『やどかりのもってこい』と言う曲だそうだ。

ネットで調べてもNBCのサイトでも載っていなかった。

その歌とは
もってこ〜い、もってこい♪
春は何とかかんとか(覚えていない)・・・・・・夏は・・・・・
秋はくんちで蛇が舞う(かな?)
くんちは日本三大祭と言うが違う、日本一と言う内容だ。
7年に一度の・・・
君の家は坂の上

正確ではないがこんな内容と寝とぼけて聞いた娘が言う。

私も一度聞いてみたいと思うが、夜中の事で。
ビデオに撮れば良いのだけど、出来ればリアルタイムで聞きたい。

年末のある日、店が遅くなって家に帰ってTVをつけたらいきなり鳴り出した。

こ、これだ!
確かに娘が言っていた内容の歌だ。

平成12年の長崎くんちに初めての女性として出れた娘としては
そして長崎を愛する娘にはこの歌は胸に染みたらしい。

『銀屋町の鯱太鼓』は既に平成12年のくんち直後から練習に入っている。
7年後の平成19年(あと2年後)の本番に向けて。

手にはいっぱい豆を作り、破けてはまた作りながら
とっても若い娘の手では無い。

娘が感動するのが良く解る。
確かに良い歌だ。

くんち本番に向けて頑張る娘にとって応援歌になったようだ。
2005年1月5日(水)
長崎も・・・
正月、大将と娘と3人で諏訪神社に初詣に行った。

その帰りの電車の中で大将が「あ」と驚いた。
その方向を見ると若い娘さんが一生懸命に化粧をしているではないですか。
まあ〜その無様な事。

口紅を塗り、アイシャドウを塗り、マスカラを塗り、
ビューラーまで出してまつげを上げ出した。
マスカラを塗る時は、アホみたいに大きな口を空けていた。

大将「あ、あ〜」

去年の春東京に行った時、私は電車の中でこの光景をシッカリ見て来たから
そんなに驚きはしなかったが、よく考えると此処は長崎なのだ。
それもチンチン電車の中で。
長崎も都会化されてきたのだろうか?

でも、ヤッパリ可笑しいと思う。
正月早々あんなの見たくなかった。
2005年1月2日(日)
正月


山葵の正月飾り
元旦の日は、私の実家でおせちを頂いた。

おせちの中に十六寸が入っていた。
「十六寸いる?」と上の弟の嫁が言った。
「十六寸って何?」と上の弟
「この豆さ」

そこで大将
「この豆ば横に10個並べたら六寸になるけん十六寸と言うとさ」
一同「へ〜」
大将「知らんやったとか?」

六寸とは、18cmの事だ。
と言う事は1個が1.8cmになる。
なるほど〜
さすが調理人だ、さすが物知り大将だ。
と思ったのもつかの間。

大将は、芋が大嫌い。
幼い頃食べ過ぎた為、芋は食べないと豪語する。
但し、前にも言った様に
かんころ餅・昔呑んでいた頃は必ず芋焼酎を好んで呑んでいた。

おせちの中の栗きんとんが美味しいと言って食べているので
私「そい、芋やっけんね」
大将「え〜、芋か」
大将はず〜と芋と知らずに栗きんとんを食べていたらしい。

こんな大将ですが今年も宜しくお願いします。