わがまち 古町!
     
 
長崎市古町に架かる古町橋

1,長崎でも町「古町」


 
町域1万4,000平方b。東に今博多町・西に桶屋町・南側は中島川通りとなっている。平成27年8月末日現在、世帯数282世帯(男189人・女229人)。昭和57年(1982年)発刊の「長崎事典・風俗編」では95世帯との記載があるから、昭和57年当時と比べて世帯数が約3倍ほどに増加している

 江戸時代初頭、長崎が貿易港として発展する中、その町域が徐々に拡大を続けたが、町割り等の街路整備がこれに追いつかず、この古町〜今博多町一帯にも遊里が点在する状況であった。そこで、寛永19年(1642年)市中に散在する遊里は現在の丸山・寄合町の2ヶ町に集められ、旧寄合町は「古町」と命名されることとなった。古町の地名の由来は、長崎の外町(現、県庁〜桜町一帯の内町から外の町)の中でも、古くから形成された町であることにちなむ。

 現在、古町周辺には長崎市市民会館・長崎市公会堂・長崎警察署など官公庁その他公共施設が建ち並び、また最寄り駅の長崎電鉄「公会堂前」駅は、浜の町・赤迫行きの両方面へのアクセスが可能で利便性に優れている。近年では、中高層マンションの建設が進んでいるが、電車通りから路地へ入ると古き良き長崎の町並みも垣間見える…

 


,古町歴史・名勝

 4代目古町橋再架設


 現在、古町に架かる古町橋は、4代目の橋になる…

 初代古町橋は、元禄10年(1697年)河村嘉兵衛の母妙了尼が、長崎貿易で蓄えた財をもとに架設したのが始まりであった。しかし、24年後の享保6年(1721年)に橋は洪水で流失。さらに、それから2度の流失再建が繰り返され、享保3年(1803年)長崎奉行所の命令で架設された橋が戦後まで残っていたが、これも昭和57年の長崎大水害で流失。現在は昭和61年架設の4代目となる。
 もともと古町を流れる中島川一帯は、出来大工町で合流する二股川の水流の影響を受けやすい地域で、そのため上流の大井手町には大きな井手(川の勢いを弱める堰)が築かれたが、史上始まって以来の未曾有の大水害は防ぎきれなかった。

 現在では、そんな中島川も深く掘り下げられ、また橋自体も高いアーチ状に架けられたため水害の心配もなくなった。



 
(↑4代目古町橋、長崎大水害後に再建)

 

 虚無僧寺、松壽軒跡

 現在の古町橋傍らに、明治の初め頃まで「松壽軒(しょうじゅけん)」という虚無僧寺があった。

 寛永17年(1640年)僧門的開創の長福山玖g(きゅうき)寺が、延宝7年(1679年)に現在の古町橋傍らに移設。寛延3年(1750年)には禅寺太平寺となったが一般には、松壽軒と称された。
 以後、長崎入りする虚無僧らの宿泊所となり、江戸の黒沢琴古(尺八琴古流の祖)が訪れ、古曲を虚無僧に指南・伝授するなどした。その後、明治4年の普化宗廃止により廃寺となり、敷地は「古町児童遊園地」として利用されていたが、昭和の半ば以降、宅地となった。
 現在の「松壽軒」跡の碑は、長崎歴史文化協会・虚無僧研究会・全国の尺八愛好家らにより建てられた。碑には「平成十三年十一月吉辰 松林静風 建立」とある。

 
(↑松壽軒跡、かつて大きな松ノ木があった)

※江戸時代の古地図を見ると上写真の道路一体は、宅地として利用されていたようで、古町橋ー編笠橋を通行するときは、川端を下るか・橋を渡って遠回りしていたようだ



 古町町割


 長崎の町割りは、寛文3年の大火後の町割り・大正期の道路拡張・昭和期の土地区画整理事業を経て変化し続けているが、中には江戸時代からの姿をほぼ踏襲しているものもある…

 特に、この古町一帯の「背割り(町境の溝)」は江戸時代からの姿を今に残している。古町一帯の背割りは「公会堂前−諏訪神社前」間の電車通りからも確認できる(下、写真)。また、電車通りから古町橋方向へ進むと、向かって右側には古い民家などが建ち並んでいるが、この一帯の道路と敷地の境界も江戸時代の姿をほぼ踏襲しており、背割り溝−前面道路までの距離が約30メートルで統一されていることが、現在でも確認できる。

(←背割りの仕組み図)

 ちなみに、背割り溝から流れる排水は、そのまま光永寺お堂の下を通って中島川に流れ着く構造になっており、中島川の壁面には各町ごとを区切った背割りの排水溝出口もあった。

※残念ながら、中島川沿いの背割の出口は現在確認できない



  


(左・中央写真は、現在に残る「背割り」跡。右写真は、江戸時代のままの町割りを残す古町橋通り)



古町に見る都心回帰現象!!


 江戸から明治時代までの長崎(現、長崎市中心部)は、九州で最も人口が多い都市であった。しかし、昭和中・後期以降の宅地開発によって、市中心部の人口は東西南北の郊外団地へ分散化し、都市の空洞化・ドーナツ化現象が顕著となった。だが、今回改めて近年の古町一帯の人口増減について見ると、それとは真逆の現象を見て取ることができた。

 冒頭でも触れたが、現在(平成27年8月)の古町の世帯数人口は、282世帯・合計396人で、5年前の170世帯・合計286人と比べ、各々平均して1,5倍近く、人口が増加していることがわかる。近年では、少子化・人口減少・地方の過疎化等がよく新聞でも取り上げられているが、長崎という一地方の県庁所在地でも、人口が増加しているエリアは、この古町一帯を含め市中心部に多々見受けられる。つまり、昭和中後期以降に郊外に拡散した人口が、都市の利便性を求めて再び戻りつつあるのではないだろうか…


4、古町周辺施設
 


 長崎市公会堂(市役所建設予定地)  長崎市市民会館・文化ホール    長崎電鉄「公会堂前」2方面のアクセス可能


 中島川遊歩道          アルコア中通り          宮ノ下公園と閑静な住宅街




5、参考文献
 
・嘉村国男  編「長崎事典・風俗編」  長崎文献社1982
・嘉村国男  編「長崎町人誌 第5巻 住の部1」 長崎文献社1997
・   〃   「長崎町人誌 第6巻 住の部2」 長崎文献社1997





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