教会の歴史
日本キリスト教団長崎銀屋町教会は、創立122年を迎えます。
多くの戦争や天災、人災を経験、そして原爆をも経験した教会です。
その歴史をかいつまんでご紹介します。もっと詳しくおしりになりたい方は
『長崎銀屋町教会100年史』第1部・第2部をお読み下さい。
1873年
9月、アメリカメソジスト監督教会宣教師J・C・デビソン、
出島において伝道開始。その3年後、出島教会に改称。


1890年 出島教会宣教師(鎮西学院兼務)H・B・ジョンソン、長崎市内(東浜町)講義所を創設。
1891年
木村七十郎)
9月、木村七十郎、市内の講義所に長崎教会を創設、初代牧師となる。
1894年 長崎市麹屋町に土地・建物を購入。7月、砂本貞吉、麹屋町教会伝道者に就任。
1901年 中国人の教会員のために、中国人牧師を呼ぶための資金交付を申請。しかし、却下。
1903年
牧師中山忠怨
牧師中山忠怨、飽の浦に講義所(現在の長崎飽の浦教会)を開設。
1904年
銀屋町(現在の古川町)に土地を購入。出島教会の建物を移築・改築して長崎中央教会
と改称する。
出島教会は東山手に新築・移転、ウェスレー教会と改称。端島(通称:軍艦島)伝道を開始。
なお、ウェスレー教会は恵美須町・豊後町に伝道を開始。
1907年 出島教会によって始められた大村伝道は、この年で終了。その成果として大村教会が誕生。
佐世保伝道も同じくして行われ、佐世保教会(現佐世保比良町教会)が誕生。
1922年
(牧師木村広一
以降、数年は牧師不在もあり、伝道活動は停滞。
1933年 多くのキリスト教会が国家の強制的な要請をうけて、国家体制に迎合していく様になる。
例:宮城来拝、戦争勝利祈願、戦地に送り出す兵士の送迎等々。
1941年
(牧師吉見 信)
宗教団体法改正により、多くの教会が国家によって集められ、日本基督教団が成立。
11月に、長崎中央教会は長崎銀屋町教会と改称。宣教師は全員帰国。
1943年 東山手教会、長崎聖教会、救世軍長崎小隊は国家による解散を命ぜられる。
長崎銀屋町教会はそれらの信徒・牧師数十名を受け入れる。
1945年 8月9日原爆投下。教会は倒壊寸前となる。
敗戦後は玉之江幼稚園で礼拝を行う。11月より鎮西学院の仮校舎を借り受けて礼拝を行う。
1948年
(牧師東 道男)
10月に教会学校夜間部(通称:道心会)を始め、教会にこどもの声が響き渡る。
1956年には教会学校分校は市内に6校、琴海町にも1校開設。
1949年 川棚伝道、島原伝道、滑石伝道を開始。
その成果として、1959年に島原教会、1967年に長崎滑石教会が出来る。
1964年 7月、教会堂焼失。礼拝は玉之江幼稚園で行う。
1965年 12月新礼拝堂(現在に至る)が完成。
1973年
(牧師小林正直)
中高生のワークキャンプを特別養護老人ホームで始める。
1977年 軽度心身障害児保育「こばと学級」(後の「なかよし学級」)始まる
1982年 長崎大水害発生、礼拝堂、牧師館は床上浸水。
1985年 丸木位里・俊夫夫妻の「原爆の図」展開催を支援。アウシュビッツ長崎展を支援。
1986年 11月、創立100周年記念事業の一環として100周年記念館を建築(現在に至る)。
1989年 小林正直牧師逝去。
1990年
(牧師西畑 望)
半年の無牧期間を経験し、西畑 望牧師着任。
1998年 創立110周年記念として、歌手沢ともえコンサートを開催。
2002年
(牧師原 和人)
2002年4月に原 和人牧師着任。
2012年
(牧師竹内 款一)
 現在に至る。

以上の歴史以外にも、多くの方々の尽力と協力がありました。
それらの方々の汗と涙が今の長崎銀屋町教会の基礎となっています。
そんな歴史に触れに来てみませんか?

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