第39回 福音書シリーズ1・これからの話の概要

 最近皆さんの授業の態度がよくなっているので感心しています。ところで皆様も私の知らないところで色々と苦労されているようですね。そこで、今日はその疲れた頭を少しだけでもほぐすためにためになるお話で始めたいと思います。

 それは私の大学時代のある知人の話です。彼は「どじ」という仇名をもらっていたような人でしたが、ある冬に4、5人のクラブの友人と一緒にスキ−に行きました。事件は行きの電車の中で起こった。電車が岐阜県に入りそろそろ雪に覆われた山並みが見えてきたころ彼は席を経ってトイレに行った。彼が帰ってくると、みんなは窓から遠くに見える真っ白な山並みを指さしたりしてわいわい騒いでいた。が、彼一人そのはしゃぎの輪には加わらない。「どうしたんや、気分でも悪いんか」という質問に対する彼の答えは要約すると次のようなものでした。彼がトイレに行って、○○○をするためにズボンを下ろしたとき、なんとズボンの後ろのポケットに入れてあった財布が中に落ちてしまったそうだ。その旨を車掌さんに言ったら車掌さんは親切にも探してくれたが、「残念ですけど○○○しか見つかりませんでした」との答え。こうして楽しいはずのスキ−旅行が、まったくの嫌な思い出に変わってしまったという「聞くも涙、語るも涙」の物語でした。教訓。財布など大切なものはズボンの後ろのポケットに入れないこと。

 さて、皆さんが精道を卒業して高校、さらには大学、社会人と成長するにつれて、きっと人生に悩むときが来ます。その時に、それらを解決する手立てとなものの一つに聖書があります。そこで、実は昨年授業で説明したことですが、きっと誰も聞いていなかったか、覚えていないことと思われるので、この場を借りて今日から何回にわたって福音書が読む価値があることを話したいと思います。名付けて「福音書シリ−ズ」。

 聖書、なかでもキリストの生涯を記した福音書(エバンゲリオンと言う)は、人類の歴史の中で、「これは嘘やろ、これも嘘やろ」という風に、もっとも厳しい批判に晒され徹底的に調べ上がれた本です。だから、これについて話すには、ちょっとやそっとで語り尽くせない。ということで、覚悟してください。

第一章:福音書がいつできたかについて話される章。

 新約聖書の中には、イエズスキリストの教えと活動を記録した四つの福音書、最初の教会の様子を書いた『使徒行録』、使徒たちの手紙、そして預言書である『黙示録』がありますが、ここでは4つの福音書だけに注意を集中しましょう。それではまず、この4つの福音書が書かれた年代について見て行くことにします。

 4つというのは、マテオ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書であることはみんなも知っているでしょう。でも実はどの福音書にも「これは私マルコが、ローマで紀元62年に書いた」とかいうふうに、著者がいったい誰で、いつどこで書かれたかを示す文はないのです。では、どうして誰がいつ書いたのかが分かるのでしょうか。

第二章:その前にまず新約聖書を書いたのは誰かについての説明がなされる章。

 まず、どうして第一、二、三、四番目の福音書がマテオ、マルコ、ルカ、ヨハネのものだと言われるのかという点ですが、それは非常に昔からたくさんの人が証言し、そのように伝えられて来たからです。「でもそんな伝えなんか信頼できるの」と疑ぐる人もあるでしょう。もし、ほんの二三人か四五人、あるいは六七人の証言しかなければ、簡単に信用しない方がいいに決まっている。でも、福音書の著者は誰かについての伝えの場合、それが書かれたのとほとんど同時代の教会がそう伝えて来てそれを信じているのだから、十分に信用できる、ってわけ。

 でも疑ぐりぶかい人は、「でも、福音書を書いたのは別の人で、その人が自分の書いたものを本物らしく見せるために、マテオとかマルコの名前をつけたんとちゃうやろか」と考えるかも。もし、この仮説のように福音書を書いた人が別人で、自分の書いたものに信憑性を与えるために、使徒や一番古いキリストの弟子の名前をつけたのなら、ヨハネは別にして、後の三つの福音書の著者にどうしてマテオやマルコやルカの名前を選んだのでしょうか。というのは、この中でイエズスキリストの直接の弟子はマテオだけで、マルコとルカは12使徒ではない。ルカに至っては生存中のキリストに直接顔を合わせたこともないのです。マテオは12使徒のひとりですが、12人の中では別に目立った人ではなかった。もしこの仮説のように、後で福音書を書いた人が偉い弟子の名前を自分の書物の著者にでっちあげるなら、ペトロかヤコボ、またはアンドレアなどの、もっと格の上の弟子を選んだはず。「じゃあどうして、マテオやマルコやルカが福音書の著者になっているのか」。それは本当にその人達が書いたから、というのが一番妥当な答えとなるわけ。

第三章:いよいよ本論に戻って新約聖書が書かれたのいつかが明らかにされる章。

 さて、頭の血のめぐりが速い皆さんはもうお気付きになったかも知れませんが、これらの福音書の著者はみな1世紀の人、つまり紀元100年以前に死んだ人なのです。平成3年に死んだ人が平成10年に本を書いたなんておかしいでしょう。この4つの福音書の著者が1世紀の人であれば、だれが何を言おうが、四福音書はみな紀元1世紀中に、つまり西暦100年の前に書かれたのです。みなさんの持っている教科書や資料集を調べてみてください。10年前くらいに使っていた中学歴史分野の教科書では「新約聖書は2世紀中にまとめられ」と書いてありましたが、これは19世紀にプロテスタンとの神学者たちが言っていたことで今では認められていない古い説です。

第四章:疲れたのでこの辺でやめることが述べられる章。

 こういう歴史の話は、予備知識がないとなかなか読むのに骨が折れるものです。だから、本当は文字で説明するより口で話しながら説明するほうが、聞くほうとしては分かり易い。また、ここで話している問題に興味がなければ、読む気が起こらなくても仕方がない。でも、高校で世界史を勉強し、さらに大きくなって人生の問題に悩み始めたら、このような問題に興味を感じるときが来るでしょう。その時まで、このプリントをファイルにしまっておいてください。


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