第43回 福音書シリーズ4・その内容

 ついに3月となり暖かい日が続いていますが、残された時間をじっくり味わって過ごしてほしいと思います。先週はお休みしましたが、「福音書」についての最終回。

第八章;福音書がどのようにして書かれたかについて説明が試みられる章

 福音書が書かれた年代については、ヨハネのものが90年代の末であること以外は、あまり正確にはわかっていません。一番古いのがマテオの福音書で、おそらく50年代に書かれたのではぽ言われています。

 イエス様が十字架刑でなくなったのは紀元30年4月7日である可能性は非常に高いそうです。ということは最初の福音書ができる50年頃までの間、弟子たちは聖書を持っていなかったことになりますよね。その間ペトロたちは、どのようにして人々にイエス様の教えを伝えていたのでしょうか。ちょっと想像すればわかるように、弟子たちは口で伝えていた(口頭の教え)はずです。教会が生まれたころの歴史を記録している『使徒行録』(これはルカが書いたものです)には、弟子たちの説教の多くが載っています。もちろん、おそらく最初からイエス様の教えはメモの形で記録していた人がいたと考えられます。が、初めの頃はそれを一冊の本のようにする必要もなかったし、おそらく時間もなかったのかもしれません。

 ところが、時代が下るにつれ、弟子たちも東はインドから西はスペイン、北は黒海の沿岸、南はエチオピアまでの世界の色々な場所に散って行き、殉教していく人も増えていくと、「口で教えられたものを書き留めておこう。でないと、忘れられたり、間違ったことを教えたりするかも知れないから」という心配が起こってきても不思議ではないでしょう。

 ちょっと脱線ですが、昔は紙や筆が貴重品で、また文字を読み書きできる人はほんの一部に過ぎなかった。そこで、人々が主に使った記録の方法は筆記よりも、頭、つまり暗記力でした。また、教える方も覚えやすいようにリズムや繰り返しに気を使ったらしい。イエス様の教えにもそのような特徴が見られる。昔の人が記憶力に優れていたことは、あの『古事記』や『平家物語』を暗記していた人がいたこと、またこのような「語り部」が、世界中に見られたということでもわかるでしょう。最近では、ウクライナ(現在は独立国)地方にもそのような語り部が沢山いた。彼らは単に昔の物語を語るだけではなく、村や町で起こるニュ−スも語った。ちょうど「歩くニュ−ス番組」みたい。ところでウクライナはソ連政府のため何百万人も飢え死にしたのですが、これら語り部は当然そのような悲惨なニュ−スも語りました。そこでスタ−リンはある時これらの語り部を招待して詩の朗読大会を開きました。その大会の場所に到着した語部は皆殺しにされたのです。こうしてスタ−リンは彼らの口を封じたわけ。

 さて、教会はいくらかの人に神様が霊感を与えてその聖書を書く仕事をさせたと教えます。そのような霊感があるのかどうか、信じる信じないは皆さんの勝手ですが、ともかく初代の教会の人は、そのように信じました。ですから、聖書と考えられたもの(これが4つの福音書や『使徒行録』や使徒たちの手紙や『黙示録』です)は、非常に大切にされました。当時はコピ−の機械がありませんでしたから、重要な本は書写されたのですが、当然書き写すときに間違いが出てきます。聖書と他のギリシアやロ−マの文学や歴史の本を比べると、書写の本の数においても、また間違いの少なさにおいても聖書に勝ものはありません。これは、信者が聖書を非常に大切にしていた証拠の一つです。

第九章;イエス様の教えは聖書に全部記録されているのではないことが話される章

 キリスト教はナザレトのイエスが神と人間の二つの本性をもった方であると信じる宗教です。だから、イエスの言葉と行ないが教えの基礎になる。それでは、その基礎を知るには聖書を読めば十分なのでしょうか。

 イエス様は大体3年間人々に教えられました。ある人物が3年間にしたことを一冊の本に全部書き記すことはそれほど簡単ではないでしょう。ヨハネは福音書の一番最後のところに「イエズスが行なわれたことはこのほかにも多いが、一つ一つ記したなら全世界さえもその書かれた本を入れることができまいと私は思う」と言っています。

 つまり、福音書は最初に口で伝えられたものを書き残したものですが、口頭の教えのうちに書き残されずに残ったものもあるわけです。教会はその伝えを「聖伝」と呼んでいます。「聖伝」の方が「聖書」より先にある。ところが、「こんな聖伝なんて教会がでっち上げた教えや。キリストの教えは聖書にしかない。聖書だけ信じたら十分や」と言った人がいます。それがルタ−。プロテスタントはこの考えを踏襲しています。彼らのことを「福音派」というのはその意味です。

 でも、もし聖伝を信じないのであれば、実は聖書も信じることができなくなるのです。なぜと言うに、前にも言ったように、福音書の中に、いつどこで誰がこの書を書いたのかは勿論、「この書物は神の霊感を受けて書かれた」なんて文章は出てこないのです。それでは、どうしてその書物が聖書(つまり神の霊感を受けて書かれた書物)だとわかるのか。それは、イエス様の弟子たちが最初からそれらの書物を聖書として認めて、そのように教え伝えたから。つまり聖伝によって、どの書物が聖書で、どの書物が聖書でないのかがわかる。ちょうど聖伝は、聖書という壁を支えているつっかえ棒みたいなもので、それがなければ聖書も倒れてしまう。実際ルタ−は後で、自分の教えに反することが書いてある聖書(「善業を伴わない信仰は死んでいる」と言ったヤコボの手紙)を「これは聖書と違う」として、聖書のリストから排除しました。

 以前、『ペトロの福音書』とか『トマの福音書』とか『ヤコボの福音書』とかいう本について授業で話しました。これらの本が聖書のリストから外され、マテオ、マルコなどが聖書であると誰が決めたのですか。繰り返しますが、その選別をしたのが教会です。その選別は「聖伝」を頼りにしてなされました。

 聖書は、このキリスト教徒が人口の1%にも満たない日本でもベストセラ−です。大人になって人生の問題を深く考えるようになればじっくり味わって読んでみる価値があると思います。20歳過ぎてマンガしか読まないようではなさけない。

 それでは気温の変化に注意して、風邪を引かぬよう気をつけてください。


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