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楽天掲示板
                             



 2002年4月30日(土) Wウエデイング・リング


 いや〜 わっはっはっはっは〜

わっはっは〜 わっはっはっはっはっは〜

 いや〜 大好きなみなさん ご機嫌いかがでしょうか?

真面目なみなさんはびっくりなさったことでしょうね〜

だって いきなり3月31日から4月30日になったのですもの

ね いくら地球上に時差があるとはいってもですね〜

 小生の62年間の出鱈目な棲息状態を知ってる方々は

”フン! 楽天の気まぐれ馬鹿たれ野郎めがモ〜”とかなん

とか言って 舌打ちなさったことでしょうね

わっはっはっはっは〜 いや ごめんなさい ごめんなさい!

 昨今の小生の日記をご覧のお方はお分かりのことでしょうが

も〜 小生は 可愛い太希子がこの楽天を見捨てて結婚する

というので も〜 落ち込んで ”オヨヨ・オヨヨ”の日々だった

のです

 ところが 世の中に神様仏様 心優しい人というのはいらっ

しゃるのですね〜

 実は今日 この楽天のあまりにも哀れで忍びないさまを見か

ねて 心美しく清らかで優しい笑顔の天使さまが慰めにお出

でてくださったのです

 なんと嬉しいことでありましょうか 〜 あ 〜

そしてまた その人の名は 知る人ぞ知る !

 ”ジャ〜ン” 恐れ多くも 天下の大美人

 ” ほんわかさん ” なるぞ〜 〜 〜

一同 頭が高い! 控えい〜 控えい〜 ということで

 小生の大好きな”ほんわかさん”が激励に来てくださったの

です

 それも 何か月かかって作っていただいたのでしょうか 

手作りの立派な パッチワークのタペストリーをご持参くださっ

たのです 淡い優しい色を使って 丸い輪がいくつもいくつも

広がっているのです

まるで 夢のように まるで 幸せの輪が広がるように …

 お伺いしたところ その作品は 

 『 Wウエデイング・リング 』といって 外国ではおばあちゃ

んやお母さんが 大好きな娘や孫が幸せになるようにと祈っ

て 新しい門出を祝って 嫁入り道具として新家庭に持って

いってもらうものだそうです

 あ〜 嬉しいな〜 幸せだな〜 

大好きな ”ほんわかさん” 小生が落ち込んでいるのを見る

に見かねて慰めにきてくださった そして 子供たちの自立

や親の心得について こんこんと優しくご指導をいただいた

 あ〜嬉しいな〜 ありがたいな〜

ということで 流石にアホな小生も目が覚めたのでございます

 ということで (前から気になって仕方がなかったのである

が 小生の文章にはどうしてこの ”ということで” という文字

が多いのであろうか 非常に目障りである ”ということで”い

まからこの”ということで”という言葉を極力使わないように注

意することにする) ということで今日の日記は終わりとする

 あ〜 久し振りに その日の中に書いた日記であった

 ”ほんわかさん”本当にありがとうございました

おかげさまで 今日は 本当に楽しい一日を過ごすことがで

きました 心から感謝申し上げます 

明日からまた 3日坊主を目標に頑張ります!

    ・・・     ・・・    ・・・ 

 ところで ”ご存知さん” お元気でしょうか 

最近なんの音沙汰もございませんが 棲息していますか?

小生が怠け心を起こす度に 日記が遅れる度に

 「一日一回 一字でも良いから何か 書け !」

と叱咤激励の電話やメールを呉れてたのに 最近はなんの

音沙汰もないが わっはっはっは〜 この天下の楽天さまが

もう これで終わったなどと努々思うべからず であるぞ !

 明日から また頑張るぞ〜 そして ワ〜プした1ヶ月間も

燕雀が安んでる間隙を縫って鴻鵠の志を見せてやるぞ〜!

 わっはっは〜 と 久し振りに高笑いの

 楽天ぴ〜ひょろろ であった〜〜〜〜〜〜〜〜

         あ〜 よかった 

         ”ほんわかさん”ありがとうございました
    




 2002年3月31日 (金) 太希子高校1年生


        『ガブガブ』

 ”寝る子は育つ”とはよく言ったもので、我等が太希子ちゃ

んはよ〜〜く寝ますし、その上に食べるわ食べるわ…!

 バレー部で体力を使うのでそれを補っているのであろうが、

いやはやそれにしてもよく食べること食べること!

 それにミルクもよく飲みますぞ。冷蔵庫のドアを開けたかと

思うと、キョロキョロッと周りを見まわしておじいちゃんおばあち

ゃんのいないのを見てとるなり、ガブガブっと牛乳瓶の5合入

りをラッパ飲みなんですね、まったく…。

 小生も海水浴に行って日光浴しながら、サッポロジャイアン

トをラッパ飲みするのが大好きなもんだから、叱るわけにもい

かずいやはや我ながら困ったものです。

 この娘が大人になった暁には、海水浴場や山遊びで親娘

揃ってでっかい図体が二人して”ガブガブ”と飲ってる場面を

想像して、良識有る人々の顰蹙を買うのではないかと心配し

ておりましたら、お陰様でこの娘が下戸でございましてな〜。

 いや〜よかった、よかった。冷蔵庫に冷やしてあるビールを

飲まれなくてよかった、よかったよかった!

 わっはっはっは〜 神様仏様 ありがとうございました。

おっとっと、バッカスの神様にも感謝感謝の楽天なのです。
 




 2002年3月30日 (木) 太希子高校1年生


     『友達いっぱい』

 むかし、むかし、ある森に1匹の子ウサギが住んでいました

ウサギの名はピーターといって、とても冒険好きのいたずらも

のでした。

 ピーターは、今朝早く目が覚めたとき、なぜか友達がほしく

てたまりませんでした。

「どうしてだろう?」と、自分でも不思議でした。

 そこでピーターは歯を磨き,朝食の後お母さんにサンドウイ

ッチのお弁当を作ってもらい,友達を探しに行くことにしまし

た。

 「お母さん,僕友達を探してくるね」そう言うと,お母さんは

「ピーターや,友達探しも良いけど,夕方にはちゃんと帰って

くるのですよ。それからお父さんに”行ってきます”を言いなさ

いよ」と,言いました。

 ピーターは,急いで3階で寝ている父さんの部屋に行き、

「お父さん,行ってきます。ボク友達沢山作ってくるからね」

と,言いました。

 しかし,お父さんは起きません。そこでピーターは,お父さ

んのホッペにキスをして出かけました。

 森の中を歩いて行くと、小川がチョロチョロ流れています。

ピーターはそこまで来るとのどが渇いていることに気付きまし

た。

 ゴクゴクと水を飲んでいると、水の中にお魚が沢山泳いで

います。

 そこで,ピーターは魚のお爺さんに,

「ねえ,ねえ,お爺さん,友達はどうやったらできるの?」と,

たずねました。

 するとお爺さんは、

「歌を歌うんじゃよ,大きな声で楽しそうにな。そうすれば友達

がたくさんできるんじゃよ」

 それを聞いたピーターは,嬉しくてたまりません。

「お爺さんありがとう。ボクたくさん友達を作るからね」と,いっ

てまた森の中を歩き始めました。

 「さあ,歌を歌うんだぞ!」と,大きく息を吸い込んだピータ

ーは,「あれっ,しまった」と,思いました。

 そうです,ピーターは友達を作る歌の歌い方を、お魚のお

爺さんに聞くのを忘れてしまっていたのです。さあ大変です。

 「困ったな〜,どうしよう?」と思っていると、フクロウのおば

さんがバサバサと羽音をさせて木に止まり、ホーホーと鳴きま

した。

 そこでピーターは,

「フクロウのおばさん,おばさんは友達のできる歌の歌い方を

知ってる?」と,聞きました。

 すると,おばさんは笑い出しました。ピーターはびっくりして

「おばさん,どうして笑うの?」と,たずねました。

 するとおばさんは,

「子供の考えていることは分からんねぇ。友達のできる歌だっ

て?そんな歌なんかある筈がないだろう!」と,また笑い出し

てしまいました。

 ピーターはムッとして走って行きました。

「どうしてあんなに笑うんだっ!」

 と,泣きたくなりました。

「ボクには友達はできないのかなあ」

 走りつかれてしょんぼりと石の上に座っていると、森の中か

ら小鳥のチュッピ〜,チュ、チュ、チュ、というきれいな歌声が

聞こえてきました。

 「なんてきれいな歌なんだろう」

ピーターはその声に耳をすませました。うっとりと小鳥の声に

聴きほれていると,

 「ピーチュ,チュ,チュ,チュ,ピーターいる?」

と,歌っているようです。

 「ピーターってボクのことかなあ?」

と,もう一度よく耳をすませて聞くと、

 「ピーター,ピーター?」

と,今度は羽っきりと聞こえます。

 「ハアーイ,ボクここにいるよ」

と返事をすると,美しい小鳥が飛んできて,ピーターの目の前

の小枝に止まりました。

 「あなたがピーター?私さがしたのよ。あのね,お魚のお爺さ

んがピーターに伝えてほしいって。友達のできる歌は,自分

が思ってることを歌えばいいって。私にはなんのことかわから

ないけど,キチンと伝えましたからね」

そういうと,小鳥は飛び去りました。

 「自分が思っていることだって?ボクはいま友達がほしいだ

け。別になんにも考えてないのになあ」

 ピーターは首をかしげながらハッとしました。

「そうだ!友達がほしい歌を歌えばいいんだ。どうして今まで

気がつかなかったんだろう」

 ピーターは元気に歌い出しました。

 ♪ ボクは〜

     友達が

      ほしいんだよ〜

    ボクの

     名前は

      ピーターさ〜 

    いたずら好きだし

      冒険好き〜

    だれか友達になって

      くださいな〜

    ルラルラル〜

       ルラルラルラルラル〜 ♪

                  おしまい 

    …        …       …

 上記の童話は、この夏休みの間に机に向かって、一見勉

強中と見せかけながら書いた作品です。太希子が創った初

めての童話ということで,のらくろ君が立派な表装と色紙と

絵で製本してくれました。いまは良い思い出です。

 でも初めてこの粗筋を読んだ時には,ひょっとしたら太希子

には本当の友達がいないんではなかろうか、寂しいのではな

いのだろうかと気をもんだものです。

 児童心理学的に見て,娘が友達や父親と遊びたいのに寝

ていた小生は”いったいなんだっ〜”と反省して、それから早

起きするようになりました。

 というのは嘘です。

 では 「今日のお話なあに」 は,これでおしまいです。




 2002年3月29日 (水) 太希子高校1年生


      『 してやったり!』

 9月3日に先生からゴツンと拳骨を食らった、と言って夏休

みの宿題を始め出した。

 …ところがである。

 6日の朝は

「ママ、今日からテストのあって全然知らんやったろ〜」と言っ

て、「ガハハハハ〜」と、大笑いして得意そうに学校に出掛け

て行ったそうでございます。




 2002年3月28日 (火) 太希子高校1年生


         『海水浴』

 8月27日、クラブ活動をやりくりした3人の娘達にせがまれ

て、親娘5人で今年2回目の海水浴にでかけました。

 上の二人の娘達は、もうとっくに身長体重ともに母親を凌ぎ

末の美希子も最近とみに背がすんなりと伸びてきて、いかに

も少女という風情になってきたのが眩しく、男親としては嬉し

いような悲しいような、なんとも複雑な心境の今日この頃なの

です。

 娘たちが生まれて16年間、毎年親しんできた郷土長崎の

夏の海なのです。

 ギラギラと輝く太陽と白い入道雲と青い海。

 1才の頃、2才の頃、3才の頃、寄せては返す波に目を見張

り、キャッツキャッツと嬉しそうな声を上げて白波と鬼ごっこを

楽しんでいた娘たちよ。

 優希よ、太希子よ、美希子よ、私たちの可愛いい娘たちよ

!どうかいつまでも、誰からも愛されるような心と笑顔の美し

い娘であって欲しい。そしていまあるように、時々は喧嘩しな

がら、いつまでも仲の良い姉妹であって欲しい。

 この長崎の青い空の下、父ちゃんとママとあなたがたの5

人で、真っ赤な太陽がキラキラと輝く広い海を眺めながら、た

ったいま約束したことをどうか忘れないで欲しい。

 いつまでもいつまでもいのちある限り、夏になったらみんな

で海に来よう。みんなが元気なかぎり生きているかぎり、みん

なでこの素晴らしい海に会いに来ようね。

 あなたがたに愛する人ができ子供たちができたら、大好き

なお友達もいっぱいいっぱい連れてみんなで来ようね。

 いつか父ちゃんもママも年老いて、二人だけでこの海に来

て、ひょっとしたら遠くに離れ住んでいるあなたがたを思い出

すときがあるかもしれない。

 そのときは、父ちゃんは泣くだろうね〜きっと。

ねえ、大好きな娘たちよ。見てごらん、河原の石は丸いんだ

ね…。 

     




 2002年3月27日 (月) 太希子高校1年生


         『 里心 』

 夏休みの始まった7月22日、高校生になって始めてのバ

レー部の合宿とあって、張り切って出掛けた太希子であった

が、27日に突然電話が掛かってきた。

 「ママ〜、も〜きつか〜!そいからダニのいっぱいおってか

ら刺されて痒かけん薬ば持って来て〜。保健室の鍵も私が

持って帰ったまま、忘れて机の中に入れとったけん持って来

てっ。それにどうせせんて思うばってん、みんな持って来とっ

けん一応宿題のプリントも持って来とって〜。それとアイスも

差し入れして〜!」

 「合宿は楽しい?」とママ。

「いや〜、きつかばっかいっ!も〜何でん言うことば聞くけん

早よ〜家に帰りたか〜」

 …という、我等が太希ちゃんの高校初めての合宿でござい

ました。

 わっはっはっは〜「なんでも、言うことを聞くか」はっはっは〜

 でも、偉いぞ太希子や。 考えてみれば小生なんか、中学

校の1学期だけは野球部に行ったが、球拾いばっかりさせら

れたのに嫌気がさして、夏休みからは一回もクラブ活動をし

たことがないばかりか、遊び相手欲しさに友達に

「ヤメロ・ヤメロ」と勧誘して回ったもんな〜。

 考えて見れば、安兵衛なんかは百メートルを11秒で走ってい

たから将来はオリンピック選手だったろうに!あたら芽をつぶ

してしまった小生はまさに国賊だったのだな〜

 許せ安兵衛よ 日本よ ! わっはっはっは〜 




 2002年3月26日 (日) 太希子高校1年生


     『 ゴリラのダンスパ〜テイ 』

 
 @  ドンドコドンドコ ドンドコ ドンドコ

     ゴリラのダンス

    今夜は楽しい ゴリラのパ〜テイ

    赤ちゃんゴリラが スキップすれば

    人形さんも踊るし お花さんも踊る


 A  ドンドコドンドコ ドンドコ ドンドコ

     ゴリラのダンス

    みんなで仲良く ゴリラのパ〜テイ

    姉さんゴリラが ステップ踏めば

    机も踊るし 地球儀も踊る

 
 B  ドンドコドンドコ ドンドコ ドンドコ

     ゴリラのダンス

    今夜は愉快な ゴリラのパ〜テイ

    母さんゴリラが お尻を振れば

    冷蔵庫も踊るし 洗濯機も踊る


 C  ドンドコドンドコ ドンドコ ドンドコ

     ゴリラのダンス

    みんなで仲良く ゴリラノパ〜テイ

    父さんゴリラが ワルツを踊りゃ

    シャンデリアも踊るし お家も踊る

    シャンでリアも踊るし お家も踊る


 身長171cm、体重は自称70キロのあなたは、身体の方は

すくすくと大きくなりましたが、心はいつまでも童女のままです

ね。高校1年生というより、小学校1年生と言ったほうがぴった

りの、純粋素直な心の持ち主です。

 昨夜、父ちゃんがご機嫌で歌っていたら、隣の部屋でこっ

そり父ちゃんの様子を窺いながら、ママとふざけてお尻を振り

ながらドッシンドッシンと踊っていましたね。それも湯上がりの

ほてった身体、素っ裸のままで…

 思いつくままにスラスラと詩ができました。今日小國先生の

奥様にお願いして、父ちゃんの頭の中で浮かんでいるメロデ

イ〜を何回も繰り返して曲にして頂きました。上手ではないけ

どあなたに奉げます。いつまでも父ちゃんと一緒にお風呂に

入ってくれるのが嬉しいのです。
      




 2002年3月25日 (土) 太希子高校1年生


       『勉強』

 試験の為に部活が休みになって早く帰って来た日の娘は、

小生のベッドを占領して大の字になって、おやつをムシャム

シャやりながら漫画本を読んでいるのでございます。

 父ちゃんは歯をくいしばって絶対に言わんのです。だって、

父ちゃんは子供の頃に決めていたのです。自分が嫌いだっ

たことを、大人になってから自分の子供に対して絶対に言わ

んぞって!

「勉強しなさい!」なんてことをですね。

 それにしても、なんというおおらかなる娘や。

「わしゃ〜も〜か〜なわんわい、ったく!」

ご先祖さんも大変だったでしょうね、今にして知るなんとやら

わっはっはっはっは〜 あ、ごめんなさい !    




 2002年3月24日 (金) 太希子高校1年生


        『柔道部』

 クラブ活動のバレー部に入った太希子は、部活の生徒達で

満載のスクールバスで夕方遅く帰ってくるのですが、キャッツ

キャッツと笑い声のけたたましい太希子、身長170?cm体重

70?kgの娘は、最終バスの人気者のようでいつもご機嫌で

帰ってきます。

 今日は3年生の男子の先輩から入部の勧誘を受けたそうで

「わいはバレー部にしとくとは勿体なか、絶対柔道部には入

れ!」と言われたそうで、

 「も〜、人ば馬鹿にしとっとよ〜」と、キャッツっキャッツと

笑うのでございました。
    




 2002年3月23日 (木) 太希子高校1年生


       『入学式』 ママの日記より

 春になり、桜をはじめツツジ・矢車草・れんげ草・チューリップ

など、可愛らしい花や萌える新緑を見ると、自然の恵みに感

謝する今日この頃です。

 4月8日、今日は太希子の日大付属高等学校への入学式

です。貝津団地前でバスを降り、小さな商店が並ぶ道を右へ

折れると、両側には緑の中にピンクの花をつけたレンゲ畑が

広がり、さらに500メートルほど歩いて行くと、学校の建物が

左手正面に見えるのです。

 校門を入った坂道の両側には、何本もの桜の木が立って

おり、綺麗な花が咲いています。

 体育館前でクラスを確認すると、太希子は7組でした。体育

館の中は沢山の生徒と父兄が、1組から8組までのプラカー

ドで示されている列に並んでおります。

 入学式が始まるまでの時間を、上級生達が音楽演奏で歓

迎してくれて、新入生や父兄達の緊張を和らげてくれており

ました。

 いよいよ入学式の始まりです。開会の辞で一同起立し

「君が代」を斉唱した後で、山崎校長先生の挨拶が始まりま

した。いろいろなお話の中で、故永田菊次郎先生の言葉の

「至誠・勤勉・創造」についてのご説明があり、最後に特に

強調されたのが次のようなお話でした。

 「私学はあくまでも個人の良いところを伸ばす場所です。

そして人間には、誰でも必ず一つは良いところがあるので、ご

両親様も子供さんの良いところを発見けて伸ばしてください」

 とのお言葉に、「あっつ、主人がいつも言ってることと一緒

だ!」と急に校長先生に親しみが湧いてきました。

 緑に囲まれた小高い丘の上にある、広広とした環境の良い

学校で、太希子が太希子らしいのびのびとした3年間を過ご

して、素晴らしい”なにか”を吸収してくれるようにと期待して

おります。
    




 2002年3月22日 (水) 太希子中学3年生


     『春(天真)爛漫』

 立春は2月4日の午後0時30分、“リリリ〜ン”と明るく爽や

かな電話のベルと共に、我が家にも春が訪れたのです。

 太希子の弾むような声と一緒に”どっと”明るい春の日差し

が訪れてくれたのです。

「父ちゃん入っとったよ、入っとったよ、入っとったよ!」

受話器の中から、嬉しそうな太希子の太っかい声がガンガン

響くのです。

「ウンウン、そうかそうか。良かったね〜、太希子なりに頑張っ

たもんね。おめでとう、本当に良かったね〜」

「ありがとう、ありがとう父ちゃん!」

 電話を受けて入る小生の横では、心優しい愛妻がハンカチ

で瞼を押さえているのです。

 みなさん、我が家の次女の太っかい希望の子の太希子が、

日大付属高校に推薦で入学させて頂いたのです。

      …            …

 いつも天真爛漫で無邪気な太希子、中学3年生といっても

まるで小学3年生みたいに純粋な心を、身長171cm・体重

70キロの堂々たる体躯に搭載して、のっしのっしと彼女の行

く至るところで、ガラガラガッチャンの大騒動、笑いとハプニン

グの連続なのです。

 高校受験に向けて我が家は太希子を中心にハラハラドキド

キ(本人は?)の連続でしたが、いま思い出すと面白可笑し

く楽しいことばっかりでしたね。

@ 桜馬場中学校に入学して始めての試験で96点もとって

 びっくりさせてくれた。まあそれが最初にして最後の高得点

 でしたが、”実力はある”というのを示してくれたのは嬉しい

 ことでした。「やれば出来る!」と言うのがおばあちゃんの

 口癖で、父ちゃんもさんざん口が酸っぱくなるほど言われ

 続けてきたが、いや〜良かった良かった。

  父ちゃんも高校の時に国語で98点をとったことがあって、

 その時に小國先生が他のクラスで、

 「C組の小田が98点をとったぞ。みんなやれば出来るん

 だから頑張れ!あの小田でさえ…」と言ったとか言わんと

 かの話で、いまも”のらくろ”に冷やかされるのである。

 でも、お互いに「やれば出来る」の片鱗を残すことが出来て 
 幸せでしたね。わっはっはっは〜

A  それから3年間、春夏冬と通信簿を持ってくる度に、

 「父ちゃんもママもびっくりしなさんなよ!」と、前置きを言い

 ながら渡してくれましたが、いやはや、2年目くらいからは

 父ちゃんもママも肝が座って大抵のことでは驚かなくなりま

 したよ。

B  「楽天を2度も育てているみたい」 と、おばあちゃんを

 嘆かせるくらいに父ちゃんに良く似たあなたが、昔の学生

 時代の父ちゃんと同じように、しょっちゅう遅刻して「朝から
 
 廊下に座らせられていた」というのを教えてくださったのは

 担任の竹田先生でした。

  いやはや、あなたが3年間内緒にしていたことが暴露され

 て家族みんなで大笑いでしたが、竹田先生は優しい目で

 あなたを見守っていてくださったのですね。

C  その竹田先生が、おばあちゃんを慰めて言うことには、

 「勉強しなくてもこれくらいの成績を残せるんですから…」

 いやはや、もうわっはっはっはっは〜でしたね。

  あとで、おばあちゃんが言った言葉…

 「一体、竹田先生は太希ちゃんのことを褒めてくれなったと

 やろうか?それとも、駄目って言いなったとやろうかね〜」

 と、首をかしげていましたよ。

D  ”あなたが将来なりたいのは保育園の先生なので、なる

 べく良い学校に行ければ” と、

  ところがところが、小学校3年生なみの勉強時間では流石

 天才のあなたでも、県立・市立は絶対に無理。

  そこで、先生のおっしゃるには、純心・活水高校も当たり

 前に受験したら絶対無理。

 でも、小・中学校とバレーを続けてきたので日大の推薦入

 学ならひょっとして…

  ということで、過大なる期待を背負っての受験でしたが、

 桜馬場中学校では5人受験して3人がパス、そして幸運なこ

 とにその中にあなたも入っていたのです。

E  神様の思し召しで入ることの出来た日大付属高校、こ

 の学校を通してあなたには多くの出会いがあり、多くの素晴

 らしい思い出創りが出来ることでしょう。

 どうか、あなたが良い人生を送ることが出来ますように!

 大好きな太希子、本当におめでとう。

    …     …     …

 世の中捨てたものではございませんぞ。なかなか風流な先

生もいらっしゃるのです。先日の卒業試験の後のことです。

 太希子がにこにこして帰ってきて、

「父ちゃん、この試験の面白かとよ。いくつか解いて後は分か

らんやったけん”うつらうつら”寝とったら、”パッ”と閃くことの

あって答えの分かったとよ。父ちゃんは出来る?」

 と言うので見せてもらったら、下記のような図工の試験問題

なのです。

 勿論天才太希ちゃんの父ちゃんですから、言うまでもありま

せんでしたが、世の中はガリ勉だけでは駄目、遊びや閃きも

大切ですよ!と、先生がおっしゃりたかったのでしょうか。             
 優等生達はよく分からなかったらしく、後で答えを示されて

ポカ〜ンとしていたそうです。

 みなさんはお分かりでしょうか?桜馬場中学校の風流な先

生が、卒業する生徒たちに寄せるメッセ〜ジ!

解けた子供たちにとっては、いつまでも心温まる思い出となっ

て残ることでしょう…!

    …       …      …

 作品と作者の名前が一致するように、語群の中から選びな

さい。 


  【作品名】        【作品】         【国名】

 郵便配達夫          @          日本

 花瓶の14本のひまわり   A            B

 バイオリン弾き        C       ロシアーフランス

 青い服の少女     モジリアーニ         D

 聖者が…するとき       E          アメリカ

 ゲルニカ            F            G

    H           ダ=ビンチ         I


     …      …     …       …

  い  羽柴秀吉         ろ  ロートレック         
  は  高村高太郎        に  ブロンズ

  ほ  ユトリロ           へ  ボナール

  と  モナリザ           あ  安井曽太郎

  い  ゴーギー          う   イタリヤ

  え  マリーニ          お   ベン・シャーン 

  た  前田かんじ         ち   セザンヌ

  つ  ゴッホ             て  日本

  ど  ロシア             ぎ  オランダ

  が  ルーマニア          ぐ  イギリス

  で  スペイン            そ  佐伯ゆうぞう

  ん  私の町             よ  シャガール

  め  ピカソ             や  さくらんぼ

  ふ  ドイツ 




 2002年3月21日 (火) 太希子中学2年生


       『ママの日記から』

    
       「神頼み」

 夏休みはよく食べてよく遊んでよく寝ていましたが、今朝は

お仏壇の前に座って鐘を「チ〜ン」と鳴らして、「困った時の

神頼み」と言って、2学期始めの試験に出掛けて行きました。


       「時計」

 言うまいとは思うのですが、あまりにも机に向かわないので

呆れ果ててしまって、「少しは勉強しないと3年生になってか

ら大変よ」と言って小一時間ぐらい経ってから、台所でゴソゴ

ソしているところを見つけたら、機先を制して

「10分間したもん。ちゃんと時計ば見とったも〜ん」と言われ

てしまった。


       「父親の威厳」

 9月23日、井口さんの社屋移転のお祝いに行く前の出来

事です。主人はタキシードを来て張りきっています。

 「私も負けずにおめかししなくっては…何を着よう?子供た

ちには何を着せようかしら?」

 などと考えながら、持っている洋服をあれこれ思い浮かべ3

階に上がりました。洋服ダンスを開けてまず子供たちに、

「優ちゃんは〜?あ、これ、これにしたら?入りそうよ」と、

私のワンピースをあてて見るとよく似合います。

 「太希ちゃんのスカートはどれがいいかしらね〜?」

「私はズボンがいい!だって、スカートは似合わないもん」

「じゃあ、着てみてお父さんに見て頂いて、良かったらそれに

しなさい」

「ハイッ」

 と返事して、太希ちゃんはトントンと階段を降りて行きました

。さて、次は美希ちゃんの番です。

 「美希ちゃんはどれにしようか?」

「私はこれと、これ!アイロンをかけてねっ ママ!」

 美希子は素早く、前持って決めていたスカートとブラウスを

取り出しました。

 アイロンをかけたり、お化粧をしたり、少し出てきたお腹を気

にしながら、スカートのホックと悪戦苦闘をしている間に優希

と美希子はそれぞれに、リボンがどうのこうのと相談しながら

おめかしに余念がありません。

 と、トントントンと軽い足音がして太希子が現れました。

「荒木のおじちゃんが、これで良かってよ」と、得意顔です。

 今夜は夢豊会のみなさんに会えることや、ご馳走がいっぱ

い待ってることを思うと嬉しいのでしょう。子供たちは朝から

ソワソワだったのです。

 出掛ける時間になって、みんなが店に揃い出した時に太希

子が部屋に入ってきたのですが、その顔を見てみんなびっ

くり仰天。口紅をつけてイヤリングまでしているのです。

 まだ精神的に幼い太希子が、テレビのアイドル歌手を真似

して、それなりのお洒落をしてきたつもりなのでしょうか。

 「太希ちゃん!口紅とイヤリングは外さんね」と言うと、主人

はもうびっくりしてポカンと口を開けたままでおりましたが、やっ

と我に返ったようで、

「馬鹿もん、おかしかぞ!」と言うのです。

 すると優ちゃんが、

「パーテイーやっけん良かやかね〜。それに太希ちゃんは似

合ってるし」と言ったところ、

 主人は急に声に力を入れると、

「馬鹿もん、まだ学生やろうが!身分を考えろ。学生らしくしと

っとが一番可愛らしかとぞ! 似合うからといって何をしても

良かと思うとっとか〜!」と言ったかと思うと、ゲンコツで姉の

優希の頭をゴツ〜ンと思いっきり殴ったのです。

 いつもは優しいお父さんだっただけに、突然の出来事に子

供達も私も本当にびっくりしてしまったのです。

 考えてみますと、子供達も少しずつ自我に目覚めてきて、

自分なりの考えや行動を持ってそれなりに成長していくんだ

な〜と、嬉しいようなせつないような感慨を覚えたことです。

 しかし、流石は父親だな〜、けじめをつける時にはキチンと

怒るのだな〜 と、あらためて尊敬したのです。

 その時は一瞬シーンとしましたが、太希子が口紅とイヤリン

グを急いで外してきた後で、主人がいつもの明るいしかし

厳しい声で、

 「よ〜し、さあ、やるぞ!練習練習」の号令一下、みんな気

を取り直して合唱の練習です。

…というのも井口さんのパ〜テイで、私達一家は何か歌うよう

に頼まれていて、みんなで相談して”オダッペ・ファミリー”の

「エーデルワイズ」を合唱するように打ち合わせしていたので

す。

 しかし、さすがに最初は子供達も元気がありませんでしたが

「もっとニコニコして楽しく歌わんと駄目だ。元気を出して、一

生懸命に歌わんば、期待してくれている井口のおじちゃんお

ばちゃんや、お客さんに失礼になるぞ!」

 と主人が気合いを入れ、荒木さんがおどけた仕草でタクト

を振って気まずい空気を和ませてくださったので、お腹の底

から声を出して入るうちに、やっとみんなも元気が出てきてど

うにか形になったようでした。

 パーテイの本番では、お陰様でやんややんやの大喝采。

「ブラボ〜・持ってこ〜い・上手いぞ〜」とみんなから褒めら

れて、嬉しさいっぱいの娘達だったのです。

 そしてもう、つい先刻叱られたこともケロっと忘れて、ご馳走

を前におおはしゃぎでした。

 これから先も子供達の成長につれ、このような小事件が度

度起きるのでしょうが、私なりにしっかりした信念をもって子供

達の成長を見守らなくてはと思ったことでした。

 それにしても、父親の一貫した主義主張・頑固さというもの

が、子供達の教育には大切なことを実感し、改めて主人は

偉いなあ、頼もしいなあと頭が下がる思いでした。

 お陰様で私達小田ファミリーは、大好きな皆様とご一緒に

とても楽しく嬉しい一刻を過ごさせて頂きました。

 最後になりますが、井口建具アルミ店様の社業の益々の

ご発展と、ご一家様のご多幸をお祈り申し上げながら筆を置

くことにいたします。

 本当に楽しく良い思い出をありがとうございました。




 2002年3月20日 (月) 太希子中学1年生


      『父親似』

 桜馬場中学校入学直後の国語の実力テストで、いきなり

96点もの点数をとってきたので家族一同びっくりしたのであ

る。流石は本好きなだけに、基本的な学力はあるのだな〜

と家族一同感心したのであるが、ご先祖サンのご機嫌があん

なに良かったのは初めてであった。

 「太希ちゃんは、やれば出来るんだね〜」なんて、目尻が

下がりっぱなしで、太希子の好きなエビフライを一生懸命に

作っていたが、あれが最初で最後の成績だとは…

 わっはっはっは〜

夏休み前に通知表を持ってきた時には、後ろ手に隠しながら

「びっくりしなさんなよ」と言って見せてくれたが、いやはやび

っくりしましたよ、父ちゃんもママも…

 たしか、話題を替えたりいろんなテクニックを使って、ご先祖

サンには見せなかった筈だよ。家族全員の幸せの為に!

 わっはっはっはっは〜 それから高校を卒業するまでの6年

間、「びっくりしなさんなよ」の、あなたの恒例の科白はもう慣

れっこになってしまって、父ちゃんもママもびくともしない程に

成長したことです。

 わっはっはっは〜 その頃のご存知サンはよく、

「太希ちゃんはお前にそっくりで、楽天を2回も育てているよう

な気がする」と言って、次のような類似点を上げて父ちゃんを

叱っていたものですよ、可愛い太希子や。

@ 勉強が嫌い

A 漫画本が好き

B 階段を上る時に足音を“ドンドン”立てる

C 引き出しを開けたままにしている

D 朝寝坊

E のんきすぎる

F 押し入れで寝る

 等が共通する性格で「困ったもんだ」と嘆いていたが、なあ

に、中学校の頃の小生に似て、実に可愛い孫ではございま

せんか。

 「”角を矯めて牛を殺す”とかいう諺もございますぞ。次の如

く考えて、太希子の長所を伸ばしてやりましょうよ!」と、言っ

たかどうかは定かではない。

 とにかく、いまでこそ仏様のようなご先祖サンであるが、当時

はおっかなかったからなあ〜。 ワッハッハ~(溜め息にあらず)

 笑い声も小さいのであるが、当時小生が言ったのは以下の

ことであった。

@ 何処の誰が本当に勉強が好きなものか。中学生として平

  均的、否それ以上に正直健康な心を持っている。

A 至極結構なことである。自分の持つ才能は何処にあるか

   分からないので、なんでも好奇心旺盛に吸収するのが

   大切であり、いつ”芸は身を助ける”になるか分かりませ 
   んよ。

B 正々堂々と常に潔く、自信に溢れている。

C 多分、後から引き出しを開ける人に対しての優しい心遣

   いでしょう。【することはする】その証拠に、夕食後の決

   められた台所の掃除はキチンとしているでしょう?

   もっとも、四角い部屋を丸く掃いておりますが…

D 小生も学校時代はよく走って通ったものだ。そのお陰で

   忘れがたい経験や思い出や、多くの悪友を持ったので 
   ある。 ウンウン!

E のんきがよろしい。女の子が神経質では駄目です。

   その反面、小学校5年生の時から、玄関の靴の整理整

   頓は我が家で一番キチンとするのです。毎朝仏壇にお

   参りして一番上手にお経も読めるし、なんとしおらしいお

   姫さまではございませんか。

F 率直に言って寝たい時に寝るのが健康の秘訣である。

   いつもいつもその度ごとに、部屋に布団をしいてみんな

   に迷惑を掛けないようにと、気を使う優しい娘なのです。

    昔、小生もチョイチョイやっていたのでその心情はよく

   理解出来るのです。

   あ〜あ〜 太希子めっ!

   最近ちょくちょく、家の中で行方不明の時が多いと思っ

   ていたら。押し込みの中に隠れて寝ることを思いつくと

   は天晴れ千万!

   まさしく我が娘に相違あるまいぞ。

    ・・・     ・・・      ・・・

 今から半世紀も昔、ご先祖サンにいつも怒られていました。

「楽天や、あなたはも太希子も一体何ば考えとっとね?本当

に将来はどうなっとやろかね〜」

 半世紀経って、太希子は社会人となり友愛社会館保育園

に勤務させて頂き、漫画本を読んだお陰でとても上手にイラ

ストを描くようになって役だっております。音痴も大分治りまし

た。

 子供達や先生方やお母さん方にも信用されて愛されて、

立派な保母さんとなって活躍しました。素晴らしい娘です。

 楽天も62歳となりました。相変わらず馬鹿やってますが、

頑固サンとご先祖サンの偉大さが分かるようになりました。もう

すぐ我々の太希子が、あの太希子が、お嫁さんになっていな

くなるので泣いています。

 桜の花が

 咲いて

 もう

 ずいぶん

 ときが

 たったのでしょうか

 あ〜

 という あいだ

 もうすぐ

 およめさん

 か〜

 うんうん

 太希子 なのです

 
  ありがとうみなさんたきこなのです
 




 2002年3月19日 (日) 太希子小学6年生


       『逃げ場』

 「大変大変 楽天・万里子さん なんか知らんけど大変!

 早く2階に上がって来てっ!」

 いきなり、電話スピーカーに入ったご先祖サンの慌てふため

いた声が店内に流れて、居合わせたお客様もびっくりしてし

まわれたのです。

 一体なにごとが起こったのだろうかと、おっとりがたなで駆け

上がってみると、ご存知サンがあっち行ったりこっち行ったりし

て走り回っているのです。

 こんなにうろたえたご存知サンを見るのも初めてだったもの

ですから、我々も何がどうしたか分からぬままに付和雷同し

て後について回りながら「どうしたと、何があったとね?」と尋

ねるのですが、「太希ちゃんが、太希ちゃんが〜」と言うばか

りなのです。

 「一体なんだろう?」とちょっぴり心を落ち着けて耳を澄ま

してみると、どこやらで太希子の声がするではありませんか。

それも必死に叫んでいる様子なのです。 

 「おばあちゃん、助けて助けて、父ちゃん助けてっ!」

ともう必死になって叫んでいる太希子の声と一緒に、なにや

ら「ドシンドシン」と物凄い音が聞こえるではありませんか、も

う何事が起こっているのか小生等はびっくりしてしまって、

「ど〜したと、太希子何処におっとね?」

「何処ね、何処におっとねっ?」

「太希ちゃ〜ん、太希ちゃ〜ん」

 と3人で懸命になって探し回り尋ねるのですが、一向に太

希子の居場所は分からないのです。ところで小生宅は二つ

の建て物を後から造作して廊下でつないだ為に、コの字形

となってるので結構分かり難いのです。

「分からんと、暗かと、はよ来て太希ちゃんば助けてっ!」

 恐怖に怯えて気が狂ったように泣き叫ぶ声を頼りに、少し

ずつ捜索の輪をしぼっていくと、なんとなんと…

 仏壇の部屋にある押し込みの奥の方から、太希子の泣き

声と一緒に「ドシンドシン」と物凄い音が聞こえてくるのです。

 我々一同、一体全体押し込みの中で何が起こっているの

かと不審に思うひまもなく、体当たりするようにして急いで襖

を開けてみると、なんとなんとなんとなんと…

 そこには汗びっしょりで布団とクンズホグレツノ大格闘をして

いた太希子の姿があったのです。もう一同唖然としてしまい

まして声もなく…

 しばらくして、押し入れから転がり逃げ出してきた太希子の

興奮がやっとおさまったところで、

「ど〜したと、太希ちゃん?」とご存知サンが聞いたところ、

「太希ちゃんは寝とったと。そしたら恐か夢ば見たけん、起き

ろうてしたら入り口の無かったと、もう太希ちゃんは恐ろしゅ〜

て恐ろしゅ〜て」と言うのです。

 いや〜 わっはっはっはっは〜 太希子の説明を聞き彼女

の前後の行動から察すると、学校から帰ってきてお八つを

食べた後で、「宿題とか勉強とか」うるさい人間が二階に誰

もいなかったのを幸い、こっそり押し込みの中で仮眠をとって

いたのですね。

 ところが頭から布団をかぶる癖のある彼女は、5月とはいえ

押し込みの中のあまりの暑さで悪い夢を見て、逃げ出そうと

思ったところが出口が分からずに、反対側の壁を「ドンドン」

と叩いたり蹴飛ばしていたりしていたのでしょう。

 いや〜 わっはっはっはっは〜 あ〜可笑しい嬉しい。

可愛い太希子や、父ちゃんはあなたの汗びっしょりでキョトン

とした顔を見て可笑しくって堪りませんでしたよ。

 だって、あなたが今日やったことは昔の父ちゃんの得意技

だったのです。おばあちゃんに見付からないようにこっそり足

音を忍ばせて、襖の戸を静かに閉めて目を閉じて勉強に入

る前の瞑想に耽る。

 わっはっはっは〜 父ちゃんは誰にも知られてないつもり

だったのですが、おばあちゃんは知っていたのですね。

 だって、「あ〜あ〜困った太希ちゃんですね〜」と言った後

で部屋を出ていく時に、

 「まったくっ!楽天を2回も育てているみたい」とブツブツ

独り言を言ってるのが聞こえましたからね。

 わっはっはっは〜

 太希子や、あなたは正しく父ちゃんの娘ですね。

 大好きですよ。わっはっはっはっは〜




 2002年3月18日 (月) 太希子小学5年生


     『サンタクロース』

 ある日、いつもの日以上に学校から息せき切って帰ってき

たあなたはこう言ったのです。

 「父ちゃん サンタクロ〜スはおるよね サンタクロ〜スは

おるよね〜!」と一生懸命に父ちゃんに言ったのです。

 大好きな太希子や、おそらく学校でサンタクロ〜スがいるい

ないの論争があって、いないと言うお友達に言い負かされて

帰ってきたのでしょうね。

 大好きな太希子や、勿論サンタクロ〜スはいますよ。

だっていつも、クリスマスの朝には太希子が一番願っている

お菓子やご本やプレゼントが置いてあるでしょう。

サンタクロ〜スはいます。サンタクロ〜スを信じる心の綺麗な

太希子や純粋な子供たちにはきっといるのですよ。

サンタクロ〜スがいないと思っている人はかわいそうですね。

父ちゃんもママもサンタクロースはいると信じていますよ。

ほら、こんな歌があるでしょう。

♪ ジングルべ〜 ジングルべ〜 ジングルジングルべ〜

  サンタサンハイルベ〜 オナラクサイベ〜

  ジングルベ〜 ジングルベ〜 ジングルジングルベ〜

  サンタサンハイルベ〜 オラハシンジルべ〜     ♪

 と言って小生がこのように高尚なる歌を歌ったるところ、  

父ちゃんの歌唱力にやっと安心したのか、”ふ〜” と大きく

吐息をして、引き出しを開けてお菓子を取り出してモシャ

モシャと食べながら、いつものあなたらしい笑顔と笑い声を

見せてくれたのですね。そして不思議そうに言うのですね。

 「ね〜 父ちゃん、みんなおらんて言うとよ〜。みんな知ら

んとばいね〜」と、安心したように話してくれるのです。

 小学校5年生の太希子よ、父ちゃんもママもサンタクロ〜ス

を信じてくれるあなたが大好きですよ。毎年クリスマスになる

と3人娘の希望をそれとなく聞き出しながら、予算に合わせな

がら頑張っている優しいママの心がサンタクロ〜スなのでしょ

うね。

 それにしても、流石は父ちゃんが大好きな楽天家の肝っ玉

母さんと思うことがあるのですよ。あなたがたは気付きません

でしたか?

 絵本とか毛糸のマフラーとか洋服などと一緒に、キャンデ

ーやお菓子が入ってる長靴のことなのですが。

 いや〜 わっはっはっはっは〜 あれは多分長女優希の初

めてのクリスマスプレゼント以来、10何年の歴史があるので

すよ。ちょっぴりの年月の経過でそれなりの風格のある色合

いになりましたが、それはそれで歴史の重みというやつでしょ

う。嬉しいですね〜ママの心は !

 毎年あなたがたがお菓子を取り出した後で、いつものように

いつもの隠し場所にしまってあるのですよ。もう知ってますよ

ね〜!

わっはっはっは〜 嬉しいでしょうね〜

毎年楽天家に登場のお馴染みの赤いサンタの長靴さんは…

 世界一愛された長靴さんかもしれませんね〜

    ・・・     ・・・    ・・・

 ところで 太希子や サンタクロースは いたでしょう ?

ほら なによりの証拠に あなたが社会人になってお給料を

頂くようになってから 父ちゃんの枕もとには いつも

クリスマスの朝になると 父ちゃんの大好きな 童話の本が

置いてあるのですよ

 きっと 父ちゃんが 酔っ払ってひっくり返るのをみすませて

太希ちゃんサンタクロ〜スが やってきてくれるのでしょうね

いつも いつも 嬉しいな〜 父ちゃんは でもね 

心配なことが 一つあるのですよ

        それは

 可愛い太希子が5月にお嫁さんになって、逗子の海岸近く

に行った後でもサンタクロ〜スはいるのでしょうか?

      ということなのですよ

 オヨヨ・オヨヨ の ぴ〜ひょろろ なのですよ。

可愛い太希ちゃんや、サンタクロースはいるよね!

  オヨヨ・オヨヨ の 父ちゃん なのですよ !



 2002年3月17日 (日) 太希子小学4年生


       『正座』

 お恥ずかしい話ですが娘達3人に対する父親としての教育

理念は 「正直・親切・笑い」でございました。

 ところが、3人娘の中でも直情的な太希子は悪気は無いの

ですが、思わず言ってはならぬことを言ったり、後先の考え

無しに行動したりして一番小生から叱られたことでしょう。

 そんな折りには、自分自身が太希子と同じように直情的で

ある小生は、なるべく冷静であるように、と自分に言い聞かせ

ながら、娘を正座させ自分もキチンと向かい合って正座して

話をするように努めていたのです。

 そして、どういう理由で父が叱っているかという事をキチンと

本人に納得させた後で、パンツを剥いでお尻を力いっぱい

4・5発叩いていたのです。


 そんな時には 可愛い太希子

 あなたは 父ちゃんに力いっぱい

 お尻を叩かれた 後では

 いつも

 ”わあ〜” と 泣きながら

 「ごめんなさい ごめんなさい〜」 と
 
 顔をぐちゃぐちゃにして 泣きながら

 父ちゃんに 抱きついてくれましたね

 父ちゃんは 

 そんな 素直な 太希子が 大好きでしたよ

 厳しい父ちゃんを 許してくれる

 純粋な 太希子が 大好きでしたよ

 本当に 本当の ことです

 父ちゃんも 

 あなたが いとおしく いとおしく って

 涙が ぽろぽろ こぼれましたよ


 あっつ そうだ 

 あなたに 謝らねばならないことがあったのですね

 あなたは 覚えていてくれますか

 いつか 3階のお部屋で

 あなたを 叱っていたときに

 お客さんが お見えになった

 という お店からの電話があったので

 「すわって 反省しときなさい!」

 と言って お店に行ったまま

 馬鹿な 父ちゃんは

 可愛いあなたを 忘れてしまって

 いっぱい 時間がたって

 ” あっつ! ” と

 あなたのことを 思い出して

 3階まで かけのぼって行ったら

 あなたは 可愛い あなたは

 なみだのあとを のこした

 お顔のままで

 観音さまのような 

 お顔の あなたは

 正座をしたまま 眠っていたのです

 ” 太希子 ごめんね ごめんね ”

 父ちゃんの声で 目覚めた

 あなたは ”ひっし” と 

 父ちゃんに しがみついてくれたのです

 そして ふたりで 泣きましたね

 父ちゃんは 

 あなたが 大好きです

 正直で 親切で 笑い声の

 元気な 太希子が 大好きです

 父ちゃんは 死んでも

 あの日の あなたのことを 忘れません

 どうか 幸せに なってください

 大好きな 太希子 へ

      太希子の父ちゃん です       




 2002年3月16日 (土) 太希子小学3年生


        『宿題』

 当時は楽天家の家風として、テレビは週に3回と決まってい

たのです。

 そしてその番組はNHKの「大草原のちいさな家」とカルピ

ス名画劇場の「アルプスの少女ハイジ」・「トム・ソーヤ」・「少

女パレアナ」などの一連の名作群と「サザエさん」の3本の番

組だったのです。

 原則として、夕餉の団欒時にはテレビはつけないで、その

日一日家族7人が出会った面白い話や楽しい出来事を語っ

て笑うことをモット―としていたのです。

 (後年娘達3人から、あの頃は歌番組や芸能界のことを知ら

なくて、クラスの友人達の話に付いて行けなくて困った。…

との叱責を買うのでございましたが)

 と、まあそんな訳で我が家では晴れの日は犬や猫やニワトリ

のように元気で表を駆けまわり、雨天にはいろんな本を読む

ことを奨励していたのです。

 ところで、我が家の太希子(人生では何が大切か知ってい

る)さんがあまりにも元気に遊びまわり、漫画本ばかり読むの

を見かねたご先祖さんやママが、「太希ちゃん勉強は、宿題

は無かったの!」と言い出すや否や、おもむろに(あ〜あの

さりげない顔と仕草を思い出すさえ可笑しい)ハ〜モニカを吹

き出すのですよ。

 「またハ〜モニカね、他にも何かあったのでしょう?」と

言われるや今度はタンバリンや木琴やピアニカを取り出すの

でございました。

あ〜 可笑しかったな〜太希子さんや、磨屋小学校では音

楽の宿題が多かったのですね。

 もう、小生は可笑しくって可笑しくって

 わっはっはっはっは〜 でしたよ

       本当に 可愛い太希子さんや




 2002年3月15日 (金) 太希子小学2年生


      『お小遣い』

 学校帰りのあなたはいつも真っ赤なほっぺたで、ランドセル

をユッサユッサしながら息せき切って帰って来ましたね。

 「父ちゃん50円入っとったよ!」

あなたの人生において、あなたは毎日新しい発見をするのが

常でしたが、いつの頃やら学校から家までの自動販売機の

口に手を入れて、釣り銭が残っているのを見付けることに新し

い情熱を見出したのですね。

 まったく、良家の子女にいったい誰が教えてくれたのやら

困ったものです。

大体において小生宅では、幼少の頃からお金を持たせなく

ても、近所の小店や商店はどこでも顔見知りなのでお使いに

行っても、水戸黄門さんではございませんが、

「これを見ろ〜、頭が高〜い!」の代わりに娘が、

 「小田で〜す」と一言いえば、八百屋さん・酒屋さん・パン

屋さんなど町内どこでも通用するという、プリンセス(?)のよ

うな幼年時代を過ごさせていたものですから…

 ? ? ? というようなことがあって、金銭感覚を培う為に

お小遣いを持たせるようにしたのですが、1歳上の優希はキ

チンとそれなりの計画を立てて使っていたようでしたが、太希

子の行動力と言ったらもう豪快なものでございましたよ。

 それはもう、サハラ砂漠に水鉄砲というのでしょうか。

”ジュッ”という感じでそれこそ”あっ”と言う間もございません

でしたね。

 あっはっはっは〜

 でも、運の良い娘でございましてね、アイスクリームをペロペ

ロなめてしまいますと、最後の芯のステイックには必ず「百円」

とか「もう一本」とかの当たりが出て姉妹を口惜しがらせたもの

です。

 とにかく運の良い娘でしたし、気風の良い子でしたよ。

人が欲しがってたらなんでも分け与えておりましたよ、もっとも

前後のことを考えなかっただけで、あとでまた自分も欲しがっ

て取り合って喧嘩になってましたが、いや気前の良い娘でし

たし20年経った現在もちっとも変わっておりません。

 お金やモノに対する執着というのが一切ありませんね。

男の中の男のような気骨と、そんな風な体重を持っている本

当に可愛い娘でございますよ。

 考えて見たら、太希子みたいに親切で行動的で太っ腹な

人間が政治家になっていれば、日本ももっと人が人として優

しく住み良い社会になるのでしょうにね。

とにかく、お小遣いの始まりはそのようなことでございました。

 あっはっはっはっは〜 

握り締めた可愛い手の中に、”ピカッ”と光った百円玉。

  いや〜 可笑しかったな〜 可愛かったな〜 




 2002年3月14日 (木) 太希子6歳


      『小学一年生』

 ♪一年生になったら〜一年生になったら〜

  友達百人できるかな〜百人で食べたいな〜

  富士山の上でおにぎりを〜

  パックン パックン パックンと〜♪

 小生はこの歌が好きでございましてね、太希子が名門磨屋

小学校の一年生になる前夜にこんこんと言い聞かせたもの

でございます。

 「太希子や、明日からいよいよ学校に行くのですね、おめで

とう。しっかり勉強しなさいよ、でもね世の中には勉強より大切

なことがあるのを忘れないようにしてください。それはですね

、人に親切にしていっぱい友達を作ることです。人に親切に

するのが人間として一番大切なことです」

 …などと、近い将来に臍を噛むような出来事が待っていよう

とは夢にも思わず、嗚呼いま思えば我ながらなんと迂闊なこ

とを言ったのであろうか。

 翌朝、太希子は赤いランドセルをユッサユッサしながら

「行ってきま〜す」と元気に出掛けて行きましたが、さあそれ

からが大変でございましたぞ。

 その日のお昼頃息せき切って帰ってきたかと思うと、

「父ちゃん大変、道端にお婆ちゃんの座っとった!」と言うの

で走って行って事情を聞いたのが発端で、それからはもう

「お兄ちゃん達が喧嘩しとった」

「酔っ払いのおじさんが寝とった」

「赤ちゃんが迷子のごたっ!」

「車のぶつかっとった」

「変かおばちゃんがブツブツ言いながら歩きよる」等など、

いやはや小生も人に親切にしなさいと言った手前無碍にもで

きず、何回近くの交番所まで連れて行ったことか…

 お巡りさんも最初のうちこそ、

「いや、ご苦労さんです。ありがとうございました。」などとお礼

を言ってくれていたが、度重なるうちにもう我々親娘の顔を見

るとげんなりしていたんですよ。

 仕方がないからわざわざ遠くの交番所に行ったりしてたん

だが、あなたは覚えていないのでしょうね。あのお巡りさん方

の恨めしそうな顔を父はいまも思い出すのですよ。

 ひょっとしたら我々親娘の人相書きなんぞが近隣の交番に

出回っていたのかもしれないぞ。

 ウンウンありうることですよ、あの頃のあなたの親切に懸ける

情熱と言ったら、モ〜。

 父はもう、オヨヨオヨヨと驚くばかりでその頃は精一杯でした

が今になってみれば懐かしく嬉しい思い出ですね。

 現在28歳のあなたが、自分のことは出来ないのに人の世

話を焼きたがる…いい加減な父の性格を受け継いでいるのを

喜ぶべきか悲しむべきか!

 オヨヨ・オヨヨの昨今のぴ〜ひょろろなのです。







 2002年3月13日 (水) 太希子5歳


      『今日のお話なあに』

 お誕生のお祝いに、といって井口のおばちゃんから頂いた

「今日のお話なあに」のご本があなたは大好きでしたね。

春の巻・夏の巻・秋の巻・冬の巻と全4刊に分かれている厚く

てとても素敵な童話のご本でした。

 それには、1年365日の毎日読むことが出来るように365

のお話が書いてあり、毎日読めるように見開きの2頁を使って

とっても魅力的な絵と一緒に、世界中のありとあらゆるフアン

タステイックなお話や楽しい物語が書かれてるのです。

 太希子のママはいつも寝る前に、3人の娘達にこの本を読

んだ後で、子守り歌を歌ってやってから可愛い娘達を夢の國

に送りこむのですが、ここでまた太希子お得意の科白

「も〜一回」が始まるのですよね。

 もうすでに、2人の姉妹は安らかな夢の國に行ってるという

のに、太希子の瞳は未知なる好奇心の世界に入ってそれこ

そランランと輝いているのです。

 「も〜お終い、また明日!」と言って、ママは今度は子守り

歌で寝かし付けようとするのですが、太希子のお目目は

♪ランランラ〜ン♪なのですね。困ったものです。

 「も〜一回も〜一回」太希子の声とは裏腹に昼間の仕事で

疲れたママの目はもう閉じたままなのです。

 「ト〜ちゃん」と、ここらへんで先刻からビ〜ルを飲みながら

面白可笑しく様子を見ていた小生に、矛先が変わってお呼

びが掛かるのがいつものパタ〜ンなのですね。

 そこで、いつものようにピンチヒッタ〜の小生の出番となり、

「♪ねんね〜ん・ころり〜よ〜・おこ〜ろ〜り〜よ〜♪」と小生

のカナリヤ(を飲んだ猫?)のような子守り歌で太希子と小生

の会話が始まるのです。

 ・・・というように楽天家の夜は更けていくのが常でございま

したが、この後20年も経ってからテレビの深夜番組でホラ―

映画を見て、怖がりやで80キロの太希子が寝室に来襲して、

 「ママ、ベッドば替わって、父ちゃんと寝ると!」

と言って困らせるとは、神ならぬ身の知る由もなく…

 オヨヨ オヨヨ の平和な楽天家の夜は更けるのでした。

    ・・・     ・・・     ・・・

 日記の遅れとはなんの容赦も無く月日は進み、今日は

2002年3月29日(金)太希子の最後のご挨拶にと、友愛

社会館八幡町保育園の園長先生はじめ30有余名の先生方

にお礼のご挨拶に参った楽天一家でございました。

 頑固さん・ご先祖さん・小生・万里ちゃん・太希子のたんご

ろりんの合計5名、”整列・起立・礼” 

 「ありがとうございました〜」を言ってきたのです。

本当に四半世紀もの永い間、太希子を可愛がって頂いてあり

がとうございました。

 おっちょこちょいで怒りん坊で忘れん坊で食いしん坊で暢

気者の太希子が、今日までなんとか頑張ってこれたのは皆様

との出会いとご厚情のお陰でございます。

 本当にありがとうございました。これからもちょいちょい帰っ

て来ては顔を出して「がはははは〜」と、お騒がせするかと存

じますが今後ともよろしくお願い申し上げます。

 最後になりましたが、御縁により太希子と出会って多くのこと

をお教え頂きました皆様の、今後益々のご健勝をお祈り申し

上げます。

      小田ちゃん・暢気・太希子 の

 愚かなる父 お陀仏・楽天・ぴ〜ひょろろ でございます     





 2002年3月12日 (火) 太希子4歳


     『も〜一回 も〜一回』

 大井出公園でも稲佐山でも茂木の海水浴場でも、可愛い

太希子は何回繰り返したことでしょうか。

 ♪ ゆ〜やけ こやけで ひがくれて〜

   や〜まの おてらの かねがなる〜

   お〜てて つないで みなかえろ〜

   からすも いっしょに かえりましょ〜 ♪

 …の時間になったので、ママが、「もうそろそろ帰りますよ」

と言い出した途端に、「も〜一回 も〜一回」の太希子の口癖

が始まるのです。

ブランコに滑り台、草スキーに波遊びと、いろんな場所でい

ろんな遊び、もう太希子は本当に一生懸命に汗を出して、

「キャッ キャッ」と笑い声を出して一生懸命に”いま”を楽し

んでいるのです。

 ママは帰ってからの仕事が待っているし、おばあちゃんが

大変なので早く帰りたいのですが、太希子の「も〜一回」は

果てしなく続くのです。

 小生は愛妻には気の毒ではあるが、可笑しいやら嬉しいや

らで笑いをこらえながら、夕日で長くなった母と娘の影を見な

がら幸せの余韻を楽しんでいるのです。

そして、「いつか今日の日を懐かしむ日が来るんだろうな〜」

と、そっと涙をぬぐったものでございました。

    ・・・        ・・・   

 そしてそれこそいま とうとう その日がやってきたのですね

 可愛い太希子や

 思い出すことは

 いっぱいあるけど

  いつかあなたが一人で 

 お留守番をしていた時のことです

 可愛いい可愛いあなたが

 あまりにも心配だったので 

 出先から電話したことを

 あなたは覚えていないでしょうね

 「もしもし おだでございま〜す」

 幼いあなたが…

 礼儀正しく一生懸命に

 努めている甲高い声に

 安心して 嬉しくって

 「いま なにをしているの?」

 …と聞いた時の あなたの返事なのです

 「太希ちゃんね〜 いま電話しとっと〜」

 というあなたの返事が返ってきた時に

 不覚にも 父ちゃんは涙ぐみましたよ

 本当にいまあなたは電話しているのですね

 大好きな正直な太希子が

 どうか 幸せになってくれますように!

 と 祈ったのですよ

   ・・・       ・・・

 大好きな太希子が どうか幸せになりますように!

 25年後の 小生の心からのお願いです





 2002年3月11日 (月) 太希子3歳


    『友愛社会館保育園』

 可愛い可愛い太希子。もう本当に邪気の無い娘でしたよ。

なんでもかんでも思うが儘の感性(?)、思ったら直ぐに行動

する、そのように素直で正直な娘、子供らしい娘でしたよ。

 子供用の肱掛椅子に坐って食事している時でも、気に入ら

ないことや嫌いな食べ物などを勧められたら、もうすぐに“ポ

〜ン”と箸や茶碗を右の肩越しに後に放り投げていたもので

す。

 せな けいこ 作 画の「いやだいやだ」という名作の絵本

がありますが、あの表紙に描かれている主人公の“ルルちゃ

ん”そっくりなのですよ。太っかい黒い髪もつり上がった眉も

怒ったお目目も大きく開いたお口も、みんなそっくりなのです

。まるで太希子をモデルしてに描いたようなのです。

 おばあちゃんやママからどんなに手を叩かれても、“アッツ

”という瞬間にやってしまうので、もう目が離せないのです。

本人に悪気は無いと思うのですが、とにかく好き嫌い等を頭

脳が命じたことを“アッ”という間に身体が反応するのです。

 そんな太希子がおじいちゃんの押してくれる乳母車に乗っ

て、姉の優希の運動会を見に行ったのは半年前の事でした。

 もう一年前から保育園に入ることができた優希は、赤組の

みんなと輪になって遊戯をしていたのです。

 そして太希子はおじいちゃんの膝の上で、金太郎さんの涎

掛けに緑色の大きい風船を抱きしめてご機嫌だったのです

が、突然何を思ったのかポンと風船を放り投げたかとおもうと

、赤組さんの踊りの輪の中に入りこんでいったのです。

 きっと、みんなが楽しそうに踊っているのを眺めて、自分も

加わりたかったのでしょうか、それとも優希姉ちゃんと遊びた

かったのでしょうか。どんな心境だったのでしょうね、いまもそ

のシーンをありありと思い出すのです。

 おじいちゃんや小生もびっくりしたが、もっと驚いたのは突

然割りこまれた男の子でしたね。いきなり自分を押し退けた乱

入者に一時はたじろいたものの、素早く立ち直って“ポ〜ン”

と太希子を突き飛ばしたのです。

 さあそれからが大変でしたよ。

“ウワ〜ン・ウワ〜ン”の太希子サイレンに、子供も先生も保護

者の方々も呆気にとられていたことです。

 そしてそれから半年後の3歳の春に、目出度く入園を許さ

れたのですが、入園の際にはあのサイレンが先生方の母性

本能に訴えて、覚え目出度く(?)…と小生は睨んでいるの

ですが…

わっはっはっは〜 それは神様のみぞ知る!

 と、そのような訳で太希子と友愛社会保育園との御縁が始

まり、以来今日まで25年もの長い間お世話になったのです。

 思えば入園当時の太希子の素行が心配で、おじいちゃん

おばあちゃん愛妻に小生と、日に何回交代交代で保育園の

窓や運動場から様子を窺いにいったことでしょうか。今も懐か

しい語り草です。

 そしてまたその時に、丁度新卒で初々しく可愛らしい新任

の榎津先生(現在は結婚して片町先生)と大らかな肝っ玉の

奥村先生がいらっしゃったのですよね。

 そしてそれからまた何年も経って、あなたが保育園の先生と

なってこの保育園に里帰りしてお勤めさせて頂くようになった

時にも色々とご指導を受け可愛がって頂いたのですよね。

 大好きな太希子や、あなたは本当に果報者ですね。

自分が子供の頃入園してお世話になった保育園に、10何年

もたってから再び先生として迎えられて、そしてその時に子供

の頃の先生がいらっしゃってご指導を頂けるとは…

本当に有り難く運の良いことですね、心から感謝しましょうね

あなたの父ちゃんも心から感謝します。

 今日まで身心共に健康で、「あなたがあなたらしく」育ってこ

られたことを全ての人・もの・神様に感謝します。

どうかこれからも運の良い娘でありますように!


  ・・・       ・・・       ・・・

 実は大好きな太希子が…と思う時に、 子離れの出来ない

小生は毎日が「オヨヨ・オヨヨ」でございまして、日記を書く気

力がございませんでした。

 でも実は、太希子は一昨日の3月23日(土)に懐かしの有り

難い“友愛社会館保育園”を退職いたしまして、送別会をして

頂いたのです。

 そして、太希子がその御招きを受けた会場に行く間に、な

んとあの奥村先生が小生宅におみえになって、「お父さん

おめでとうございました」と言ってくださったのです。

ああ、なんと有り難いことでございましょうか、太希子はみんな

に好かれているのです。

 小生も明日から気を取り直して“頑張るぞ〜”
 
大好きな太希子や、幸せになっておくれよ〜

オヨヨ・オヨヨのぴ〜ひょろろでした。

あ〜 久し振りに ・・・ でした。

大好きなみなさまに、今日が穏やかな日でありますように!





 2002年3月10日 (日) 太希子2歳


     『チッチイ〜ね』


     チッチイ チイね

     チッチイ〜ね〜

     チッチ〜イ〜ね〜

     チッチ〜 ね

     ニャンコッ ね!

     ニャンコッ ね!

     ニャンコ … ね,ね

     ニャンコ … ね

     じいちゃん ポ〜ン

     ・・・     ・・・  

     これはポエムです 

     私の大好きな娘

     太希子の詩なのです

     はじめて私に語りかけてくれた

     太希子の美しい言葉なのです

    
     ・・・      ・・・

 元気な太希子は、毎朝小生を起こしに来てくれるのですが

それがとっても可愛らしいのですよ。小生にとってはそれが毎

朝の楽しみであり喜びであり、その瞬間から小生の素晴らし

い一日が始まるのです。

 いま思えば体重は何キロ位あったのでしょうか。心身ともに

健康なままにすくすくと育って、身体も頬も丸々と瞳はくりくり

といつも輝いており、まさに元気印でございましたよ。

 毎朝小生のお腹の上にドスンと飛び乗ってはびっくりさせて

「ハ・ハ・ハ」と甲高い声で笑って喜んでいるのですが、その

日は違ったのです。

 「チッチ〜ね、チッチ〜ね〜!」と,小生の耳元に口を持っ

て来て何回も繰り返すのです。なにか太希子の世界に重大

な事件があってそれを一生懸命に告げたいらしいのです。

 「どうしたの?」と聞いてみますと、もとらぬ口を大きく開いて

「チッチ〜ね、チッチ〜ね〜、ニャンコ〜ね、ニャンコ〜ね!」

と息を弾ませて何回も繰り返した後で、

「じいちゃん、ポ〜ン」と言ってるのです。一体何を言いたい

のでしょうね〜?可愛い太希子ちゃんは。寝ぼけやさんの小

生も流石に目がさめてしまいまして… 

 「よ〜し分かった分かった。じゃ〜行ってみようか!」と言い

ながらいつものように、「チュッ」とキスをしてやって起き上がる

と、もう大喜びで小生の手を引いて2階の台所に連れて行く

のですよ。

 「どうしたと,一体何があったとね?」と不審そうに聞く小生

に向かって,ご先祖さんと愛妻は可笑しそうに笑うのです。

 実は朝から猫がネズミをくわえて来て,そのネズミをおじい

ちゃんが何処かに棄ててきたそうです。その様子を目を丸く

して見ていた太希子が,いきなりヨチヨチと走って何処かに行

ってたと思っていたら,父親に報告に行ってたんですね,と

二人して大喜びで笑うのです。

 な〜んだ,そうだったのか。可愛い太希子が大好きな父ち

ゃんに伝えたかったのは,生まれて初めて見る猫とネズミが

登場する大事件だったのですね。

 なんと可愛い娘であることでしょうか。なんと素晴らしい表現

力でしょうか。ひょっとしたら小生の娘は天才ではないだろう

かな〜と,しきりに感動する親馬鹿のぴ〜ひょろろでございま

した。

 太希子もこの先,人生においていろんな出来事に出会うこ

とでしょうが,いつまでも素直に反応して正直に相談してくれ

たら嬉しいな〜と願うぴ〜ひょろろでございました。

 ”チッチイ〜と ニャンコッと じいちゃん” についての

 太希子ちゃんがお話してくれた初めての物語りなのです 





 2002年3月9日 (土) 太希子1歳


         『ひな祭り』

 私達の美しい街長崎、弥生の空はどこまでも青く美しく晴

れ渡って、楽天家の母娘によく似た豚さんのような白い雲が

二つ三つポッカリと漂っているのです。

 大好きなみなさ〜んお変わりございませんでしょうか。

そしてご存知でしたか?今日が3月3日のひな祭りの日で、

太希子の1回目の嬉しい誕生日であることを。

今でこそ我が家の周りには、マンションやいろんな建物がい

っぱい散在してますが、当時は三階建てのビルは我が家だけ

だったので,とても見晴らしが良かったのですよ。

 そして今日は、我等が太希子の初めての誕生日を祝うべ

く、ビルの屋上には美しい毛氈や赤い絨毯が所狭しと敷か

れて、太希子を愛してくれる26人もの方々がにこにこ笑顔で

集まってくれているのです。

 頑固さんやご先祖さんや義兄さん義姉さんをはじめ、一族

郎党や小生の心からの友人夫婦が集まって、太希子の成長を

祝ってくれているのです。 

 太希子の従妹や友人のチビちゃんチビ助さん達は、飾ら

れたお雛さんを見上げて「きれいね〜かわい〜ね〜」と褒め

てくれたり、太希子を代わる代わるに抱っこしたりチンコンカ

ン(肩車)したりして遊んでくれるのです。なにせ子供の

中でも太希子が一番幼いものですから、みんながお兄ちゃ

んやお姉ちゃん風を吹かせて可愛がってくれるのです。

みんなに注目されて,「可愛いね〜元気ね〜」と言われて

彼女は非常にご機嫌なのです。

 青空の下、穏やかな日差しが優しく降り注ぐなかで、

白い毛糸の上下を着用の太希子は頬を真っ赤にして、赤い

絨毯の上をハイハイして、いかにも嬉しそうに片言やら涎やら

をほとばしり出してご満悦なのです。

 さて、頃合いよろしく本日ご来席のみなさまの前で、当家

伝統の”餅踏みの儀”が行われることになりましたが、途端

に始まったのでございます。

 「なにがってですか?」いや、あれでございますよ。

   「ワ〜〜ン・ワ〜〜ン〜」 ですよ。

みなさ〜ん、太希子の声は太っかいのですよ〜。

 もしも通りを歩いている時や公園や,レストランや動物園

や海で山で,彼女の泣き声に遭遇するようなことがあったら

どうかご注意くださいね,本当の話ですからね。

”知る人ぞ知る” 一度彼女が

   「ワ〜〜ン・ワ〜ン」 を始めますと,

もう誰が止めても手に負えないのですね。時間の経過だけが

たよりなのです。そしてその間にも,

 通行人は悶絶するし,自転車は引っくり返るし自動車は

電柱に衝突するし、木の葉は舞い散るし鳩はショックでバッ

タバッタと落下するし,ウエイトレスは皿を落っことすしお客さ

んはビフテキを喉に詰めて目を白黒で両手はバタバタだし,

ライオンや虎は尻尾を巻いて狂乱状態で檻の中をキャンキ

ャン鳴いて走り回るし、津波は押し寄せるし山彦は800回も

轟いて耳鳴りが8時間も収まらないという伝説があるとかない

とか,いやはや止まるところを知らないのです。彼女のいるとこ

ろはもうパニック状態なのです。

とまあそれくらい,太希子の泣き声は凄いのでございますよ。

 ところで皆さんは勿論ご存知ですよね、”餅踏みの儀”。

可愛い我が子の無事息災を願って,初めての誕生日に太っ

かい鏡餅の上にワラジを履いた子供を立たせて,元気に育ち

ますように,立派に一本立ち出来ますように!の日本古来の

あの伝統行事でございます。

 ということで我が家も,いざ太希子の両手を抱えてワラジを

履かせて餅の上に載せようとしたところ,いままでご機嫌で

”キャっキャ・キャっキャ”とはしゃいでいた太希子が猛烈に

怒り出したのです。

 いきなり両手両足をバタバタさせて,引っかく噛みつくをや

りだしたかと思うと,突然それは始まったのです。

    「 ワ〜〜ン・ワ〜〜ン 」

 初めてこの偉大なる咆哮に邂逅した善男善女や子供達は

あっけにとられてポカ〜ンと口を開けて仮死状態となったそ

うですし,慣れている人々は耳を押さえて地に平伏したまま

で太希子の癇癪の虫が納まるのを待つ,という状態が半時

間余も続き,この間近隣の8カ町程はピンが落ちても聞こえる

というほどの静寂に包まれたそうです。

            「八幡町史実」より抜粋      

                               続く  





 2002年3月8日 (金) 太希子誕生


           『 スッポン 』

 それは昭和49年3月2日の夜の出来事でございました。

太っ腹の義兄と優しい義姉(愛妻万里ちゃんのお姉さん)と、

1才半の長女優希を抱いた愛妻と小生の5人は、さる料理屋

で楽しいひとときを過ごしていたのです。

 食通の義兄さんは常に美味しい店を見つけて来ては、

「楽天君美味い店があるぞ」と言って連れていってご馳走して

くれるのです。

 ステーキ・てんぷら・うなぎ・寿司・卓袱・焼き肉・カニ・海老

・フカヒレ・ごん鯵・もう本当に思い出しても涎が出そうな話で

すが、とにかくありとあらゆる美味しい料理をご馳走してくれる

嬉しい義兄さんなのです。これは内緒話ですが万里ちゃんと

結婚して良かったな〜と思うのですよ。

 わっはっはっは〜 オットット、話がそれてしまった。まあとに

かくそんな気風の良い義兄さんで、その夜は寿司をご馳走に

なっていたところ、板前が「社長、今日は生きの良いスッポン

が入ってまっせ!」と言ったのを受けて「よし、造ってもらおう

か」ということで鍋料理が始まったのです。

 みんな「美味い美味い」と言って食べていたのですが、小

生は皆さんご存知の如く小心者で、(知らない方はお見知り

おきください)今までに食べたことがないものは絶対に口に

出来ないのです。

 ハハハ・トホホ… みんなが美味そうに食べているのを横目

にビールをチビチビ飲ってたのですが、突如として板前が

「生き血はどうしましょう?」と言うのを受けて「よし、もらおう!

」、ということにあいなりまして、みなさん酒か何かで薄めたの

を盃でお飲みになられるのです。

 小生はもう気色が悪くって天井の羽目板を数えながら、ビー

ルをガンガン飲ってるばかりなのです。

 ところで当時の愛妻は臨月でございまして、予定日を3月1

6日と言われていたのです。そしてまたこれは内緒の話です

が、当時の愛妻はよく食べましてね(今もそうですが)、お腹

の赤ちゃんのため…とかなんとか言ってですね、にこにこし

てお召し上がりになられるのですよ。

 そんなこんなで楽しい一夜を過ごしまして帰ったような次第

でございますが、帰宅数刻後突如として産気づきまして…

翌朝の3月3日3時3分に「オギャア〜〜〜」と太っかい第一

声を発して御誕生あそばされましたのが、我等が可愛い次女

の”太希子姫”様でございます。

いや〜、スッポンのお陰かどうかは存知ませんが、元気が良

いのなんのって!…               続く 

 





 2002年3月7日 (木) 食べたらだめよ!


 この5月に結婚のため、あと10日ほどでお世話になった

友愛社会館保育園を辞めなければならない太希子は、残さ

れた一日一日が本当に大切に感じるのでしょう、彼女なりに

思い万感に迫るものがあるのでしょうか。一生懸命に頑張っ

てる様子がヒシヒシと伝わってくるのです。

 3歳の時に、はじめてこの保育園に入らせていただいた時

小学校・中学校・高校・短大に入学した時、そしてまた社会

人となって、この保育園の先生として受け入れて頂いた時も

(本当に有り難く嬉しいことです)、いつでも息弾ませて帰っ

て来てはその日の楽しかったこと驚いたことを報告してくれた

ものです。

 「あのね、父ちゃん」と、息弾ませて何回何10回いや何百

回、小生に家族みんなに楽しい不思議な彼女の新鮮な驚き

を話してくれたことでしょうか。

 そして今日は今日とて…

 「あのね〜父ちゃん、今日は可笑しかったとよ〜」

夕餉の食卓を囲む家族6人はもう待ちどうしくて堪らないので

すが、太希子はでっかい身体をゆさゆさ揺すって思い出し笑

いなのです。

 「わっはっは〜わっはっは〜」と一人で笑いこけているので

す。もう、笑い声まで小生に似てでっかいのです。

 「あのねあのね、あ〜可笑しい」と言って話してくれたのが、

”今日のお話しなあに?” の童話なのですよ。

 今日は1・2歳の子供達14・5人を連れて近くの公園に行っ

たところ、ちょうど中島川の鯉や公園の鳩にポップコ〜ンや

パンをちぎってやっているおじさんがいたそうです。

 その時突然、まあそれまではロープを手に整然と歩いてい

た子供達の一人が何を思ったかいきなりロープを離すと、走

っていって鳩の食べているポップコーンを拾って食べたそう

です。

 するとまあどうしたことでしょうか皆さん、他の子も全員われ

がちに走って行って鳩と争いながらみんなで食べ出したそう

ですぞ。

 びっくりした太希子が「地面に落ちたのは駄目ですっ!」と

叱りながら子供達の手を取るのですが、みんなはもう必死に

なって太希子の手を振り切って口口に「ジメンハダ〜メ」とか、

「オチタノダ〜メ」と鳩に言いながらライバル等との生存競争

に勤しんだそうですぞ。

 「あ〜可笑しかった」と太希子は笑うのです。ほかの二人の

若い先生は一生懸命に子供達を追いかけていたそうですが

「も〜太希ちゃんは可笑しゅうして可笑しゅうして〜」と腹を抱

えて笑っていたそうです。

 そして言うのですよ「子供達も抵抗力のついて良かさね〜」

と、そしてまた思い出して「わっはっは〜わっはっは〜」と笑う

のです。

 子供さんのお母さんがたご免なさいね、いつまでも楽天家

ネンネの太希子先生で。

でも本当にみなさんの子供さん方が可愛かったら、時々は

子供さん方を谷に投げ落として、鳩や鶏や猫・犬・虎にも

負けない獅子のような強い子に育てないと駄目ですよ。

それくらいの覚悟を持ってないと本人のためになりませんよ。

 …などと笑いながら、我が家の夕餉は「わっはっは〜」の大

合唱だったのです。あ〜いま思い出しても可笑しい〜。


         ・・・     ・・・

  とはいいながらさりながらただひとり日記をかきながら

    そ〜となみだぐんでいるこばなれのできない
 
       お〜い お〜い お〜い の

        嘆きのぴ〜ひょろろでした





 2002年3月6日 (水) 黄金の睡眠


 「勿体無いですよ。本を読むなんて!」と言われてびっくりし

たのである。

小生は子供の頃から本を読むのが大好きで、本を読むのが

良いことであり大切なことだと信じてきたのだから驚くのが当

然なのである。

目を白黒させている小生に向かって、馬場先生は穏やかに

微笑みながら再びおっしゃるのです。

 「本を読むなと言ってるのではありませんよ、大切な黄金の

時間を無駄に使うのが勿体ないと言ってるのですよ」とにこに

こしながら教えてくださるのです。

 みなさん覚えておいででしょうか?

1月23日の日記に記した”人生のバイオリズム”のことを。

20年前に教えてくださったお方を…

以下は、その馬場先生から今日教えて頂いたお話です。  


 60歳から人の生理は変わるので、自然に合わせること。

 『 1 食べる 』

   内臓を休ませる為に間食と夜食をしないで、一日三回

  規則正しく食べること。

  コレステロールもカロリーも気にしなくて良い。肉食でもな

  んでも構わないから腹いっぱい食べること。

  肉が好きというのは、いまの身体の状態に肉が合ってると

  いうことであるから、気に留めなくて良い。

   年齢や環境によって好みも変わってくるのであるから、

  自然なその嗜好に従えば良い。肉が嫌いになる時もあれ

  ば、肉が好きなままで元気に生涯を過ごせたらそれに勝る

  ものはない。

   『 2 寝る 』

   35億年昔に我々人類の祖先が誕生以来、夜明けととも

  に活動を開始し日没とともに寝てきたのである。

  それが文明の発達とともに、日夜を逆転するような生活を

  強いられる現代となったのである。

   自然の摂理に逆らった結果が、癌やアトピーなどの現代

  病発生の源となったと考えるものである。

  物事には総べからずバランスが必要であり、今から45億

  年前にこの神秘的なバランスのもとに、地球という惑星に

  水が現れ生命が誕生したのです。

   「西洋医学は病原菌によって病気が起こるから、その

  ばい菌を殺したらいいと言うものの考え方で来ていますが 
  ばい菌もまた生物ですから、これを殺しつづけるとやがて

  その反動によって、人間もまた滅びるということにつながり

  ます。ばい菌も含め、すべてのものと共に生きるというの

  が、人間の本当の姿ではないかと思います。

   人体も宇宙と同じ仕組みです。すべてバランスによって

  できているのです。バランスが崩れたときがすべての病気

  の始まりです。」  

          ( 「神道のこころ」 葉室頼昭著 春秋社 )
  

   ですからバランス的に言えば、人間は大昔から働く時

  間と寝る時間がDNAに組み込まれているのです。

   ”黄金の睡眠” という言葉がありますが、これは夜の10

  時から3時までの時間のことです。そしてこれは、

  (1) 細胞が変わる時間帯であり

  (2) 本当に神経が回復する時間帯であり、特に

      「脳神経」が休まる時間なのです。

    「眠りは時間の長さではなく深さ(熟睡)」であることを

   常に頭に入れておいてください。

    ましてや60歳過ぎてからは、ホルモンが無くなってい

   くというのに、体力気力を回復するのは睡眠が一番大

   切だというのに…!

    体力気力を回復するカバーする睡眠時間に本を読む

   などもってのほかです。体を休め寝る時間帯に本を読む

   など勿体ないのです。

    本当に本を読みたいならば、朝起きてから読んだほう

   が良いです。朝の3・4時から10時位までが一番気力体

   力が充実しているのです。

   『 3 精神状態 』

    大自然の荒野や汚濁の中で、誰も教えないのに・誰

   も見ていないのに・種も蒔かないのに綺麗な”花”が咲

   いてますが、これが大自然の微笑みなのです。

    そして、人間の場合は“笑顔”が大自然の“花”にあた

   るのです。ですから、私達はみんな仲良くして笑顔を絶

   やさないで、素晴らしい思い出創りの人生を送りましょう

   ね。幸せになりましょう!


   ・・・     ・・・     ・・・

 …というのが 「本を読むのが勿体ない」と仰った  

馬場先生の真意なのです。

 そこで小生は、その日から早速早寝早起きを実行するべく

床についたのですが、61年間の習慣というものはなかなか治

りませんで、「なかなか眠られず、なかなか起きられず」の心

身共に不安定な状態で…

 ということで、日記をつけることも出来なかったのです。

そしたら昨日の深夜の12時、不健康で不規則極まる生活を

送っている“ご存知さん”から電話があって、「一行でも良い

から書け!」とのご叱責を賜わったのです。

 ありがとうございました、お陰で一日分取り戻せました。

そして、「あ〜疲れた」 と久し振りに頑張ったぴ〜ひょろろで

ございました。

 それにしても、

「北海道の“どら衛門さん”は偉いな〜 毎朝3時に起きて

仕事をするなんて」 と脱帽する

     お陀仏楽天ぴ〜ひょろろでございました




 2002年3月5日 (火) 目から鱗?


 今日、素晴らしいお話を聴くことが出来た。

本当に、我ながら自分のことを運の良い人間であると思うの

である。

 今日まで、努力らしい努力もしたことがない小生が、どうに

かこうにか生き長らえてきたのは正に偶然の賜物であり、いろ

んな方々のお引き立てのお陰である、と心から感謝するもの

である。

 ご存知さんなんかは、常々小生のことを惰性で生きている

と、永年の間称賛しておったが。 うん、うん。

ところがところがである、小生の目から鱗が落ちたのである。

 さて、本日ご教授頂いた素晴らしいお話を実行出来るか

否か。 

 明日、飛翔できるか否か?

頑張れ 頑張れ 頑張れ 頑張れ ぴ〜ひょろろ〜 !

     己に、乞うご期待! はばたけ ぴ〜ひょろろ〜!



 2002年3月4日 (月) 大正琴


 41歳のある日、突然襲ってきた激痛で救急入院後、

原因不明というので5つの病院で2年間、検査と薬の後遺症

の痛みは、いま思い出しても辛く苦しい毎日だったそうです。

 結局治療法も分からないということで、寝たきりのままで自

宅療養を余儀なくされ、退院後一年間も落ち込んでいたそう

です。

 ところがそんなある日、テレビから大正琴の綺麗な旋律が

流れてきて、「いいな〜」と思ったそうです。まさに天恵だった

のでしょうか。

「もしあの時に、身体が元気だったらす聞こえなかったのでし

ょうね」とおっしゃるのです。

 それからはもう、「大正琴であの音を弾きたい」という一心で

御家族みなさまのご協力と、ご主人の朝晩の送迎の毎日の

お陰で必死にリハビリに取り組まれたそうです。

 そしていよいよ、平成3年には大正琴を習うことが出来るま

でに回復し、いろんな艱難辛苦の後でございましょうきっと、

10年後の平成13年には、講師資格を習得されるまでに至っ

たのです。

 なんという努力…小生は、このように強い意志と夢と勇気を

持った人と始めて出会ったのです。(多分奥床しく黙っていら

っしゃる方が、もっと沢山いらっしゃるかもしれませんが…)

 実はこのお話は、小生達が堀先生と初めてお会いしてか

ら10年位たってからお聞きしたのです。多分本当に小生達

を好きになってくださり、心を許してくださったのでしょうね。

 ところでいま小生等は、その堀先生に大正琴を2年前から

教わっているのです。愛妻と存在感の熊さんの3人なのです

 週に一回、このように素晴らしい先生とお会いし、人生の一

刻を過ごせると言うのはなんと素晴らしいことでしょうか。

大好きな堀先生を囲んで「わっはっは・オッホッホ」と笑ってい

るのです。

 ああ、なんという幸せ!

大好きな友達と過ごすひとときの素晴らしさよ!

堀先生、我々おちこぼれ三人組はなかなか上達しませんが、

今後ともよろしくお願い申し上げます。

 大好きな堀先生へ

  未だに 半拍と一拍の分からない         
 
        ぴ〜ひょろろ でございます



 2002年3月3日 (日) 長崎の船


 船や鉄道などの長崎での歴史をまとめています。

長崎の人の生活の中で活躍し消えて行く彼らを、

私だけでも記録しようと、

ひまをみつけてはコツコツやっています。

少しでも後の世に残せればと思っています。


   ・・・     ・・・     ・・・

 郷土長崎の後世の人々に、我々が学んできた生活の叡智

・遊び・文化などを継承し、少しでもお役に立ってもらうように

と、長崎在住の各分野の名人達人を探してきた”名人達人探

し塾”の今日が締め切り日です。

 そして今日、その優秀の美を飾るような素晴らしい人とお会

いすることが出来ました。

 西口公章氏と仰る裁判所の書記官をなさってるお方で、自

己紹介に上記のような文章を書いていただいたのです。
 
 お忙しい中を、3時間も頂戴していろんなお話をお伺いした

のですが、奥の広い人物で(心も広い)人生の一刻を氏とご

一緒に過ごせたことは大いなる歓びでございました。

 そもそも、氏が船や鉄道に興味を覚えた動機というのが素

晴らしいのです。

 「人びとの歓びと悲しみを乗せて走る船の一生は、人生とそ

っくりである。船齢をまっとう後、化粧直しをしてふたたび第2

の航路へと旅立つ船がある一方で、解体されたり、漁礁とし

て沈められたりと、船の一生も様々だ。

 あの船この船の人生模様を辿る。人とともに喜びや悲しみ

を分かち合ってきた船に対しての愛情。」

との想いから、西口氏は船の記録をとってこられたそうです。

本当に久々に聞く感動的なお話でした。

 この他にも、小学校の頃からの趣味を生かして、1967年に

は若干20歳にして、”日本城郭全集”長崎県の部の編集に

携わっておられたのです。

 まさに、青天の霹靂と申すのでしょうか。小生は20歳の頃

は何をしていたんだろう?

…と反省するぴ〜ひょろろでございました。

 そしてまた次回お会いする時には、

 『日本褒め愛運動会』のキチンとした規約綱領を創ってくる

からと、どこまでも責任感が強く心優しい西口公章氏でござ

いました。

 愛称は自分は笑うのが好きですから、

 BIG”哄笑”と呼んでくださいと、仰いましたぞ。

 またのお会いする日が楽しみです。

 わっはっはっはっは〜 幸せな ぴ〜ひょろろでした。



 2002年3月2日 (土) 三ちゃん


 わっはっはっはっ〜 嬉しいなったら 嬉しいな〜

昨年の9月2日に出発して、サウジに仕事で出掛けていた

三ちゃんこと、平野昭博氏が帰って参りましたぞ。

 今日は2月2日ですから、出発してから丁度半年経ったの

ですね。相変わらずのにこにこ笑顔は元気そのもので、真っ

黒に日焼けしていましたが、今回は髭は蓄えておりませんで

した。

 太陽の申し子である、SUN ・SON・三ちゃんに日光浴の

ことを聞いたところ、いや〜わっはっはっは〜今回もバーレン

ではサンオイルを忘れて焼き過ぎて、日射病が火傷状態に

なって寒くって大変だったそうです。

 素敵な香代子奥様が、「困ったもんだ」と諦め顔をしていら

っしゃいましたが、もう54歳になるのですからあんまり心配は

かけないでくださいね、まったく!

…などと三ちゃんに言えるような資格は、かくいう小生にもご

ざいませんが、わっはっはっは〜ジリジリと輝く灼熱の太陽の

下で”だらだら”と汗をかいている時には、正に生きている

、という充実感を感じるのですよね。

 本当に”馬鹿は死ななきゃ治らない”と申しますが、お互い

あの世に旅立つ時には、焼き場でこんがりと”ウエルダン”に

なりながら幸せそうな微笑みを浮かべているのかもしれませ

んね。わっはっはっは〜

 それから、またまた美味しいハバナ産のシガーを有り難うご

ざいました。 もうすぐ春になって夏になって、温かい太陽の

日差しを浴びながら裸になって、両手にシガーとビールを持

って ♪〜〜〜〜〜〜♪ 〜 ムムム… 最高ですよね。

 一緒に参りまそうぞ! おっと、これは双方の奥さんに内緒

だったですね。

でも、今月23日の西日本3・2・3チェスクラブの発会式には

必ず御出席くださいね。これは奥様公認ですし、将来は世界

チャンピオンを狙うような新人も育成せねばなりませんし、

我々に課せられた期待は大きいのでございます。

参加希望者やオブザーバーで見学なさりたい方などいらっし

ゃいましたら、各新聞の文化欄をご注意ください。

 では、当日の各参加選手のご健闘や関係者の方々のご苦

労に感謝しながら、お会いするのを楽しみに…

 おやすみなさい、ご苦労様でした。

 素敵な香代ちゃんと楽しい夢をご覧くださいね。

 嬉しい ぴ〜ひょろろ でした。



 2002年3月1日 (金) 光っちやん


 無口会で、堀先生のご指導のもとに大正琴を教わっていた

我々善良な学究の徒の前に、忽然として大好きな光ちゃんと

大らかな笑顔の横田氏が登場して、小生は酔っ払ったのであ

る。

 近所の”バンブー”に始めて行って、焼酎を800杯飲んでき

たのである。

 愚弟のご存知さんが、一行でも書けというから偉大なる

パソコン様に向かってたら、昨日の分が消えてしまった。

わっはっはっはっは〜 まあ、なるようになる。

オッと、また消えたかと思って吃驚した。

 では、おやすみなさい。

大好きなみなさまへ、

頑張りやの ぴ〜ひょろろ でございました。

 おやすみなさい。

お互いに夢の中では ぴ〜ひょろろ 安らかに !

わっはっはっはっはっは〜 笑い過ぎだ〜 ははは


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