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どこやらの偉い哲学者の先生は、
「 我 思う ゆえに 我 あり 」 と、仰ったそうである
が,凄いな〜と小生は思うのである。そのように深遠なことを
思えればいいんだが、たとえばいま、目を瞑って小生が思い
付くことといったら、「ウ〜ン」駄目だ〜こりゃ〜!
雑念に邪念に妄想に…「明日の昼はソ〜メンがいいな〜」
などと思うのは、まあ可愛い方であろうって。
考えてみると、小生は一体どんな時に”いま生きている”と
いう充実感を覚えるのであろうか?
生きる,生きること、生き方、生き甲斐…
う〜ん、こいつは難しいぞ〜。人間としてどのような時に小
生は生きているのであろうか?
いついかなるときに何を以って”我あり”と、自信を持って
言えるのであろうか?好きなことはいっぱい在るが、我は一
体どんなときに存在するのであろうか。
ちなみに、小生の座右の書である1968年2月1日・第1版
第1刷・発行の学研「新世紀大辞典(小生が若い頃に求めて
唯一役に立っているモノ)」を引いてみる。
ホモサピエンス(Homo sapiens)@人間の本質を知性、
特に理性に求める人間概念。理性的人間の意。知性人。
英知人。A「人」現世人類の学名。新人。和名ヒト。「賢い
人」の意。
ムムム…、これは難しいぞ〜っ。何をもって”生きる”という
のかその定義さへ分からないのに…。
人間が人間らしく人間として生きるのはいつであろうか?
常日頃から、小生の行っていること好きなことの中に、我は
ありやなしや?(まったく、小生はいま何をしているのであろう
か)
人に喜んでもらうこと、人を驚かすこと、歌うこと、日光浴を
すること、冷たいビ〜ルを飲むこと、ホラを吹くこと、本を読む
こと、好きな人の傍にいること等などいっぱいあるな〜、難し
いな〜。
よし、一時間沈思黙考とす〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜る。
あ
れ
か
ら
1
時
間
経
過
「分かった〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。」
小生は開眼したのである。小生にとって生きるとはいうこと、
「我あり」と感じる時は、ジャ〜ン「笑う時なのである」ぞ!。
わっはっはっはっは〜笑う時なのである。そしてまた、ビ〜ル
を「我飲むゆえに我あり」なのです。
ということで、ビ〜ルも無くなったので「我なし」なのです。
わっはっはっは〜いや〜哲学は難しいのである。ところで、
我思わない 時には 我は 存在しないのであろうか。
悪友諸兄氏は「お前は考えないで行動するし、黙っていて
もうるさいっ!」 なんぞと仰いますが、我が思っても思わな
くても、思わぬ時に思わぬ人に思われたりした時に、思わず
思ったり……恥ずかしいので止めたいと思います。
ワレオワルユエニワレナシ
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