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    2002年10月31日(木)

     ソ〜メンの麺つゆ      


 温厚誠実な紳士ではあるがチョッピリ辛口批評家。尊敬す

る人生の先輩であり且つ小生提案の日本褒め愛運動会の相

談役であり,且つまた,のらくろ君主宰の日本ケナシアイ運動

会の顧問。

 大切なお客様ではあるが頑固さんの喧嘩相手?というよう

な意外性を持ち,趣味はお茶に音楽に読書にサイクリングに

人間研究にと,この他にもおよそ800ほどの趣味と道楽をお

持ちの物静かなスタイリストであり,詩と歌を愛し人生と夢を語

ることのできる哲学者。

 それがジャ〜ン,なにを隠そう!坪内様の横顔なのである。

……ということでなんの脈絡もございませんが,二人で今年

最後のソ〜メンを食べることに衆議一致したのでございます。

 愛妻に湯掻いて貰うように頼んだのですが,その時に氏は

「僕は麺つゆはソ〜スで結構ですから」 と,おっしゃったので

す。

 その時には意味も分からず何気なく聞いていたのですが,

ソ〜メンが出来上がっていざ食べ始めた時に坪内様が突然

「旨い!」とニッコリされたのです。

 どんな意味か分からず怪訝な顔の我々夫婦に向かって,

「旨くて良かった〜!僕は市販の麺つゆは嫌いでですね〜,

ですから,よそのお宅でご馳走になる時にはわがままですが

ソ〜スにして頂くのです」と,言われるのです。

「ひゃ〜,ソ〜スをソ〜メンにですか?気持ち悪〜い」とビック

リする小生に「食べずに言ったら駄目っ!」の一言。

「今度,体験してみます!」の小生に対して,

「なんでも,試してみないことには自分に合うかどうかは分か

りませんからね。とにかく,僕にはソ〜スは合います。醤油は

駄目ですが……」

「ひゃ〜,醤油ばですか?」とビックリする小生を眺めながら

心地良さそうに「はっはっは〜」と笑われるのです。

「でも,このつゆは本当に美味しい。とても風味があっていい

ですよ。僕はお酒は飲みませんが,ことつゆに関しては甘い

のは駄目です。辛口が良いですね〜」

「坪内さんのような風流人に褒めて頂いたら嬉しいですね〜

あ〜,美味しかった,ご馳走さま」

「あっ、ほら楽天さん,その最後のつゆを飲まんと駄目っ!」

「ハハ〜ッツ!母の作ったつゆを飲まないと罰の当たっです

ね〜」

「なに?これはお母さんが作ったの?」という話から,坪内様

は奥様に作ってもらうからと仰って,87才のご先祖さんが長年

いろんな人から教わってきて,それなりに工夫してきたレシピ

を書きとめられるのでございました。

 ついでと言っては失礼になりますが,食通の坪内様からも

お褒め頂いたレシピを,みなさまにもご紹介させて頂きますの

でお試し頂ければ幸甚です。

 うす口醤油 1合

 濃口醤油  3合

 砂糖     300グラム

 味りん    1合 

 酒      1合

 上記の材料をあわせて煮たてたのが,……当家に800年前

から伝わる(嘘)……秘伝の基本原液で,そのまま常温で保

存します。この原液をお好みの出し汁で半々(1対1)に薄め

て頂きます。後はそれぞれの家風とご自分の舌加減でお楽し

みください。

        提供はぴ〜ひょろろ料理教室でした。
 
 (注) 猫舌のお方はややぬるめの湯加減がよろしいかと…




    2002年10月30日(水)

      がっこうだいすき      


 伊良林小学校の同級生である田中峯子さんから電話で、

「 うちの孫の作文が,伊良林百周年の記念誌に載っとるげ

なけん一冊分けてくれんね!」 との連絡があり取りに來られ

た。各学年から代表者一人ずつに書いてもらってあるのだが

,なるほど可愛い文章が書いてある。

    ・・・      ・・・     ・・・

    【がっこうだいすき】

               1年 3組    たなか めい
 
 わたしは,がっこうにきたら,ともだちがふえて,みんなとあ

そべてたのしいです。それに,なかにわであそべてたのしい

です。

    ・・・       ・・・       ・・・

 ね〜,みなさん,うれしいですね〜。

私たちもほんのちょっぴりの昔,小学校に行ける日を指折り

数え待ちかねていた幼い日々……。

 めいちゃんは,学校に行くのが楽しみで友達と会うのが楽

しみで中庭で遊ぶのが楽しみなのですね。い〜ですね〜!

 きっと,めいちゃんは明るくて元気なお嬢さんなのでしょう

ね。お母さんも先生もにこにこ笑顔でめいちゃんが大好きな

のでしょうね。

 めいちゃんがお友達と会うのが楽しみだからめいちゃんが

お友達を大好きだから,お友達もめいちゃんを大好きなんで

すね。1年生み〜んながめいちゃんのように楽しかったらおじ

ちゃんも嬉しいな〜,猫も犬もニワトリもみ〜んなお友達。

 ♪ 1年生になったら〜 友達百人できるかな〜 ♪

という歌がありますが,めいちゃんが友達いっぱい出来て明

日も明日もその明日も楽しい良い日でありますように !

 いつか お会いすることも あるかな〜

 ぴ〜ひょろろ の おじさんとも

 ハブ ア ナイス ライフ !



    2002年10月29日(火)

       芋ちゃん    


 今夜はかたろう大学院(赤提灯の寄り合い)であった。小生

が推薦した新入生の桑原芋吉さんは,60名の会員を前にし

た自己紹介で次のように述べて挨拶を締め括ったのである。

 「……と,いうことで芋ちゃんと呼んでいただければ嬉しい

です」 小生は、「凄いな〜」と,感服したのである。

 ところで,この芋吉さんのお父さんは小生が高校の時に2

年3年を担任して頂いた恩師なのである。何事によらず非常

な努力家で「粘れっ!」というのが口癖であった。

 そしてなにごとも,自分自身が率先して見本を示される猛烈

先生だったのです。たとえば,ほんの一例を挙げるならば学

級日誌のことがあった。

 我々C組42名は,毎日交代でその日一日のクラス内の出

来事を書き記すことを義務付けられていたが,驚くべきことに

この先生は生徒が書いた学級日誌を虫眼鏡で字数を数えて

おられたのである。そして,下段に字数を明記した後で主任

の言葉という欄に次のように書いておられたのです。

 【 井上さんの今日の字数参千百五拾八字は,先生が学級

担任着任以来の新記録でした。少々読みずらい所もありまし

た。何度も字数を数えたり井上さんの真意を汲み取ろうと考

えながら読んでいたら1時間と30分かかりました。それでも先

生はただ嬉しかったね。今日の井上さんの日誌で我が2C組

の基礎がしっかり固められたのだから……。

 読み終り 数え終りて ただ感謝 】

 如何ですか,みなさん。これが2年生になって新学期を迎

えたばかりで,名前順の荒木のらくろ君から始まって6番目の

井上さんという女生徒が書いた学級日誌なのですよ。

 それからはもう大変でしたね〜。井上さんの記録を破ろうと

いう奴をまた破ろうという……真面目と言ったら良いのか馬鹿

と呼ぶべきか……奴がいて,いやはや字数に拘る余りに内

容味不明で訳が分からないのから,小生みたいに最初から

勝負を投げたのがいて,それがまた先生の逆鱗に触れてもう

大変でございましたぞ。

 しかも,それが2年後の卒業まで延々と続いたのですぞ。あ

〜辛かったな〜。でもよくよく考えてみれば,この時のこの先

生あればこそ,ただ今の小生の楽天日記があるのかもしれま

せん。先生のご冥福を心からお祈り申し上げる次第です。

 ところでもう一つ,桑原先生を語る時にこれだけは是非お

話ししなければならないことがあるのです。

 と申しますのは,桑原先生は1年365日雨・風・嵐・雪の日

でも,自宅から学校まで1時間半ほど走って通学されていた

のです。正月や祭日日曜日や夏冬の休みの日には学校の

門にタッチしてからそのまま自宅まで帰っておられたのです。

 そしてそれを,元警察勤務の時から長崎商業を退職なさる

まで半世紀近くも続けてこられたのです。

 いまでこそ,ジョギングなどで街中を走る人を見かけます

が当時は一人もいませんでしたし,その走る出立ちといえば

いつも頭にはキチンと白いハチマキ,白いランニングシャツ

に白の短パンと決まっていたのです。

 というような訳で,当地長崎には知らぬ者なしの先生のこと

を人々はいつの間にか,もとバラモンの神でのち仏教の伽藍

守護神となった足の早い韋駄天にちなんで、“イダテン”と呼

ぶようになったのです。

 とまあ,このように思い込んだら命懸けというようなイダテン

先生でございましたが,儒教の精神旺盛でございまして,戦

時中にお世話になった「芋のご恩忘れるべからず」の感謝の

気持ちが高じて,生まれいでたる可愛い我が子に芋吉なる

名前をお授けになってしまわれたのです。

 まあ,イダテン先生としては至極真面目にに熟考に熟考を

重ねられたのでございましょうが、付けられた方はいい迷惑

で……と,かくいう楽天は考えるのであるが……すくすくと育

ち賜いし芋吉少年は成績優秀で尚且つ運動神経も抜群で

ございましたが,セレモニ〜の際に全校生徒の前で生徒宣誓

の言葉を述べる時には「 宣誓っ!………以上代表,桑原」

と言うところまでははっきり聞こえるのであるが,語尾がなんと

なく聞きとり難かった。……というのが,当時長崎南高で芋吉

少年と同級生であったご存知さんの証言なのである。

 19年前に我等が恩師であるイダテン先生がお亡くなりにな

られた後も,奥様(子供のようなお人柄で小生は大好きである)

や芋吉さんとご交誼頂いておったが,小生はなんとなく今日

まで「うきちさん」と呼ばせて頂いてたのである。

 少年時代から版画が巧みで,4年前に大阪から阿蘇へと新

たな境地を開拓すべく単身乗り込んだのであったが,いまま

た原点に戻り充電中の芋吉さんが,皆の前で堂々と自らを

「芋ちゃんと呼んでください!」 と宣誓なさったように,これか

らも堂々と自己開拓をなされ素晴らしい人生を創造されんこ

とを祈るものである。

  イダテン先生のご家族のみなさまに

  明日が良い一日でありますように ! 



    2002年10月28日(月)

      子供は好きか?    


 「優子,優子は 子供が好きか?」

「うん,好きよ!」

「いま,幸せか?」

「うん,幸せよ!」

「わっはっはっはっは〜あ〜良かった良かった!」

「叔父ちゃん,な〜ん?」

「あ〜良かった良かった。叔父ちゃんも幸せ!」

 生まれたばかりの赤ちゃんを抱いたままで,里帰りして母親

になったばかりの優子はキョト〜ンと目を見張るのである。そ

ばでは優子の両親もビックリして小生の顔に目に釘付けなの

である。

 「赤ちゃんの名前はなんて言うとか?」

「真也て言うとよ」

「ふ〜ん,真也くんか。おい,真也くん,君はお母さんに好か

れて良かったね〜!」

 と言いながら手を伸ばす小生に向かって,呆気にとられた

ままで……ポカ〜ンと口を開けたままで……真也君を小生に

抱かせる優子でございました。そして,いつの間にか真也君

はすやすやと幸せそうに寝ていたのです。

 「優子はいくつになったとか?」

「もう,34になったとよ。いつん間にか年とった」

「わっはっはっは〜 馬鹿たれ,むか〜し,伯父ちゃんが優子

に子供は好きか?て聞いたとば覚えとっか?」

「うんにゃ〜知らん,覚えとらん」

「本当か,本当に覚えとらんとか?」

「うん,全然分からん。さっきから叔父ちゃんがなんば言いよ

っとか全然分からん」

「そうかそうか,本当に覚えとらんとか〜いや〜良かった良か

った!」

 姪の優子が,《結婚先の福岡から里帰りして無事に赤ちゃ

んを生んだ》というニュ〜スを聞いて,息せききって駆けつけ

て先程の変な質問を浴びせかけた小生でしたが,ここでやっ

とひと落ち着きしてお茶を飲んだ小生だったのです。

 「ビ〜ルは飲まんとか?」という優子の父親の質問にも,

「うん,今夜は飲まん!」

 などと,およそ小生らしくないキッパリとした答えが帰ってき

たので,目を白黒させる優子のご両親でした。だって,優子

の父親である弘文ばん(五島弁で兄という意味)とは従兄弟

同士で,何十年来屋根から落っこちたり(兄)溝にはまったり

(小生)電停にアタックしたり(一緒に)の飲兵衛仲間なので

す。

 ビックリしている4人に,(真也君もチャンと聞いときなさい)

今から15年前,優子が長崎大学2年生の時のことを話したの

です。

 場所もそっくりそのまま,この家のこの部屋の中で日曜日の

昼下がりの一刻だったのです。勧め上手の姉さんにススメラ

レルままに小生はビ〜ルを飲んでいたのですが,ふと話題が

娘たちのことになって,優子が教育学部専攻であることを聞

いた小生はふと思いついたことがあったので,2階にいた優

子を呼んで座り直したのです。

 常々,小生は真面目な話をする時にはキチンと座るのが習

慣なので,小生の娘達は小生がキチンと座ったりしたら危険

信号を感じて慌てて座るのであるが,この時優子もキチンと

座って小生の質問に耳を傾けてくれたのです。ちなみに,み

なさん方もまず,優子が勉学優秀な娘であることを知ってお

いてください。

 「優子,優子は教育学部か?」

「うん」

「教育学部で勉強して将来はなんになりたかとか?」

「分からん。先生になっかもしれん」

「優子は先生は好きか?」

「分からん」

「どうして,教育学部に入ったとか?」

「分からん」

「優子は子供は好きか?」

「分からん」

「分からんでは,叔父さんも分からん。もし、好きか好かんか

二つに一つやったら優子はどっちか?」

「そしたら,好かん。子供はやぜらしか(煩い)!」

「そうか,やぜらしかか〜?」

「うん」

「そしたらぞ,もしも優子が先生になってすったいね〜」

「うん」

「もしもぞ,自分たちのことをやぜらしか,て思うとる先生が担

任になって,なられた子供たちは嬉しかろうか?」

「分からん」

「そ〜か,難しかね〜」

「……」

「叔父ちゃんも難しかて思う。いっちょん分からん,優子も分

からんやろ?」

「うん」

「叔父ちゃんも分からん。そいばってんさ〜,優子がま〜だ可

愛〜いか小学校の時にさ,今も可愛いかばってんさ,わっは

っはっは〜 優子が好いとった先生のおったか〜?」

「うん,おった」

「そうか,どんな先生やった?」

「優しかった」

「そうか優しかったか,優子と同じ字やっか〜 わっはっは〜」

「うちは優しくないもん」

「優子は優しかもん,叔父ちゃんは知っとるもん!」

「その先生は優子や子供ば好いとったとよろね〜?」

「そうやろね〜,良く笑うとんなったもん」

「幸せやったね」

「うん」 

「そしたらさ〜,中学高校の時に好かん先生のおったか?」

「うん,いっぱいおった」

「どんな先生やった?」

「意地悪やった」

「叔父ちゃんも子供の時にいっぱい好かん先生のおったよ。

こんな人が,どうして先生になったとやろか?別の先生やっ

たら良かったとにて,いつも思うとったとよ。そげん時に,叔父

ちゃんは『可哀相かね〜』て思うとったばってん,優子もそげ

ん思ったことはなかったか?」 

「あった。そんげん思うた」

「あっ,優子も思うたか?」

「思うた」

「誰が?」

「子供が」

「そいから……?」

「……」

「先生のことさ〜,勿論。子供が好かんとに先生になったりし

て……,そんな先生に当たった子供が可哀相かとは当たり前

ばってん,子供はどんどん進級して新しい出会いのあって良

い先生や仲間に出会えるやろうけど,子供の好かん先生は

一生苦しかろうね〜!益々意地悪になったりして」

「……」

「難しいかね〜 人生は!」

「……」

「悩め悩め!叔父ちゃんも優子の年にはいっぱい悩んだ」

「……」

「お父さんもお母さんもどんな偉い人でも,大昔から♪み〜ん

な悩んで大きくなった〜♪」などと,当時流行ってたコマ〜シ

ャルなんぞ歌いながらも,最後に一言こう言ったのです。

 「あのね,自分を生かすということは難しいと思う。叔父ちゃ

んは馬鹿だからこの年になっても分からん。でも,優子は大

丈夫だからじっくり自分について考えろ!

 いまの自分,将来の自分についてじっくり考えなさい!但し

,だらだら考えても意味がないから制限時間を1週間と決め

て一生懸命に考えなさい!

 さっきは悩めと言ったが,悩むのではない。自分の将来の

道を自分で開拓創造するのである!

 では大好きな優子や,1週間経ったらまた会おう!

わっはっはっはっは〜」 と笑って,飲み残しのビ〜ルをぐいと

あげて颯爽と帰ったのである。

 それから1週間たった昼過ぎ,優子が何となく照れくさそう

に現れたのです。

 「どうだった優子?」 と尋ねる小生に,

「叔父ちゃん,優子は先生は止めた!」と,ふっきれたように

答えたのです。

「なんで?」

「うち(私)には合うとらんごたっもん!」

「そうか,わっはっはっは〜そしてどうすっとか?」

「いまから,考える!」

 というのが,実に15年前の優子の決断だったのです。そし

て,卒業後福岡でOLとなり今日に至った訳なのですが,小

生は馬鹿なりに彼女の人生の岐路において,誤った判断で

彼女を不幸にしたのではないかと心配していたのですが,良

かった良かった,優子はな〜んにも覚えてなかったのです。

本当にまったく,優子はなにも覚えてなかったのです。あ〜!

 真也君を抱いている彼女はとても幸せそうでした。

「幸せか?」 と,尋ねたところ

「幸せ!」と,答えてくれました。

 小生も幸せです。それにしても,あ〜良かった。

ところで,優子が先生にならなかったお陰で,無事先生にな

れた先生へ一言。あなたは当然のこととお思いかもしれませ

んが,もしも,もしかだったら,もしかしたかもしれないのです。

 どうか,子供達を好きな先生であってくださいね。

お陀仏楽天ぴ〜ひょろろが杞憂した15年間のためにも……。



    2002年10月27日(日)

       投稿から         


 毎日新聞の投稿欄に「男の気持ち」というのがある。普通の

投稿欄とはチョット違っていて,ほのぼのとした想い出や嬉し

かったことや,幸せゴッコの達人がそれぞれに感じたことを素

直に書いているので,朝読んでその日一日を幸せの余韻の

中で過ごしたいと願うのである。

 今日は,「妻への償い」というテ〜マで坂本日出男さんとい

う人が書いておられた。いつものようにじっくり読んだが突然

ビックリした。”ひゃ〜”世の中にはこんな人がいらっしゃるの

かと思って,「どこの誰だ?」と調べたら長崎の坂本さんであ

った。

 「”ひゃ〜” 長崎の空の下にこんなスゴイご夫婦がいらっし

ゃったのか〜」と,もう一回ビックリした。小生は坂本さんのよ

うに優しく強い人には絶対になれない。でも,尊敬する。

 一体全体,どんな顔のどんな人でどんな事をしてどんな友

達を持っているんだろうか? ”ひゃ〜” ビックリした。

 ひょっとしたら,いつかお会い出来るかもしれない,お会い

出来ないかもしれない。でも,嬉しいのでご紹介させていただ

きます。

    ・・・      ・・・      ・・・

 暮れ行ゆく今日に感謝し,また来る明日に喜びを託す。幸

せとはこんなものかと,つくづく思う夫婦だけの生活。

 結婚当時、妻は純心でとても従順だった。夜中に帰宅する

と,「陣痛が始まりましたので病院へ行きます。心配しないでく

ださい」とのメモがあった。翌日男の子が生まれていた。

 自宅で明け方までマ〜ジャン。夜中には必ず夜食を用意さ

せた。それでも嫌な顔ひとつしなかった。

 退職後、家の中では居場所を決め,相互不可侵で相手の

立場を尊重しあっている。

 先月,以前から思ってはいたが,言わないでおこうと心にし

まっていたことをうっかり口に出してしまった。

 「あなたはこれまで一生懸命,家庭を守ってきた。今度は私

が家庭を守る番である。今後は心おきなく好きなことをして,

これまで出来なかったことにチャレンジしなさい。遠慮するこ

とはない」

 少し調子に乗り過ぎたきらいはあったが,切々と真情を吐露

した。妻は,「ありがとう。そうさせてもらいます」と言葉少な

に,しかも,冷静に言った。

 今,妻は1週間のうち家にいる日が少ない。朝出て,夕方

遅く生き生きとした様子で帰って来ることが多い。

 これでやっと妻への償いができているのだと思うと,なぜか

うれしくなってくる。

     ・・・       ・・・      ・・・

 文章を辿っているうちに「しまったっ!」と思った。

 恥ずかしながら小生には真似ができない。

 のらくろ野郎に電話でもするか。    



    2002年10月26日(土)

        綿の花         


 みなさんは綿の花をご存知でしょうか。

緑色と茶色の混ざったような,細くいかにも実直そうに伸びて

いた枝が,……あたかも突然の反抗期に差し掛かったように

……気ままに別れた,かと思ったらその先っちょにちょうどドン

グリの3倍くらいの大きさの固くて青い実が2つ3つずつ我は

我なりと威張っているのです。

 そしてある日,開花のときを迎えたそれらのいくつかは,「ポ

ンッ!」と弾けるような音を立てて世に出るのです。(これは嘘

です。でもそんな感じなのです,いかにも少年が意を決した

飛翔のときみたいなのです)

 そして,それからどうしたことでしょう。青い実はいつの間に

か枯れて、その上を白いふんわりとした綿みたいな雲が,い

や雲みたいな綿が優しく包んでいるのです。

     ・・・      ・・・      ・・・

 小生の大辞典に載ってなかったものですから説明が大変だ

ったけど,植物学者だったら一体どんな風に描写するのでし

ょう。なんでも大変だ。え〜と,なんの話しをするつもりだった

んだっけ,あっ,そうだ。

 実は去年の今頃,長大熱帯医研の教授であるベンツさん

が,この花を持って来てくださったのを愛妻が大切にしている

様子を一年間観察して合格ラインに達したらしく,今年も季節

になった今日,放送大学で教鞭をとった帰りにお土産に持っ

てきてくださったのです。

 そしてまた,赤と黄色のピンポン玉やビ〜玉のような大きさ

の綺麗な実のいっぱいついたナスの花(?)とか菊とか,大

草駅の饅頭とか両手に山,それこそ顔の埋まるくらい沢山持

ってお出で頂いたのです。それも,30分以上も汽車やタクシ

〜に乗って……。

 本当になんとありがたいことでしょうか。

「大好きな人から好かれていると思う幸せ!」これに勝る喜び

がございましょうか。本当にありがたいことです。

 諫早で法事があった帰りのオ〜ドリ〜さんもにこにこ笑顔で

した。先日のブリンナ〜さんのお嬢さんの結婚式の楽しかっ

た思い出はあれやこれやと……。

 ベンツさんの挨拶,オ〜ドリ〜さんの心配り,全員の合唱,

賑やかだった(過ぎた?)ユ〜モアクラブのテ〜ブル,美味し

かった料理とワイン,上品な奥様、方言の若奥さんと子供、

帰りのバス,ガバチョの酔っ払い,2次会,楽天の酔っ払い,

みんなみんな楽しい思い出でした。

 しばらくして、芋吉さんも来ました。みんなで「わっはっはっ

は〜」と,笑いました。あ〜面白かった,楽しかった。

好きな人達と人生の一刻を過ごせる喜びに勝るモノはなし!

  さあ,明後日の火曜日は”かたろう大学院”だ〜。

  明るい人と会えば 明るくなれる

  元気な人と会えば 元気になれる

  心美しい人と会えば 心が美しくなれる

    今日も 楽しい一日を 有り難うございました







    2002年10月25日(金)

        弔電         


 これはご存知さんの失敗談である。

知人のご主人が亡くなられたとの訃報を聞いて,とりあえず

弔電をうつことにしたが離れているので詳細が分からない。

 仕方がないのでその地方の名士で万相談受け賜わり処と

いう,まるで落語に出てくる長屋のご隠居さんのような物知り

に電話を掛けて相談した。ご隠居さんはもう仮通夜に出掛け

てきたらしく会葬御礼のハガキを見ながら得々と説明してくれ

たのである。

 「う〜ん,会葬者も多いし自宅では大変ということで葬儀社

になっておるが〜,住所は薮蛇町800番地で電話番号は12

3−456で市外局番が890となっておるようじゃな〜。

 なになにっ,喪主?喪主の名前とな〜,え〜と,こりゃ〜

また,えろ〜親族の多いご家族じゃて。中には妾とかテカケ

とかいうのがおったりして,紛争でも起こったら大変なこった

いな〜。

 まあ, 『♪金が〜無いの〜も〜運のうち〜 ア、コリャアコ

リャ〜♪』 あ〜ビックリした!そんなに耳元で怒鳴るなって

いうんだよ。お前さんの悪い癖だぞ,ったく!

 え〜と喪主だったな〜,昔っから”亀の甲より年の劫”と言っ

てな〜小生くらいの年になるってえと……ん〜と,♪モシュ

モシュモシュヨ〜モシュさんよ〜♪と,きたもんだ〜ア,コリャ

ア〜」 怒鳴るなってんだ!こっちだって忙しいんだから。

 婆さんもまた婆さんだ,入れ歯の手入れぐらい自分ですりゃ

〜いいものを,今週はお前さんの当番だとかなんとか抜かし

やがってまったく,大和おのこをなんと心得てやがるんだ!

 モシュモシュ〜 喪主さんはいらっしゃいませんか〜?

おっと,いたよいたよ,いらっしゃったよ〜!なんだまた,喪主

の名前を最後に書くなんて一体戦後の教育はどうなっている

んだよ。こちとらハイカラなんだから,文字は左から読むもん

だと思っちまってたじゃあないか,ったく!

 なになに? あ〜 モシュモシュではなかった,モシモシ

ご存知さんかね,こりゃ〜よしなさい絶対に止めた方がいい

よ,字が難しいのなんのって……。

 どんな字なのかって?止めた方がいい,とにかく男らしい

字だが難しいから止めた方がいい。どうしても?まったくしっこ

い奴はこれだからイヤだ。

 え〜と,右の上の方に数字の十という字を書いた下に一を

引っ張った後で,角の下に横棒が三本で縦棒が一本でそれ

を左向きのスケ〜タ〜に乗せて,上にホクロのついた文字で

男らしい字だ」

 というような,訳が分かったような分からんような御隠居さん

の話しを聞いて弔電をうったご存知さんでしたが,あれは大

失敗でしたな〜。

 てっきり喪主はご存知さんの兄さんか叔父さんと考えて,豪

華な電報用紙に長々と,「大兄の悲しみはイカバカリカ…」と

うったのですが,問題の男らしいお名前の喪主は奥様だった

らしく「楽天兄弟はバカバカリカ…」と,一部の人の顰蹙を買

って長いお通夜の酒の肴になったそうです。

 やれやれ,アホな愚弟を持てば苦労することです。

   みなさまも,くれぐれも御注意くださいね。



    2002年10月24日(木)

       田中耕一氏         


 昨晩,人生の素晴らしい一刻をご一緒に過ごさせていただ

き,共に喜びと驚きを分かち合せていただいた井手様から

いろんなことを教えて頂きましたが,その中で特に感銘を受

けたことをメモったままに書かせていただきます。

   ・・・       ・・・        ・・・

(1) 今回,ノ〜ベル賞を受賞された田中耕一氏は素晴らし   


いと思う。かって,日本人が有していた努力・誠実・直向き・

謙虚・優しさ・照れる,などという美徳の精神を持ちつづけ

ていると思う。

(2) 田中耕一氏は,われわれ日本人が見失ったモノを求め

る理想的な日本人である。

(3) 「失敗の中から成功の基が見えた」と言った。

(4) ノ〜ベル賞受賞の翌日の出社時に,全社員が拍手で

出迎える中を,うつむいて照れくさそうに歩いたのが印象的

であった。

(5) ノ〜ベル賞で何を買うか?の質問に対して,「デジカメ

が欲しいが女房に相談します」と,いう答えであった。

(6) ノ〜ベル賞をいただいたが,なかったことにしてこれか

らの人生を生きて生きたい。

(7) 彼を見ていると,心洗われる思いに浸れる。これから

しばらくウオッチングしてみたい人物である。

      ・・・     ・・・     ・・・

 ということを,教えていただいた。小生もテレビでちょこっと

見ただけではあるが,田中氏の笑顔が良いな〜と思った。

そして,奥さんも可愛い笑顔だな〜と思った。

 ぴ〜ひょろろも「おおいに反省しなくっちゃ〜」

と,思ったのです。 

 



    2002年10月23日(水)

       汚い料理屋         


 井手様御夫婦と愛妻と4人で長崎一汚い料理屋に行った。

部屋に入った時にはご夫婦共にキョロキョロ見回していらっ

しゃったが,次々と料理が出るしたがって美味しそうに舌鼓を

うっていただいた。

 ほどよくアルコ〜ルもまわってお腹が落ち着いたところで、

「あ〜,幸せ〜!」と,奥様がおっしゃった。

「いや〜,謙譲の美徳かと思っていたら本当に汚い!楽天さ

んは正直者だったのですね〜」と,ご主人がおっしゃった。

「何回もキタナイキタナイと言うし,今朝も『絶対に普段着で』

と念押しの電話まで貰ったので,どんな処かと思っていたら

いや〜,これは凄い!」と,褒めていただいた(?)。

「都会では,わざと倉庫なんかを使って天井の梁を見せたりし

て古く汚く見えるように演出してあるのに……いや〜ここは本

物だ!」

「今度、楽天さんが東京にお出でになったら,油で揚げた後

はキチンと和紙で拭いてある店にご案内しましょうね」などと

おっしゃるのである。

 いや〜,わっはっはっはっは〜 愉快愉快 !

まあ,初めてのこととてビックリなさるのも無理はないのである

が,この店は大将が一人でなにもかも料理して持ってくるの

である。

 なにしろ豪快なのである。どのくらい豪快かというと,熱い

伊勢海老が何匹も,ポタポタとレタスの上で油をたらしている

のである。

「サザエとアラカブの揚げ物です」というので箸で取ってみる

と,ポテトだったりするのである。

 とにかく,太っかいサザエの殼にアラカブやポテトがへばり

ついて雑居していて,口に入れてみるまでは何がなんだか分

からないのである。そしてそれが,み〜んなアルミのボ〜ルに

入って登場するのである。

「うへ〜,ボ〜ルですか!?お皿ではないのですか?」

 小生が数えていたら,井手氏はこの科白を4回もおっしゃっ

たのである。いや〜,わっはっはっは〜愉快愉快 !

お二人とも流石にビックリしていらっしゃったが……。

 お帰りの際には「長生きしてて良かったわ〜,良い土産話

が出来ました」と,奥様はおっしゃってましたし,ご主人はにこ

にこして名刺交換をなさっていらっしゃったのです。

 「あ〜美味しかった,楽しかった,嬉しかった」と言いながら

帰宅したのですが,みなさん小生の愛妻は帰ってから何と言

ったとお思いでしょうか?

 「今日はお部屋が綺麗かったですね〜,畳も拭いてあっ

たみたいですよ」と言ったのですぞ。いや〜わっはっは〜

そうです,小生が知る限り10何年の間で今日が一番綺麗に

掃除してあったのです。常日頃の常連さんがピカピカに片付

けてある今日のお部屋を見たらさぞかしビックリ仰天すること

でしょうよ。

 でも,この科白を聞いて一番ビックリなさるのは井手氏かも

しれません。だって,天井近くまで積み上げてあるテ〜ブル

やレンジ(動くかどうか分からない)や座布団やその他テイッ

シュ等のゴタゴタを見上げながら,このようにおっしゃってた

のです。

 「まるで,駒落とし将棋のようですね〜」 と……。

わっはっはっはっはっは〜 あ〜 人生は面白い。

人がビックリしたり喜んだりするのを見るのは楽しいな〜 !

   幸せな ぴ〜ひょろろ でした




    2002年10月22日(火)

      井手絹子さま         


 先日お話した井手絹子さまが,さいたま市からお見えにな

られたのであるが、想像に違わぬ素敵な雰囲気のご婦人で

あった。いつものように,小生の心の宝石箱に一筆書いてい

ただくようにお願いするのだがなかなかに難しく,得意の三

枚舌を以ってしても大変であった。

 そして,やっとの思いで書いて頂いた言葉が,

      『 いつも 笑顔で! 』 だったのです。

 少しずつお伺いしているうちに,奥様は日々の生活の中か

ら時間を作ってマフラ〜を編んでいらっしゃるそうです。まだ

”どこの誰に”ということは決めていらっしゃらないそうですが

,とにかく何処かの養護施設の子供達にクリスマスプレゼント

したいと考えて,とりあえず50本を目標にして現在42本完成

しているそうです。

 勿論,色も柄もみんな違ったオリジナルだそうですよ。ねえ

みなさん,素晴らしい奥様でしょう!本当にお会いできて良

かったな〜と嬉しかったのです。

 本当に”出会いに感謝!”の心でございました。

「心美しい人と会えば心美しくなれる」 横着者の小生もチョッ

トばかり,心が美しくなったような気がいたしましたよ。そんな

思いをさせて頂いたくらいに幸せなひとときだったのです。



    2002年10月21日(月)

         剃髪         


 ワ〜ルドユ〜モアクラブの相談役,ブリンナ〜師のお嬢さ

んがご結婚なさるとのことでご招待を受けた。ご来賓祝辞に

よると,「新郎は,このお嬢さんとご結婚なさるために出家な

さったそうである。これくらいの覚悟を持ってすれば,万難何

事やあらん」と,結んでいらっしゃったが正しくその通りである

と感激した。

 クラブを代表して,ベンツ・雷電両教授がご挨拶なさったが

共に二人のお人柄が出ていて素晴らしかった。後刻,余興に

13名で“ラ・ノビア”を合唱したのであったが,下手な小生が

舞台中央に据えられてとても恥ずかしかったのである。

 それが原因かどうかは分からないが,席に着く途中に何人

かの知人から日本酒を勧められて酷く酔っ払ってしまった。

バスに乗ってどこか2次会に行ったようだが後は覚えていな

い。前後不覚とはまったくこのことである。

 ああ情けなや!頭を丸めなければならないようなことをしで

かしておらねばよいが……。同じようなことでも,まったく恥ず

かしく頭の痛いことである。”オヨヨ”なのである。



    2002年10月20日(日)

       ある日曜日       


 今から30年ほど前は小生も働き盛りであったし,世の中も

みんな頑張り盛りというか成長期だったので,我々小商い人

にとっては日曜祭日もなく夜遅くまで働くのが当然であった。

 ところがいつの頃からか,小生も寄る年波には勝てず……

などと言ったら92歳の頑固さんや87歳のご先祖さんに申し

訳ないのであるが……いつの間にやら世の中の仕組みも変

わってしまって,日曜祭日や夜間訪問などはお客様にご迷惑

をお掛けするような結果となることが多くなったのである。

 と,いうような小田(オデン)引水的な,理由にもならないよ

うな理由でこの数年間は日曜日を休日としてきたのである。

 しかし,原則として当店は外販を一切しない代わりに,ご紹

介のそのまたご紹介という,ご家族・親戚ぐるみでご贔屓を頂

いているお客様が,東京・埼玉・千葉・横浜・名古屋・広島・

福岡などの各都市から盆正月や連休を利用して洋服注文ツ

ア〜(?)にお出掛けくださるので,飛行機や汽車の到着時

やお客様のご都合に合わせて早朝とか深夜に店を開けたり

しているのである。

 あれっつ,そんなつもりではなかったのにいつのまにかこま

〜しゃるになっていたのである。え〜とごめんなさい。

 とにかく,楽天一家はこの日曜日をそれぞれ以下の如く過

ごしたのである。

(1 頑固さん)

 朝9時朝食,新聞と植木の手入れと外国のスポ〜ツテレビ。

昼からは,先日のチュ〜公で懲りたのかタンスの手入れで終

日。ところが,夕食事には生まれて初めてのぎっくり腰をおこ

していたようだ,……が,翌日はケロッっとして曰く。

「腰の痛か,腰の痛かてお前たちはしょっちゅう言うとるばっ

てん,おいは自分でさすって治してしもうた。大体お前たちは

根性の無かけんいかん!」

(2 ご先祖さん)

 長崎伝習所の「我が町の名人達人塾」が市民会館であり、

ご先祖さんは愛妻(結婚前は料理学校の先生であった)を助

手にして,漬け物づくりとソ〜メン出し汁の講師として出席し

てなかなかの好評であったそうな。

「昔,いろんな人から習ってきたとば,ず〜とメモに書いとっ

たとば教えただけやったとばってん,みなさんが喜んでくれ

て嬉しかったばい!」と,ご機嫌であった。

(3 愛妻・万里ちゃん)

 今日は一日、お母さんと一緒に大村寿司やふくれ饅頭や

折り紙や木彫や手作り遊具や木工人形や,カヤでバッタづく

り教室でとても楽しかったですが,ちょっと疲れましたのでちょ

っとだけお昼寝させて頂きます。グ〜グ〜グ〜

 ちなみに、心清らかなる愛妻は枕を頭につけると寸時にし

て寝てしまうのです。ひょっとしたら立ってでも眠るのではな

いか小生は思うのです。オリンピックにそんな種目があったら

良いところまでいくのではないか,と小生は睨んでいるので

すが……。

(4 楽天)

 小生は夢豊会の仲間と恒例のピクニックである。この日の

参加は小学校6年生の萌子ちゃんをはじめ16名で,田上か

ら遠八景を越えて戸町水源地までの5時間コ〜スであった。

 毎晩1時間半歩いてるという山田夫妻は流石の健脚であっ

たが,夜の繁華街を毎晩ハシゴしているという61歳のま〜坊

は最初から最後まで愚痴と悲鳴のあげっぱなしであった。

「こげん登り坂の多か山はいっちょん面白うなかっ!今度は,

下り坂ばっかりの山に登りたかっ!」は,けだし名言であろう。

 でも,好きな仲間と一緒に山の美しい光景を眺めながら,

雨上がりの新鮮な空気を吸いながら,「ワイワイガヤガヤ」と,

欠席した連中の悪口を言いながら過ごす一刻はなんと楽し

かったことか。わっはっはっは〜

 とくに小生が驚いたのは,ほんのチョッピリの時期の経過

なのである。

 春の心地良い陽射しを浴びながら,”ひらひら〜ひら〜”

と,美しい衣を翻しながら戯れていたピンク色の妖精の,優

雅な棲み家である桜の木の変化であった。

 朝夕の遥かに遠い風の囁きに時の移ろいを聴いたか

 木の葉の乱舞の中に厳しい季節の到来を見たか

 いま 桜の木々は じっくりと 腰を落として

 ふてぶてしくも 冬の化粧に 余念がなかったのである

 まるで 碾き臼女房の如く

(4 優希&美希子)

 本当は,今日は父ちゃんやみんなと一緒に山登りの予定で

あったが,優希の彼に急にバレ〜の試合が入って応援に行

ってしまったのであった。オヨヨと泣き崩れるぴ〜ひょろろで

あった。

(5 太希子)

 朝から,「今日はみんなで遠足ね,良かね〜」と,羨ましそう

に電話を掛けてきたのであったが,みんながばらばらである

ことを知って悲しそうに嬉しそうであった。今日は公募ガイドを

買って「父ちゃんと競争しよう!」のことであった。

(6 反省)

 小生のいつもながらの癖であるが,話してる途中や書いて

る途中で我を忘れてしまうのは馬鹿な欠点である。

 ……が,「反省しよう!」と,直ぐに悔い改めるのが小生の偉

大なる長所である。……が,実行出来ないのが小生の……

 あ〜 疲れた。我ながら馬鹿な … お寝すみなさい。



    2002年10月19日(土)

      福祉体験講座


 K町社会福祉協議会では,いつでも,どこでも,誰でもが

ボランテイアに参加できる整備を図ることを目的として,今年

度から3年間国庫補助事業としてボランテイア養成事業の指

定を受けました。

 そこで,ボランテイアについての関心と理解を深めることを

目的としてボランテイア福祉体験講座を開講いたします。

 つきましては,……という要請を受けて「本当に小生でよろ

しいのですか?まさか,10月馬鹿ではございませんでしょう

ね?」と,何回も念を押した上で午前10時に会場に出掛け

た。

 考えてみると,世の中も変わったものだ。一昔前に,小生

がボランテイアの勉強を始めたころには,「あれをしてはいけ

ない。これもしてはいけない。……とは,かくあるべきである」

などの話で退屈ばかりであったが,最近はチョッピリ違ってき

たらしい。

 ”百聞は一見に如かず” が ”百見は一行に如かず”

となったように,”百回の行動を通しての馬鹿楽天の失敗の

中からでも,反面教師として何かの可能性が?」と,なったの

かもしれない。

 「できるときに できることを」をという小生の信条を,テ〜マ

にお話しさせて頂いたのであったが……。

 とにかく,小生の人生における失敗の数々や,車椅子体験

やアイマスク体験をした上での実体験の失敗談をさせて頂い

た。お陰さまで今日まで、人の生死に関わるほどの失敗はな

かったのが幸いであったが,人の失敗ほど愉快な話しはない

のでまあまあ喜んで貰えたのではなかろうか!?

 と思うことが出来るのは,今朝開講前に出会ったばかりの,

N中学校1年生の花木綾ちゃんという可愛い友人が一生懸

命に聴いていてくれたからである。嬉しかったな〜。

 綾ちゃんは,数学と理科が好きな元気な女学生で,当町中

学校ではただ一人手話を習っているそうですし,協議会会

長さんのお話ではとても上手なそうです。それに比べて小生

は何事も一人では出来ませんし,その上にある理由があって

恥ずかしいな〜と,綾ちゃんを尊敬したのです。

 そして,小生には初めての言葉である住民基本台帳ネッ

トワ〜クを教えてくれたのです。サスペンスと障害者の本が

好きと言う綾ちゃん,トム・ソ〜ヤを知らないと言う綾ちゃん。

今度、なにか本を見つけてお手紙書きます。

 いつまでも,いまのあなたの笑顔と心を大切にして,友達を

いっぱい作って素晴らしい人生を創造してください。あなたに

お会いできて良かった。ありがとう,綾ちゃん!




    2002年10月18日(金)

     頑固さんのペット


 「父ちゃん,父ちゃん大変。またお爺ちゃんのペットが出た

っ!」と,美希子が息せき切って駆けつけてくるのである。

「なんだなんだっ,またチュ〜公か?」

「そ〜よ,早よ〜来てっ」

 そうなのです。我が家の頑固さんは旨い食べ物や一度に

食べ切れないケ〜キなどを,テレビを見る間のほんのちょっ

との一時置き場として,ベッド横の押し込みの中に置いた儘

忘れる癖があって,それがチュ〜太君やチュ〜子さんのお八

つになっているのです。

 それで,一年に一度くらいは大捕り物になるのですが,そ

の都度気丈夫な頑固さんは紙袋新聞紙や布切れを使って

捕まえては中島川に捨てにいくのです。いや,捨てるというよ

りも,可哀相だからと言って草むらに放してやっているのです

が,いやはや……

 そういえば,この春なんか大変でしたぞ。

小生が店のトイレに入ろうとしたところ,「馬鹿たれ,戸ば開く

んなっ!」の声と共に”バタン”と閉められて小一時間余り。

 その間,なにやら”ドタンバタン”と,中は大騒ぎなのである。

なんとなく変な様子なので,何事ならん?と,近づいてきた愛

妻と共に「なんばしよっとやろかね〜?ったく」

 「まさか,掃除してくださってるのでしょうか?」 

などと話している内に,やっと静かになったとおもうと,いきな

り,”パタン”と戸が開いて得意満面の面持ちの頑固さんが

現れたのである。それも太っかいネズミを新聞紙で包ん

で……まるで焼き芋のように……意気揚揚なのである。

 「キャ〜」と愛妻はビックリしてロケット弾よろしく800

メ〜トルほどもすっ飛んでいくし,小生は腰を抜かすし,で

大変だったのです。

 とまあ,このように五島は奈留島生まれの頑固さんは豪胆な

のである。そしてまた,恐がりやにかぎって目に入りやすいの

であろうか。隣家の庭と頑固さんお手入れの植木鉢の多い

我が家から時々可愛い(?)蛇さんが挨拶に来るのであるが,

それを見付けるのはきまって愛妻なのであり,それらの愛嬌

モノを挟んで中島川に放してくるのは常に頑固さんなのであ

る。

 ……とこのように,我が家の年中行事であるが今回は酷か

ったですね〜。頑固さんのベッドの枕元にあるテレビの横に

厚紙で作った綺麗な飾り棚が置いてあるのであるが,その

箱の真後ろを食い破っていたのですね。

 愛妻の悲鳴で飛んでいってみると,今回のペットさんはゴ

〜ジャスな生活を楽しんでいたようでございますよ。小心者の

小生は”備えよ常に”を実践すべく,木刀代わりに太っかいモ

ップを構えていたのですが,いやはや,わっはっはっは〜

笑ってしまいましたぞ。

 チュ〜公さんはとっくに窓から逃げて行ってしまっておりまし

たが,愛妻が恐る恐る頑固さんの宝物入れを開けたところ,

出て来るわ出て来るわ出て来るわ……。

 チョコレ〜トやクラッカ〜の食いかすや袋の破れていたのに

混じって,煙草にはオシッコ,真珠のカフスや珊瑚のネクタイ

ピンにはたっぷりとウンチの山のベッドを作って,まるでチュ

〜公さんにとっては金殿玉楼だったのです。

 わっはっはっは〜さぞかし快適な生活を楽しんでいたことで

しょうて。おまけになんたることか,よほど,いや文字通り耳障

りだったらしく,市販のチュ〜公さん除けの煩い電波を発する

筈の機械の電線を二つも食いちぎっているのです。

 わっはっはっは〜 だから,隣りの部屋で寝ていたご先祖さ

んが「何か知らんが,いつもゴソゴソ煩い煩い」と言ってた筈

ですよね。

 わっはっはっは〜 流石に憤懣やるせないご先祖さんは,

「今日は太希ちゃんの部屋に寝るっ!」と,怒って行ってしま

いましたぞ。しかし,豪胆且つ,少々耳の遠い頑固さんは平

気の平左なのです。

 いや〜,わっはっはっは〜これに懲りて旨いモノを一人占

めしようなんてことを止めてくれたら嬉しいのですが……。

 翌日,誰かからこの話を聞いた茅ヶ崎の太希子から早速電

話が掛かって参りまして「あっはっはっは〜,流石はおじいち

ゃんばい!この間,おじいちゃんがチンチンば噛まれたとも

やっぱりネズミやったて,タキちゃんは思うよ。あっはっはっは

〜」と,いう事でございましたがみなさん如何でしょうか?

 わっはっはっは〜それにしても可笑しい楽天一家でした。


    2002年10月17日(木)

        効能書き


 お〜頭が痛いぞ〜,ということで久し振りに心地良い二日

酔いを堪能しているところである。思い出してみると,昨夜の

ありゃ〜酷かったな〜。

 最後に寄った店の後で,散会する前に気がきいた誰かが

「明日のみんなの二日酔いのために!」とかなんとかいって、

薬屋に駆けこんで滋養栄養剤なるものを買ってきたので乾杯

したのであったが,ありゃ〜酷かったな〜,よほど高価なモノ

かよほど安モノに違いないぞ。うんうん。

 だって,効能書きにあんなに沢山書いてあるのは初めてで

あったぞ。

 いわゆる「疲れた頭というのから始まって,疲れた目・口・肩

胃・心臓・肝臓・腰・チンチン・腿・足」と,なんでもかんでも

書いてあったようだがありゃ〜本当かね?

ついでに,買ってきた奴への人間不信とか,疲れた財布とか

自己嫌悪とか書いてあったらよほど面白かったのに!

 いや,ひょっとしたら書いてあったのかも分からないぞ。昨

今の商品の輸入元や効能書きや賞味期限たるや,なにをか

言わんやという状態ですものね。それに,原子力発電所の

ヒビシモヤケのタナザラシヒザラシミズザラシにおいては…。

   でもまあ,とにかく,人は人なり我は我なり。

”頭痛きが故にいま我在る”ことに感謝する人格者のぴ〜

ひょろろでございました。 ジャ〜ン,いてて……。
 




    2002年10月16日(水)

        マゴマゴ?


 午後3時3分太希子からの電話なのです。

「あのね〜」と,息を弾ませているのです。

「この間から,なんかきつ〜てさ〜,あんまり怠け過ぎやろう

か,て思うて病院に行ったらさ。あのね,あのねビックリしなさ

んなよ,なんか赤ちゃんのできとったとよ」

 「ヒャ〜 本当か?」

「うん,本当げなっ!なんかね,空豆ぐらいんとのポツンてあ

ってからさ,あと2週間経ってからまた診察に来いて言われた

とばってん,そしたらそん中に小ちゃかとばってん赤ちゃんの

できとっとげなよ」

 「ふ〜〜ん」

「わはっ!父ちゃん,お爺ちゃんばい。わはっ!嬉しか?」

 「う〜〜〜ん,嬉しか嬉しか」とは言いながらも何とも複雑な

気持ちでしたな〜。

 まさか,あのタ〜があのパンジ〜があのタンゴロリンが…。

まさかまさか,親になるなんて……。

 昔,小生が結婚式で新郎の席に座らされている時にも初め

ての娘が生まれた時にも,なんか他人事のようでポカ〜ンと

夢心地であったが,まさかまさか,あのいつまでも幼稚で怒り

ん坊で甘えんぼ〜で泣き虫の太希子が,ヒャ〜〜っ!

 男の児やろうか女の子やろうか?ジイチャンて呼ぶとやろう

かグランパて呼ばせようかダデイかジイヤかお祖父様か?

とにかく,ヒャ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!

 じいちゃんじいちゃんて歓迎してオシッコを掛けてくれるだ

ろうか?涎をくっ付けてくれるだろうか?とにかく,ヒャ〜っ!

 だんだん成長していくに従って,まさか爺離れはせんやろう

ね。礼儀正しくしなかったらお尻パンパンだからね。

 そしてまた,学生の分際で煙草なんぞ吸いやがったら只で

は置かんっ!反抗期なんぞと生意気抜かしたらぶっ飛ばし

てくるっぞっ!老いたりとはいヘ,おいはかの頑固さんの息

子なるぞ。まさかまだ頑固さんが元気で小生がいなかったりし

て,ヒャ〜〜〜〜〜っ こりゃあ,大変だ〜〜。ヒャ〜〜〜!

    動転するぴ〜ひょろでございましたぞ。 




    2002年10月15日(火)

      諏訪神社参拝   


 朝から「諏訪神社に登ろうか」という頑固さんの一言で,久

し振りに石の階段を踏みしめ踏みしめて登った。考えてみれ

ばいつの間にやら頑固さんは92歳,小生は62歳ご存知さん

は56歳になっているのである。

 嗚呼,思い起こせば父子三人で登ったのはいつのことであ

ったろうか。その時我々の年令は幾つぐらいであったろうか。

はたして,何を語りながらこの石の階段を登って行ったもので

あろうか。

 毎月1日には必ず私達兄弟の手を引いてくれていた父が,

それから何十年経ってからは孫娘の手を引いて,石段の数を

数えながら一緒に歌を歌いながら元気に登っていた父が,一

人の時でも颯爽と背を伸ばして登っていた父が,今日はいつ

の間にか端の手すりにつかまりながら登っていたのである。

 嗚呼,なんということでしょうか!そして言ったのです。

 「おいは,ここで休んどくけんお前達二人で登ってこい!」

と……。小生と愚弟はビックリして顔を見合わせたのです。

 「父ちゃん!」と,声もなかったのです。

「一休みしていこうか?」の愚弟の声に頷いた父の顔には汗

が光っていました。

 空はどこまでも青く,遥かに遠い山の頂きには,なにやら

”キラッ”と光るものがあったようです。

 「よ〜し,行こうか!」の,父の声でゆっくりゆっくり登りまし

た。お賽銭をあげて心からお祈りしました。「どうか,また一緒

に登れますように!」と……。

 小刻後,月見茶屋で小生はラムネを愚弟はサイダ〜を,父

はお茶を美味しそうに啜っていました。

 「来年の5月1日,父ちゃんの誕生日は久し振りに姉ちゃん

も一緒にゴルフに行こうか?」というさりげない愚弟の声に,

 「飛ばんけんね〜」と,あくまでも距離に拘る頑固さんでござ

いましたからもう大丈夫です。

 「帰りは,こっちが近道よ〜」という愚弟に向かって,

「い〜や,こっちが近道の筈」と,頑固さんはもう大丈夫なの

です。

 「ポケットに手を入れて歩いたら危なかよ〜」という小生の声

を聞こえない振りをしてさっさと坂道を降りていく頑固さんはも

う大丈夫なのです。

 家に着いてから「あ〜面白かった。また行こうね」の愚弟に

答えて,「また来いよっ!」の頑固さんなのです。

その日の夕方の便で愚弟は千葉に帰りました。

 明日も みんなに 楽しい 思い出が ありますように!




    2002年10月14日(月)

        不死鳥 


 10月1日に,我等が長崎を代表する三菱造船所で建造中

のダイアモンドプリンセス号が火事に遭った。我々長崎県民

としては,一日も早い円満解決と納期内竣工を祈るばかりで

ある。と,願っていたところ……。

 先日,東京関係者の某氏からの問い合わせで,「長崎在住

で,官にも公にも属さない元気な団体か人物を知らないか?

」と連絡があったので、今朝ご存知さんの立ち会いでベンツ

先生をご紹介させて頂いた。

 お話しによると,三菱造船所はそれなりに企業努力をする

であろうが,今日のような社会情勢の中では底辺から盛り上

がった,長崎県民一体となった協力体制で応援して地元の

景気回復を計りたいとのことである。

 そして,出来れば船尾に 「NAGASAKI」 の名前を記

し,”不死鳥”の名を冠に頂いたダイヤモンド・プリンセス号

で世界中を駆け巡ってもらい,観光長崎をアピ〜ルしようで

はないか!という,「災い転じて福と成す」ような壮大なプラン

だったのです。

 はてさて,この計画がどのように盛り上がっていくかは,

シガナイ仕立て屋の知る由もございませんが,どうか頑張って

欲しい,みんな頑張って欲しいと願うものです。




    2002年10月13日(日)

      心の宝石箱


 素敵な麗人,大好きな頑張りやの奥様から素敵なお便りを

いただいたのです。早速,心の宝石箱に大切に……!


   ・・・      ・・・      ・・・

  前略

先日は色々といいお話をありがとうございました。

私も,この4カ月の間に色々と人から教えられることとか人の

真心が,こんなに自分にとって感動したことはありませんでし

た。

〇 心をプラスに切り換える。

  自分の心を変えるには鏡を見る。

  人に会うときには,いつも笑顔で接する。

〇 明日のことは思い悩まず,

   今日は今日のことに専念し,

   明日のことは明日考える。

〇 人間は考えすぎる動物。

   目先のことに捉われることなく,

   終わったときのこと。

   行き詰まったり挫折したりして

   立ち直るのに

   時間がかかるにしても,

   時がすべて解決してくれる。

 そう思いながら,毎日毎日感謝しながら生活しております。

人とのめぐり合わせというのは,心で通ずるものと思っており

ます。

 これからも,人が喜んでくれるようなことを,できるだけ一つ

ずつでも多く,自分が生きた証しを作っていきたいと思ってお

ります。

 朝はボランテイア,昼は自分の仕事と営業を頑張っていき

たいと思っています。なにをすべきかということが,いずれ解

かっていくだろうと思っております。楽天さんも頑張ってくださ

い。

 そしていつまでも,ご家族様を大切に仲良く生活されること

を心から思っております。           かしこ

  平成 14年10月12日

                           J・T

    ・・・       ・・・       ・・・

 というお便りなのですが,いまこの心の篭もったお便りをな

ぞっているうちに思わず瞼が熱くなってしまいました。どうか

お身体お大切に,頑張ってください。私もあなたさまの笑顔と

勇気を目標にして頑張ります。ありがとうございました。     




    2002年10月12日(土)

     白木峯のコスモス


 存在感の熊さんとご存知さんと白木峯にコスモスを見に出

掛けた。秋の空は何処までも広がって素晴らしい眺めであっ

た。駐車場に係の人がいたのでいつものようにジョ〜クを飛

ばした。

 「な〜んね,やっぱり金のいっとね。世の中どこに行っても

金、金、金のいっとね〜」の,小生の問いかけに答えて曰く。

 「来年の種ですよ。来年,また綺麗〜かとの見らるっですよ

〜〜!」

 色は黒かったが,にこにこ笑顔の臨機応変な答えに我々3

人は大喜びであった。空も山も木々も空気もコスモスも綺麗か

ったが,駐車場のお兄さんの笑顔が最高であった。来年も絶

対に行こう!

 みなさんも是非お出掛けください。心爽やかになれること請

け合いますよ。

わっはっはっはっは〜笑顔と笑い声は健康に良いのである。




    2002年10月11日(金)

       心の宝石箱


 先日,大好きなNHKのI部長さんに小生の心の宝石箱に

「一筆書いていただきませんか」とお願いしたところ,次のよう

なお言葉を頂戴して感激したのです。

    ・・・      ・・・      ・・・

 (1)  出会いに感謝 !

     往きかう人は

     みな 友達である

 (2) 人生で大切なもの

     愛する家族です 

 (3) 父は子に言う。

     「人様のお世話は

      できるときには

       精一杯してあげなさい!」

    ・・・       ・・・      ・・・

 (1)の 「出会いに感謝 

       往きかう人は
 
       みな 友達である」

 という言葉については,小生若い頃のある事件を思い出し

て,「あっ!」と感じることがあるのです。

 あれはいつのことだったろうか?多分結婚前のことだった

から30歳くらいだったろうか。ある友人の保証かぶれをして,

少しずつではあったが銀行に毎月毎月支払いにいったこと

があったのである。

 あとから聞いたところではなんでも,連帯保証人がもう一人

いたから自分だけで払う必要もなかったそうであるが,小生は

その友人が好きだったし,自分の名前を大切にしたかったの

で営々として銀行に通ったのである。

 ところが,これまたあとから聞いたところでは,もう一人の保

証人はホテル経営の金持ちさんだったそうである。そして,そ

のことを教えてくれた”モット”金持ちさんの仰った科白が以

下の如くだったのです。

 「楽天君はまだ若いから仕方ないかもしれないが,これから

は『人を見たら泥棒と思いなさい!』ワシなんかこの年になる

まで人の保証なんか一回もしたことはないし,勿論騙されたこ

となんか一回だってないぞ!」

 と,言われた言葉に「なるほどそんなものかなあ〜」とまだ若

かった小生は頷きはしたものの,この金持ちさん二人の醜い

相になんとなく違和感を覚えて離れて行ったのではあった

が,この”I部長さん”にお書き頂いた書を見て何十年振りに

納得がいったのです。

 だって,ね〜みなさん。朝起きてから鏡で見る自分の顔。

食卓で見る両親や妻や子供達の顔。

 そしてまた,一歩外に出てから出会うご近所さんの顔や通

勤途中や職場や取り引先や語り合う友人知人み〜んなを,

「人を見たら泥棒と思え」と,疑って生きている人の顔が醜か

った筈ですよね〜。

 それに比べて,「往きかう人はみな友達である」を,モット〜

になさっていらっしゃる,人のお顔のなんと爽やかなことであ

ろうか!「おお,まさしく,天と地ほどの開きがあるぞ!」と,

小生は思ったのでございます。

 (2)の  人生で大切なもの

       愛する家族です

 に,ついては,”I部長さん”は仕事の関係で,長年単身赴

任(現在も)が多いそうですが,いつも一日の終わりには自宅

に電話を掛けて,奥様や子供さん方とその日一日にあったこ

とを話し合ってからお寝みになられるそうです。

 そして,朝はいつも奥様のモ〜ニングコ〜ルで目を覚ます

のが習慣だから,心はいつも通い合ってるのだそうで,氏の

口癖は「単身赴任の私も大変だが,愛妻はもっと大変!」な

のです。

 (3)の  父は子に言う

       「 人様の世話は 出来るときには

         精一杯 してあげなさい   」

 については,いつか”I部長さん”の子供さんがたのお顔を

拝見させて頂きたいものです。このような父を持ち,父の教え

を受けて育った子供さんがたと,お会い出来る日がありますよ

うに!

 ところで,今度の20日の日曜日に”I部長さん”の奥様が来

崎され,小生の愛妻と一緒にご対〜面で,一緒に食事の予

定なのです。嬉しいな〜,どんなお方かな〜 ……。

 「 楽しみは …  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  とき 」

            なのですね




    2002年10月10日(木)

      ご存知台風


 お〜い,みなさん大変だ〜。そうです恒例のご存知台風の

襲来なのです。例年はお盆前後に来るのですが,今年はお

くんち後の連休を目指しての来襲なのです。

 「明日は早稲田大学の,明後日は南高の,明々後日は伊

良林小学校の同窓会があるので,時間は今日しか無い」と威

張りながら,ビ〜ルを山程買ってきていそいそと将棋盤を揃

えるのである。

 子供の頃から将棋盤を中にして騙したり騙されたり,いろん

な夢を語ったり興に応じての相撲が喧嘩になったりと,50有

余年間も経つのだから敵の気心はそれこそ掌の上なのであ

る。

 「こんなにしょっちゅう帰って来て,上役に叱られないのか

?」の,小生の質問に答えて「92歳の父が元気な時にこそ,

生まれ育った郷里で,父と一緒に楽しい思い出を作るのが

親孝行と思っていますのでよろしくお願いします」と言ったら、

たいがい許可してくれるそうです。ったく,流石は小生の弟で

調子の良いところはそっくりである。

 と,その話をきッかけに「つい先日,専務さんから,『小田君

も開き直っていないで,役員を目指しなさい!』と激励されて

ビックリしたっ!」そうである。

 おかげさまで弟は,まあまあの会社で部長をさせていただき

,人間関係にも恵まれていて,これまで会社関係の弁護士や

会計士さんや部下の方々には時々そんなことを言われたりし

ていたが,尊敬する上司から言われて本当にビックリしたそう

である。 

 考えてみれば愚弟も早や56歳、定年間近なのである。

「う〜ん,それは嬉しいことやったね〜。本当に有り難いこと

ですね。こんな時期には,どこの会社も人も大変でしょうから

……。でも,折角あなたの尊敬する上司の方が叱咤してくだ

さるのなら『もう一度本気で仕事に打ち込みなさい』というお

教えなのでしょうから頑張れ!」

 と,言う小生の言葉に頷きながらもどこをどう誤魔化し続け

たものか,将棋は一方的に小生の方が旗色が悪かったので

す。多分やさしい兄ちゃんは愚弟の将来のことが気がかりだ

ったのでしょう。3時就寝…。

 翌日,愚弟は昼起きてきて「あ〜良〜寝た〜」と一言。

すべて 世は こともなし なのであった のであった
 
 この夜、愚弟は,朝の2時40分にご帰還あそばされたので

あった。   




    2002年10月9日(水)

       糞鶏の友


 みなさんは長崎秋の大祭である”おくんち”をご存知でしょ

うか。そうです,毎年10月7・8・9の三が日間,諏訪神社に奉

納し秋の豊饒を祝い長崎の街もみんなも元気だよ…。

 ということを鼓舞するために,7年に一回まわってくる各担当

の踊り町が,蛇踊りやコッコデショウや川船や剣舞や本踊り

や鯱太鼓などを,みんなに披露する長崎一番のお祭りなの

です。まだ,ご覧になっていらっしゃらない方は是非来年は

お出掛けくださいね。87歳のご先祖さん手作りの美味しい甘

酒が待っていますよ。

 爽やかな秋風をぬって流れるシャギリ(おくんち特有の笛)

を聴きながら飲む甘酒はいちだんと美味いことですよ。それ

に珍しい日本酒や冷えたビ〜ルもございますよ。

 と,待っておりましたところに現れいでたるのはまず,甘酒

評論家で名高い桜馬場中学校で同窓生だった法界坊つる

りん居士と素敵な奥方でございました。

 ついで現れたのは伊良林小学校の同窓生で剣豪ツダち

ゃん,殿には長崎商業の同窓生ののらくろ君と鵺ちゃん

(昨日の中村君,早速の命名である)が悠悠と現れて,”友

達の友達は友達”という我が家の家風に従ってみんな和気

藹々に,ビ〜ルを飲むもの焼酎を舐めるものとガンガン飲り

始めたのです。

 あ〜美味しかった、旨かった。やっぱりなんのかんのと言っ

ても,好きな奴と飲む酒は旨いな〜。

 「酒は好きなものと飲むべし」これがバッカスの神に対する

礼儀であり、我が家の家訓である。それと,なるべく自分より

レベルの落ちる奴と飲むのがこれがまた楽しいのである。そ

してまた,敵もそのように思っているところがなんとも嬉しいで

はございませんか。

 あ〜面白かった,楽しかった,嬉しかった,旨かった〜。

お互いに「小学校のオチコボレと中学校のアホと高校の馬

鹿と飲むのは旨いな〜嬉しいな〜」と,口々に互いを讃美し

ながら人生のひとときを過ごしたのです。

 今度また,オチコボレかアホか馬鹿の誰かが来たら絶対に

連絡をくれよ。楽天の馬鹿たれ,わいは頭の悪かばってん絶

対に忘れるなよ」と言いながら再会を期したのでございます。

今年も幸せなおくんちの一日でございましたぞ。

 あっつ,そうだ!酔っ払った誰かが「我々は刎頚の友だ!」

と言ったところ、酔っ払った誰かが「ウンケ〜とはなんけ〜?」

と言ったところ,酔っ払った誰かが「ニワトリとなっても牛のン

〜コになったらいかん。と言うことやったろ〜?」

と言ったところ,酔っ払った誰かが「ニワトリのン〜コやったよ

な〜?なあ,おい!」

と言ったので,我々は格調の高い「糞鶏の友」となって,これ

からも真摯な人生において,親密度を増していくのを誓った

のでした。

 「 ひとりはみんなのために みんなはひとりのために 」

ココココ・コケッコ〜なる 5銃士誕生の日でございましたぞ。




    2002年10月8日(火)

      嬉しい中村君


 ふと,振りかえれば朝夕の佇まいにはいつの間にか秋風

が忍び寄る今日この頃ですが,大好きなみなさんには相変

わらず……な〜〜〜〜〜〜〜〜んて,わっはっはっは〜

長らくのご無沙汰をお許しください。

 三つ子の魂百迄とやら,まるでカツオ君の夏休みの宿題日

記みたいな楽天先生でございますが,これもみ〜んなのらく

ろ野郎とご存知さんが悪いのでございます。ったくも〜!

 というところから,10月8日の日記を追い込んでいきます。

本当は,今日は10月の15日でありますから,いかに小生が

頑張れるか乞うご期待なのである。

     ・・・     ・・・     ・・・


 ♪ お〜い 中村君 ちょいと〜 待ちたまえ〜

    いかに〜 新婚^ ほやほやだとて〜

    伝書鳩では あるまいものに〜   ♪ 
 
 という歌謡曲をごぞんでしょうかみなさん?

そうですね〜,いまから40年ぐらい昔の歌ですから,知って

いる人はみ〜んな”おじさん・おばさん”なんですね〜!

 でも,心はみ〜んな♪高校三年生♪であり,♪嵐を呼ぶ

男♪であり,ペギ〜葉山の♪学生時代♪(愛妻のオハコ)

だったんですよね。

 さて,その頃,小生の学生時代青春時代を通して心を許せ

る友がいたのです。そうです,みなさんご推察の如く彼の名

は中村君だったのです。

 その中村君であるが、どうにかこうにか長崎商業を卒業後

大手の会社に勤めたのであったが,23歳で美しい才女と結

婚したかと思うと直ぐに,上司の妬みをかったのが原因かど

うかは知る由もないが,日本全国を旅行してまわった挙げ句

一昨年,不思議なことに無事に,定年退職して福岡におい

て居を構えたのである。

 そして,その中村君が39年振りに福岡ののらくろ君と一緒

に,♪お〜い 楽天君〜♪と,訪ねてきてくれたのである。

 そして曰く,「むか〜し,わいに勉強ば教えてやったり麻雀

で勝たせて貰った思い出を大切にしたいから,洋服を作ろう

かな〜」なんて殊勝なことを言うのです。 

 嗚呼,”人間は苦労は買ってでもしろ”とは言うが,彼も成

長したものだ。と,思いながら話しを聞いて驚いたのってなん

の……!

「上着を二着程作ろうかと思っているんだが,君の店では

幾らぐらいするの?」

 「ブレザ〜か?」

「うん,そうそうブレザ〜だよ。幾らぐらいするの?」

 「そうやね〜,わいは幾らぐらいんとばいつもは買いよった

とか?予算もあっけんさ〜」

「そうだね〜,まあ2万円かな〜合計4万円ぐらいだね〜」

 「なんてっ!わいは馬鹿じゃ〜なかとか〜。おいんがたは

”良いモノを大切に長く”という本物指向の店ぞ〜。本物の

店で本物の布地と材料ば使って,本物の職人が本物の仕

事ばすれば最低10万円はかかっとが当たり前やろが〜。

使い捨ての百円ス〜パ〜と一緒にすんな〜っ!」

 「馬〜鹿が,チョッと冷やかしたとやッか〜。わいの馬鹿は

何十年経っても”ジェンジェン”治っとらんね〜」と,なぜかこ

の辺りから長崎弁になる中村君であった。

 「馬鹿て言うな、馬鹿!本当の予算は幾らか?」

「う〜ん,小田の馬鹿に精々儲からせんばいかんやろけん,

2着で10万円やろか」と,この辺まで余裕のあった中村君だ

ったのですが……。

 「よ〜し,おいも男やっけんわいの言う通りでよか。そいば

ってん袖は要らんとか?」

「この馬鹿の馬鹿!袖の無か洋服のあっか〜,陣羽織じゃ

〜あるまいし。15万円で手ば打とで〜!」と,この辺りから

39年の昔の如く突如として逆上してしまったのです。

 「分かった。おいも男やっけんそいで良か!そいばってん

わいは半袖が好いとっとか?」

「馬鹿馬鹿馬鹿っ,何処かの国の昔の馬鹿首相ではあるま

いし,冬の上着(ブレザ〜と言わなかったのです)に省エネ

ルックばだいが着っか〜!2着で20万円にせろっ!」

 「よ〜し,そいで良かっ!そいばってん,釦は要らんとか」

 ……と,百年の昔そのままに純情で正直な旧友の性格を

利用しながら,益々図にのる悪辣な楽天商人でした。

 そして,その駆け引きをビ〜ルを飲みながら,ニヤニヤと半

畳を入れながら楽しんでいたのが,この世で最も陰険なのら

くろ野郎そのものでございましたぞ。

 まあ,そんなこんなで,価格は落ち着く所に落ち着いて,

”シャンシャンシャン”と手打ちをしたのですが,みなさん,こ

の落札価格は中村君の奥さんには絶対に内緒にしてくださ

いね。だって,”世界平和はまず家庭から”なのです。

 わっはっはっはっは〜 中村君は良いな〜 〜 〜 

昔っから,彼は変わらないのです。彼の人間性の良いところ

なんですよね。

 だって,彼は絶対に不正はしない人なのです。清廉潔白

で人格高潔な人なのです。

 だってそれが証拠に,万が一どうしてもやむを得ない事情

で,カンニングをしたり麻雀で積み込みをした時の彼の所作

は,所謂 「 天知る地知るみんな知る 」なのです。

 わっはっはっは〜 大好きな中村君。いつまでも純な少年

の心を持っていてくれてありがとう。たった一回の人生で,

 ♪ き〜みと 逢〜えて 良〜か〜った〜 ♪ なのです。

    ありがとう いつまでも 永遠の 友よ !

      ついでに のらくろ君も ねっ !
      
            ありがとう




    2002年10月7日(月)

       鈍行列車


 みなさん,大好きなみなさんは長崎をご存知であろうか?

うん,ご存知でござるか。そう,あなたのおっしゃる如く日本の

一番西の端に位置するところの,かくいう楽天が棲息いたし

ておる優雅な街でござる。

 ご存知かどうかは分からないので簡単にご説明申し上げる

ことにするが,そもそも長崎駅とは東京からお越しになられ

る方には終着駅ではあるが,東京に出発しようとする旅人に

は始発駅となる不思議な駅なのである。エヘン!

 この長崎市の隣りの駅が諫早市であるということをご存知

でござるか?なに,ご存知ないと申されるか。それでは早速

に記憶におと止めなされるがよろしかろうと存ずる。

 なぜならば,世の中に知っておいて損をすることは滅多に

ないからなのである。まあ,知らない方が良かったなどと臍を

かむ時もあることもあるが,そんなことはどうでもよろしい。と

にかく”黙らっしゃい!”なのである。

 酔っ払った人格者が薀蓄を傾けるような気分の時には,世

の中すべて”黙らっしゃい”なのである。

 もしも,ある日ある時,あなたがちょっとした心と時間とお金

の余裕があって,好きな人と一緒に諫早に行くことを頭に浮

かべてください。

 そんな時あなた方カップルは,長崎発の朝の11時13分発

の快速列車に乗って,浦上と市布の二つの駅に停まっただ

けで,たったの24分間乗っただけで,諫早に11時37分に着

いてしまうという汽車に乗りますか?

 それとも,11時9分発の鈍行列車でいっぱいの駅に停まっ

て,多くの景色を眺めて多くの人と出逢って多くの思い出を

創って,47分間も汽車の旅を楽しんで11時56分着に諫早に

着くというプランのどちらをお選びになりますか?

 勿論,愛妻と小生はお茶とお弁当を買って,いそいそと鈍

行列車に乗りこみましたぞ。鈍行列車は三両編成で,小生

等の乗ったのは3両目で,おじさんとおばさんと若い女性が

一人と,いかにも仲の良さそうな御夫婦(我々のこと)の5人

が乗っておりましたぞ。

 「わ〜嬉しいですね〜楽天さん」とか「万里ちゃん,今日は

いちだんと綺麗だよ!」とかなんとか我々夫婦は正直に相手

を褒めあいながら,弁当を開くまもない内に浦上に着いかと

思う間もなく,”ドヤドヤ”と元気な高校生が2組9人が乗って

きましたぞ。

 若いということはいいですね〜。ああ,青春よ,ほんのチョ

ットの昔のことです。…と,感慨にひたる間もなく西浦上に到

着したら,可愛いお嬢さんの手を引いてお母さんとお婆ちゃ

んが嬉しそうに乗って参りました。

 美味しそうにお菓子を食べるお嬢さんと,いかにも仲睦ま

しくお弁当を食べる上品なご夫婦(勿論我々)を乗せてあっ

という間に高田に到着し,おじさんが一人学生さんが一人降

りましたよ。

 だんだんと街並みを外れて緑が多くなったかと思うといつ

の間にか長与に到着です。ドヤドヤっと山登り姿の男生3人

が嬉しそうに乗ってきたかと思ったら,もう山の上には秋の空

一色秋の雲が忙しそうに流れているのです。

 ホンガワチ〜本川内〜,案内の声にハッと我にかえると,

そうです、この駅は去年夢豊会の仲間と山登りした時に,小

生が乗り過ごした駅なのです。山男と学生さんが二人降りて

行きました。遠く近くに色づき始めた大小の”蜜柑ミカンみか

ん未完”なのです。

 オオクサ〜大草〜 そうだ〜。ここで小生は帰りの汽車を

待って生まれてはじめて一人でトボトボと山登りしたのであっ

た。美しい海岸線をバックに仲の良さそうなお婆ちゃんが二

人大声で笑いながら乗ってきましたよ。

 東園駅では,ふ〜〜と秋の日差しが照ったかと思うと,緑の

葉っぱが少しずつ少しずつ黄ばんでいく様子が陽炎の中の

一幅の画のようでございました。

 それぞれの駅にはそれぞれの趣があり,遥かに遠く秋空を

バックにして,喜々津駅では学生さんが二人降りて,いかに

も幸せそうな家族5人が大騒ぎしながら乗車して参りました。

 嗚呼,優しく愛しき秋の日よ!西諫早ではススキがオイデ

オイデと招いてくれましたよ。

 さあ,終点の諫早駅です。大好きな愛妻の万里ちゃんと小

生は,つかの間の幸せなひとときの余韻を名残り惜しみなが

ら降りたったのです。

 我々夫婦は,この1時間足らずの間にいかに多くの安ら

ぎなときを持ったことでしょうか。ありがとうございます、

本当にありがとうございます。感謝感謝の一刻でした。


   小みかんと 鈍行列車の 陽はうらら


 さて,問題です。今日我々愛し愛される夫婦はいかに

多くの駅のお世話になったことでしょうか。我々が降りた後

で車内に残った乗客は果たして何人でしょうか?

 目を閉じて思い出してください。万一二つの問題ともご正

解の方はご自分のことを褒めてやってください。そして,グッ

スリお寝みください。提供は日本褒め愛運動会でした。
 
 では, ぐ〜ぐ〜ぐ〜 の ぴ〜ひょろろ なのです。




    2002年10月6日(日)

      年齢 と 仕事  


 恵風子の優しい旦那さんである,蜘蛛博士のお父さんが

お亡くなりになられたので,ご先祖さんと愛妻と優希でお参

りさせていただいた。花の中のお父さんの写真は生前の穏

やかなお人柄に相応しく良いお顔であった。

 読経の後で,品のいい尼さんのご説法が良かったので書

き止めてきた。

 「故大利茂久様88歳は,米寿を迎えられる最近までお医者

さんとしての天職を全うされたそうでございますが,これは人

が人として生きる上で最も大切なことかと存じます。実は今

朝テレビで,沖縄の85歳の漁師さんがインタビュ〜されてい

る答えをお聞きしたのですが,『私は年で仕事はしないです

よ!』と,おっしゃったのを聞いて感動しました」と,いうよう

なお話だったのです。

 これは”本当だな〜”と,怠け者の小生はいたく反省したり

感動したり忙しかったのですが,考えてみると我が家の人間

国宝である頑固さんがそうなのである。

 流石に今年こそゴルフには行かなかったが,卆寿のお祝

いゴルフから帰って来た後でも,恵風子がつまみ食いをし

たりご存知さんがビ〜ルを飲んでいる横で,せっせと植木の

手入れや掃除に余念のない頑固さんだったのです。

 こんなに立派な頑固親父はめったにいるものではないぞ,

「大切にしないとバチが当たりますよ!」と,帰りの車中でこん

こんと諭してくれるご先祖さんの話を聞きながら,「ハハ〜ン

母〜ン…,これは自分のことをなにやら謎かけ……?」と反

省する孝行息子のぴ〜ひょろろでございました。

 蜘蛛博士のお父様である,大利茂久様のご冥福を心から

お祈り申し上げます。とともに,”お母さまがお力落としなさ

いませんように”と,衷心からお悔やみ申し上げます。




    2002年10月5日(土)

     じゃりン子 チエ  


 小生の愛読書で小学校5年生の少女チエは,自分のデタ

ラメな父親に向かって第53巻で次の科白で嘆息しておりま

す。

 「てつ(父親)は病気でみんなに迷惑をかけるか,元気でみ

んなに迷惑をかけるか,中間ゆうのがないからな〜」

わっはっはっは〜 あ〜可笑しいな〜。小生はてつほど喧嘩

も信念も強くないのであるが,いや〜我ながら自分勝手でい

い加減なところはそっくりである。

 まるで,ご先祖さんや愛妻や可愛い3人の娘達を代弁して

いるようで本当に可笑しい。「凄いな〜」と,作者のはるき悦

巳さんを尊敬するのであります。

 だけど,よくよく考えてみるとこのてつという親父は,言葉

や身形こそ違うが我田引水なところは頑固さんにそっくりで

はないか。いや〜そっくりそっくりまさしくそっくり,”てつ”

という名前までそっくりなのである。

 ところで,初めての方にご紹介しておきますが,頑固さん

の本名は鉄二と申すのです。つまり、畏れ多くも鉄の二乗

であるぞ!

 わっはっはっは〜 小生に頑固さんの爪の垢ほどの根性

があったら人生も変わっていたであろうに……。

 モノの本によると,不孝は2種類あるそうです。いわゆる

1 起きる (かも) しれない不孝と

2 (もう) 起きてしまった不幸だそうです。

 小生の知ってる二人の”てつ”さんは,1の(かも)なんてい

うコトは考えもしないし,2の過ぎてしまった(もう)なんて

コトも一切考えないのです。

 とにかく「前進あるのみ」なのです。小生も自ら名付けた楽

天という名に恥じないように,「頑張らなくっちゃ〜」おっとっ

と〜,「楽天しなくっちゃ〜」とおもう昨今です。

 わっはっはっは〜 それにしても,笑いが一番なのだ〜。




    2002年10月4日(金)

   ねんねん〜 ころり〜よ〜  


 二月ほど前に県の社協から,「なにか話をして欲しい」と

いう依頼があったので,「小生でよいのですか?」と言って

引き受けていたら,さる町から依頼書が届いた。

 書面を拝見したところ,今年度から3年間国庫補助事業とし

てボランテイア養成講座の指定を受けたので,なんでも町民

の関心と理解を深めるために福祉講座を開講するらしい。

 ”ふ〜ん,世の中変わったもんだ”……。

従来なら,お偉いさんや学者先生が出てきて,「ボランテイ

アとは…?とか…。”カク”あるべきだ。あれはいけない,これ

はいけない」とかのお話を拝聴していたもんだが……。

 最近は小生みたいな馬鹿を引っ張ってきて,いろんな失敗

談からみんなを笑わせて学ばせようという魂胆なのであろう

か?お役所も変わったもんだ。

 いや,ひょっとしたら社協に可愛いお嬢さんがいるのである

が、ひょっとしたら彼女が小生の容姿風貌や人格高潔さを推

薦してくれたのではあるまいか?もし、そうだったら嬉しいこと

であるが,小生には大好きな愛妻もいるし,こりゃあ〜困った

ものだ。わっはっはっは〜。

 とりあえず,町の役場に電話してみると,なんでも小学校高

学年から50・60の中高年までと幅広いのである。そして,発

会式と勉強会なので,会長ご挨拶の後に1時間半話して欲し

いとの要請なのである。

 ヒャ〜,こりゃ〜参った参った。小生の数少ない経験におい

ても,小学生の集中出来る時間は30分ぐらいが限度である

し,10歳の子供から80歳のお年寄りまでに分かるように面

白おかしくお話しするのは至難の技なのである。

 つい先日もある老若男女の混じった講演会において,「今

日は子供さんを対象にお話しますから」と,断ってお話しされ

た先生がいらっしゃったのであるが,最初の半時間は大人が

寝ていたし,佳境に入ってくるとついつい専門用語が出てく

るので,子供たちには分からないし疲れるわで,結局残りの

半分は子供たちが寝ていたのである。

 そしてまたまた面白いことに,運命の神様は小生に試練を

お与えになられるのでしょうか。今日は小生の友人(先日の

講演で一緒に寝た)から誘われて,さる政治家の話を聴きに

行ったのである。

 始まってから,5分後に小生は夢の国であった。とても心地

良い夢の世界であった。(これは余談ではあるが,小生の悪

い癖は,幼少の頃から先生や親から怒られている時,授業

中,お葬式,到着・出発・締め切り時間などの切迫した時,

他家の応接間などなど,絶対に寝てはならない状態に置か

れると睡魔が訪れてくるのである。エヘン!)

 ふと,お客様との約束があったので責任感の強い小生はハ

ッと目が覚めた。しかし,まだ時間があったので10分間だけ

聴いた。とても有意義な話であった。ところが残念ながらお客

様の時間が迫っていたので帰らざるを得なかった。

 ……とまあ,小生のお話しをお聴きくださる被害者はこのよ

うな目に遭うのでしょうか?

 わっはっはっは〜 小生はある時はチャップリンとなり,ロッ

パ・古今亭志ん生・良寛・ペスタロッチ・アノネノオジサンとな

り,愉快なエンタテナ〜となってみんなを笑わせてくることを

誓います。

 ……と言うのは嘘です。小生は子供時代に講堂の退屈な

おじさんのことを忘れていない。二日酔いの身で話しを聞か

せられる辛さは分かっている。頑固さんやご先祖さんを通し

て人生の先輩の気まぐれも理解している。だって,長い話は

誰だって疲れますものね〜。

 だから,小生のお話にビックリするのは,町の文化ホ〜ル

に期待して(または無理矢理連れられて)お見えになった関

係者であろう。

 でも,小生は小生なりに,一生懸命に自分の体験を通して

知ったことをお話しさせていただきます。


 元気な人に会えば元気になれる

 楽しい人に会えば楽しくなれる

 心美しい人に会えば心美しくなれる

 明日は

 いったい どんな 人に

    お会いできるかな〜

 こんな 出会いを 

    だれが 考えてくれたのかな〜

 明日は どんな 道が 

 どんな 人が

 どんな 顔で

 待って いてくれるのかな〜

 ありがたいな〜

 感謝 感謝の ぴ〜ひょろ です






    2002年10月3日(木)

  伊良林小学校百周年記念誌(下)  


      檄 !

 ところで,大好きな同級生のみなさん。「常に,心を感謝の

念で満たしていれば,人間は125歳まで生きることが可能で

ある」 そうですよ。

 ですから,小生のように「清く・正しく・美しく」常に感謝の念

を持ち続けて,今回の百周年のみならず,次回の百五十周

年記念事業に出席するくらいの心構えで,世に憚りながら棲

息してほしく,恥ずかしながらその心得の一端を伝授仕りた

いと存ずる次第である。

 其の壱  悪友との交際に邁進すること 

 其の弐  暴飲暴色の励行

 其の参  世の反面教師たるべし

わっはっはっは〜「言うは易く行うは難し」と,「自分のことは

棚に上げて」というのが小生のモット〜である。

 わっはっはっは〜

ではとりあえず,10月1日にお会いしましょう。




    2002年10月2日(水)

  伊良林小学校百周年記念誌(上)  


 百周年を記念して記念誌を出すというので,次の150周年

記念のためにも現在の小生の心境を書かせてもらうことにし

た。50年後にこの拙い文章を読み返している自分のことが

思われて複雑な心境である。

 はたして何人の同級生が生き残っているのであろうか。健

康食品やジョギングや体脂肪や酒や煙草に一喜一憂してい

る友人諸氏に幸いあれ!


   ・・・       ・・・       ・・・


     古田先生と「早春譜」

          昭和26年度卒業 小田楽天 


  ♪ 春は名のみ〜の 風の寒さや〜 ♪

 遥かに遠い昔,はじめてその妙なる旋律と詩を聴いた時,

そのあまりの美しさに多感なる美少年であった小生は思わず

涙ぐんだものでございました。

 周りには,赤い頬っぺに,おかっぱ髪の可愛い少女たち

と,バリカンの刈り跡も痛々しい青洟の悪たれ坊主どもが、直

立不動の姿勢で一生懸命に歌っているのです。

 おんぼろ校舎の隙間風に時々身を震わせながらも,しもや

けの痒さやアカギレの痛さはしばし忘れて,大好きな古田先

生の手元を必死に見つめながら,愛らしいツバメの子のよう

な口をいっぱいに開いて一生懸命に歌っているのです。  

 嗚呼、なんという美しい情景であったことだろうか。今から

丁度、半世紀になんなんとする昔,目を閉じるとあの日あの

瞬間のシ〜ンが走馬灯のように浮かんでくるのです。

 古田先生の優しい笑顔と早春譜の美しい旋律と詩に,私

たちはおそらくは人生の途上において,最も大切な時期に

出会ったに違いない。

 伊良林小学校6年2組の元気な子供たちよ。

「人間は会うべき人には必ず会える。それも,一瞬早すぎず

遅すぎないときに」という言葉がありますが,私たち58名は

大いなるお計らいの下で約束されていたのでしょうか……。

 おかげさまで沢山の思い出を頂戴しました。しょっちゅうの
     
遅刻,宿題や教科書を忘れて叱られたこと。PTAのときに,

「小田君は掃除をしないで机の上を跳びまわっていると,先

生がおっしゃった。」と母に叱られたことなど。あっはっはっ

は〜,あの時は参った,参った!

 でも,小生にとって最高の喜びは,通知表で国語が5にな

っていたことでした。我が全学校生活でわずか2回しか頂戴

する機会のなかった貴重な通知表の”5”。

 そしてその1回目の栄誉を,大好きな古田先生に担って頂

いたのですね。今更ながら先生の慧眼に畏れ入るとともに,

心から感謝申し上げる次第です。

 ……とまあ,このようにして古田先生は,昭和26年に私ど

も68名の腕白坊主とお茶目な少女たちの担任となって頂き

幾星霜,社会人となってからも,同窓会で楽しい思い出を分

かち合ってくださいました。おかげさまで,私達は今も「仲良

しこよし」なのです。 

 そして,平成13年11月2日,古田先生は83歳で永眠なさ

れたのです。私たちはたった一回の人生で古田先生とお会

い出来たことを感謝するとともに,心からご冥福をお祈り申し

上げます。               合掌

      ・・・      ・・・     ・・・

                   明日へ続く




    2002年10月1日(火)

  伊良林小学校百周年記念式典  


 10月1日火曜日,快晴である。

朝9時から,小学校講堂において在校生を中心とした記念式

典が行われた。各学年の各教室において,それぞれの子供

達が工夫を凝らした催し物があって,若い可愛い友人達と一

緒にひとときを過ごすのは非常に楽しいことであった。

 郵便番号のところに,知り会いの子供たちの学年とクラスを

書いてハガキを出すアィデアの教室,サイコロを振っての人

間双六,ドミノ倒しゲ〜ム,輪投げ、植樹の計画発表,マッサ

〜ジ教室などなど、それぞれの子供たちが一生懸命に考え

た出し物を用意して,頬を紅潮して歓迎してくれるのでとても

嬉かったことだ。

 それもスタンプラリ〜となっており,各教室の入り口には呼

び子がいて一生懸命に声をからして呼んでくれるので,喜ん

でもらおうと思って呼び子の顔を立てるべくあっちこっちと参

加したら流石にくたくたになった。

 午後からは,大人中心の講演やコンサ〜トとなっていたが,

まず最初に,当伊良林小学校を卒業して今も”元気な家族4

代”の表彰式が行われた。

 在校生と一緒にお父さん・お母さん・お爺ちゃん・お婆ちゃ

ん・ひいお爺ちゃん・ひいお婆ちゃんが,壇上で4組も嬉し

そうにしているのを見ていたら思わず目頭が熱くなってしまっ

た。

 これから先,この子供たち4人はそれぞれにそれぞれの人

生を歩んでいくのであろうが,どうか今日のこの喜びの日の

思い出を大切にして,堂々と胸を張って成長して欲しいと願

うのである。

 そしていつか,150周年の記念祝賀会を迎える時には60

歳近くになっているであろうが、今日頂戴した表彰状と家族4

代の写真を誇りに思いながら胸に掲げながら,大好きな子供

や孫と一緒に出席して欲しいな〜と,そんなロマンを夢見る

のである。

 さて,夜の祝賀会であるが,これは多くの方々のご協力に

より500名以上の出席を頂き大成功であった。

 楠会長のご挨拶の「葉は枝に支えられ,枝は幹に支えられ

,幹は目に見えない根に支えられ,根は大地に抱かれて成

長しているのだそうです。今日、伊良林小学校が百周年の

喜びの日を迎えることができたのも,多くの方々の支えがあ

ったからできたのでしょう。『念ずれば通ず』と申します。私は

当祝賀会の成功を念じて参りましたし,みなさまのお陰でこの

ような大成功を収めることができたのを心から感謝します」

 の,ご挨拶もよかったし,司会者の”素敵さん”が良かった

し,お楽しみチケット抽選会で、2等の旅行券が町内の木村

君に,1等の鼈甲製の豪華な伊良林小学校の校章が,その

価値が分かる同級生の大島さん(親子孫4代の発案者)に当

たったのもみんな良かった。バンザイバンザイであった。

 2次会からは,同級生みんなが集まっている3軒の店で我

慢していたビ〜ルを太っかいジョッキ〜でガンガン飲んだ。

 全国から集まってた同級生はみんな良い仲間であった。

50年振りに出会った友達もいたし,はじめて知った同級生も

いっぱいいた。みんな良い友達であったし,みんな良い友達

になった。

 北海道から来た冨安君という人物は特に良い顔をしてい

た。優しいヒグマとという感じであった。



    とにかく

    ぼくたち

    わたしたち 

      は

    み〜んな

    伊良林の

    子供たちで 

    あった



    ・・・      ・・・      ・・・


 翌日,この日記を見てくださるさる友人の上品な奥方から,

「祝宴ではビ〜ルを飲まない,と書いてあったのに飲んでい

たそうですね」と,上品にたしなめられた。

 オットット…,小生は絶対にビ〜ルは飲んでないのでありま

す。それどころか,公演者と祝宴係用にと準備していた36個

のお弁当も,飛び入りが多かったので小生は指をくわえて見

ていたのですぞ。

 あれは,司会者の喉をうるわさんがためにと、小生が持って

いった2杯のウ〜ロン茶を分け合って飲んでいたのです。

 実はホテルの係りの方が,「あの〜,お飲み物の方はあと

…で予算が終わりますが,オ〜ダ〜ストップに致しますや否

や?」と,合計3回も慇懃にお伺い(脅し)をおたてにこられ

ますので,小生は無け無しの脳みそで予算あれこれを考え

ながらオ〜ケのサインを出していたのです。

 ですから,涙と冷や汗は”グ〜ッ”と飲んでおりましたが,ビ

〜ル一滴も飲む余裕はなかったのが実情なのでございます。

 でも,これも常日頃の小生のセイソクタイケイが悪かったの

であろうと、謙虚に反省するところがぴ〜ひょろろの偉大な

る長所の一つでございます。ハイ!

 あ〜,面白かった。終わり良ければ総て良し、とか……。




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