
2003年3月31日(月)
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実は,本当は今日は4月5日なのである。3月は友人の 子息子女の結婚式が週末毎に待ち構えていて,あっち 行ったりこっち行ったりしている間に,法事も同じ日に2 つも重なったりしている日もあってドタバタやっている或 る日,大好きなお客様で友人がお亡くなりになられて, 弔辞を仰せつかるなどと本当に3面6臂の忙しさであった。 孫悟空なら分身の術でも使うのであろうが,あいにくと小 生は3本以上足らぬので無駄なことはしない。 以上、日記が遅れていることの言い訳である。 さてその後我等が頑固さんは平静にお戻りになられて、 10年一日の生活に復帰しておられる。現在椅子に座って 読書中の本は,先日ご存知さんから送ってきた齋藤一人 先生の 「連戦連勝」 である。 小生もご存知さんから薦められて,本屋さんに注文してあ ったのが届いたので,先日一気に読んだが凄かった。小生 が63歳の誕生日を迎えての今の時期に 「読みなさい!」 と,大いなるもののお計らいであろう。熟読し出来ることを 1つずつ実行したいと思う。 さて頑固さんは退院後,薬は3日だけ飲んで後は止めて しまった。自分で治すそうだ。流石は頑固さん、気力回復 である。この調子で100歳まで元気印で小田家の旗頭とし てお手本を示して欲しい。 ただ,昔に比べて頑固さん分担の仕事が減ったのが不 満のようだが,これは小生の不徳の至りである。折角,頑 固さんの生き甲斐である,モット〜の1番目が 「仕事をす ること」 なのに……。 しかし,「馬鹿息子も孝行の内」 の評判を頂戴し自ら認 めるくらいの馬鹿息子の小生だ。頑固親父の口癖である 「死ぬまで職人!」 の望みを叶えるべく……心の篭もった 洋服創りに…精進したい! 神様,仏様,親父が元気になってありがとうございました。 おお,おお,今も,店先を掃除しております。感謝です! |
2003年3月30日(日)
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いま改めて頑固さんのメモランダムを見てみると誰かが ”出席簿” と書いている。成る程,いいえて妙なり出席簿。 小田ファミリ〜の心を一つにした寄せ書きであり,病院へ の出席簿であり,日記帖であり、宝玉の箱であったのだ。 先日それらの寄せ書きをいくつか抜粋したが,頑固さん の日記は1つだけだったので、多分生まれて初めてか,子 供時代以来80年振りくらいに記したはずであろう日記を 記念に掲載しとくことにする。 ・・・ ・・・ 3月17日 (月) 恵子はかへる 何もできない 心さびしい思ひ 砂辺せんせいがお出で頂いた 和利来た 3月22日 (土) 「小生が退院後に食べたい物と したいコトを書いてくださいと 置いて帰って翌日見たら,ポツ リと下記のように書いてあった。」 スシ 歩くこと 3月23日 (日) 楽天が言ふ 退院したら何をしたいかと言われた 第一番は50年育てた店に会ひたい 隅から隅へ 毎日目にかけてきた大事な店 私と同体である 金魚よ 植木よ もう一寸がんばっとけ━━ 3月24日 (月) 富江の川元さんが来て頂いた 病気してゐることを教へなかったから 八幡町のほうにはもう行かないと笑ってゐた 午前中に川元さん。 まり子さん来てくれた。 みきちゃんが会社かへりに来てくれるので ばあちゃんと楽天はよいと思ってゐたら 二人共来てくれた 優ちゃんも来てくれたやはりうれしい楽しい…………… 3月27日 (木) 昼食はうどんのたき込み 肉も入ってゐた 多かったが頑張って食べた。 便所に行った。出た出た━━ 20振りに便が出た 私の心配してゐた便 これで大丈夫だダイジョウブ 身も体も軽くなった。 いつ退院しても心配はない 3月28日 18日間の入院 家族とも初めて分かれた 生活さみしく 悲しかったが 今思へば 人生の勉強 人の痛さを知った いつまでもあると思ふな親と金 ないと思ふな 運と災難 ………以上が,頑固さんの日記である。自分で辿って いきながら,しんみりと……の思いであった。 お疲れ様,父ちゃん。そして,ありがとう! |
2003年3月29日(土)
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今日は頑固さんが待ちに待ったる退院の日である。朝 九時半に病院から電話があって,今日はご退院ですが何 時になさいますか?と聞かれたので,何時頃がよろしいの ですか?と反対に問い返したところ,「昼ご飯でも済ませて からでも良いですよ〜」 と言われたので,うっかりお願いし ますと答えて仕事を続けていた。 11時丁度 ”ジャジャジャ〜ン” と電話が鳴った。 受話器を耳に当てると頑固さんである。 「ばかも〜〜ん, 今まで毎日一生懸命に来てくれたとが,何にもならんやろ うが……早く迎えに来んか〜!」 し,しまった〜! そうだ,そうでした。頑固さんはこの日を一日千秋の思い で待っており,昨日の夜からこの一瞬を楽しみにしていた のだ〜! 頑固さん雷の復活だ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ! 泡を食った小生はすたこらすたこら,愛車 「マリ〜・セレ スト号」 を駆って病院へすっ飛んで行って,へいこらへい こらと頑固さんのご機嫌を取り結んだことだ。 さて,我が家に帰ってやっぱり落ち着いたのであろう。頑 固さんはゆったりと自分の椅子に座って非常に満足げで あった。鉢の雑草も金魚もご近所の人々もみんな頑固さん を待っていたのです。 久し振りにみんな揃った夕食では,頑固さんは満足そう に家族みんなにお礼を言ってました。やっぱり夕餉の一 刻,食卓というのは1人でも欠けていれば寂しいのですね。 ましてや,我等が小田家の長老の偉大なる頑固さんにお いては……! 神様、仏様、ありがとうございました。 |
2003年3月28日(金)
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12日に入院して以来今日まで、頑固さんの周りには日 記に記してきたように生まれて初めての波乱万丈の大冒険 があったのです。 そして、いよいよ今日の日を迎えたのだ。実は数日前か ら主治医におおよその退院日を聞いていたのであるが、 万一ずれるようなことがあったらそれこそ失望した頑固さん の憤慨と絶望のハリケ〜ンで収拾のつかないことを恐れて 黙っていた。 そして先刻再確認したところ、入院時には8,4しかなか った血液中のヘモグロビンが現在は10,1になってるから、 無理をしないように自宅療養しながら通院するなら退院も O・Kとの許可を得たのだ。 「わ〜い!」 頑固さんの喜ぶ顔を想像すると飛び上がる ように嬉しい……! しかし、そんな思いを押さえて何食わ ぬ顔で病室に入った。悪戯好きな小生の顔は多分、いまや チェシャ猫ソコノケであろうって! テレビを観ていた頑固さんは小生を見て顔を上げたが、 小生は素知らぬ振りしてメモランダムの日記のペ〜ジの日 付けをどんどん増やしていったのだ。 「何ば書きよっとかお前は〜、4月の10日、11日て…! オイはそげん長くまでおらんぞっ、もう帰る!」 いや、頑 固さんがビックリしたの憤慨したのって……。 とうとう我慢が出来なくて小生も,あっはっはっはっは〜 と吹き出したので,やっと頑固さんも小生が意地悪をして いたのに気付いて 「このバ〜カが〜!」 と,ニッコリした。 いや,本当に嬉しそうにニッコリしてくれたのです。頑固さ んにとっては92歳と10カ月にもなって初めて経験する,本 当に辛い日々の連続だったのですね。 「本当はいつ出らるっとか?」 と聞くので 「明日ばい」 と答えたら 「こんバ〜カが〜」 と,言いながら心から嬉 しそうにしている。こんなに嬉しそうな頑固さんの顔を見る のは久し振り,いや初めてなのかもしれない。小生も幸せ である。 考えてみると,ひょっとしたら小生は生まれて初めて,頑 固さんがこんなに心から喜ぶようなことを言ったのかもしれ ない。 わっはっはっは〜小生は親孝行者なんだ〜!! ところで,退院に際して必要だからと言ったら,頑固さん がフザケテ署名してくれたのが以下の書類である。 「 誓約書 」 私は退院に際して以下のことを約束しますので早く出し てください。 1 長年連れ添った妻をこれまで以上に大切にします。食 事の時も,味が薄いとか,お汁がヌルイとか煩く言わな いように注意します。 2 パチンコで勝った時には,これまで通りみんなに分け 前をあげます。 3 小生が会合で遅くなった時も,今までのようにパジャマ でうろうろして 「楽天はまだ帰ってこんか?」 と言い ません。 平成15年3月28日 小田 頑固 後で話したところでは,署名は自分ではなく小生の名を 書くつもりであったが,小田と書いたらうっかりして自分の 名を書いたそうだ。呆けるどころか,油断出来ない。ウンウン わっはっはっは〜 終わり良ければ すべて良し ! |
2003年3月27日(木)
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3月24日 (月) |
2003年3月26日(水)
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2003年3月25日(火)
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2003年3月24日(月)
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2003年3月23日(日)
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頑固さんには10人の孫がいる。みんな女である。昔は 可愛い女の子であったが、いまは成長して最愛の旦那と 幸せに暮らしたり、素敵なレデイになってツンとすましてい る。いや、怒ったらいかん。遺憾である。あっはっはっは 可愛いということだ そのうちの3人、横浜在住で恵風子の娘たち3人から入 院中の頑固さん宛てに手紙が届いた。昨日のご存知さん の口直しである。ご覧いただきたい。 ・・・ ・・・ だんだん暖かくなってきましたね、おじいちゃん。 九十九島せんぺいをありがとう! きのう、近所のス〜パ〜で九州店をやっていて、生チャン ポンを売っていたので買いました。 美味しかったし、なつかしかったです。 おじいちゃんはご飯食べれるようになりましたか? 早く元気になってくださいね!!! ( 猫の絵が描いてあって ) 誠子 ・・・ ・・・ おじいちゃんへ 少し 食べれるように なったと 聞きましたが、 元気になりましたか? 入院も あと少しですね、 退院したら おばあちゃんも 皆も 大喜びです。 早く 帰ってこれるといいですね 私も おじいちゃんに会いたいです、 九十九島せんぺいはありがとうございました。 いつも お土産を 頂いて とても うれしいです。 路子 おばあちゃんも 元気ですか? 早く暖かい春が来ますように (得意の笑顔マ〜クが…) ・・・ ・・・ おじいちゃん 少し食べれるようになったと聞きました。 早く退院出来るといいですね。 早く顔が見たいです。 先日はおせんぺいをありがとうございました。 順子 退院したら、退院祝いしに行かないと いけませんね、こりゃ。 おせんべいあいしくいただいております。 尚昭 ・・・ ・・・ 以上は行や句読点も含めて3人娘の原文のままである。 小生の可愛い3人の姪っ子たち、本当に赤ちゃんの頃から 可愛いかった。勿論現在も進行形である。(娘たちは過去 形に厳しいのだ!) 誠子と路子は、お父さんのクモ博士が聖路加病院に勤 務している時に生まれた双子で、何か感じることのあって 命名された由。順子もまた、何らかの思惑があって命名さ れたことであろう。 (一応何か書いとかんと見つかった時 の順子がコワイ!) 誠子の分かりやすく元気で大きな斜め字 (単なる雑で はないと思うが…)や、路子のおじいちゃんが読み易いよ うに空間を開けてくれた字 (単なる癖ではないと思うが…) や、順子の愛情の篭もった夫婦合作の手紙 (単にデシャ バッタのではないと思いたいが…) のお見舞いと激励に は感動した。正直言ってご存知さんも見習って欲しいもの である。 それにしても、尚昭くんの 「こりゃ」 という科白に、何と なく徒ならぬ異な気配を感じるのは彼のヌ〜ボ〜とした風 貌に起因するものであろうか!? こりゃ、大変だ! |
2003年3月22日(土)
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2003年3月21日(金)
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2003年3月20日(木)
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2003年3月19日(水)
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2003年3月18日(火)
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2003年3月17日(月)
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2003年3月16日(日)
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小生が顔を出したのが丁度検診の時間だったらしく、看 護婦さんから 「熱はないですか、頭は痛くないですか、 便は出ましたか?」 の質問に頑固さんが 「あなた達のよ うに言うても、食べる物も食べさせんで、出るモノの出る筈 のなかでしたい!」 と答えているところに出くわして、可 笑しいやら気の毒やらで笑いを堪えるのに大変であった。 そしてまた、ご先祖さんの顔を見るなり 「お前が、このパ ジャマば着て布団ば被って寝とけ!オイは帰っけん」 の 名科白には噴き出してしまった。 そして続けるのである。 「お前が何年か前に腰の痛くて 入院しとった時には、本当に医者の許可ば貰って帰ったと か?」 と……。 わっはっはっは〜そういえばいま思い出したが、一昨日 郵便局の切り替えがあったので書類を持っていったところ、 珍しく文句一つ言わずに唯々諾々と従ってくれたが、あれ は退院許可願いと勘違いしていたそうで、大笑いであった。 余程家に帰りたいらしい。 考えてみると、洋服屋の弟子奉公の若い頃や軍隊時代 はいざしらず、この半世紀を勝手気侭に生きてきた頑固さ んにとっては、束縛されるのが地獄の責め苦なのであろう。 でももうちょっとの辛抱だから、お医者さんや看護婦さん にしっかり診て頂いて元の元気な顔身体で、また颯爽たる 自称”八幡町のダンデイ” で帰ってきて欲しいと心の底か ら願うぴ〜ひょろろでございました。 |
2003年3月15日(土)
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前にも書いたような気がするし、当店にご来店のお客様 は夙にご存知のことだが、当店の応接椅子の上の方には 頑固さんが米寿を迎えた時に小生の善友彊っちゃんから 頂戴した額縁が飾ってある。そしてその色紙には以下のよ うに記してある。 家訓 1 仕事をすること 2 趣味を持つこと 3 お洒落をすること 小田 鉄二 訓 とあるのだが、頑固さんの本名の如く鉄のような精神は 例え病院に入って食事を貰えぬ環境に置かれてもいささ かの衰えもないのだ。正しく92歳のアイアンマンである。 看護婦さんがベッドに縛り付けられている頑固さんの気 分転換と運動を兼ねて、点滴機を持ってやるから廊下を散 歩しようと言っても頑として応じない。 こんな情けない格好でいるところを人に見られたくないと 言う。ご飯も持って来ない上に風呂にも入らせんのは言語 道断であると憤慨する。綺麗な下着を持ってこい、パジャ マを持ってこいとウルサイのであるが、今日は髭が伸びた ので 「夕方美希ちゃんが来る時にカミソリを持たせて欲し い」 と宣う。 美希子が会社から帰ってきたのでカミソリを持たせてやっ たが、案の定今日も帰りが遅い。家族全員が8時過ぎまで 美希子の帰りを待っての食事中に 「今日も手を握って放 さんやったか?」と聞いたところ 「おじいちゃんの髭を剃 ってきた」 と言う。 思いがけない返事に一同、あははは、ハハハ、アハハハ オホホ (愛妻は上品なのだ) わっはっはっはっは〜の大 爆笑で、美希子も 「お疲れさま〜」 とか 「偉いぞ!」 などと褒められたのが満更でもなさそうに照れているのが また可愛く、大笑いであった。 小生には 「早く食事ば出すように先生に言ってこい!」 などと、ブツブツブツブツ不平不満の連続であるが、流石 に孫娘には甘えてみたいらしい。当家の娘達もまた愛妻の 血を引いて気立てが良いのが嬉しい。 マ〜なにはともあれ、腹が減って憤懣遣る方なしではある が、お洒落を忘れぬ頑固さんは偉大なものだ。逆境にも鉄 の如く強いところを示してくれて、馬鹿息子としては有り難 い限りである。 |
2003年3月14日(金)
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2003年3月13日(木)
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朝から病院に行くと、生まれて初めて胃と十二指腸をカ メラ撮影された頑固さんは流石にグッタリしている。点滴の チュ〜ブを腕に射されたままでベッドに寝ている頑固さん は不機嫌だ。 なにしろ92才と10か月の頑固さんの人生においては、 入院どころか病院に見舞いに行くのでも嫌がっていたくら いなのだ。陰気くさい所や年寄りの中にいたら自分まで病 気になってしまうと抜かすのである。 「もう、治ったから帰る!」 と、お構いなしに腕を振りま わすのでいつの間にかチュ〜ブも折れ曲がって点滴も 止まっている。 「帰っていいかどうか先生に検査の結果を聞いてくる」 と 宥めすかして寝てもらって、主治医のK先生にお話しを聞 いてビックリ仰天である。小生の人生でこんなに驚いたこと はなかった。まさに晴天の霹靂だ。 カメラで検査したところでは、胃に潰瘍ができてそこから 出血していたそうだが、K先生の経験では8,9割方は良 性であろう。はっきりしたところはその潰瘍の組織をとって 検査しなければならないが、今のところは胃に傷ができて いるのでその部分の回復を1週間ほど待たねばならない。 そしてその間、食事がとれないので、栄養補給の為一日 中点滴を続けなければならない、と言うのである。そこまで はよかった、よかったのである。小生も 「ハイハイ」 と 神妙に聞いていたのだが次の言葉を聞いて飛び上がっ て驚いた。 若い人はある程度病気にかかった時点で諦めて治療に 専念するそうだが、お年寄りは我慢することができ難く、ま してや一日中ベッドに縛り付けられて点滴に固定されるこ とに強いストレスを感じて往往にして呆けることがある、と言 うのだ。 狭い部屋の中で一日中拘束される息苦しさに我慢でき ずにチュ〜ブを引きちぎって廊下を徘徊したり、場所構 わずオシッコをしたりと、そんな例が多いというのである。 もう、小生は本当にビックリ魂消たっのである。つい1週 間前、小生に伯父と叔父の違いを教えてくれた偉大なる 父親の頑固さんが、尊敬する頑固さんが呆けるなんて…… 小生は絶句してしてしまった。 小刻後、気持ちを落ち着けて病室に戻り、なんとか頑固 さんを宥めて病院に泊まってもらうように頼んでの帰り道は 本当にトボトボとしていたことだ。 生まれてから一度も入院したことのない頑固さんが、この 歳になって一日中拘束された挙げ句に食事ももらえないで 我慢できるであろうか……? 万が一腫瘍が悪性だったら……!?頑固さんが痛い目 や苦しい目にあったらどうしよう……。そして、本当に本当 に呆けるようなことがあったら……!? 小生はトボトボと 家路を辿ったのである。 でも、なんとかなる! 小生は家族みんなの顔を見る時 には覚悟を決めていて、夕食後には落ち着いて話すこと ができたようだ。 88才の母のご先祖さんも、愛妻の万里ちゃんも、娘の 優希も美希子も小生の話しを静かに聞いてくれた。そして、 みんなで約束したのである。 わたしたちの大切な頑固さんを絶対に呆け老人にはしな い!お爺ちゃんの尊厳と名誉のために、みんなで力を合 わせて頑張ろう! と、いうことを……! ・・・ ・・・ 実はこの日記は、3月23日(日)に記しているのである。 上記の日記を書いた日から我等家族一同は、頑固さんが ストレスを感じないように、退屈をしないようにとセッセと顔 を出すように心掛けたし、太希子は手紙を何通も、恵風子 はお見舞いに、蜘蛛博士やご存知さんは電話を、誠子と 路子と順子や彼女のダ〜リン方はファックスを、とみんな みんないろんな形で応援してくれたのだ。 お陰で、頑固さんは初体験も克服してケロリ……。一皮も 二皮も剥けて益々の鉄人で元気もりもりとなった。 先程ご先祖さんと病院に行ったところ、丁度久保君も優希 と美希子と小生宅の墓参りの帰りに見舞いに寄ってくれて いたが有り難いことだ。 小生も一時はお先真っ暗で、どんな文章を書けばよいか 迷っておったが、これでやっと与太話が書けるというもの。 わっはっはっは〜 終わりよければすべてよし ! |
2003年3月12日(水)
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2003年3月11日(火)
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久し振りに近所の奥さん3人+愛妻1人+小生1人の 合計5人でぞろぞろ歩いた。小生は1年振りだったので散 々冷やかされたが、汗をかくのは楽しかったし、楽しい人か ら冷や汗をかかせられるのもこれまた楽しいので、ラッキ〜 ラッキ〜と感謝しながら歩いた。勿論笑ってもらえるのも含 めて……。わっはっはっは〜 ところで、この夜の話題に登ったのが自殺したという校長 先生のことであった。なんでも民間 (銀行) から転職した 57才の笑顔のよい人だったそうだが、本人も志を持ち頑 張ったことであろうし、教育委員会もそれなりに評価しての 人選であったろうに、1年もたたないのに自殺にまで追い 込まれるとはなんともはや……である。 本人も苦しんだであろうが、残されたご家族の悲しみ憤 懣はいかばかりかと推察するのである。そしてまたいつもニ ュ〜スを聞く度に思うことであるが、このように大の大人が 自殺に追い込まれるような学校で、子供たちがイジメにあっ ていたのを知らなかったという先生方の談話である。 今回はたまたまよそからきた校長先生であったが、子供た ちのイジメも知らないでどんな授業が出来るのかな〜、人 が好きでないのにどうして教育関係の仕事についたのか な〜、一体誰が悪いのだ!個人か、それに阿る奴か、そ んなのを生み出す土壌か!? 悲しいな〜と思いながら家 に着いたら美希子が風呂に入っていたので、待つ間ぼん やりテレビを眺めていたらビックリしてしまった。小生はテレ ビドラマをみるのは子供達が小さい頃に一緒に見た 「大草原の小さな家」 以来であったが、とにかく凄い。 NHKの 「風子のラ〜メン」 の最終回であったが、流石 に市原悦子さんである。凄い演技に加えて脇役も良かった し、原作もシナリオも監督もみんな良かった。日本のドラマ でこんなに引き込まれたのは初めてだ。 前回を観てないので分からないところもあるが、ヒロインの 夫がお金を借りたのが原因でヤクザな人間に殺されてしま う。ヤクザはしばらく刑務所に入ってたが、やがて出所する 前にヒロイン宛てに 「更生したのでお詫びがしたい」 の 手紙を寄越す。 「なにか人のお役に立ちたい、困っている人を助けたい」 が口癖のこころ優しいヒロインなのであるが、こと自分のこと となったら誰しも怖い、ましてやヤクザが何を考えて自分に 近付いてくるのか分からないので熱が出るほどに怯えてし まう。 それを心配した元刑事のお爺ちゃんがヒロインを慰めて 言う言葉である。 あのね、風子さん。私は永い間刑事をやっていろんな人 間を見てきた。私は人間が好きだし困っている人を助けた いと思って刑事になった。お陰で多くの良い人間に会うこ とができた。 しかし、世の中にはどうしようもない悪い人間がいる。人 が困っているのを見ても平気などころか、弱い人間を見付 けてまわって、彼等を足蹴にして食い物にしている鬼畜生 のような人間が確かに存在しているのだ。 私はこの世の中には2つの人間しか存在しないと思う! 風子さん、それは 「良い人間か、悪い人間か」 ということ だ。この世には 「善と悪」 しか存在しないんだよ。 心の良い人、善人には計り知れないような絶対的な悪と いうのが実際にいて、そやつらは善人の常識を越えた残 忍な罠を仕掛けて、なにも知らない犠牲者を陥れるために 待ち構えているのだ。やつらは違う世界の生き物なんだ! 以上のような忠告や子供たちの心配を背に風子はヤクザ と対決する。 牙を隠したヤクザは初めのうちは念仏を唱えたりして 風子を懐柔するのであったが、次第にその残忍な本性を 現わし、とうとう出刃包丁を手にしたところで風子の怒りが 爆発してスリコギと自分自身の爪を武器に飛びかかって いく。 バカヤロッ! この鬼畜生奴、この野郎、この野郎、この 野郎っ! いったい私が今日までどんな気持ちで生きてき たと思っているのかっ! 私はね、ウチの人が死んだのも、子供達が哀しんでいる のも、お前が刑務所に入ったのだって、みんなこの私が悪 かったと思って自分を責め続けてきたのだぞ!毎日毎日! 苦しくって苦しくって、モウどうしようもなく苦しくって、 夏の熱い日にはもういっそ、このまま焼け死んでしまいた い、寒い冬の日にはこのまま雪に埋まって死んでしまいた いと何回思ったことか!どんなに苦しかったことか! それをなんだい、お前は!何でもかんでも人のせいにし やがって……! 畜生、バカ野郎っ!お前なんぞに人の気持ちが分かるか、 この野郎、この野郎、この鬼畜生〜〜〜〜〜〜!! というようなドラマだったが、だんだんと盛り上がる過程と 最後の迫力が凄かったことだ。それに小生には判らない が、多分映画と違ってテレビ画面では難しいのであろうが、 格闘の時に風子の爪の引っ掻き傷がヤクザの頬にアッツと い間についた場面は上手かったなあ。ウンウン! ところで小生にも昔5年ほど悪い奴 (意地?) との経験 があるが、その時は辛かったなあ〜。いま思い出しても腹が 立つが、心の醜い奴とそ奴に阿る卑怯者たち……。 奴さんらと会う時にはいつも左手首には数珠、右手には 自分で名付けた丸い「我慢石」というのを握りしめていたも のだ。 いま思えばよく我慢したものだが、危機一髪の際には小 生いつも心の中で、小生にはいまの自分に育ててくれた 親がいる、理解してくれる妻がいる、信じてくれる子供たち がいる、まさかの友がいる、と心の中で南無阿弥陀仏を唱 えたものだ。 小生は図体だけは大きいから子供の頃から喧嘩しても 負けっぱなしということはなかったし、卑怯なことはしなか ったつもりなので負けても平気であったが、時々喧嘩した 後で仲直りできない人間がいてあの後味の悪さはいま思 い出して嫌なものである。 勿論、子供の頃から我が侭であったから、喧嘩の原因は 小生が悪かった場合が大半であろうが、それにしてもガキ の頃から半世紀近くたって、いまもってバカのアホのとご好 誼いただく”まさかの友”が、多かれ少なかれ何らかの形で 喧嘩した後で仲直りしてできた友人であるのは僥倖である。 まさしく、小生はツイテいる……。 それにしても、いつの時代でも絶対に悪い奴はいた。先 程の元刑事の科白ではないが、世の中にはどうしようもな い悪い奴というのはいる。 人を貶めようとする奴、暴力や態度や言葉で傷つける奴、 そしてそれらに阿る奴というのは絶対にいる。小生の 知る限りでも、なにかトラブルがあった場合には心の優しい 人は反省したり自分を責め過ぎたりして落ち込んだりする のであるが、悪い奴はそんな時に人を責める。どんなことが あっても相手が悪いと言う。そんな奴が絶対にいる。 実はいま、小生の知ってる心優しい人がそれで悩んでい るのですが、小生は言うのです。あなたには今まであなたが 築いてきた優しい心がある。生き方がある。友達がいる。 それに、なんの役にも立たないかもしれないが、誰がなん と言っても楽天がついている。小生が分かっていると……。 世の中には実際に我々には及びもつかない 「悪い奴」 がいる。だから我々は、あれは 「悪い奴」 と割り切って 生きていこうよって! 自分を責めても無駄だって! 大好きなみなさんも、絶対に自分ばっかり責めないでく ださいね。絶対に 「悪い奴」 がいるのを忘れないでね! 愉快な人に会えば愉快になれる 心美しい人といれば心美しくなれる ああ それから 絶対に 良い人も いますからね ! わっはっはっは〜 |
2003年3月10日(月)
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小生は毎日、夕食後に歩くのを日課としている。夕食後 の満ちたりた気分で、愛する妻と一緒に夜風に吹かれな がら、四季折々の草花や町の佇まいなどをを眺めながら、 心に浮かんだヨシナシゴトを話しながら歩くのは正に至福 のひとときである。 と、ここまで書いて、次ぎはどんな与太を飛ばそうかと 考えたところで、何となくピ〜ンと閃くモノがあって日記の 前のペ〜ジを繰ってみたらあった〜。 わっはっはっは〜やっぱり、あった。なんともはや、我な がらシラバクレタことを抜かしておるではないか。2月9日 に同じようなことを書いておるではないか〜!! ふんっ、なにが日課だ!毎日続けるから日課というので、 1年に1回なんぞは年課というのであろうが、それでもそん な日本語があるかどうかアヤシイもんだ。ったく! と、自分 自身に憤慨する真面目なぴ〜ひょろろでございましたぞ。 しかし、当日の日記を再度読み返してみて、公平公正に 判断したところでは、小生のやる気は充分であったように 思われるぞ。みなさんはどうご判断なされるや? 小生はあくまでも婦唱夫随という奴で、歩き慣れている愛 妻の3歩ぐらい後からヨタヨタとついていく予定であったが、 ただ平凡な一日本人としてマラソンを 「日本頑張れ、 日本頑張れ!」 と応援してから、しかる後あなた方が 仰るところの重厚な腰を上げる予定であったろうと推察さ れるのである。 エヘン! ああそれなのに、それなのに……!文章から推察される 限りにおいては、愛妻は小生を見捨てて娘たちと一緒に アスレチックか何処かにいって遊び惚けているではない かっ! 嗚呼、一つ屋根の下で一つ釜の飯を食べて、愛し愛さ れる楽天家族としては断じて許すまじ出来事ではない かっ!? ましてや、愛妻は忘れたのかどうか、かっては 一つ布団の中で〜〜〜〜!! その夜、妻と娘たちに裏切られて傷心の小生は、さめざ めと涙を流したことであろう。さめざめと麦酒を召し上がっ たことであろう。だって、これほどまでに立派な言い訳は 滅多にないことである。 え〜〜〜と、なんだっけ、いったい小生は何を言いたか ったのか? そうだっ、結局今夜は愛妻と2人方を寄せ合 って歩いたのだ。 明日っ? はいっ、明日も歩く予定である。 だって、 日課と言うくらいであるから……! エヘン! |
2003年3月9日(日)
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2003年3月8日(土)
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2003年3月7日(金)
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2003年3月6日(木)
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2003年3月5日(水)
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とにかく,いろんな項目が書いてあるのだが,たとえば こんな項目がある。 (1)の売上高について,(イ)1月から3月の売上高は昨 年の1月から3月に比べてどうですか? @20%増加したA10%増加したB10%未満増加した C10%未満減少したD20パーセント未満減少した の設問に対しては,(3月分というが今日はまだ3月4日 であるとは思うが…) それなりに記入できるのだが,次の (ロ)4月から6月の売り上げ高は昨年の4月から6月に比 べてどうですか。 @20%増加する A10〜19%増加する B10%未満 増加する C10%未満減少する D10%以上減少する の設問には参ってしまった。 小生もダラシナイ人間ではあるがそれなりにマントヒヒな みの責任感は持っているから,家族や職人さんの為にも 頑張って少しでも売り上げを上げたいという願いは持って いる。 しかし,このようなご時世であるから大変である。我々の 商いは社会全体の景気がよくなって,お客様の懐が温かく ならないことには御鉢は回ってこないのである。昔の童謡 のように,朝早く起き日が暮れるまで働いて ♪ しばしもやすまず槌うつ響き 飛び散る火花よ はしる湯玉 ふいごの風さえ 息をもつかず 仕事に精出す 村の鍛冶屋 あるじは名高いはたらき者よ 早起き早寝の 病知らず なが年きたえた 自慢の腕で うちだすすきくわ 心こもる ♪ 昔の文部省唱歌 「村の鍛冶屋」 さんのように,自分の 天職に誇りを持って真剣に励むことが人間の生き甲斐であ り,まわりもそれなりに評価していた。 社会情勢が変わったといえばそれまでであるが,一つ屋 根の下で聞くおじいちゃんおばあちゃんの笑い声や,子 供のわらべ歌や、赤ちゃんの泣き声やお母さんの子守り 歌やおとぎばなしの世界は一体全体何処に行ってしまっ たんだろう。 これで良いのか日本! 最近こんな思いが強かったもの だから,自分の計画性や甲斐性無しは棚に置いてこんな ことを書いてしまった。 我々庶民は,それなりに一生懸命頑張って3月5日の今 日一日を生きることで精一杯。今月末ははるかな未来なの であるが,それを4月,5月,6月のことなんて…… 小生は占い師や予想やではなくお偉い (ここまでは思っ ただけで書いてない) 「首相や総裁と違い小人には明日 のことは分からない」 と記した。 (5)の借入金の欄には、よほど 「まだ,公的資金の順番 がまわって来ない!」 と書きたかったが書かなかった。 ただ最後の余白に、自由に書いてくださいとあったので 次ぎのように記した。 「絶対に誰かが泣いてる激安屋」 「高くとも近所で買えと爺ちゃんが」 等の川柳にあるように 志を持たない政治家,民の竈を知ろうともせぬ官僚,もの 作りをしたことのない人、善の心のない人間に 「人やもの を大切にする心」 が宿る筈はあるまい。 「幸せはあかごの泣き声ジジババの笑い声」 ですぞ。 私たちの子孫に、温かい家庭や小店のおばちゃんや、市 場のお兄ちゃんやお百姓さんや漁師さんのいない祖国を 残したままで良いのか,日本人! と記したのであるが,いや〜係りの人はビックリなさったで しょうね。ごめんなさい,あなたが悪いのではないのです。 なんだか,……な文章や数字を見ると腹が立ってくるので す。男の更年期障害でしょうか, ごめんなさい! ウンウン |
2003年3月4日(火)
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2003年3月3日(月)
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2003年3月2日(日)
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今日は30年前に ”オギャア” と誕生して,我が家に喜 びを運んでくれた可愛い娘,優希の嬉しい日である。いや, 優希だけではない。家族みんなが嬉しいから朝からソワソ ワしながらにこにこ笑顔なのだ。 一年前,太希子の結婚式で出会って交際していた久保 政行くんのご家族と,我が家の顔合わせをかねた食事会 なのである。晴れて両家から認められるとあって優希の足音 が弾んでいる。 11時50分に車で到着した久保家のみなさんと一緒に 町内の山川荘まで歩いて5分,緊張のあまり空元気の鼻歌 が出たのが我ながら可笑しい。北帰行である。出たものは 仕方がないので頑張って歌い続けたが,久保家のみなさ んビックリしたろう。わっはっはっは〜 バカの先制パンチ、 裸のお付き合いである。 久保家は野武士の風格のあるお父さんに若々しく爽やか な笑顔のお母さん、弟さんの伸二くんと奥さんの未緒さん と生まれて3ヶ月の可愛いあかちゃんの来夢くん、それに 妹さんの美和子さんの総勢7名であるが,みんな明るいの ですぐに打ち解けることができた。政行くんの性格がいい 筈だ。ウンウン! 頑固さんとご先祖さんもニコニコ笑顔である。よかった,よ かった,いい人たちでよかった。優希をよろしくお願いしま す。これからの永いお付き合いをよろしくお願いします。 優希や、ご主人を大切にして,お父さんお母さんを大切 にして,ご家族のみなさんを大切にして,幸せになってくだ さい。 |
2003年3月1日(土)
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