片淵キャンパスの思い出 


PARTU 「再び片淵キャンバス」



願書提出

派遣社会人と言うものの、簡単に入学できるものではなかった。入学願書とともに「研究計画書」と「推薦書」を提出しなければならないのだ。「推薦書」は上司が作成するので問題はないが、困ったのは「研究計画書」である。

「社会人のリフレッシュ教育」のために入学を決意した私にとっては、公開講座の延長程度にしか考えていない。ましてや何かを研究しようとは全く考えていない。しょうがないので、A4用紙1枚(約1000字)に研究内容を取り纏めた。確か「地域経済の現状と今後の方策」など、あいまいなテーマだったと思う。(忘れてしまうほどのいいかげんなテーマである)

もう一つ困ったのは、「専攻」である。本専攻は、「日本・アジア経済関係」、「経済発展・金融組織」、「企業行動・経営管理」、「数量経済・モデル分析」の4つのクラスターに分類される。学生はいずれかのクラスターに所属しなければならない。私が提出しようとする研究テーマであれば、もちろん「経済発展・金融組織」であろう。

そうした理由で、第2クラスター「経済発展・金融組織」を主たる研究分野として願書を提出、2月の面接試験に挑んだ。


●面接試験

ここで、派遣社会人以外の学生の試験科目等について紹介しよう。1学年15人の構成は、一般学生(3名)、留学生(4名)、社会人(8名)である。うち社会人は、「一般」と「派遣」とに区分される。派遣は、「会社が派遣する」のであり、何か問題が生じたら会社が責任をとるという意味合いもある。「一般」は、あくまで自分の意志で入学を希望するものであり、試験科目に「論文(400字原稿用紙15枚程度)」が追加される。
  一方、学生・留学生は、この他「英語」など数科目が追加される。こうしてみると、派遣社会人が一番入学しやすいと言えるだろう。

さて、いよいよ面接試験である。恐らく、志望動機、研究テーマなどについて質問が浴びせられるだろう。少し予習して、面接会場へ向う。入室すると、教授・助教授など6名がいた。顔をチラリとみると、少し緊張がほぐれた。そこには、大学時代講義を受けた教授が2名。

着席と同時に矢継ぎ早の質問だ。質問内容は、志望動機、研究テーマまでは良いが、「貴方の大学時代の成績表をみると・・・(中略)・・・、かなりの豪傑ですね」と言われた。全員爆笑である。確かに学部の成績は、ほとんどC評価、Aは一つも無く弁解の余地はない。私は苦笑しながら、「確かに学生時代は全く勉強していません。それを反省して入学を希望したのです。先生方のご指導よろしくお願いします」など切り返すのが精一杯であった。

なんとなく、和気あいあい(?)の中、面接が終了する。終了後、同じ会社から受験したT嶋氏や他の受験者に尋ねると、厳しい質問・意地悪な質問が多かったようだ。その点私はラッキーであった。「学部の卒業生」 「派遣社会人」ということが功を奏したのは言うまでもない。


入学式

平成8年4月8日、いよいよ入学式である。この日は、有給休暇を取得しT嶋氏とともに長崎市公会堂へ出かけた。会場には本学の学生も多数集まり熱気で満ち溢れている。我々の席は、2階席の後方部。式典中、なぜか昭和55年4月の入学式を思い出していた。あの頃は若かった。勉強のことなど全く頭に無く、4年間をいかに楽しく過ごすかを考えていただけだ。今年入学した4大生も同じなのか・・・。

式典終了後、私達はオリエンテーションへ出かけた。途中、喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら、T嶋氏と今後のことについて話をしていた。実際、私達社会人が仕事をしながら勉強が出来るのだろうか・・・。この時は、お互い不安だったのだろう、話が弾まない。30分ほどして私達は「片淵キャンパス」へ足を運ぶのである。


●オリエンテーション・ガイダンス

その日の午後1時よりオリエンテーションが行われた。学生としての心構えから始まり、講義の履修手続き、学生会館・図書館の使用要領、コピーの使用方法など詳細について説明を受けた。その後、教務係から学生証を手渡される。老けた私の顔。とても学生とは思えない。ふと、「学割」があるのか尋ねてみると、「当然です」の答えが返ってきた。出張時の交通費、映画館への入場などに使えるかもしれない(一度も恩恵を受けることはなかったが)。

オリエンテーション終了後、長かった1日もそろそろ終わりだろうと思いきや、これからが本番であった。なんと、その日に、前述した4つの中の1つのクラスターの最終確認と「卒業論文の担当指導教官」の選択が待ち受けていたのである。それも、この日に決定せよとの指令である。

そんな、無茶な。教官の授業も受けたことが無いのに、ましてや教官の顔すら知らない。その後、2人の教官とのガイダンスが始まる。先に終了した学生に様子を聞くと、やはり「クラスター」と「指導教官」を決定させられたらしい。
※クラスター・指導教官の選択は、平成9年度より制度改訂(選択時期が7月迄延長される)

私の番が近づくにつれ焦りが生じてきた。なんとなく提出した第2クラスター「経済発展・金融組織」であるが、そのクラスターの担当教官と彼らの研究内容をみると、いかにも難しそうである。経済原論など全く分からないし、マクロ、ミクロ経済学など論外である。ましてや第4クラスター「数量経済・モデル分析」はもっての外だ。

いよいよ、私の番が回ってきた。卒業論文を書くために入学したのではないとは言え、書かなければ卒業できない。浅学非才の私で分かりそうなのは、第3クラスター「企業行動・経営管理」しかない。ここで、私のいいかげんな性格(臨機応変?)が発揮するのだ。

その場で、第3クラスターに変更したのである。教官も妙に納得して、某指導教官を推薦してくれた。もちろん、その教官に会ったことはない。たまたま、翌日(火曜日)その指導教官の講義がある。その講義を受けた後強引に頼み込こもうと決めたのである(結果的に承諾してくれた)。

こうして、2年間の学生生活が始まった。


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