Swing Boat


演奏編 PARTT

JAZZ演奏以外のことに精力を注ぎ(番外編参照)、
結果的に大したプレーヤーにはなれませんでした。(^^ゞ


リズムパターン

入部と同時に先輩から1枚の紙を手渡される。「タッ、タ、タ、ター、タッ」「タッ、ター、タッ、タ、ター、タッ、ター」(文字ではうまく表現できないが)など、4分音符、8分音符などが入り交じったもので、我がクラブ門外不出の「リズムパターン」である。
一見簡単そうだが、実際やってみると難しい。せっかちな私は、特に4分音符が苦手で皆より早く吹いてしまう。
「タメ」がきかないと言うか、いわゆる「ノリ」が悪いのだ。JAZZ初心者の私にとって、JAZZ演奏の基本となるこのリズムパターンの修得は結構手間取った。

さらに厳しかったのは、2年か3年の時に作成された「新リズムパターン(作:Sケン氏)」である。JAZZの奥深さを改めて思い知らされるのである。結局、卒業するまでうまくできなかったように思う。ところで、今も現役諸君の「バイブル」として利用されているのだろうか?


初めてのコンサート

我がクラブが主催するオフィシャルの演奏会は、6月のチャリティーコンサート、12月の定期演奏会の年2回である。この他、九州各地の持ち回りで行われるビッグバンドフェスティバルや学園祭(活水短大、純心短大、外語短大など)への参加などがある。

中でも1年生の時のチャリティーコンサートは初めて経験する本格的なコンサートである。長崎市民会館(約800名収容)で演奏するのだが、かなり緊張していたと記憶している。裏を返せば、自分の演奏に自信がないということのあらわれだ。
新人でありながら、前担当M崎先輩の引退(卒業)により10数曲全て演奏しなければならなかったので、音符を間違わず演奏することだけを考え、もちろん
JAZZの「ノリ」はそっちのけ。ヤバイ部分は「吹かない」という体たらくである。

演奏以外で感じたことは、コンサートの運営を部員のみで行わなければならないということだ。高校時代は、ただ楽器を搬入して演奏するだけだったのが、大学ともなれば、パンフレット掲載の広告やチケットの販売ノルマもあり、他県出身者は大変だったと思う。また当日午前中は楽器の搬入、PA搬入、そして午後からはリハーサルなど、演奏前に疲れてしまった記憶がある。

コンサート終了が午後9時前、10時までに片づけて私達1年生は楽器を部室へ運搬する。その後、演奏の反省を兼ねた打ち上げと続く。中でもOBからの一言(賞賛・苦言)はさすがに重みがあった。楽しい酒、苦い酒を飲んでいる人・・・。

その後も宴会は続き、我がクラブの憩いの場「キャビン」に集合する。そこには、私達をやさしく迎えてくれるマスターがいた。コンサートの反省、今後のクラブのこと、女性の話などで、それぞれ盛り上っている。カウンターの隅でひっそりと飲む4年生のN林氏(ギター)、ちょっと恐い4年生のF定氏、中には玉砕したり、落ち武者になったり・・・。数多くの人間模様である。こうして、長い1日が終わるのだ。


九州ビッグバンドフェスティバル

1年生の時の九州ビッグバンドフェスティバルは熊本で行われた。初めての遠征である。このフェスティバルの良い点は、九州各地のアマチュアバンドの演奏を聴くことで、自分達の演奏のレベルを知ることができること、そして、同じ楽器を担当している人等とのネットワークが可能になることだ。
鹿児島大のトロンボーン奏者はプロを目指しているという噂に違わず、素晴らしいプレーヤーだった。バリトンサックスのプレーヤーで度肝を抜かれたのは、熊商大の4年生である。確か曲目は東京ユニオンの「Sugar」だったと思う。これこそ私が目指すべきバリトンサックスの音色か?
やはり、何事も手本がありそれを目指して頑張ることが肝要だ。それから私も、少し本気になって練習に励むのである。


●夏休みの特訓?

練習がない夏休みは、部員にとって重要な期間である。ほとんどがアルバイトに精を出す。もちろん、楽器の購入、自動車・バイクの購入、自動車学校の費用を捻出するために行っているのがほとんどだ。遠くは北海道でアルバイトに精を出すOサム氏のような元気な部員もいた。私も週2回の家庭教師、月2〜3日の新聞集金、たまにはNBCの中継のアルバイトなどを行っていた。
アルバイトだけが重要ではない。ほとんど毎日、午後から部室に顔を出し練習に励む。下手な私はこの期間に集中して頑張るしかない。当時は、同期のSケン氏、K木氏(トロンボーン)、金氏(ギター)、Y田氏(ドラム)など自宅生を中心に多数集まり、時にはキャビンで盛り上るという充実(?)した生活であった。
4月に入部して6月のコンサートが終わるまで、充分な基礎練習を積んでいなかった私だが、この夏休み期間の練習は少しばかり成果があったと思っている。


学園祭

10月頃から行われる「学園祭」への参加は楽しかった。そこには、JAZZ、ロックなどジャンルを超えた市内のバンドが集結するのだが、聴衆のメインはもちろん、「初々しい短大生」の皆さんだ。どのバンドも彼女らに気に入ってもらおうと頑張っているようだ。我がバンドの先輩達の一部にも、固定ファンがいる模様で、黄色い声援がかかっている。やはり、格好いい人や上手い人・目立つ人(ソリスト)の人気はすごい。私もいつかは黄色い声援を・・・。演奏が下手な私にとっては永久に来ないものであった・・・。


定期演奏会

出張演奏の次は、12月に開かれる「定期演奏会」が待ち受けている。この演奏会を最後に引退する先輩方や初めて公式(?)の演奏会を経験する1年生(初心者)にとっては、想い出深いステージだろう。何と言っても1年間の集大成のステージだ。この日の演奏とその後の打ち上げを楽しみに、皆が気合いを入れ練習している。

私も少しばかり気合を入れていたように思う。初めての「ソロ」があったのだ。なんといっても「ソロ」は目立つ。その曲は、夏の合宿の時から練習しており、また、「書きアドリブ」なので、そう難しくない筈だ。ところが、当時の私と言えば、少しは音を出せるようになったものの、相変わらずJAZZの「ノリ」が悪い。私を良いプレーヤーに育てようという、U田コンマス(高校ブラバン先輩)の好意を無駄にしたくはないと思っていたのだが・・・。

演奏会終了後、例のCABINに集まり、テープを聞いて愕然とするのである。
「へ・た・く・そ〜」。「ソロ」は、まだまだ荷が重かった。


幹部交代

その定期演奏会の打ち上げの時に、幹部交代の儀式が行われる。我がクラブでは、3年生が幹部に就任するという慣例があり、その日をもって当時の2年生に幹部が交代する。三役は、部長、コンサートマスター、マネージャーで、1学年下が会計を担当する。場合によっては、サブコンサートマスター、サブマネージャーが数名就任する。
  打ち上げでは、演奏の反省などがあり、まさに宴会が盛り上った頃に、当時の幹部が一列に並び、挨拶を行う。そして各々幹部から次の幹部候補者が発表される。

「部長はH山隆」「コンサートマスターは、N村Oサム」「マネージャーは、サムソン(本名:Y口博氏)」など発表されると、「ウォ〜。頑張れよ〜。」との激励の言葉と割れんばかりの拍手で盛り上がる。その後、先輩方をはじめ部員からお祝いの盃の嵐。こうして、また長い1日が終わるのである。

なお、当時1年生の私は「会計」の大役を仰せつかった。その理由は分からない・・・。


CABINライブ

定期演奏会が終わると、新たな幹部を中心とした「新生Swing Boat」の誕生である。2年生と1年生が中心だ。3年生が抜けた穴は大きく、新コンサートマスターのOサム氏(高校ブラバン同級生)の「イライラ」が分かる。
我々の当面の目標は4月に行われる「新入生歓迎演奏会」であるが、時には引退した4年生や3年生が練習場に現れ、我々の前に座り込み演奏を聞いている。I居氏(サックス)、Y野氏(ドラム)、Y田氏(トロンボーン)などは、ニヤニヤしているだけで演奏の講評はしない。このニヤニヤが緊張するのだ。私も頑張らねば・・・。

以上、ビックバンドを中心に述べてきたが、「コンボ」演奏も我がクラブの売り物である。上手な者が集まって演奏するのだから売り物になるのは当然だ。特に、リズムセクションの部員は、「コンボ演奏」をしたい為に入部したものが多いのではないか。

さて、当時の1年生は15名程いたのだが、2月に行われるCABINライブに、「1年生バンド」で出場することになった(写真参照)

リーダーは、当時髪がふさふさしているSケン氏(トロンボーン)、ギターは金氏、ドラムはY田氏(M田氏だったかも?)、ピアノはR美女史、ベースはO野氏(O坪氏だったかも?)。

以上のメンバーで良かったのに、私にも誘いがかかった。それも、テナーサックスでの演奏だ。バリトンサックスもうまくできないのに・・・。とりあえず練習をするのだがどうも良い音が出せない。ただ、バリトンよりテナーの方が女性にモテルかもしれないとは思っていたが・・・。



演奏会には、先輩方も集まってくる。「どれどれ、今年の1年生は・・・」など思いながら聴いているのだろうか?この写真手前の青いジャンパーを着ている方は、私が大好きな大先輩「ケチョンさん」である。ケチョンさんとの想い出は沢山ある。機会があれば、「番外編」で紹介しよう。


さて、演奏終了後、ケチョンさんやバリトンサックスの大先輩M崎さんから「よかった、よかった」の講評を頂いた覚えがあるが、もちろん、「1年生としては」よかったと言う意味だ。演奏のテープを聴くと、Sケン、金など他のメンバーは上手いのだが、私はというと、またしても「へ・た・く・そ」である。

いいかげんな動機で入部し、なんとなくバリトンサックスを担当してきた私だが、このライブを契機に楽器の変更を真剣に考えていた。将来的に楽器を購入するならば、テナーサックスが良いのか?


生涯一バリサクプレーヤー

楽器を変更したいと思ったのは、バリトンが「縁の下の力持ち」といった感が強く、同じサックス陣で一番目立たないことの他(当時はそう思っていた)、テナーサックスの方が目立つし女性にモテルかもしれないという理由だ。クラブ全体のことは全く考えていない。 こうして、同じ1年生でサックスのI井氏が、一時期バリトンを担当するのである。

ところが、テナーも同じサックスとは言え、いくら練習しても良い音が出せない。その後いろいろ迷った挙げ句、再び「バリトン」を担当することにした。「バリトンよ、もう浮気はしないよ」と心に誓い、生涯一捕手ならぬ「生涯一バリサクプレーヤー」として、再出発するのである・・・。


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