Swing Boat


プロローグ

「Swing Boat」でジャズに出会う前の話です。


プロローグ

私が初めて楽器を手にしたのはいつ頃だろう。幼い頃の写真の中に答えがあった。幼稚園(年長)の運動会で中太鼓を担いだ私(写真:左から2番目)がいたのである。

 小学4年生の時に出場した「第22回長崎市小学校音楽会」の写真の中には、シンバルを持った私がいた。
 中学生の頃、兄のギターやドラムを借りて、こっそり練習したこともあったが、どちらの楽器も難しく、結局上達しなかった。

高校に入学した時、なにかクラブ活動をやりたいと思い、中学の友人が多く入部している「ブラスバンド部」を選択した。
「多くの友人がいた」 というだけの理由で入部したので、それからが大変である。全ての楽器が初めてなのは言うまでもないが、特にやりたい楽器もないし、また、どの楽器も難しそうだ。その後、先輩から「クラリネット」をするように言われる。


地区大会と坊主頭

   これから私の音楽活動が始まるのであるが、私達ブラスバンド部の目標は長崎県大会で2位以内になり、そして九州大会に出場することである。(当時は数年間地区予選で敗退していたらしい)

   地区予選は入部4ヶ月経過した8月上旬である。特に2年生は気合いが入っており、すでに何人かは坊主頭にしている。予選当日の私は幾分長髪だったので、2年生の先輩方に対し少し後ろめたい気持ちも手伝って、
当日散髪に行ってよいか某先輩に尋ねた。すると突然、私を坊主頭にしようということになった。実は、2年生のT中先輩の実家がパーマ店を経営していて、部室にバリカンを隠し持っていたのである。そのバリカンで刈ろうというのだ。
  これまで坊主頭にしたことはなかったが、私も半ば面白がって先輩の言う通りにした。(後で、その先輩2人は、3年生のH先輩からこっぴどく絞られたらしい)

  この気合いが入った「ニューヘッド」効果があったのか、我がブラスバンド部は見事2位に輝き九州大会への切符を手に入れ、その後の「第21回西部吹奏楽コンクール/九州大会」でも「銀賞」の栄誉に輝いたのである。
  もちろん、初心者の私が演奏に貢献したはずはない。ただ「ニューヘッド効果」だけである。


チームワーク

  部活の練習形態には、個人練習、パート練習、合同練習がある。ブラスバンドの場合、ソロ演奏はさほど多くないので、部活のS松先生は「パート部門」に対して色々指摘をする。

  個人レベルの向上は、先輩の指導と本人の自助努力、パートレベルの向上は、まとめ役となる「パートリーダー」の技量が重要であり、とりもなおさず、そのパート内のチームワークが大事だ。その点、指導力があるやさしい先輩方に囲まれて厳しくとも楽しい練習であった。初心者の私に対して「へたくそ!やめてしまえ!」などの小言は一切無かった。寛大な先輩方である。


さらばクラリネット

  こうした良い環境で1年間クラリネットを練習してきたのだが、2年生になる時に、我が部に初めて「バスクラリネット」が導入されることになった。果して誰が担当するのだろうか。指の操作はクラリネットともちろん同じであるが2まわりほど大きく、形状はサックスにも似ている。

同じクラリネットではあるし、「初代バスクラリネット奏者という響きも満更ではないな〜」などと自分に言い聞かせ、結局、「体がでかい(?)」私が担当することなったのである。


クラリネットと違うぞ!

バスクラリネットはクラリネットと指の操作は同じだが、楽譜が全く違う。それは、合同練習の時に思い知らされた。クラリネット1番奏者のメロディーライン、チューバやコントラバス、サックスなど、部分的に似通っている。時には、自分1人だけ全く違う場合もある。
 
  バスクラリネットの特殊性(?)により、パート練習が難しくなった。チューバの先輩K村氏(私を坊主頭にした張本人)から共通部分を練習するように言われたり、サックスパートと練習したり・・・。

こうして、2年間ジプシー生活が続くのである。各パートに目を向けると夫々練習はもちろん人間関係も良くまとまっている。その中に、時折ジプシーの私が入り込むのである
(写真:前列左から3番目)
「私はどのパートに所属しているのだろうか?私の先輩・後輩って誰なんだろう」と多少捻くれたこともあった。


●バスクラリネットは味がある

  良かった面もあった。3年生の頃には、自分1人全く違うことが、逆に楽しくなった。そして、違うパートで練習することによって、各パートリーダーの考え方・指導・練習方法に触れることが出来たし、また、それらの部員達とも仲良くなれたのである。3年生の時、ある曲の中でフルートとバスクラリネットだけの8小節の演奏部分(リズムセクションも休止)があったのだが、その頃、1年生の女性部員から「あの8小節の部分が好きなんですよね〜。」など言われたことがある。「よっしゃ〜。頑張るぞ!」。バスクラリネットをやってて良かったと思ったのはこの時からである。(^^;)


エピローグ

  当時のブラスバンド部は、私が2年生、3年生の時にも連続して九州大会へ出場するなど、「第2期黄金時代」を築き上げる(?)ほどのレベルであった。もちろん、私がバスクラリネットを担当したこととは無関係だ。
 

さて、この黄金時代のメンバーの中で6人が、我が「Swing Boat Jazz Orchestra」に入部する
のだが、うち3名〔第16代(U田氏)、第17代(Oサム氏)、第18代(Sケン氏)〕はコンサートマスター(指導者)になるのである。
 
  私はというと・・・。(つづく)


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