ルネサンス時代の発音

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作曲当時の発音で作詞の意図がわかる

21世紀に入って,ルネサンス合唱曲を作曲された時代の発音で歌うことがおおくなってきました.これは古楽器をつかってルネサンス・バロックの音楽を演奏するのとおなじように,その時代の音をもう一度ひびかせ,その音楽がもっていた本来の味わいを引きだすというねらいによるものです.

それによって,作詞の意図がはじめてわかることがあります.下にあるのはダウランド作曲の Come againe (帰っておいで) の1番の歌詞です.

原詞いまのつづりもとの発音いまの発音
Come againe:Come again:ゲーンアゲン
sweet loue doth now enuite,sweet love does now invite,インヴァイトインヴァイト
thy graces that refraine,thy graces that refrain,リフレーンリフレイン
to do me due delightto do me due delightディライトディライト
to see, to heare, to touch, to kisse,to die,to see, to hear, to touch, to kiss,to dieダイダイ
with thee againe in sweetest sympathie.with thee again in sweetest sympathyスィンパサイスィンパシー

それぞれの行の最後のことばを作曲当時(16世紀おわり〜17世紀はじめ)の発音でみると,
againe - refraine
enuite - delight
die - sympathie
のくみあわせで,最後の音がおなじであるのがわかります.

このように音をそろえることは “韻(いん)をふむ” とよばれ,ヨーロッパや中国の詩でつかわれる,ひびきを美しくする技法です.ところが,いまの発音では音がちがうものがあって,韻をふんでいることがわかりません.

トマス・モーリー作曲の Now is the month of Maying (いまは春祭りの月)の最後の2行でも,そのことがいえます(ちなみにこの曲は,青島広志作曲 “マザーグースの歌” にでてくる “にわのことりが” の元歌です).

原詞いまのつづりもとの発音いまの発音
Say daintie Nimphs and speakeSay dainty nymphs and speakペークスピーク
Shall wee play barly breakeShall we play barley-breakレークブレイク

ですから,作詞の意図をただしく生かすためには,原詞のつづりを見て,その時代の発音で歌う必要があります.

ルネサンス時代の文字のきまり

ルネサンス時代の文字の i, j, u, v, s には,いまとちがう規則があります.

i, j

i と j はおなじ文字(大文字は I )としてあつかわれ,ふつうは i をつかいました.たとえば,フランス語でいまの “jour” (日,昼) “je” (私)は,それぞれ “iour” “ie” でした.ラテン語でいまの “major” (より大きい)は “maior” でした(ラテン語が古代ローマで生きていた時代には,そもそも “j” の文字がありませんでした).英語だと “joy” (よろこび) は “ioy” でした.

j がつかわれたのは,i が何個もつづくときで,最後の文字を “j” とかきました.たとえば,3をいまふうのローマ数字であらわすとIII,小文字でiiiですが,これを iij とかいていました.このなごりがオランダ語の ij で,むかし “イー” だったものをいま “アイ” とよみます(たとえば ijs アイス=氷).

また,ルネサンス時代の楽譜では,おなじ歌詞のくりかえしが ij. とかかれています.

v, u

v と u もおなじ文字(大文字は V )でした.単語の最初の文字のときは v それ以外は u をつかいました.たとえば,いまの英語の “love” (愛)は “loue” で, “unkind” (不親切な)は “vnkind” でした.

ſ(ながいs)

もうひとつ,ルネサンス時代の文字で知っておく必要があるのは ſ です.これは S の小文字で,上下にながいので “ながいs” とよばれます.いまの小文字 s は単語の最後だけでつかわれ,それ以外は全部 ſ でした.たとえばいまの英語の “she speaks” (彼女が話す)は “ſhe ſpeakes” ,“kiss” (キス)は “kiſſe” といったぐあいです.ſ は f とまぎらわしく,活字のかたちによっては,そっくりに見えるので注意が必要です.

ちなみにドイツ語のエスツェット ß は左半分 ſ (エス),右半分 z (ツェット)のべつ字体 ʒ がくっついたものです.また数学の積分記号∫は ſ がもとになっています.

ルネサンス時代の発音

それでは,ルネサンス時代の発音がどんなものだったのか,みていきましょう.

イングランド語(英語)

ルネサンス時代の英語は “初期近代英語 Early Modern English” 略して “EME” といいます.シェークスピアの劇がEMEでかかれています.EMEの発音はいまの “アメリカ英語” ににています. 意外かもしれませんが,“イギリス英語” が変化して “アメリカ英語” になったのではなく,EMEがアメリカ大陸につたわり,ふるい発音がのこって “アメリカ英語” とよばれるのです.

EMEの発音はいまのアメリカ英語の発音から“復元”できますが,量がおおくて,ここでは紹介しきれないので, Early Modern English,Shakespeare,original pronunciation などをキーワードにしらべてください.おすすめは
THE ORIGINAL PRONUNCIATION (OP)OF SHAKESPEARE'S ENGLISH
です.前半はむずかしいので,はじめから後半の実例を見るのがわかりやすいと思います.

中世・ルネサンス・バロックの歌では,英語の “r” もイタリア語とおなじような(俗にいう)“まき舌” です.語尾の r もおなじです.

フランス語

ルネサンス時代のフランス語の発音の規則は,いまのフランス語とだいたいおなじです.ちがうところは表のとおりです.

文字いまの発音もとの発音
oi, oyオワ鼻にひびかせてウェ
rのどをゴロゴロならす
(“のどちんこ”をふるわせる)
(俗にいう)まき舌
(舌先をふるわせる)
en, an, em, am鼻にひびかせながらアーとオーの中間の音最後にン(n, m)をつける
いまの発音よりもアーンに近い
on, om鼻にひびかせながらオー最後にン(n, m)をつける
un, in, um, im鼻にひびかせながらアーとエーの中間の音最後にン(n, m)をつける
アクサン(アクセント)のない語尾のeあいまいなウ歌では,あいまいなエ

たとえば,“bois” “boys”(森・木)は,いまの発音は “ボワ” ですが,もとの発音は “ブウェ” です.“haut bois”(高い木)はもとの発音で “オーブウェ” です.これが “オーボエ”(高音の木の楽器)という名前になりました.

フランス語ではいまの発音でも韻がくずれることはありません(たぶん).しかし,べつのところで,ちがいがあらわれます.ジャヌカンの “Le chant des oyseaulx”(鳥の歌)は,いま式だと,早口のところでたいへん発音しにくいところがありますが,ルネサンス式だとそれぼどむずかしくありません.また,鳥の鳴き声をまねたところで,それらしい音になります.

ドイツ語

ルネサンス時代のドイツ語の発音の規則はいまとおなじです.ただし “r” は歴史的な流れからかんがえて “舞台ドイツ語” 式の(俗にいう)まき舌のほうがよいでしょう(とくに南ドイツやいまのオーストリア・スイスあたりでつくられた曲を歌うとき).じっさいのところは,方言によって,いろいろな “r” の発音があったようですし,舞台ドイツ語そのものが19世紀のおわりに “決められた” あたらしいものなので,ルネサンス時代の発音にあてはめることはできません.

イタリア語

イタリア語については,くわしい情報がみつかりませんが,いまの規則で発音してよさそうです.

ラテン語

意外かもしれませんが,“ルネサンス時代のラテン語の発音” というものはありません.なぜなら,国や地域によって発音がまちまちだったからです.たとえば,ドイツ語が話されるところではドイツ式,フランス語が話されるところではフランス式の発音がありました.それでいて,たがいに会話が通じたそうです.

ふつう,宗教曲でつかわれる “教会ラテン語” の発音はイタリア式です.カトリック教会の中心がイタリアだったからです.ふつうはそれでかまわないでしょう.しかし,フランドル地方(いまのベルギーのフランデレン地方)の作曲家,デュファイ,オケゲム,ジョスカン,ラッススなどの作品は,できればフランス風の発音で歌うほうがよいと思います(イタリア式の発音とまったくちがう強烈なひびきがあります) .

ラテン語の地域別の発音については
http://www.mab.jpn.org/lib/exp/pron/med_latin.html
がおすすめです.

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