原爆投下直前の長崎地図を制作しました

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地図の紹介

いま,原子爆弾投下直前の長崎の地図をつくりました.いまの長崎市の精密な地図とかさねあわせた図をつくっているので,当時の建物や道路などがどこにあったのか,正確にわかるようになっています.範囲は,北は西北・川平,南は飽ノ浦や東山手,東は西山付近までふくみ,浦上はもちろん,旧市街地や西岸地区まで網羅しています.現在の地図(長崎市がつくった地図)をかさねてインターネット上で公開する承認申請をまだ出していないので,ここでは原爆投下直前の地図だけを一部紹介します.

情報をおよせください!

場所がわからない建物がいくつかあります.ご存知のかたがおられましたら,ぜひお知らせください.

出島町 川南病院 → 情報提供により判明しました
常盤町 長崎県食糧営団 (元船町のほうは判明しています)
西山町 南満州鉄道長崎支店

メールアドレスは  hoteia○fsinet.or.jp  です(○を@におきかえてください).お待ちしております.

爆心地付近です.右がわの“三菱造船所女子挺身隊寮”の場所が爆心地です.左の簗橋は同じ場所にいまの橋があります.“駒場町二丁目”の文字から上のほうは,いま市民プールや市営ラグビー・サッカー場になっています.その下のほうは,いまの陸上競技場です.
十八銀行本店はいまも同じところにあります.右下の銅座川はいま,十八銀行の左で,中島川に合流し,それより下流(左下)は埋め立てられています.いまの長崎バス新地ターミナルがあるところです.大浦にいく路面電車の線路は,いまとちがうところをとおっていました.
いまの長崎大学文教キャンパスです.当時は三菱長崎兵器製作所大橋工場でした.左下の西門がいまの大学の正門,右下の南門がいまの裏門です.仕上工場から精密工場のあたりが工学部,防雷工場の左部分が多文化社会学部,機械工場が環境科学部と水産学部,“冶工具”の文字のあたりから気缶室のあたりが薬学部です.

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