わが家に残る伝統文化  テーマ 「初詣」

(はじめに)
初詣とは,年が明けて初めて寺社などに参拝し,一年の無事と平安を祈る行事である。冬休みには,毎年のように家族で諏訪神社に初詣をしているのでそれをテーマに選んだ。

(調べた内容)
@神社と寺はどう違うか? A長崎の諏訪神社について B初詣のノウハウ  これらを本やインターネットなどで調べる。

@神社と寺はどう違うか?
宗教の種類で言うと,神社は神道(しんとう),寺は仏教になる。神道と仏教の違いは次の表のようになる。

  神社(神道) 寺(仏教)
まつる対象 神をまつる。あらゆる対象に「神」の存在を認める。「八百万の神」。日本古来の宗教。 仏をまつる。外国から伝わった仏教という宗教。
働く人々 神主,巫女,宮司 僧侶,尼,住職
建物 お宮,おやしろ,神宮,大社など 寺,○○院, ○○庵, ○○坊など
参り方 拍手をして参拝 合掌して参拝
葬儀 他界したら神葬祭を行い,位牌ではなく霊璽をまつり,仏壇ではなく御霊舎に拝礼し,十日祭,五十日祭,一年祭,十年祭などの年祭を神式で行う。 線香を上げ,お経を上げる。皇室では仏教儀式や仏教行事は行わない。


八郎岳のふもとにある山の神をまつる鳥居
(自然の山に神の存在を認めている)
聖武天皇が作らせた奈良の大仏

A諏訪神社について
諏訪神社のもとは長野県諏訪湖にある。諏訪神社は全国に広まって,その数約2500である。諏訪神社の神は建御名方神(たけみなかたのかみ)とその妃である八坂刀売神(やさかとめのかみ)で,狩猟神事をとり行っていたことから,狩猟や漁業を守る神社として崇拝を受けている。諏訪大社の祭りでは,6年に一度行われる「御柱祭」が有名である。
長崎の諏訪神社の歴史は,室町時代から長崎にまつられていた諏訪神社・森崎神社・住吉神社の三社が起源である。長崎は戦国時代にキリスト教の支配地となったので,そのとき神社や寺は全て破壊されたが,江戸時代の寛永2年に長崎奉行の支援によって再建された。長崎の諏訪神社の祭りでは「くんち」が全国的に有名である。

B初詣のノウハウ(参拝の方法)
以下は一般的な参拝の流れである。神社によっては異なることもある。

鳥居をくぐるときは会釈をするのがよい。次に手水舎(ちょうずや)で手水を使い手口を洗う。手水の作法は,まず柄杓を右手で持って水をすくいその水を左手にかける。同様に柄杓を左手に持ち替え右手を洗う。柄杓を再度右手に持ち替え,すくった水を左手に受けて,この水で口をすすぐ。終わったら再度左手に水をかけて洗う。使った柄杓を洗う時は水を入れた柄杓を立て,柄に水を流すようにする。

手水を使い終わったら参道を通り神前へ向かうが,参道の中央は避けて歩く。これは参道の中央が「正中」と呼ばれ,神の通る道とされているからである。神前では神への供物として賽銭を奉納する。次に鈴鐘を鳴らす。これには邪気を払い音色で神を呼び寄せるという意味がある。その後拝礼を行う。拝礼の作法は「二拝二拍手一拝」である。拝は身体を90度折り曲げる礼を二度行う。拍手を二度打つ。再度一拝する。祈願を行う場合は,二拍手と一拝の間に居住地および氏名と願い事を(声に出して,あるいは心の中で)のべる。

注意事項
身内に不幸が有った人は,50日間(仏式の49日)を経過するまで神社参拝は控える。神棚には原則として火を通したものは上げない。イザナミが火の神を産んで死んだからである。ただし穀類は例外であることが多い。

諏訪神社正面の長坂 手水で清める 願いを込めて参拝
「おみくじ」は吉 月見茶屋で腹ごしらえ 無事に参拝終了

(まとめ)
神道は,日本民族の間に自然に生まれ育った伝統的な信仰である。神道には明確な教典などはなく,「古事記」「日本書紀」などの古典を基盤にしている。森羅万象に神が宿ると考え,神と人々との間の連体意識が強い。また日本では,一つの家に神棚も仏壇もあることが珍しくない。それは,神道と仏教が役割りを分担していて,両者が合わさって一つの宗教観を構成していると言える。

(感想)
今までは特に何も考えずに,正月だから諏訪神社へ参るというだけだった。しかし今回は,神社について調べて初詣をした。そして,あらためて人々の暮らしの中に宗教的なものが関係していることを実感することができた。「森羅万象に神が宿る」という教えは,環境を考える上でも素晴らしいと思う。

(参考資料)
○新しい社会「地理」
 世界と日本の生活と文化「人々のくらしと宗教」  東京書籍
○図解「宗教史」  成美堂出版
○フリー百科事典「ウィキペディア」