平成13年10月27日 | 平成17年10月29日 |
平成17年10月29日
被爆60周年の今年は,ポスター9900,標語15700の応募があったそうです。世界平和ポスター・標語展は今年で33回めだそうですが,応募総数は毎年ふえつづけています。
わが家では,歴史を学ぶことを平和教育の一環にしています。幸い,書店や図書館には一般向けの様々な歴史関連の書籍が豊富にあります。小学校や中学校でも日本史を学びますが,大人が見ても教科書の記述は簡潔すぎて,流れが分かりにくいと思います。子供たちもそれなりに忙しい毎日を送っていますので,歴史上の様々なエピソードを織り込んで流れを話してやると,興味を持ってくれます。
歴史というのは,確かに勝者にとって都合のいいように書かれていることが多いです。たとえば「大化の改新」で討たれた蘇我氏一族は功績を残さなかったでしょうか?古事記と日本書紀が相次いで書かれたのはなぜでしょうか?受験用に歴史を学ぶと,つまらないものになってしまいます。人類は何を考え何をしてきたのか,これから何をしようとしているのか,という問いかけが歴史を学ぶことではないかと思います。
人類の中には,おそらく純粋に平和的な気持ちで,地球外の知的生命体とコンタクトしたいと思っている人々もいるでしょう。しかし,私たちよりもはるかに平和的で知的な生命体は,地球人に会いたいと思っているでしょうか?一部の好戦的な人々のせいで,今はただ彼らから観察されているだけなのかもしれませんね。
平成13年10月27日
今年はポスター8200,標語14000の応募があったそうです。祈念行事を通して,みんなが世界平和について考えてくださいと,市長さんのメッセージがありました。つぎに,作品を審査された先生がたが感想をのべられました。ポスター,標語ともに明るくて未来に希望をもった作品であること,その人らしさが出ていることを大切にして選んだそうです。そのあと,原爆資料館を家族みんなで見学しました。こわれた浦上天主堂の入口やマリア様の像,11時2分で止まった時計,とけたガラスびん,原爆の恐ろしさを紹介したビデオなどがありました。
お父さんよりひとこと
お父さんは戦争体験もなく,原爆の実際の惨劇も知りません。私が最初にこの資料館を訪れたのは小学校1年生になる少しまえでした。陳列されていた資料がとても恐ろしくて,母親の陰でずっと泣いていたことを強烈に覚えています。その時の恐怖心は大人になった今でも消えることがなく,原爆資料館の近くを通るだけで足がすくんでしまいます。今回,わが家の子供たちは初めてここを訪れました。どんな反応を示すか気になっていましたが人が多かったせいか,もしくは新しくなった資料館の雰囲気のせいか,かなり積極的に資料をのぞき込んでいました。当日,子供たちとは戦争や原爆について話すことはあえてしませんでした。ただひたすら,陳列されている資料や標本やビデオ映像を見てもらいたいと思ったからです。脳裏にしっかりと「言葉ではない記憶」を焼きつけてもらうつもりでした。
これから先,親子で戦争や平和というものについて語り合う機会が何回もあることでしょう。しかし,たいした経験もない私が子供たちに伝えられるのはどの程度のことか疑問に感じます。現在でもテロリズムや多くの不安材料は存在しており,それらは人類の有史以来,延々と繰り返されています。悲観的な言い方をすると,おそらく人類は遺伝子レベルで拭い去ることのできない何かをもっているのではないかと疑いたくなります。歴史を断片でみると何か重大なことを見落としてしまうのではないか。大きな出来事の背景にはどんな経過があったのか?少なくとも現代に生きている私たちは過去の出来事について検証しその背景と経過を学習しなおしておく必要がありそうです。特定の国益などに縛られずに地球市民的な立場で「知る」ということができないか。そうしたことを子供たちと一緒に学んで行けたら幸いです。