漢字の筆順について,自信のある大人はほとんどいないようですね。じつはお父さんもそうです。「左」「右」「必」「飛」,「発」や「登」の(はつがしら)などは自分の子供に筆順を教えてもらいました。その他にも,とめる・はらう・はねる・長いか短いか・くっつけるか離すか・などなど,実にたくさんのことを教えられました。
子供たちは現在習っている単元の漢字については,練習によってその成果は出ているようです。しかし,しばらく書かないと前に出てきた漢字はけっこう忘れていることもあります。大人もそうですよね。何か記憶に残りやすいように,いい方法はないかなぁ。根性だけで,漢字の書き取りをやれというのも面白味に欠けるし,と思っていたところ,漢字の成り立ちを調べてみたらどうか?ということを思いつきました。そこで,小学生向けの「漢字なりたち辞典」というのが市販されているので購入しました。これは大人が見てもとても役に立ちます。漢字の基礎については小学校時代にやっておかないと,その後は学ぶ機会があまりありませんから,がんばりましようね。
「左」「右」について,大人たちはどのように書いているか。お父さんの職場で調べてみたら10人中1人だけが教科書通りの書き方をしました。お父さんを含めて,あとは全員「横線」から書きはじめていました。
象形文字では,これらは自分から見たときの左右の手と腕の形からできています。解釈は二つあって,一つめは「右」は右手「ナ」で「口」にかかわる重要な仕事をする。「左」は左手「ナ」で「道具または工作」を表す「工」に関係して,右手を助けるというものです。二つめの解釈は,「右」は右手で祝詞「口」を持つ形,「左」は左手で祝詞をのせる台「工」を持つ形を表しているのだそうです。この右と左の両手を重ねると「尋」(たずねる)となり,祝詞によって神意を尋ねるとなるのだそうです。
祝詞(のりと):神様に祈るときにとなえる言葉
書き順は,手をはじめに書いて次に腕を書きます。ですから「左」では横線が手で、払いが腕を表しています。右では縦の払いが手で,横線が腕になります。したがって本当は「左」の縦の払いは長く,「右」の縦の払いは短く書くのが正しいのだそうです。パソコンの文字ではそうした区別はないのですが。
余談ですが,世の中には左利きの人もたくさんおられます。漢字の成り立ちや言葉では「右」は「左」よりも勝ることを示しています。人類の歴史というのは,こういう場面でも多数が勝るという経過をたどっていたんですね。
教科書体 | 明朝体 |
パソコンの文字といえば,こういうのもありました。「糸」は6画ですが,書体によっては6画に見えないことがあります。左側の糸は6画に見えますが,右は8画に見えてしまいます。左は「教科書体」で,右は通常よく使われる「明朝体」です。教科書会社ではこのへんに注意を払っており,独自のフォントを使用しているそうです。
平成16年,小学6年生になった長男は社会科で日本史を勉強しています。そこには,古墳(大和)時代に渡来人によってわが国に文字(漢字)がもたらされたことが書かれていました。長男は大昔の日本人が,会話をしていても文字は持っていなかったということにショックを受けていました。じつは,全世界では独自の文字を持たない民族はけっこう多いそうなのですが。
そこで,親子で「なぜ日本には独自の文字が生まれなかったか?」ということを考えてみました。結論としては「自然条件と,民族の歴史の長さに関係があるのではないか」ということになりました。毎日の暮らしが狩猟や採取で食をまかなう時代では,おそらく起きている時間のほとんどが食料調達のために費やされていたことでしょう。弥生時代に大陸から伝わった稲作は食料調達のコントロールを可能にしました。はじめて「ゆとり」ができたわけです。
文明の萌芽は,生きるための第一条件が安定することがきっかけになったのだと思います。自然条件によって小麦や米が発生しなかったために,わが国では自力で食を安定させることができなかった。食生活が安定してくると人口も増えて,歴史が作られていくというわけです。世界の四大文明が起こった所は例外なくそうであったと思いますし,実際にそこでは文字が生まれています。
縄文時代のわが国の人口は10万人から30万人と推定されており,それが弥生時代には急速に増えていった。
稲作が大陸から伝来し大陸の人々が渡来したということは,すでに向こうにあった文明もどんどん入って来たということを意味します。漢字を日本語(倭語)にあてはめる工夫は数百年の苦労があったようです。それにしても「卑弥呼」「倭国」「奴国」という文字は気になりますが,歴史上のこととして冷静に受けとめておきますか・・・
渡来人:大陸から渡来し,わが国に帰化していった人々は数千人単位で相当な数であったらしい。新たな文明や社会制度をもたらし,一部は大和朝廷で要職にもついていたという。 |