今から千年まえ平安時代のことです。川原の領主である川原(河原)大蔵太夫高満(おおくらだゆうたかみつ)には阿池姫(おちひめ)という幼い一人娘がいました。ある日のこと,阿池姫が山に連れていってもらい遊んでいると,とても大きな楠の樹に出会いました。そして,その樹をいっぺんで好きになってしまいました。それからというもの,姫はその樹のそばに行くことばかりを周囲の者にねだっていましたので,人々の間には「阿池姫は楠の樹に恋をしたのだ」という噂が広がっていました。
年月がたって阿池姫はく美しい女性になりました。その頃,高満は船をつくる計画をしており,そのために例の楠の樹を使うことにしました。そして,いよいよ船が完成したので海まで運ぶことになりました。しかし,ある所まで来ると船はとても重くなり皆の力では動かすことができなくなりました。高満は困って家来の占い係りに相談したところ「阿池姫を船に乗せなさい」というお告げがありました。そのとおりにすると,不思議なことに船はひとりでに動き出しました。しかし,海まであと一歩というところまで来ると,とつぜん大嵐になり大地は裂け,たちまち一帯が大きな池になりました。そして船は阿池姫を乗せたまま池のなかへ消えていったのです。
ところが,こうしてできた池のまわりには妖気がただよっており,村人は恐れてだれも近づこうとしませんでした。高満は姫の運命を嘆き悲しみ,熊野(現在の和歌山県と奈良県にまたがった地方)から弟である高僧の知行(ちぎょう)を招き二十一日間の祈祷をあげてもらいました。すると満月の夜,池の中から鋭い目をして真っ赤な舌をもち五つの角を突き出した龍が現れました。しばらくすると龍は阿池姫の姿になっていて,こう言いました「私はもともとは文殊菩薩(もんじゅぼさつ)なのです。このさき私を川原権現(かわはらごんげん)として崇めればこの池の守り神になりましょう」。これを聞いた知行は,池の近くに祠(ほこら)を作って文殊菩薩の像を安置しました。池のまわりには穏やかな日々が戻ってきました。そして村人たちは祠を「池の御前様」と称していつもお参りに来るようになりました。そしてこの阿池姫の伝説を末永く語り継いでいったのです。
以上が川原大池(別名,龍ヶ池とも言われるが,女池,菱葉の池と呼ばれることもあった)にまつわる伝説です。かつては大池の傍に小池(男池)がありましたが,農地計画のために埋め立てられました。さて,平安時代という遠い昔を舞台にしたこの伝説に私は大いに興味がわき,その背景を知りたいと思いました。
川原大蔵太夫高満は990年頃に実在したそうです。現在地元にある寺や神社については,高満により創建されたといわれる住吉神社(川原大名神)や阿池姫ゆかりの池之御前神社,熊野権現に由来する池之御神社(権現神社)、そして熊野から来た阿砂利知行を祭神とする峯島神社,高満の菩提寺とされる大聖寺(現在は跡地で観音堂のみ)があります。
「阿池姫」については「遠知姫」とも伝承されていますが,今日一般には前者が使われることが多いようです。権力を持った領主の一人娘が大池で亡くなったというのが伝説の発端なのでしょう。原因は何か?それは異性問題や親子関係から生じた悩みによるものではなかったのでしょうか。物語に出てくる楠の樹は、娘にとっての異性の象徴として描かれているように思えてなりません。高満は親としての葛藤を抱えながら我が子の冥福を祈って祠を作った。そして大池は聖なる池として汚されるのを禁じたのでしょう。今でこそ気ままに釣りを楽しむご時勢ですが,大池の守り神はたいへんな綺麗好きで「木の葉一枚も落ちてはならない」とされているのだそうです。文殊菩薩は「子供に知恵を与える菩薩」とされており,親としての高満がいかに我が子の苦悩を救いたいと願っていたかを感じることができます。
こうして思いをめぐらせてみるとその神秘性とともに,人々とのかかわりにおいて千年以上の歴史をもった大池の存在が私たちに投げかける今日的意味をつくづく考えさせられるのでした。なお,1690年(元禄三年)に出島オランダ商館の医師として来日したドイツ人ケンペル(ペルシャで楔形文字を発見したことで有名)による「日本誌」には同池の紹介があるそうです。
参考資料
「三和町郷土誌」 長崎県西彼杵郡三和町編 1986
「長崎の伝説」 長崎県小学校教育研究会国語部編 1981
池之御前神社 | 御前様の祭り | 阿池姫太鼓 |
御前様の祭り
毎年10月の上旬頃,三和町宮崎自治会の皆さんにより,池之御前神社でお神楽が実施されています。子供から年配の方まで,様々な年代の方々が集まっておられました。
阿池姫太鼓
阿池姫伝説をもとにつくられたもので,若い女性が中心メンバーになっていました。曲目はいくつかあって,いずれも非常に気品に富んだものでした。メンバーのかたは定期的に練習をされており,さまざまなイベントで活躍されています。三和町フェスティバルで撮影しました。
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