素敵な言葉

 

   江戸時代末期の「新撰組」に「近藤勇」という男がいた。

 大河ドラマで放映されていることもあり、最近、「近藤勇」に関する特集をよく目にする。
 ぼくが見た番組によると、近藤勇は外国の敵を倒すこと(攘夷)を目的に立ち上がり、その手段として「サムライ(武士)」になるために一生懸命努力した。
 そして、その結果、旗本という地位につくことができた。
 しかし、手段であった「サムライになること」がいつのまにか目的に変わってしまい、世の中の流れが見えなくなり、当初の目的であった「攘夷」を達成することができなかったという。

 このような番組をみて、ふと「僕が公務員になろうと立ち上がったときの目的は何だったのか?」と考え、入庁当時から綴っている資料を読み返してみることにした。
 まずは、最も古いもので、とある雑誌の「若手職員インタビュー」というコーナーで僕は以下のように答えていたようだ。
「いま、“
30年後夢づくり事業”若手プロジェクトチームに参加していて、 この自治体は将来どうあるべきかを考えています。私は、人が笑顔で生活できる社会をつくりたいと思い公務員を希望したのですが、その基礎として、経済のさらなる発展が必要だと考えており、今後、そのような仕事に携わりたいと思っています。でも、まだ情報や知識、分析力が不足していますので、まず、そこから勉強していきたいです。また、良いアイデアを持っていても、相手に正しく伝わらなくては意味がないので話術と文章力も大切だなと思います。一言で言えば、一流の行政マンになりたいということです。」

 その後、シドニーに赴任したことをきっかけに、本誌でシドニーでの生活や日本とオーストラリアの自治体制度の違いなどを連載した。
 このあたりまでは、体験したことを全て自分の糧として前向きにとらえていたようだ。

 しかし、帰国後の本誌への原稿あたりから上司に対する不満が見え隠れするようになり、彼らの考え方に対して非難するような記事を書くようになっていった。
 今思えば、このあたりから、僕も、近藤勇と同じように“本来の目的”を忘れかけていたような、若しくは何かを急いでいたような気がした。
 もちろん、他人を非難するからにはそれなりに僕もがんばる必要があり、また、がんばればがんばるだけいろんな人に意見をいうことができるとも思っていた。
 しかし、今年の1月の異動をきっかけに僕の考え方は大きく変わっていった。
 新しい職場では、パソコン入力よりは“筆記”する業務が多く、指を思うように動かすことができない僕にとってはその業務は非常に難しい仕事であった。
 そして、日にちが経つにつれ、事務処理の遅れが目立つようになり、ついに「他の人はもう課税処理は終わっているだけど君はまだ終わってないの?」ということを言われてしまった。

 この言葉は僕の心にずしんと響いた。

 事務処理に慣れていないことや通院などで休みをよく取っていたことによって仕事が遅れていたのであれば割り切ることもできたのであろうが、遅れている理由がそれ以外にあったということが、なぜか僕の気持ちを落胆させてしまったのだ。
 そして、その後「仕事も人並みにできない僕が他人に対してあれこれ意見をいうことはおかしいのではないか?」と思うようになり、やる気も徐々に薄れ、朝起きてちょっと体調が悪いと「もう休もうかな」と考えるようになっていた。
 しかし、いろんな人に迷惑をかけながら異動させて頂いたのに、その異動先で落ち込んでいてはもう救いようがない。
 そこで「なんとか気持ちを切り替えることができないか?」ということを僕なりに一生懸命考えた。
 そして、気づいた。
「なんらかの理由で人並みに仕事ができない人は意見を言ってはいけない」というふうに僕が考えていること、それ自体がおかしいのではないか?ということに。
 よく考えてみると、これまでに何度か聞きに行った“わたぼうしコンサート”で「目が見えないのにあんなに歌えるなんてすごいな」と感じたことがあった。
 それは僕の心のどこかでハンディキャップを持っている人をそうでない人たちと区別して考えていたということだ。
 しかし、その考え方自体が間違っていたのだ。
 このように考えると、僕自身がハンディキャップを持った人に対する差別感を無くしさえすれば全てが解決するような気がして、胸に刺さっていた苦しさがスーと無くなっていった。
 そして、それ以来、通常業務については他の人の6割しかできないのならそれが5割にならないように日々努力し、その一方で、事務改善や県民サービスの向上につながる方法が浮かんだときは遠慮することなく職場の人に提案することができるようになった。
 これに対する周りの人達の反応はというと、僕の事務の遅滞に関係なく新しいアイデアに耳を貸してくれ、時には事務所案として本課に提出してくれることもあった。 
 ミリオンセラーにもなった「バカの壁」という本を読んだことがあるが、僕自身、こんなところで大きな壁をつくってしまっていたとは、正直、驚いた。
 しかし、驚きはしたけれども、それに気づき、なんとか解決策を見い出すことができたことは幸いだったと思う。
 また、幼い頃に色も音もない世界に入り込み、後に「奇跡の人」と言われたあのヘレン・ケラーも「
I think, therefore I am.(我思う。故に我あり。)」という言葉を聞いたとき「自分の肉体的ハンディは自分の本質ではない、本質は自分の心にある、という己の信念を力強く支える言葉に出会った」と思ったという。

 この「I think, therefore I am.」という言葉は「私は考える。だから私は生きている。」と訳す人もいるようで、つまり「どのような環境に置かれても考える続けることが大事であり、そうすることによって、人は人であり続けることができる」ということなのだろう。

 我思う。故に我あり。

 とても素敵な言葉に見えてきた。

 このようにして1つの壁をなんとか乗りこえることができた“僕の考え”は、やっと本県の重要課題の1つである「 地方税の今後のあり方」に向けることができるようになった。僕のいる自治体の地方税について、歳入に対する地方税の割合が10%と非常に少ないことや、3位1体改革によって国からの交付税などが大幅に削減されたことから、今後、 地方税が重要な位置を示すことになることはみなさんもご存じのことだろう。しかし、この自治体が、地方税の中で最も大きな割合を示している「法人事業税」の減少率が他 の自治体と比べて大きく、また、企業倒産率が高いうえ、今後、成長が期待されているIT関係や自動車関係の企業が少ないという現状を知っている人はあまりいないのではないだろうか。
 このままでは、
「一人あたりの 地方税収入」が更に落ちこむ可能性だって十分ありえる。

 僕は、税務の担当になってまだ3ヶ月ぐらいしか経っていない“ひよっ子”であり税務に対する知識は皆無に近いが、これからは僕の入庁当時に描いていた「人が笑顔で生活できる社会」に少しでも近づけるための政策を“税”という観点から真剣に考えていきたい。

 そう思っていた矢先、「政策提案@プロジェクトA」の政策テーマ募集 があった。
 これによると、担当部署は“自治体の将来を担う職員”が今後行う“研究テーマ”を募集しているようだ。
 “この自治体の将来を担う”優秀な職員の方にもぜひ“これからの地方税”に対する意識を高めてもらい、「収入源も考慮した政策立案」をしてもらいたいと思った。

 僕は春に咲く桜の花を見るのがとても好きだ。

 その桜の花びらの数に負けないぐらい知恵を出し合えばきっとすばらしい政策が生まれてくるにちがいない。

 そして、近い将来、僕は、桜だけでなく、それを笑顔で見ているたくさんの県民の姿を見ることができるようになれば、僕の入庁当時の目的が、その達成に向けて大きな一歩を踏み出したことを実感することができるのではないだろうか。

<付録>
 過去の資料をひっくり返しているうちに、10年前の入庁当時に作成した「同期生のアルバム」を見つけた。このアルバムには僕も含め同期生の新採の時の個人写真が載っている。そういえば、彼らも、その後、結婚したり退職したりした人もいると聞いたことがあるが、なんだか、久しぶりにみんなの顔を見たくなった。

戻る