偽りのない気持ち

 

  最近、病気と闘っている人を題材にしたドラマをよく見かける。
 「愛し君へ」をはじめ、原作が漫画である「光とともに」など内容はさまざまだ。
 その中でも、僕が以前感動した「命」という詩の内容をモチーフにした「電池が切れるまで」というドラマは毎週欠かさず見ている。

 このドラマは、難病にかかった子供が最初は「どうして私が・・・」と取り乱すのだが、周りの人の支えによってその壁を乗り越えていく、というストーリーである。

 それを見ながら、いつも、「闘病しているのが大人だったとしても子供と同じように取り乱すよな」と思ってしまう。

 先日も、職場の中で「あなたの事務量が他の人よりも少ないことに納得できていない人がいる」ということから、みんなの前で症状を詳細に説明させられたことがあった。
 そして、その後、障害者の雇用促進のリストにも僕の名前を乗せられた。

 確かに僕は字を書いたり荷物を運ぶような肉体的労働はあまりできないが、パソコンの知識や入力スピード、それに事務改善などに対する姿勢は他の職員と比較しても見劣りすることはないと思っている。
 それなのに「積極的にパソコンを活用せずに筆記で作業を行っている人がいるのにどうして僕が障害者雇用促進の対象なんだ?」と思うと、なぜか悔しさが込み上げてくる。
 そして、その悔しさを、それまで上司の薦めもあり仕事の参考になると思ってちょこちょとと勉強していた簿記を向けてしまい、「職場の中で簿記2級の資格を持っている人が少ない」とわかるや「絶対簿記2級の資格を取ってやる!!」と方向違いのところに怒りをぶつけてしまった。

 それからというもの、毎日毎日子供の相手も程々にして簿記の勉強に明け暮れていった。
 しかし、問題が1つあった。
 それは、指を自由に動かすことができないことから、速記はもちろんのこと、試験時間である2時間もの間、字を書き続けることができないということであった。

 比較的使いやすいシャープペンを用い濃い芯も使ったのだが、状況は改善するどころか悪化する一方だった。
 そんな自分が嫌になり、字がうまく書けなくなるとシャープペンを壁に向かって投げつけ、それによって芯が折れ、その後、換え芯がうまく交換できないことにまた腹が立ってシャープペンを壁に向かって投げつける。
 まさに子供と同じ精神状態に陥ってしまった。

 それでもあきらめられなかった。

「僕は普通の人と変わらない。問題が制限時間内に解けないのは僕の努力が足りないからだ」と自分に言い聞かせていた。

 試験当日。
 
少しでもその場の雰囲気に慣れようと2時間近く前に試験会場に行った。
 やるだけのことはやったんだからきちんと書けさえすれば合格するはずだ。
 しかし、会場の椅子は自宅の椅子と違い、それによって、どうしても親指に力が入らなず、文字が練習通りに書けない。不安は時間とともに高まっていく。
「こんなことなら時間ぎりぎりに来た方がましだった」と後悔したが、それも後の祭り。
 仕方がないので、落ち込んでいく気持ちを高めようと栄養剤を飲んだ。
 そして、試験はスタート。

  1問目の“仕分け問題”は、幸いにもあまり書く必要がない問題であった。

 2問目にとりかかった工業簿記の問題はいままでに解いたことのない問題であったが、問題を読み返しているうちに解き方がひらめいた。
 しかし、この問題を解くにはいくつかの計算をしなければならない。
 焦らずゆっくり計算式を書いていったのだが、後で見ると自分が書いた数字がいくつか読めなかった。
 不安は急激に増した。
 「落ち着け。あれだけがんばったんだから、最後まであきらめなければきっと結果はついてくる。」
 そんなことばかり考え、問題を解くことに集中できず、結局、最後の問題にたどり着くことなく終了時間がきた。

 落ち込んで家に帰ると、パートナーから「子供の相手もせずに・・・今やらなければならないことが他にあるんじゃないの?試験ができないからって、勉強した簿記が仕事に役立つのであればそれでいいじゃない」と辛口のコメント。
 子供からも「もう勉強しないでね」と言われた。
 週末に“勉強”を理由にあまり遊び相手になってやれなかったことが寂しかったようだ。
 試験が終わり「あの椅子のせいで落ちたかも。でも字が書きにくかったんだから仕方ないよな」などと試験がうまくできなかった言い訳を一生懸命自分に言い聞かせていた僕にとっては、この2人のコメントはかなり効いた。

 実は、僕は簿記試験の勉強の傍ら、自らリーダーとして希望した新行政推進室主催の“政策提案プロジェクトチーム”にも参加しており、試験の2日前には第1回目の会議を行った。
 テーマは「観光振興について」であり、メンバーはその会議でそれぞれが熱い思いでアイデアを出し合った。
 “この地域の観光を何とかしたい”という人たちとの会議はとても有意義であったが、実際に動き出そうと思い「とりあえず関係課に話をしておこう」とすると、その課から「それはちょっと遠慮してほしいんだけど」と言われることもあった。
 その一方で、メンバーから「本当に関係課に事前に話をしておく必要があるんですか?」とも言われた。
 ちょっと前まで僕が言っていたようなセリフを言われ、考え込んでしまう。
 そういえば、先日も「あなたの顔が優しくなったような、大人の顔になりましたね」と言われショックを受けたことがある。
 女子バレーボールのオリンピック最終予選を見てもわかるように、「絶対夢を叶えるんだ!」という“気合い”がみなぎると鬼気迫る顔になるものだ。
 それなのに“優しく”なったり、“よその課のことを気にしている”ようではとても観光振興につながる案など出せるはずがない。

 よ〜し、今日からは昔の“鬼気迫る顔”に戻ろう。

 そして、もう言い訳なんかしない。いや、言い訳なんかしたくない。
 このメンバーで何とかならないようであればもうこの地域の観光は衰退してしまう。
 それくらいの気持ちでいよう。
 そして、メンバーのみんなと、いや、県職員のみんなと力を合わせて、何が何でもこの地域の観光事業を上向きにしようじゃないか!

 ここで今回の原稿は終わりであるが、今回の原稿を読むと「あいつは気が強いなあ」と思う人がいるかもしれないが、実のところ、そうではない。

 実は、先日も、僕の体のことを真剣に心配されている人から「○○さんからパワーをもらうとあなたの病気は必ず治ります」と言われ、車が買えるような高いお金を払って“パワー”というものをもらった。
 一見、ばかげている話ではあるが“余命”を宣告されたものからすれば全然おかしくない話である。
“藁をもつかむ思い”と言う言葉があるが、溺れている人が藁を掴んでも助からないことはわかっているのだけど、本当に藁でも掴みたい気持ちなのだ。

 大切なパートナーに対しても「迷惑かけてごめんな」と言ったすぐ後に「何でこんなこともわからないのか!!」ときつく責めてしまう。
 そして「あの時、僕と結婚しなければ彼女もこんな目には遭わなかったのに」と悲観的になる。
「病気になっていろんなことに気づくことができたので、病気になって良かった」という人がいるが、僕は絶対にそうは思わない。
 病気なんて、ならないに越したことはない。

 もちろん、「僕の病気は必ず治る」と確信しているし、これに反することを言われた場合、それがたとえ医者であっても僕は全身全霊を傾けて否定する。

 医者の告知を受けてからもう2年が経った。

 いいかげんに病気の方もギブアップしてくれないだろうか?
 僕も、もう、毎日“病気の進行”と闘うのは飽きてしまった。
 これが今の僕の飾り気のない本当の気持ちである。

 

<付録>
  毎日いろんな人に励まされて生きていることは自覚している。
 でも今は「無理はしないで」という言葉は言わないでほしい。
 今、無理をしないでいると倒れてしまいそうだから・・・

戻る