「い・た・く・し・て・る・の・よ」
ぐりぐり
リツコのゲンコツがレイのこめかみを挟んで押さえる。だが二人の雰囲気にとげとげしい物はない。リツコが何と言おうと、そんな二人の姿はまさしく母娘それであった。
発令所でも、最早お馴染みとなった光景。そんな二人の様子を、シンジは微笑んで、しかしどこか寂しそうに見つめていた。
そんなシンジの姿に気が付いたのは、その豊かな心を凍りつかせて生きてきた、そして今、その豊かな心の表し方を必死になって学ぼうと生きる少女、ただ一人
鮮やかに燃える夕暮れ、逢魔の時を迎えつつある第三新東京市。零号機の自爆と戦略自衛隊の侵攻によって瓦礫の山と化したその姿は、大量に投入された汎用人型決定版重機「ぷちJ」によって最早過去のものとなった。
「運命の日」から一年半、長いようで短く、短いようでいてしかし長い時間の経過は、第三新東京市が以前の様な、人類の砦であった頃の姿へと戻すには十分すぎる物であった。
真っ赤な夕日を浴びて紅に染まったレイの姿に、鼓動が早まるのを感じながらシンジは答える。
「あ、うん・・・・・・街、随分元に戻ったなって」
その心の裡を悟られぬよう、努めて平静を装いながら。だだ、少女の前にはその偽りなどあってないような物だったのだが。
「・・・・・・昼間」
「え?」
「寂しそうだったわ、碇君」
瞬きほどのためらいの後、少女の思考の飛躍に追いついたシンジは微苦笑を以て答えを返す。己の心の裡を隠せると信じて。
「行っちゃったから。父さんと・・・・、それと初号機、一緒に」
切れ切れに並べられた言葉。
その端々にはどれだけの想いが込められていたのか。
以前と異なり真っ直ぐに伸ばされた背中に滲み出るものは何であろうか。
前を見据える瞳には、一体どれ程の想いが込められているのであろうか。
レイはただ、沈黙と視線とを以てシンジに問う。
(前はこうなると言葉を探して慌てたっけ)
ぼんやりとそんなことを考えるものの、その脳裏の大半を昼間のリツコとレイのじゃれあいが占めていた。
(お母さん、か)
運命の日、ほんの僅かな刹那に言葉を交わした母。温かい人だった、自分に対する愛をはっきりと感じた。
でも、
(母さんは、母さん自身の夢を、願いを優先したんだよね・・・・・・)
捨てられたという訳ではない、それでも、それでも寂しさは募るものだ。心が全て自分のものとなるなら、人類補完計画などと言うものはあり得なかったのだから。
(いけない)
後ろ向きになりそうな自分を叱咤して、気持ちを切り替える。
ざわめく心と揺れる想いとが静かに収める。
真っ直ぐ前を、そして未来を見据えるために。
だがシンジは知るべきであった。
少年も、男も、彼らの見る未来はどこか幻じみたところに立っていることを。
また、ある種の女が見る未来は、少女の見る未来と違い、確たる今とそこから続く明日の上に立っていることを。
そして自分の隣を歩く少女が、その内に女を息づかせていて、確たる明日と、そこから続く未来を手に入れようと虎視眈々と少年を狙っていることを。
ピッという突然の電子音に驚いたシンジが、音源と思われる方向を向いたとき、そこにあったのは携帯電話を鞄にしまい込むレイの姿。
紅く燃える瞳がシンジを射抜く。
思わずシンジが何か気に障ることした?と尋ねようとしたとき。
少年の機先を制してレイが口を開いた。
「碇君、来て」
どこにさ、と聞き返す暇も与えず、シンジの腕を捕りすたすたと歩き始めるレイ。
顎を引き、唇を一文字にしたその姿は決意に溢れている。
「ちょ、ま、待ってよ綾波ぃ」
レイは一見感情の起伏が少ないように見えるが、実際は激情家でしかもかなりの頑固者である。しかも最近は何かに焦っているかの様に暴走しがちになっている。
元々常識に欠けた面のある彼女、その行動は余人の追随を全く許さない。
「いったいどうしたのさ、綾波」
頬を鮮やかに紅潮させ、肩で風”斬り”突き進むレイに対し、押しの弱いシンジはなすがままになるしかなく。
そして
「知らない、ジュエリーショップだ」
ネルフ職員の生活のため、住宅、商業区域の復興は比較的早かった。
その一角にあるジュエリーショップに二人は来ていた。
(逃げなきゃ、駄目なんじゃないだろうか・・・・・・)
店員と何事かを話し込んでいるレイ、小声で話しているため会話の内容までは解らないものの、さっきから店員がチラチラとこちらを観察するような視線を向けることに漠然とした不安を感じる。
(逃げなきゃダメだ、いや逃げちゃダメだ、でも逃げた方が良い気がするう)
だが人として、というか男として今一人で帰ったらまずいというか帰ったら殺されそうというか。
そんな思考をくり返しながら自分の内側に籠もっていたため、
「これ」
「はえぇ!?」
突然目の前に突き出された物に目を白黒させる羽目になる。
飾り気のないリング。
一瞬の思考の空白の後、それを買うのと尋ね様とした所へ
「碇君が、買うの」
思考を先読みしたかのような先制攻撃。
「僕が買うの?」
「ええ、そして私がこれを買うの」
同じ様なデザインの、ややサイズの大きいリング。
「買ったら・・・・・・交換」
頬を染めてソッとリングを差し出すその姿、鈍感大王がそのリングに込められた意味を理解するのに必要な時間はどれ程か。
10秒経過
20秒経過
30秒経過
「ええええええええええええ!!」
わたわたと手足を振り回し、全身を余すことなく駆使して驚愕を表現するシンジ。
小首を傾げ、不安と期待が入り交じった視線を向けるレイ。
「いや、あの、その」
あうあうあうと動揺しきっているシンジは、レイの視線が一瞬ずれ、自分の背後に向かっていることに気が付かなかった。
いつまでもわたわたとするシンジに、一瞬だけ悲しげな目を向けレイはがくりと肩を落とし、俯いて肩を震わせる。
ここ一年で10センチ以上伸びた身長、今ではシンジの身長はレイより頭一つ分高い。
無論レイも伸びていない訳ではないのだが偏食故にそれほど伸びているわけではない。
それ故に、
それ故にシンジは気づかなかった。
レイが彼女の養父の如き笑いを浮かべていたことを。
俯いて肩を震わせるレイに気を取られていたために気づかなかった。
自分の後ろに立つ白い人影に。
「シンジ君!!」
「うわあああ!!」
緊張している所へがっしと肩を押さえられ、慌てて背後を振り返ったシンジの目に飛び込んできたのは。
「リ、リリリリリリリツコさん!?」
(こ、こんな所へ白衣を着たまま!?)
動揺のあまり錯乱する思考、あまりの緊張と驚愕に半年以上出ていなかった右手を閉じたり開いたりする癖が出てきてしまっている。
リツコはそんなシンジの姿を上から下までざっと眺め、その動揺を確かめると心の中だけでにやりと笑う、計画通りねと。
ほんの僅かなためらい、それすらも計算の内ではあったが僅かに苦痛と後悔とが滲んだ言葉を放つ。
「シンジ君、突然のことで驚いたでしょう、ごめんなさい」
シンジの瞳を見つめながら、その瞳を逃がさぬようにして言葉を続ける。
「でもね、出来ればレイの気持ちを受け取って欲しいの」
「で、でも」
その後の言葉を言わさずこちらのペースに捕らえる。
「レイはあの人の計画の為に作られたわ、碇ユイの形態を模して」
「そして、あの人はレイの姿に碇ユイの影を見ていた。私はレイに嫉妬したわ。あの人がレイ自身を見ているわけではないと知りつつ」
そこでシンジから視線を外し、下唇を噛んで顔を背ける。
「あの子を私は人形として育てたわ。それはあの人の計画のこともあったけど、何よりあの子が憎かったから」
「人形のように笑い、人形のように生きるように。人として笑い、人として生きたらあの人が私から離れていく、レイの方を向いたっきりになると思いこんでしまったから」
「リツコさん」
加持さんとミサトさんが話していたのを思い出す。赤木リツコはいつも泣いている、と。シンジには、リツコの目元の黒子が、流れ落ちる涙に見えた。
「馬鹿よね。どんなことになろうとあの人が見ている女はただ一人、碇ユイだけだというのに」
「今、この子は苦しんでいるわ。心を表す方法を学ぼうと、想いを伝える方法を学ぼうと」
「シンジ君、わがままなのは分かってるの。この子のわがままであり私のわがままでもあるけど、でも、出来ればこの子の思いを受け取って欲しい」
「僕にそんな資格は、ありません」
しっかりしなければと思いつつも、ついつい流されることを選んでしまう自分。はっきりとしなければいけない時も傷つくのが怖くてはっきりさせないことを選んでしまう。
「僕は」
「いいのよ」
でもと続けようと見上げたリツコの顔に浮かぶのは、微笑み。
「これはレイと私のわがままだから、だから良いの」
食い下がろうとするシンジを無言のまま制する。
「それにレイは確かにもうすぐ結婚できる年齢になるわ。でもシンジ君は暫く先」
「その間にシンジ君がほかの子に決めるかも知れない。或いはレイがほかの子を見つけるかも知れない」
ピクリとシンジの顔に走る動揺に、内心大いに満足しつつ言葉を続ける。
「その時になってみないと分からないかも知れない、でも、レイに大切なのは今なの」
「だからシンジ君に受け取って欲しい、レイの今の気持ちを」
月に透かした左手に輝く指輪。
冴え冴えとした銀光を放つそれを見つつ、シンジは内心大いに溜息をついていた。
(流されちゃった。また流されちゃったよ)
しかもジュエリーショップを出るときにちらりとレイとリツコの顔に浮かんだ表情が非常に気になる。
(あれは絶対にやりだった)
はふうと溜息をつき、次いで自分の帰りを、正確には自分の作る夕食を待っている、とシンジが思っている少女の顔を思い浮かべ、そしてさっと蒼ざめる。
(こ、これをしてたら絶対殺される)
指輪を外そうと手をかけた瞬間、今度は蒼を通り越し真っ白になってしまう。
「何で外れないのさ!!」
填めるときはすんなりと入り、ぴったりはまっていたはずの指輪が今はまるで指に根を生やしたかのように動かない。皮膚の一部となったかのような指輪に対するシンジの奮闘は続く。
左手の指輪を月にかざし、レイは心底嬉しそうに微笑んでいたそんなレイの姿を横目に見ながら、リツコはカーラジオに耳を傾ける。
「お義母さん、ありがとう。心理学って本当に凄いのね」
全身で喜びと感謝を表すレイ。
「当たり前よ。シンジ君とアスカをぶつけ合わせ、心理圧迫を加えていく計画を立てたのは私よ?まあサードインパクトはあんなになってしまったけど」
「でもシンジ君とアスカを心神喪失状態にして自我を崩壊させ、サードインパクトのキーとするようにしたところまでは完璧だったお母さんの腕を信じなさい」
おほほとあでやかに笑って言葉を続ける。
「事実レイの心変わりを仄めかせたらあっさり陥落したでしょ? シンジ君みたいなタイプは自分から離れていくのは耐えられても捨てられるのは耐えられないわ。ゲンドウさんみたいにね。別れ話がくると思ったら仄めかせて見れば一発よ」
「ま、たとえ一時的に別れた所でその指輪がある限りシンジ君はどうにもならないわね」
そう言いながらレイの左手に光る指輪に目をやる。
「EVAテクノロジーを応用して作られた生体金属。ある周波数の音波を当てない限り、肉体と癒着して絶対に外れることはないわ」
「そちも悪よの」
うふふと笑うレイ
「いえいえお代官様こそ」
ほほほと笑うリツコ。
おーほっほっほっほっほという高笑いはそれは見事なユニゾンであった。
笑う二人に、カーラジオが婚姻適齢が男女共に満16歳となったことを静かに伝えた。
「負けてらんないのよぉ!! アタシはぁ!!」
翌日。
哀れな少年を引きずり市役所へと駆け込む赤毛の少女の姿があった、とか。
さらにその翌日。
第三新東京市市役所のコンピューターにクラッカーが進入し、前日に受理されたはずの或る書類が、全て無効になった事件があった、とか。
AlkさんからSSを頂きました(^▽^)ありがとうございます
リツコおかあさんとレイちゃんの心温まる?計画的犯行ですね(笑)EoE後、シンジ君の心の寂しさを埋めるためにレイちゃん暴走?リツコさんも加わってシンジ君は・・・流されやすい性格ですね。
取れない指輪にレイちゃんのライバルアスカちゃんは焦る焦る(^^;)二人の戦いはしばらく続きそうですね。
リツコさんとレイちゃんの高笑いに共感しました〜〜〜と感想を送りましょうね。
「jun16 Factory」はリツコおかあさん推奨HPです(爆)。
とっても素敵なSSをくださったAlkさんに皆さん感想を送りましょう。
皆さんの感想が作者の力になります!一言でもよいから感想を書きましょう!!
投稿:計・略・結・婚!?